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エピローグ② 墓前の誓い

 ソフィーはふと馬車へ向かおうとした足を止めた。

 屋敷の隣、ぽつりと並ぶ石の列が視界の端に入る。気づけば、自然とそちらへ歩いていた。


 海を見下ろす崖の上。四つの墓石が、潮風にさらされながら静かに並ぶ。

 ひとつずつ、名前を確かめるように口にした。

「ダヴィット・オードラン」

「リラ・シャネル」

「マクシミリアン・ブーケ」

 そして、最後のひとつ。手をそっと伸ばし、石の冷たさに触れる。

「……グウェナエル・ブランシェ」

 風が吹き抜け、潮の香りが胸いっぱいに広がる。

 名前を呼ぶたび、胸の奥に小さな痛みが走る。でも、それだけじゃない。そこに想いも残っている。

 ソフィーは一度、深く息を吸った。

「忘れないよ。……絶対に」

 墓石の向こうには青く広がる海と空。

 過ぎ去った日々とこれから先の時間を、静かに見守るように揺れていた。


 自然と、意識があの日へと引き戻される。



 執務室の静けさの中で自分の鼓動だけが妙に大きく聞こえた。

 エリオットの声が低く落ち着いて響く。

「……あの三人の遺体の件だ」

 彼は間を置いて続けた。

「本来なら、重罪人として共同墓地に送られる。だが、私は……軍人として弔いたいと思っている」

 エリオットの視線がまっすぐこちらに向けられる。

「だが、リラとダヴィットは実家から勘当されている。遺体を引き取る家族はいない。マクシミリアンも、血縁者の存在は確認できなかった」

 言葉が部屋の空気を重く沈ませた。

 ソフィーは思わず問い返していた。

「……それで、私に何を?」

 エリオットは机に手を置き、静かに告げる。

「君に頼みたい。あの三人の遺体を、引き取ってほしい」

 ソフィーの胸の奥がざわつく。

「……どうして、私が……?」

「君は、最後まで彼らを信じていた。命を懸けて共にいた人間だ。……見送る資格がある」

 彼女の指先が震え、言葉が詰まる。

「でも……斬首された遺体です。防腐処理もされていない。時間が経てば……」

「そのままにはしない。専門の処理班を手配する。君の手で、最後の儀を行えるようにもする」

 エリオットの言葉にようやく息が抜けた。

「……それなら……少しでも、尊厳を……」

「そうだ。君が望むなら、最後まで見届けられる。——君にしかできないことだ」

 ソフィーは目を閉じ、胸の奥で何かが静かに灯るのを感じた。

「……わかりました。私が引き取ります」

 それ以上、言葉は必要なかった。



 墓前に戻り、ソフィーは小さく息を吐く。

「正直……あの時は、怖かったです」

 苦笑しながら、墓石を一つずつ見渡す。

「でも、こうして皆さんが、静かに眠れてよかった。海も近いし……悪くない場所ですよね」

 両手を組み、そっと頭を下げる。

 白い制服は身に余るように感じる。けれどその重みは、今では使命と誇りとして胸に落ち着いている。

「どうですか?  真っ白な制服。素材は軽いんですけど……私には、ちょっと重すぎます」

 そう言って少しだけ笑う。

「でも、着る意味はわかってます。私にしかできないこと。背負うべき責任……ちゃんと向き合います」

 四つの名前が風の中に静かに並ぶ。

 ソフィーは胸元に手を当て、白い布の感触を確かめた。

 銀のエンブレムが陽光を受けてきらりと光る。

「……これが、私の役割なんですね」

 一瞬、肩が落ちる。けれど、すぐに背筋を伸ばす。

「逃げません。私には、やらなきゃいけないことがあるから」

 彼女はゆっくりと、グウェナエルの墓の前へ歩み寄った。指先で墓石にそっと触れる。冷たく、硬い感触が、現実を突きつけてくる。

「……私、まだね」

 言葉を選ぶように一度息を吸う。

「あなたがいない世界に、慣れない」

 声はかすかに震えていた。胸の奥に溜め込んできた想いが静かに滲み出る。

 それでも、彼女は目を伏せなかった。

「でも……」

 墓石に触れたまま続ける。

「あなたがくれた言葉が、今も私の背中を押してくれるの。怖くても、迷っても……進めって。立ち止まるなって」

 指を離し、ソフィーは一歩下がる。そして、隣に並ぶ墓へと視線を移した。

 マクシミリアン・ブーケ。彼の名を胸の中で静かに呼ぶ。

「……隊長」

 少し間を置いて、正面から向き合う。

「私……今でも探してます。隊長が、選べなかった道を」

 風が吹き、制服の裾が揺れる。

「第三の道です」

 言葉は穏やかだが、揺るぎはない。

「その感情を、未来に繋げる力にする道。壊すためじゃなく、生かすための道」

 視線を上げ、遠くの海を見る。

「正直、簡単じゃないです。何度も迷います」

 それでも、はっきりと告げる。

「でも……諦めません。一生かけて、探し続けます」

 再び墓石へと視線を戻し、静かに微笑む。

「隊長が選べなかったなら、私が代わりに探しますから」

 海風が吹き抜け、崖の上を包む。言葉は空へ、海へと溶けていく。

 彼女は深く一礼し、胸に手を当てた。

 そこには失ったものすべてと、それでも前へ進むという確かな決意があった。

「……皆さんが命を懸けて守ったもの。そして、奪われたままになっている大切なものを私は取り戻しに行きます」

 ソフィーは墓前に並ぶ四つの名をゆっくりと見渡した。

 ダヴィット。リラ。マクシミリアン。そして、グウェナエル。

 それぞれの顔が、声が記憶の奥で静かに浮かび上がる。

「今度こそ……お互いに歩み寄れる未来を目指して。憎しみだけで終わらせないために、私は今を生きます」

 腰に帯びた短剣に、そっと手をかける。グウェナエルの短剣。鞘から抜いた瞬間、冷たい金属の感触が指先を走り、覚悟がよりはっきりと胸に刻まれた。

「だから……ここで、見ていてください」

 深く息を吸い、ゆっくりと吐く。そして、自分の長く伸びた髪に目を落とした。

 迷いはなかった。短剣を静かに振るう。

 切り落とされた髪が風を受けてふわりと舞い上がり、彼女の手のひらを離れる。

 それはためらいなく海へと向かい、波のきらめきの中へゆっくりと吸い込まれていった。

 ソフィーはその行方を見届けながら、胸の奥で新しい決意を抱きしめる。

 ——悲しみを終わらせるためじゃない。未来へ進むための、一歩だ。

 潮風が吹き抜け、穏やかな海の香りが彼女を包む。

 白い制服、短剣、そして切り落とした髪。すべて、今の覚悟を静かに物語っていた。

 短剣を握りしめたままソフィーは墓前に立ち尽くす。そして小さく、けれど確かな声で告げる。

「……見てくれましたか。これが、私の覚悟です」

 風に揺れる制服と、短くなった髪。

 青と銀の世界に包まれながら、彼女は四人の魂が穏やかに眠っていることを心の奥で確かめた。

「また、ここへ来ます。それまで……暫しのお別れです」

 そう告げると、ソフィーは背筋を伸ばす。

 白く光る制服の裾を風に揺らしながら、静かに墓前を後にした。

 坂を下る彼女の真っ白な背中は広がる草原の緑と海の青に鮮やかに映え、風と光に包まれながら一歩一歩、未来への道を進んでいく。



 世界は変わらず、争いも、希望も、今日という日を刻み続ける。

 そのただ中で彼女は静かに自分の道を歩み始めた。

 振り返れば、そこには数え切れぬ出会いと別れ。

 愛と痛みが幾重にも折り重なっている。


 国と国の対立。海軍と海賊の抗争。


 誰が正く、誰が自由で、誰が未来を選ぶのか。

 いつになったら「よき時代」はやってくるのか?

 残念ながら、その日は永遠に来ないだろう。

 何故ならこの世界は、発展も、ましてや衰退すらしないのだから。

 さて、そんな不変の世界で生きる人々は……

 いったい何を想い、何を選び、何を成すのだろう?


 草原を進む、白い背中。

 風は軽やかに彼女の頬を撫で、海は遠くから寄せては返す波で新たな旅路を祝福する。

 過去の痛みも、失った命も、すべてを胸に抱いたまま。

 それでも今この瞬間を生き続ける姿は、夜明けの中で凛として静かに咲き続ける花のようだった。


 人を癒し、寄り添い、導くほどのやさしさ。

 真っ白な制服に身を包み、責任を背負って立ち続ける強さ。

 その両方を併せ持つ彼女の姿を、人々はやがてこう呼ぶようになる。


 夜明けの白百合。——ソフィー・ルノアール。


 空と海が溶け合う水平線の彼方へ、彼女の未来は広がっていく。

 潮風に背を押されるように、彼女は迷うことなく歩き続けた。



 ——これが、或る女性の半生を描いた物語である。



              終わり

 ここまで「報復の航路 【第一作「リ・ブラン】」を読んでくださって、本当にありがとうございます。

 まずは、完結まで見届けてくれたことに心から感謝を。


 ・「報復の航路」シリーズが生まれたきっかけ

 物語の出発点はとても単純でした。

「海軍と海賊。本来なら同じ船に乗るはずのない人間たちが、もし一緒に航海することになったらどうなるだろう?」

 高校生の時に思い浮かんだ、たった一つの疑問から「報復の航路」は構想されました。


 正義と正義、価値観と価値観がぶつかり合ったとき。

 人は本当に「敵」と呼べる存在を切り分けられるのか。

 あるいは立場が違うだけで同じものを抱えて生きているのではないか。

 ソフィーという人物も、最初から「強い主人公」として生まれたわけではありません。

 誰かを救いたいと思いながら何度も裏切られ、迷い、傷つき、それでも「人であること」を手放さなかった結果、自然とあの立ち位置に立つことになったキャラクターです。


 この物語は誰かを断罪するためではなく、「それでも選び続ける人間を描きたい」という想いから始まりました。


 ・この歳になって書いた理由

 正直に言えば、ずっと頭の中にはありました。でも、書く時間がなかったのです。

 勉強や仕事。とにかく目の前の生活に追われて、「今じゃなくてもいい」と後回しにしてきました。

 けれど、ある時ふと思ったんです。

「今書かなかったら、たぶん一生書かないな」

 高校時代、あるいは大学時代なら勢いだけで書けたかもしれません。

 でも今だからこそ、「正しさ」や「復讐」や「赦し」が簡単には割り切れないものだと理解できます。

 この年齢でこのタイミングだったからこそ、「報復の航路」はこの形になったのだと思っています。


 ・なろう連載の理由

 他サイトですでに完結させた後も、この作品がより多く刺さる人に届くといいなと思ったことがきっかけでした。

 それに私自身が書き手として未熟すぎて、自分の反省も踏まえてブラッシュアップさせた上で投稿したかったので、なろう連載にあたって加筆・修正をいたしました。

 特に下巻。地の文で説明しすぎず、内容の密度は落とさず調整するのが難しかったですが、削る美学を追求した日々は堪りませんでした。

 今後も読者の想像力を全面的に信頼して、「体験させる文章」を目指して物語を書きたく奮闘していきます。


 ・これからのこと

 物語はここで終わりません。

 第二作はすでに執筆中で、なるべく間を空けずに投稿していく予定です。

 今回の物語で描ききれなかったこと、あえて語らなかった過去や感情、少しずつ形にしていきます。

 もしこの航路を少しでも楽しんでいただけたなら、次の物語でもまた同じ海を渡ってもらえたら嬉しいです。


 ・次作の予告を少しだけ

 次に描かれるのは、「リ・ブラン」の裏側を描いたもう一つの本編。

 ソフィーが戦っていた裏側で、あの男は何をしていたか。


 第二作「ルー・ブレス」(Loup Blessé)

 ——悪魔の名を冠して堕ちた”獣”の物語。


 海に名を刻んだ「悪魔」はどんな人生を歩み、何を失い、何を守ろうとしたのか。

 次は海賊側の物語を書いていきます。

 高校の時、この作品を書きたいがために「リ・ブラン」を先に構想していたのでようやく取り掛かれてうれぴいです。


 最後にもう一度。

「リ・ブラン」(Lys Blanc)をここまで読んでくれて、本当にありがとうございました。

 また、次の航路で。


                 セキユズル

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