寿綾乃という女 第3部 15
「…だからこそ、ジュンは、ユリコにとっての強みであり、弱みでもあった…ユリコにとって、ジュンのルックスは、誇りでもあった…自分が手に入れられなかったものを、自分の分身が手に入れた…が、真逆に、ジュンは、ユリコと違って気が弱い…だから、ユリコの足かせになりがちだ…それゆえ、ユリコの弱みともなる…」
「…」
「…でも、そんなユリコにとって、強みと弱みを兼ね備えたジュンが、いなくなった…刑務所に入った…だから、ユリコに、とって、足かせがなくなった…だから、怖い…」
「…怖い?…」
「…足かせが、なくなったユリコは、自分の思いのままに、動くことができる…だから、怖い…」
ナオキが、断言した…
そして、ナオキの話は、予想外というか…
想定外…
これまで、考えたことのないものだった…
そして、それは、ショックだった…
なぜなら、自分は、女であるにも、かかわらず、そんなユリコの心の内が、読めなかったからだ…
そして、それを考えたとき、実に複雑…
複雑だった…
自分も女…
当然、結婚して、子供を産みたい気持ちはある…
が、
とても、今、ナオキが、言ったように、考えたことは、一度もなかった…
それが、ショック…
実に、ショックだった…
これまで、漠然と結婚したい…
子供を産みたいと、思ったことはある…
が、
それは、漠然とし過ぎているというか…
まるで、中学生や高校生が、口にしているような…
中学生や高校生が、漠然と十年、二十年後の将来を語っているような感覚があった…
ところが、今、ナオキが言った話は、実に生々しいというか…
話に説得力がある…
それが、ショックだった…
何度も言うように、自分では、考えたことも、ないことだったからだ…
だから、驚いた…
そして、同時に、落ち込んだ…
今のナオキの話に、打ちのめされたと言ってもいい…
私が、落ち込んだのが、表情に出たのだろう…
「…どうしたの? …綾乃さん?…」
と、ナオキが、聞いてきた…
私は、言おうか、言うまいか、一瞬、迷った…
が、
ナオキが、真逆に、
「…いや、綾乃さん…言いたくなければ、言わなくていいよ…」
と、言ったから、言うことにした…
私は、実に、天邪鬼だった(苦笑)…
「…私は、ジュン君の母親には、なれなかった…」
と、打ち明けた…
「…どういう意味? …綾乃さん…だって、綾乃さんは、ずっと、子供の頃から、ジュンの面倒を見てきたでしょ?…」
「…それは、そうだけれども、それは、あくまで、母親代わりであって、母親ではない…それが、今、ナオキの話で、わかった…」
「…どういうこと?…」
「…私は、たしかに、ジュン君を子供の頃から、面倒を見てきた…でも、それだけ…とても、ユリコさんのように、ジュン君の将来だとか、そんな先まで、見ることは、なかった…」
「…」
「…あくまで、子供の頃から、ジュン君の面倒を見てきただけ…だから、もしかしたら、ジュン君の家政婦とか、お手伝いさんに、過ぎないかも、しれない…」
「…家政婦って?…」
「…つまり、ジュン君の生活の面倒は、見るけれども、ジュン君の将来とか、そんな難しいことは、見ない…そもそも、家政婦では、手に負えないでしょ?…」
「…」
「…それが、ナオキの話で、今、わかった…」
私は、笑った…
強張った笑いを見せた…
自分は、ジュン君の面倒を見てきたつもりだが、実は、ジュン君の生活の面倒を見てきただけ…
それが、今、わかった…
それが、わかると、実に、忸怩たる気持ちというか…
やはり、ジュン君は、私の息子でも、弟でもないのだなと、実感した…
やはり、血が繋がっていれば、違うからだ…
どうしても、気にかかる…
親身になって、面倒を見る…
私自身は、親身になって、ジュン君の面倒を見てきたつもりだったが、やはりというか…
親身になって面倒を見る度合いが、違う…
それが、今のナオキの話で、痛いほど、わかった…
所詮は、他人…
私とジュン君は、他人だということが、痛いほど、わかった…
バカな女…
そして、もしかしたら、ジュン君も、それが、わかっていたのかも?
と、今さらながら、気付いた…
自分では、気付かなかったが、ジュン君は、気付いていた可能性がある…
その可能性に、気付いた…
が、
だとすれば、どうだ?
やはり、ジュン君は、心の中で、ユリコさんを慕っていた?
その可能性に気づいた…
そして、もしかしたら?
もしかしたら?
だからこそ、ジュン君は、私を求めた?
成人したジュン君と、私は、何度か、関係を持った…
男女の関係を持った…
それは、すなわち、私を実の母親同様に、思っていれば、できないこと…
どんな男も、血の繋がった実の母親とセックスをする男は、いないからだ…
つまり、それを、思えば、ジュン君が、心のどこかで、私を母親ではなく、母親代わりと、思っていた可能性がある…
ジュン君本人は、気付かずとも、その可能性はある…
私は、今さらながら、そう、思った…
疑似家族…
私と、ナオキとジュン君が、いっしょに住んだ経験を、私は、疑似家族と、呼んだ…
誰も、血が繋がってなかったからだ…
それまでは、ジュン君は、ナオキの血の繋がった息子だと、ばかり、思っていたから、私だけ、血が繋がってないものだと、考えていた…
しかも、私は、ナオキと結婚していない…
だから、疑似家族…
家族だけれども、家族ではない…
法律上の手続きを踏んでいないからだ…
だから、疑似家族だと、思っていた…
が、
違った…
もしかしたら、ジュン君は、私を家政婦だとか、お手伝いさん程度にしか、思っていない可能性もあった…
いや、
それどころか、単に、母親代わりのお姉さん程度にしか、見ていなかったのでは、ないか?
だから、成人して、大人になって、私に迫った…
そういうことかも、しれない…
だから、私が、ジュン君を家族と、思っていたのは、一方的…
あくまで、私の一方通行に、過ぎなかったのかも、しれない…
そう、思った…
すると、ジュン君やナオキと、いっしょに暮した日々が、それまでとは、違って見えてきた…
疑似家族ではなく、単なる同居人に思えてきた…
いや、
事実、その通りだったのかも、しれない…
それは、自分の行動を振り返ってみれば、わかる…
私は、諏訪野伸明に惹かれた…
伸明と、結婚したいとも、思った…
明らかに、身分が、違うにも、かかわらず、そう、思った…
そして、それが、その証拠…
私が、ジュン君とナオキの二人を、疑似家族としか、見ていない、証拠だった…
疑似家族といっても、家族…
家族ならば、ジュン君とナオキを捨てて、諏訪野伸明と結婚したいなどと、考えるわけがない…
だから、私自身、本当の心の奥底では、二人を家族と、認めていない証拠だったのかも、しれない…
それまで、考えたこともなかったが、伸明に惹かれたのが、その証拠だったのかも、しれない…
私は、今さらながら、そう思った…
そして、そう、思うと、つくづく、自分でも、自分が、わからないものだと、思った…
自分でも、自分のことが、わからない…
そんなバカなと、思うが、そうだった…
私も例外ではなかった…
そして、それは、驚きだった…
なぜ、驚きなのか?
それは、私が、なりすましだからだ…
矢代綾子が、寿綾乃を名乗る…
だから、その事実に、気付かれまいと、常に警戒する…
常に、自分の動き、他人の動きに、敏感になる…
そして、相手の能力を測る…
自分の能力を測る…
そして、その根本には、冷たさがある…
他人に対する冷たさ…
そして、自分に対する冷たさだ…
なぜなら、冷たくなければ、冷静に、相手の能力も、自分の能力も測れないからだ…
私がなりすましゆえに、自分の能力のみならず、他人の能力も、冷静に見ていると、ずっと、思っていた…
が、
今、ナオキが、ユリコさんや、ジュン君に言及したことで、そうでないことが、わかった…
自分でも、自分のことが、案外わかってないことが、わかった…
それまでは、ユリコさんが、ジュン君の能力を買い被っていたことを、笑ったが、笑える話では、なかった…
自分も、また、同じ…
同じだったからだ…
だから、つくづく、自分は、おめでたい…
おめでたい=バカな女だと、実感した…
ダメな女だと、実感した…
そして、ナオキを思った…
目の前にいる、藤原ナオキを思った…
一体、このナオキは、私を、どう見ていたのだろう?
と、思った…
だから、まっすぐ、見た…
眼前のナオキをまっすぐ見た…
当然、ナオキも、私の視線に、気付いた…
「…どうしたの? …綾乃さん?…」
と、ナオキは、訝しげに、聞いてきた…
「…ナオキ…アナタから見て、私は、どう見える?…」
「…なに、いきなり?…」
「…どう見える? …教えて?…」
「…どうしたの? …一体?…」
「…いいから、教えて…」
私が、言うと、ナオキが、黙り込んだ…
だから、今度は、私が、心配になった…
「…ナオキ…なぜ、黙っているの?…」
「…綾乃さん…ダメだよ…」
「…なにが、ダメなの?…」
「…綾乃さんは、身近過ぎる…」
「…身近過ぎるって?…」
「…もう十年以上、身近に接してきた…ボクにとって、綾乃さんは、家族も同然だ…冷静に、評価できない…」
「…」
「…例えば、綾乃さんを、ボクの妹とする…」
「…妹?…」
「…妹が、いくら、美人でも、その妹を恋人にしたいとか、結婚したいとか、いう兄貴は、いないだろ?…」
「…それは…」
「…つまり、そういうこと…」
「…そういうことって?…」
「…自分の妹では、他人が、妹を、どう評価するか? 冷静に、評価できない…妹が、美人なのは、わかる…でも、女としては、見れない…そういうこと…」
「…女として、見れない?…」
「…もちろん、綾乃さんは、他人だから、女として、見れないことはない…でも…」
「…でも、なに?…」
「…あまりにも、身近過ぎる…あまりにも、長く付き合い過ぎてる…」
「…」
「…よく、恋は、盲目というけれど、それは、まだ互いに知らない男女が出会ったばかりだから…言える…」
「…どういうこと?…」
「…昔から、知っている男女では、恋に落ちることは、できない…例えば、子供の頃から、互いに知っている幼馴染では、恋はできない…あまりにも、昔から知りすぎているからだ…」
「…知りすぎて…」
「…互いに、全然知らないから、恋ができる…相手が、どんな家に住んでいるかとか、自分が、相手の家に行けば、相手の家族に、どう思われるか? など、誰もが、妄想するものだ…でも、昔から知っていれば、その妄想は、ない…」
「…ない…」
「…そう、ない…若ければ、カラダの関係ぐらいしか、妄想できないだろ?…」
ナオキが、笑って言った…
私は、その通りだと、思った…
事実、その通りだと、思った…
昔から、知っている男女の間で、恋愛は、生まれない…
互いに、好きというのは、ある…
が、
それは、恋愛ではない…
それは、むしろ、友情というか…
昔から、知っていて、子供のときは、いっしょに遊んだ経験もある…
だから、知らない人間ではない…
そういうことだ…
そして、相手が、性格が、良ければ、自分も、それを知っているから、嫌いではない…
が、
それだけだ…
そこから、恋は、生まれない…
恋は、知らない者同士の間からしか、生まれないからだ…
例えば、幼馴染同士、結婚して、家族になる…
そういう例は、あるだろう…
そして、愛情が、生まれ、良い家庭を築くことが、できるかも、しれない…
が、
そこに、恋は、ないだろう…
残念ながら、恋は、ないだろう…
何度も言うように、恋は、知らない者同士の間からしか、生まれないからだ…
そして、それを、思えば、私も、大昔、この藤原ナオキと、恋をしたのかも、しれない…
まだ、高校生の時代に恋をしたのかも、しれない…
が、
それは、遠い昔…
十年以上前の話だ…
すでに、忘れた…
いや、
あのときの感情は、すでにない…
ときめきはない…
あのとき、ナオキに感じたときめきはない…
そういうことだ…
家族ではないが、他人ではない…
私とナオキは、そういう関係だった…
私は、今さらながら、そう、気付いた…
気付いたのだ…




