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第三章⑤ 判決

 裁判官はゆっくりと顔を上げ、低く、しかし明瞭な声で告げる。

「被告人、マクシミリアン・ブーケ。本日ここにおいて、あなた自身の行動について述べる機会を与える。真実を語る責任を自覚し、慎重に答えなさい」

 マクシムは一瞬、視線を伏せ、そして静かに立ち上がった。肩にはわずかな緊張が残っているが、その表情には逃げも取り繕いもない覚悟が浮かんでいる。

 裁判官が問いかけた。

「まず、事件当日における、あなた自身の行動を順を追って説明してください」

 マクシムは深く息を吸い、静かに語り始める。

「私は……故郷と仲間たちのために動いた。かつてゼフィランサスを奪われ、未来を失った人々の怨念を、私は背負っていました」

 検察官は眉をひそめ、弁護人は静かにペンを走らせる。

「そして……同じように奪われた者たちのためにも、私は行動した。誇りを踏みにじられた同胞のために立ったのです」

 検察官が鋭く割って入る。

「被告人、それは海軍への攻撃を正当化する発言ではないのか? 犠牲となった者たちは、無辜の兵士ではなかったのですか」

 マクシムは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに声を落ち着かせた。

「無辜の者……ですか。彼らもまた、二十年にわたり、私たちから自由を奪い、仲間を散らしてきた。それでも、私はできる限り争いを避けようとしました。……だから、戦ったのです」

 裁判官は短く息をつき、次の問いを投げる。

「では次に。あなたが直接衝突した相手——エリオット・ド・レオパード大元帥とのやり取りについて説明しなさい」

 マクシムは目を閉じる。屋上の風、血の匂い、剣の重み。一瞬、記憶の奥を確かめるようにしてから静かに答えた。

「約束どおり、屋上で話をしました。互いに理解を示そうと努めましたが……衝突は避けられなかった。最後は、剣を交えるほかありませんでした」

 裁判官はペンを置き、核心に踏み込む。

「あなたの行動は、多くの命を危険にさらしました。なぜ、その選択をしたのか。その心情を詳しく述べなさい」

 マクシムは証言台で視線を落とし、しばらく沈黙した。やがて声を抑えながら語り始める。

「私にとっての家族は……国籍も、肌の色も違う、あの島の仲間たちでした」

 法廷は完全に静まり返る。

「多民族集団の一員として、私たちは互いに支え合って生きてきた。ゼフィランサスはその中心にいた人間です。仲間であり、家族であり……尊敬する、指導者でした」

 一瞬、声が詰まる。それでも彼は続けた。

「彼が奪われたと知ったとき、島の仲間たちは、悲しみと怒りの中で崩れていきました。……そのままにしておくことは、できなかった」

 マクシムは顔を上げる。その瞳には、微かな光と決して消えない影が宿っていた。

「フランス人である私が、家族のために立ち上がる。それが、海軍に立ち向かうという形になった。そして、海軍で過ごすうちに……見せしめとして殺された同胞たちの存在を無視できなくなった。私はすべての怨嗟を背負い、フランス海軍に復讐する道を選びました」

 裁判官は静かに重く告げる。

「……あなたの心情は理解した。だが、その結果、多くの命が危険にさらされた事実は否定できない」

 マクシムは小さく頷く。

「……承知しています。それでも、あの時の私にはあの選択しかなかった」

 検察官が鋭い視線を向け、最後の問いを放った。

「では、なぜ標的は国家全体ではなく、エリオット・ド・レオパード大元帥個人だったのですか」

 マクシムは一瞬だけ沈黙し、深く息を吐く。

「同害報復です」

 その一言に法廷が凍りつく。

「私たちは、ゼフィランサスという英雄を奪われた。ならば、同じものを奪うまで。……偶然にも、フランスが英雄と讃える人物が大元帥だった。私にとって、それは家族と仲間たちの名誉を守るための行動でした。個人を憎んだわけではありません。象徴として、そこにいたのが彼だった。それだけです」

 裁判官が黙々と書面に目を落とす中、弁護人が低く問いを投げた。

「念のため確認します。被告人、あなたとゼフィランサスの間に血縁関係はありますか」

 マクシムは静かに首を振った。

「ありません」

「養子縁組など、法的な関係は?」

「ありません。しかし……私たちは、血のつながり以上の絆で結ばれていました」

 ざわり、と民衆席が揺れる。マクシムは視線を正面に据えたまま静かに続ける。

「私たちにとって、家族とは血ではありません。共に生き、共に守り、共に失う覚悟を持つこと。……心のつながりこそが、家族です」

 その言葉が法廷に落ちた瞬間、誰かが息を呑む音がはっきりと聞こえた。眉をひそめる者、戸惑いに目を見開く者。法廷関係者の中には、ペンを止めたまま動けなくなる者もいる。「家族=血統・家名・継承」であるこの世界に、あまりにも異質な定義だった。やがてマクシムは静かに言った。

「私が戦ったのは、家族のためです。血ではなく、選び取った家族のために」

 マクシムは一呼吸置いて、さらに続ける。

「そして同胞のためです」

 その言葉を口にした瞬間、マクシムの胸の奥で何かが嫌な音を立てて軋んだ。

 同胞。その言葉が、記憶を呼び起こす。


 石畳。組まれた木製の処刑台。垂れ下がる、一本の縄。

 かつてソフィーと並んで立ち会った、海賊フェルナンドの絞首刑。

 縄が首にかけられ、足場が外されたその瞬間。終わりではなかった。体はすぐに動かなくならず、空を掴むように手足が揺れ、喉から絞り出される、声にならない音。

 それを見て、民衆は沸いた。歓声。喝采。長引くほどに高まる、歪んだ興奮。

 命が消えていく過程を、正義の名の下に飲み込む顔、顔、顔。

 誰もがその死を奪った自覚を持たない。

 その光景の隣でソフィーは震えていた。恐怖と嫌悪を隠そうともしないまま顔色を失い、フェルナンドの最期の姿を焼き付けていた。

 彼女の手を握った。安心させるためだった。だがその手はひどく冷たく、細かく震えていた。


 その感触を思い出した瞬間、胃の奥がぐっと持ち上がる。

 誰のための正義だ。誰のために、あいつは死んだ。

 誰のために——彼女は、あんな顔をしなければならなかった。

 同胞とは理不尽に奪われ、踏みにじられ、それでも生きようとした者たちのことだ。

 英雄譚の裏で静かに消され、忘れ去られていく存在のことだ。

「この世界で、理不尽に奪われた者たちのために」

 マクシムの声は揺れていなかった。

「……それが、私が立ち上がった理由です」

 誰もが理解できたわけではない。だが、誰もがこれは単なる反逆者の言葉ではない、そう直感してしまった瞬間だった。

 裁判官の声は重々しく、どこか異様な緊張を帯びて法廷に響く。

「——本案件には、実に奇妙な存在も関わっている。五鬼衆改め、五人組の海賊を代表し、一人を証言台に立たせよう」

 その言葉と同時に奥の扉が静かに開いた。

 ルキフェル。深い傷跡の刻まれた顔、翡翠色の眼差し。その視線には、感情を抑え込んだ静けさと容易には揺るがぬ覚悟が宿っている。彼が一歩、また一歩と歩みを進めるたび、民衆席のざわめきは次第に消えていった。証言台に立ったルキフェルの右腕には、まだ骨折の名残を示す添木に包帯が巻かれている。

 裁判官は短く頷き、告げる。

「これより、今回の事件について証言を求める」

 ルキフェルは軽く頭を下げ、静かに口を開いた。

「俺たちは、かつて大海賊フランソワの直轄部下だった。俺の役目はクォーターマスターだ。……マクシミリアン隊との因縁もあるが、ここでは割愛する」

 微かなざわめきが走る。ルキフェルは一瞬だけ目を閉じ、呼吸を整えると再び視線を上げた。

「俺たちが、あの現場にいた理由は一つしかない。——マクシミリアンの復讐を、止めるためだ」

 その一言で法廷は完全な静寂に包まれた。検察官が静かに問いを投げる。

「海賊。事件当日、屋上で何があったのか。証言してください」

「……マクシミリアンと対峙し、言葉を交わした。その末に戦うしかなかった」

「その言葉とは何ですか。ここで述べなさい」

 ルキフェルはゆっくりと顔を上げた。法廷に集うすべての視線を受け止めたのち、低くはっきりと告げる。

「——言えない」

 その瞬間、法廷がざわめいた。検察官が苛立ちを隠さず声を荒げる。

「黙秘するつもりか! それは被告人の行為を庇うためではないのか!」

 だがルキフェルは動じなかった。弁護人が静かに言葉を挟んだ。

「検察官。証人には証言拒否の権利があります。無理に語らせることは、法の趣旨に反します」

 裁判官も小さく頷く。

「その通りだ。ルキフェル、あなたには沈黙する権利がある。ただし。その沈黙が事件の重さを消すものではないことは理解しておきなさい」

 ルキフェルは短く頷き、それ以上何も語らなかった。証言台を降り、席へと戻る。法廷中の視線がその背中を追い、語られなかった何かの重さが場に残った。

 やがて、その沈黙を破るようにエリオットが静かに立ち上がり、裁判官に向き直る。

「今回の事件は、単純な法の問題ではありません。関係者の背景、動機、積み重ねられた過去。いずれも極めて複雑です。彼らの処遇については、後日、別途審議の場を設けるべきでしょう」

 裁判官は静かに頷き、宣言した。

「ルキフェルへの尋問は、ここまでとする」

 こうして語られぬ証言を残したまま、裁判は次の段階へと進んでいった。

 裁判官は重々しく席を立ち、手元の書類を整えた。

「——よろしい。これより、被告人マクシミリアン・ブーケに対する最終審議を行う」

 マクシムは目を伏せることなく、静かに法廷内を見渡していた。

 隊員たちも互いに短く視線を交わし、息を殺してその時を待つ。

 裁判官は資料に目を落とし、淡々と言葉を紡いでいく。

「本件は、被告人マクシミリアン・ブーケ及びその部隊による、大元帥暗殺未遂並びに襲撃事件である。被告および隊員の行動が、国法上、重大な罪に該当することは疑いない。被告人の戦歴、過去の功績、部隊の行動経緯。復讐に至った動機、その背景にある困難。被害者側の損害、そして本事件が民衆に与えた影響——」

 長い審議の末、裁判官は深く息を吐いた。

「被告人マクシミリアン・ブーケ。あなたが国家と民衆のために戦い、多くの功績を挙げてきたことは認める。……しかし、あなたは大元帥暗殺を企て、実行に移し、国家の秩序を著しく乱した。復讐心に突き動かされ、大元帥に刃を向け、他の兵士たちの命を危険に晒した。——総じて、あなたの行為は国家反逆罪に該当する」

 書類に視線を落とし、なおも続ける。

「あなたが復讐に至った背景と苦悩は考慮した。だが、命を落とした者がいる。その死を知った民間人の恐怖、遺された家族の悲しみ。それらを思えば、あなたの行為は法的にも道義的にも、極めて重い罪である。たとえ家族のため、故郷の仲間のためであったとしても、個人の復讐が他者の命を奪い、秩序を壊すことを正当化することはできない」

 沈黙。民衆のざわめきすら、この瞬間は起こらなかった。裁判官はゆっくりと法廷全体を見渡した。

「なお、本法廷は証人ソフィー・ド・ルノアールの証言も重く受け止めている」

 ソフィーの胸がわずかに強張る。

「彼女は、愛する者を失った悲しみを抱えながらも感情に流されることなく事実を語った。その勇気と誠実さは本裁判が単なる法条の適用ではなく、人の心情をも省みるものであるべきだと示している」

 裁判官は深く息を吸い、被告席を見据えた。


「以上を踏まえ——本法廷は、被告人マクシミリアン・ブーケに対し、死刑を言い渡す」


 瞬間、空気が凍りついた。

 民衆の中から抑えきれぬ動揺が広がるが、誰一人として声を上げることはできない。

 マクシムは微動だにしなかった。鋭い視線をまっすぐ前に向け、その宣告を受け止めている。

「被告人の過去の功績や事情は考慮した。しかし命を落とした者たち、遺された家族の悲しみを思えば、法の裁きはこれ以外にあり得ない」

 裁判官は最後に閉廷を宣告した。

「被告人マクシミリアン・ブーケの死刑は、後日執行する。——これをもって、本法廷を閉廷する」

 木槌の音が響く。

 ソフィーは証言席から静かに立ち上がり、胸の奥に渦巻く感情を押し殺しながら仲間たちへ視線を巡らせた。

 ジョルジュの強張った表情。アニータの必死に堪えた悲しみ。シャルルの沈痛な横顔。リラの震える唇。

 自分の証言が彼の運命を確定させた。その事実が、遅れて突き刺さる。

 救えなかった命と、裁いてしまった命。その狭間で胸の奥が締めつけられる。

 そして、自然とマクシムへと視線が向かった。その瞳には復讐に囚われた過去も、孤独も、「家族」と呼んだ者たちへの想いも、すべてが一瞬に凝縮されているように見えた。

 エリオットもまた冷静な眼差しをマクシミリアンへ向け、深く息を吐いた。

 法の裁きは下された。それでも同胞に向けた哀惜の念は消えず、判決の重みと重なって法廷の空気をさらに沈ませていた。


 やがて、重々しい音を立てて法廷の扉が閉じられる。


 マクシムは微かに肩を落とし、静かに目を閉じた。

 もはや抵抗の意思はない。ただ、流れゆく結末を受け入れている。

 復讐の炎が、ここで終わるのだと悟った瞬間の静寂が彼の内側を満たしていく。

 すべてを受け入れた者だけが纏う静けさが、彼の佇まいに宿っていた。

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