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第一章① ソフィー

 ソフィーの背中が城壁通路の向こうへ消えたあと。

 朝の光が城内の石壁へと差し込み、血と汗にまみれた戦場を淡く照らし出した。喧騒はすでに遠く、かすかな余韻だけが石に残っている。胸の奥には静かな決意と、重く温かな安堵がゆっくりと広がっていた。

「グウェナエルさん……」

 思わず名を呼ぶ。涙に滲んだ視界の向こうで、朝日の光がやわらかく揺れている。胸の奥に彼が耐え抜いた苦痛、示してくれた勇気、そして信頼が重なって響き、涙は止まらなかった。

 怖さも迷いも、すべてここに置いていかなければならない。その覚悟が体の奥から確かな力となって湧き上がる。

 空気には硝煙と鉄の匂いが漂い、血の気配が石壁に染みついていた。グウェナエルが静かに息を整え、最後に浮かべた微笑みを思い出す。あの笑みが彼にとってどれほどの重みを伴っていたかを思うだけで、胸が締めつけられた。

 ——生きて。彼らのもとへ。

 その想いがソフィーの足を前へと押し出す。

 朝日の中で崩れた城内の残骸や倒れた兵士たちが、まるで静かに呼吸しているかのように見えた。痛みも恐怖も絶望もすべては背後に置かれ、今はただ守るべき人のために走る自分がいる。

 塔室の扉を押し開けた瞬間、ソフィーは息を呑んだ。壁や床に刻まれた戦いの痕跡。砕けた剣、歪んだ盾、散乱する鎧の破片。無数の兵士たちの亡骸が無言の壁となって立ちはだかっている。血と鉄の匂いが混ざり合い、鼻腔を刺した。小窓から差し込む朝の光が、血に濡れた床と鎧の欠片を淡く赤く照らす。静かな死の中に、確かに生きた証が浮かび上がっていた。

 塔室の中央まで進んだとき、螺旋階段の入り口が視界に入る。胸の奥に響くグウェナエルの存在が自然と足を前へと運ばせた。

 ——守りたい人たちのために、進まなければ。

 ソフィーは深く息を吸い、震える手で螺旋階段の手すりを強く握る。眼下に広がる塔室の惨状を最後に見渡し、次の戦場へ向かう覚悟を胸に刻んだ。石壁に沿って巻き上がる階段は一歩ごとに小さく軋む音を立てる。微かな風が吹き込み、冷たい石の感触と、指先に残る血の粘りが、戦いの生々しさを肌に刻み込む。石段に点々と残る鮮やかな赤、流血の跡。ここを上り、必死に敵を食い止めていた者たちの痕跡であり、そして上から降りてきたグウェナエルの足取りでもあった。

「……グウェナエルさん。ここを通ったのね……」

 思わず呟き、指先でかすかに血の跡をなぞる。冷たさの奥に彼が命を削った証が確かに残っている。胸が締めつけられ、息を吐く。螺旋階段は狭く、曲がりくねり、先は容易に見えない。それでも、胸に宿る決意が足を止めさせることはなかった。上階から流れ込む微かな風が、屋上の空気の存在を知らせている。

 ——ここを抜けたら、屋上だ。

 声に出さず、胸の奥で何度も言い聞かせる。血の跡を追いながら、次の一歩に神経を集中させる。石壁に残る赤が、否応なく進むべき方向を示していた。

 上階の扉が視界に入った、その瞬間。背後から荒々しい足音が響いた。複数人。重なり合う呼吸、石段を踏み鳴らす音。力任せに押し上がってくる気配に、ソフィーは反射的に振り返る。

「待って! この先は危険です!」

 叫びながら思わず両手を広げる。だが兵士たちは足を止めない。荒い視線と剥き出しの焦りを纏ったまま、ソフィーを押しのけて駆け上がっていく。身体が壁にぶつかり、冷たい石の感触が背中に伝わった。息を詰め、よろめきながらも踏みとどまる。

 次の瞬間、兵士たちの背中はすでに遠ざかっていた。螺旋階段に再び静寂が落ちる。自分の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。

「……ここまで来て、引けるわけない」

 小さく息を吐き、重心を低くする。曲がりくねった階段、見通せない死角。それでも、胸の奥の熱が足を止めさせなかった。

 そして——最上段。

 屋上へ続く扉が、朝の光を背負って立っている。差し込む光が血に染まった階段を淡く照らし出していた。それは終わりの兆しであり、同時に始まりの色でもあった。

 ソフィーは深く息を吸い込む。肩を引き締め、鼓動を整え、扉に手をかける。

 ——守らなければ。

 グウェナエルの顔。仲間たちの声。そのすべてが胸をよぎり、次の瞬間、彼女は屋上へと踏み出した。


 だが、そこに広がっていた光景は想像していたものとは違っていた。

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