【14】リベルの迷い
ベッドに飛び込むと、リベルの体が一気に疲労を訴えて来るようだった。壁掛け時計を見遣ると、時刻はすでに深夜に差し掛かっている。
「すっかり遅くなってしまいましたね」
リベルの寝間着を用意しながらイーリスが穏やかに言った。
「ごめん、僕が勝手に抜け出したから……」
「リベル様の気配が消えたときは、心臓に悪魔を鷲掴みにされた気分でした」
イーリスは優しく微笑んでいるが、リベルが消えた瞬間の心中は察するに余りある。
「次からは、何かあったら必ず呼んでくださいね」
「うん……約束する」
「はい」
ようやく安堵したように頷いて、湯浴みの支度をして来ます、とイーリスは立ち上がった。それと同時に聞こえたノックに、リベルは思わず顔を強張らせる。夜が更けたいま、訪ねて来るのはただひとりだ。
イーリスがドアを開くと、顔を覗かせたのはやはりキングだった。
「キング、ごきげんよう」
「やあ、イーリス」
その声は穏やかで、先ほどまでの厳しさはすっかり消えている。ミラの言う通り、キングはいつまでも怒る人ではないのだ。
リベルがベッドの上で体を起こすと、五頭のポケットラットが彼の足元に集合する。リベルが警戒しているのをよくわかっているようだ。
「やあ、私の可愛いリベル。元気だったか」
「さっきも会いましたよ」
キングはいつものようにリベルを膝に乗せる。その表情がいつもより優しく見えるような気がして、リベルはいたたまれなくなった。
「あの……さっきはすみませんでした。二度と勝手な行動はしません」
「そうしてくれ。お前がいなくなったと報せが来たときは、心臓が止まるかと思ったよ」
キングは柔らかい手付きでリベルの頬を撫でる。その瞳に湛えられた慈しみの色が、リベルの頬を熱くした。
「だが、これを機に考えなければならないことがあるな」
キングの声色が変わるので、今度は顔を強張らせることとなった。キングはリベルの体を軽々と持ち上げると、そのままベッドに押し倒す。覆い被さるキングの微笑みに、リベルは慄くしかなかった。
「私との回路同調だよ。ルドから報告は受けている。回路同調があれば、ポケットラットからの報せをすぐ私に共有することができるだろう?」
「えっと……」
リベルはどうすることもできず、ただ視線を逸らす。キングはそれすらも楽しむように微笑んでいる。
「私を召喚できるようになれば、お前の脅威となるものはほぼなくなる。無理にでも結んでおくべきだったと思ったよ」
「こっ、今後このようなことはしないと誓いますから……!」
リベルが必死になって言うと、いつの間にかベッドに上がって来ていたらしいポケットラットがキングに体当たりした。足元でも同じことが行われているようで、キングは不服そうに溜め息を落とす。
「とんだ邪魔者が増えたようだ」
キングはポケットラットを優しく手で払い、またリベルを膝に乗せてベッドに腰を下ろす。
「そんなに私との回路同調が嫌か?」
「そういうわけではありませんが……」
キングと回路同調を結べば、キングはきっと自分に深い情を懐くようになる、とリベルは考える。もし自分が悪の大魔王になったとき、キングには躊躇いなく自分の首を斬ってもらわなければならない。回路同調があれば、リベルが悪の大魔王に変貌しようとしていることがキングにはすぐにわかる。だがそのとき、回路同調がキングにどう影響するか。それを考えると、リベルは慎重にならざるを得なかった。
「また何か考えているな」キングが優しく言う。「意識がどこか遠いところにあるようだ」
「……そうかもしれません」
リベルには、あの少女の声の神との約束もある。まだ紫音だった頃、姉に「あなたは考えすぎる癖があるわ」とよく言われていた。誰かの膝に乗り愛でられている最中にも考え事をしてしまうのは、姉が言っていた通りだったようだ。
「……そうだ。フィリベルトから従属契約をしてほしいと申し出があったんです」
「悪くないんじゃないかな。従属契約することで、彼らを魔王直属にできるからね」
「直属……。何か違うんですか?」
首を傾げるリベルの頬を撫で、キングは穏やかに微笑む。
「大きな違いは感覚共有だ。魔王直属になればすべての感覚を共有できる。そうすることで、魔王の命令を忠実に遂行することができるようになるんだよ」
「言葉にしなかった命令も伝わるってことですか?」
「そうだね。認識の差異が生じるのを防ぐことができる。それに加えて、このポケットラットたちから得た情報も伝えれば、即座に作戦に打って出ることができるようになるんだ」
五頭のポケットラットがぴょんぴょんと跳ねる。任せろ、と言っているようにリベルには感じられた。
「従属契約の欠点はなんですか?」
「主の命令に背くことができない点だな。極端な例だが、主に自害しろと言われた従属はその命に背くことができない」
リベルは思わず言葉に詰まる。そんな命令をするつもりはないが、命令を誤れば従属を危険に晒す可能性があるということだ。
「昔は反乱を防ぐ手段として使われていたんだよ。主を傷付けることはできない」
そこだ、とリベルは考える。従属契約をしてしまえば、彼らは悪の大魔王となったレクスを止めることができなくなる。フィリベルトとルドは攻略対象であり、主人公ノア率いる勇者軍の一員となる。思い返してみれば、テストプレイで魔王戦を確認した際、フィリベルトとルドは魔王に直接的に攻撃をすることができなかった。攻撃の主力はノアと、人間のフェンテとキールストラになる。細かい設定は知らなかったが、従属契約の設定がその頃には出来上がっていたのだ。
(だから、フィリベルトはレクスに逆らえなかったんだ。人質に取られた妹が殺されても、従属契約のせいで従うしかなかったんだ)
キングが優しく目元を撫でるので、リベルはようやく意識を現在に戻す。
「何か不安な要素が? 魔王と配下の従属契約は往々にしてあり得ることだ」
「僕は未熟ですから……。いま従属契約を結ぶのはまだ早い気がします」
「お前がそう思うならそれでいいんじゃないか。従属契約はいつでも結べる。王として自信がついてからでも問題はない」
リベルは小さく頷くが、そんな日が来るだろうか、と考えると甚だ疑問だった。自分に王の器がないことはわかっている。弱き王であることも自覚している。そんな自分に従属たちを統べることができるのか。自分には不可能のようにリベルには感じられた。
「私とはいますぐでも構わないよ」
爽やかに微笑むキングに、リベルは顔をしかめる。
「僕とキングが従属契約を……?」
「なぜそんな嫌そうな顔をするんだ」
「僕がキングの従属になるんじゃないんですか?」
「従属契約は立場が上の者が主だ。いまはお前が魔王だから、私より上だよ」
そう言われると、さらに自信がなくなってしまう。自分がキングより立場が上だとは、どう考えても到底、思えなかった。
「ポケットラットが王でいいんですか?」
「何が問題なんだ」
キングの言葉には自信が湛えられている。魔獣の中で最弱であるポケットラットの家系のリベルが王に相応しいと確信を持っているのだ。
「ポケットラットであろうと王は王だ。お前は王として認められたんだからな」
「…………」
「王には『祝福』もある」
「祝福……ですか」
「従属に与える魔法だな。お前の祝福がどういったものであるかは私も知らないが。私の祝福はすぐにでも授けられるぞ」
キングの微笑みに何か嫌な予感がして、リベルは即座に首を振った。
「なんか怖いから遠慮しておきます」
「おや、残念」
祝福か、とリベルは心の中で呟く。そういった設定があることは知らなかった。明日にでもミラに確認しておく必要があるだろう。
そう考えていたリベルは、キングに優しい口付けをされるので意識を現在に戻す。途端に顔が熱くなった。
「また考え事をしているな。目の前に私がいるというのに」
目元を撫でる温かい指先が、瞳に湛えられた慈愛をリベルに伝えるようだった。
「いまは私のことだけを考えてくれ」
真っ直ぐに目を覗き込まれると、まるで射抜かれたような気分になる。
(大魔王になる云々の前に、心臓がもたないかもしれない……)
それはそれで大魔王が生まれずに済むのではないか、とも思ってしまう。とは言え、それで困るのは自分だ。キングはリベルの反応を楽しんで揶揄っているだけ。それはわかっているのだが、どうしてもどぎまぎしてしまう。早く飽きてくれることを祈るばかりだ。




