目覚めると、異世界
ことことと鍋の中身が煮える音。
漂うおいしそうな匂い。
こんなご飯何年ぶりだろう、そう思いながら、みことは目を覚ました。
霞んだ視界が徐々に開けてくると、彼女の頭はすぐに疑問符で一杯になった。
自分の家では、ない――???
白野みことは24歳女性、ごくごくフツーの平々凡々な会社員である。
人と違うところがあるとすれば、少し人より文房具、とりわけ筆記用具が好きなことで、昨夜も週末に開催される文具フェスを楽しみに布団に入ったはずだった。
それが目を覚ましてみたら全く知らない風景。もしや酔っぱらって知らない人の家に転がり込んでしまったのでは。そもそもよくよく考えてみたら、社会人になってから一人暮らしなわけであって、自分にご飯を作ってくれる人はいるはずもないのである。
部屋を見回せば下り階段があった。どうやらこの家は大きくはないものの二階建てで、空腹を呼ぶこの匂いは階下から来ているもののようだ。耳を澄ませば鼻歌のようなものが聞こえてくる。声を聞く限りは女性のようで、その点みことはほっとしつつも、静かに階段に足をかけた。しかしながら、木製の階段からは少しきしんだ音がして、階下にいるであろう者に気づかれないことは難しそうであった。
みことが意を決して階段を下りていくと、台所が見えた。その台所に立っているのは、燃えるような深紅の髪の、身長180センチはあろうかという大女だった。腰には何かのホルダーがついたベルトを着けており、大女が身に着けているものの中ではやたらと浮いて見えた。
階段がきしむ音に気がついたのか、大女はみことの方に振り返る。
綺麗な人――みことが口を開くか開かないかのうちに、大女は満面の笑みでつかつかとみことの方に歩き、こう言った。
「おはよう、漂流者!!」
キャスタウェイ。みことには聞き慣れない単語だった。
「すみません、ここって一体、そもそも日本――」
家の内装を見るに、どうも日本ではなさそうだった。木の肌が見えるログハウスのような壁に、何がモチーフかよくわからない、大きな鳥のような絵が額縁に入って飾られている。出窓の花瓶は、おおよそ花屋でも見たことがない、大ぶりな極彩色の花に彩られていた。
日本でないとすれば、なぜ言葉が通じているのかと不思議に思ったが、みことは深く考えず、一旦それはそういうものだと、ありがたく思うことにした。
「ニホン? まあまあ、座んなよ。ちょうど飯ができたとこなんだ。久しぶりの、しかもとんでもなく珍しい客だからね、はりきっちゃってさ」
みことは大女に促され、部屋の中央にある食卓についた。
この家には大女以外の人の気配はない。その割には4人がけのテーブルと椅子だった。
久しぶりとは言っていたものの、普段は友人などを招いて食事を楽しんでいるのかもしれない、そうであれば、見ず知らずの自分に食事を用意してくれたことを考えても、きっといい人に違いない。というか、そうであってほしい。そんなことを考えていると、大女の元気な声がみことに飛んできた。
「やっぱりさすがにちょっと作りすぎた! 遠慮なく食べて!」
まずは食事を用意してくれたお礼を言おうと、大女の方を見たみことは、目を疑った。
大女は右手に扇子、左手に野菜のようなものが乗った皿を持ちながら歩いてきたのだが、なんとその周りに別の料理が盛り付けられた皿が複数枚、宙に浮いていた。
「浮いてる!!??」
「え? ああ! そっか!!」
あっはっは、と大女は明るく笑い、扇子をテーブルに向けると、周りに浮いていた皿たちは意思を持っているかのごとく、整列してテーブルの上に並んだ。
目を丸くして驚くみことに、大女はまた一笑いしながらテーブルについた。
「説明するよ――この世界のこと」
大女はいたずらっぽく笑い、さ、食べよ! と食事に手を付け始めた。みことも出されたフォークを手に取り、手近にあったサラダのようなものを食べてみることにした。
サラダにはドレッシングのようなものがかかっており、どうもポン酢のような、柑橘と醤油を混ぜたものに近い味で、ほんのり甘みがあった。何の味かと訊かれれば分からなかったが、それでもおいしかった。
大女は料理が口に合ったようで嬉しい、とにこにこしながら、ガラスのような透明のグラス(これもまたジョッキ並みに大きい)に入った琥珀色の液体を飲んでいる。
「この世界、って」
「ああ、あんた、元はこの世界の住人じゃないだろう。まずここはゼカーム国なんだが、国名に聞き覚えは?」
もちろんなかった。おそらく地球上の国でもないだろう。みことは首を横に振る。
「だろう。この世界には昔から、だいたい十数年に一度、明らかによその世界からきた人間がやってくる。そいつらのことを、この世界では漂流者と呼んでいるんだ」
みことは一つだけ、確実に把握できたことがあった。それは、どうやら流行りの異世界転移とやらが、自分の身にも降りかかってきたらしい、ということ。
いやいや。流行っているのはファンタジーの一ジャンルとしてであって、実際に異世界転移が頻発していたら事件に、社会問題になっている。把握はできても受け入れに時間がかかり、みことの頭はパンクしそうだった。
しかし、そのパンクしそうな頭の中でも、絶対に聞いてみたいことがみことにはあった。
「この世界は、もしかして、魔法が使えますか!?」
大女は待ってましたと言わんばかりの笑みを見せる。
「マホウ――護符術を見た漂流者はみんなその単語を言うね。そう、あんたの世界で言うところのマホウは、この世界では『護符術』ってんだ」




