【12】ふたつ目の能力
――伝令!!
頭の中に鳴り響いた声に、ハッと目を覚ます。イーリスが湯浴みの支度に行っているあいだに少しだけ眠っていたらしい。張り詰めた声に嫌な予感が胸中に広がった。
キングはまだ来ていない。しかし、どこかで何かが起きている。
リベルはバルコニーに飛び出し、外を見下ろした。それと同時に、脳裏に何か映像が浮かぶ。瞼を閉じて目を凝らす。視点は低く、暗い。その中に、南の国境の関所が見えた。金属音が耳の奥で響く。広がる怒号。戦闘の喧騒だった。
(関所が攻め込まれたんだ……! 助けに行かないと……。転移できれば……)
その瞬間、体が風に浚われる感覚が走った。驚いて瞑った目を開くと、そこは宮廷ではなかった。顔を上げた先に、南の国境の関所が聳え立っているのが見える。
(本当に転移した……)
足に何かが触れる感覚で視線を下げる。暗闇の中、ポケットラットがリベルの周囲で群れを作っていた。まるで指示を待つようにリベルを見上げている。
草むらの中から外の様子を窺うと、関所の騎士が粗暴な姿の男たちと剣を交えていた。国境の外から攻め込まれたのだ。
「みんな、行って!」
リベルは腰を屈めたまま手を振り上げる。ポケットラットの群れは素早く駆け出し、粗暴な男たちの足元へ飛び出した。不意を突かれる形となった男たちは声を上げ、小さな襲撃者にバランスを崩す。
《 ミラ! 》
目の前の映像を頭の中に思い浮かべつつ呼び掛ける。次の瞬間、レクスのそばに鮮やかな光とともにミラが姿を現した。王宮までの距離は開いているが、レクスの声は離れていても届くようだ。
「ミラ、城に報せを!」
「大丈夫。もう出したわ」
ミラは背筋を伸ばし、戦いを見据え剣の柄に手を添える。レクスは深く息を吸った。
「ひとり残らず、必ず生きて捕らえること」
「王の御心のままに」
とっ、とミラは地を蹴る。亡霊王の騎士であるミラに人間が敵うはずはない。あとはミラに任せておけば問題ないだろう。
粗暴な男たちの悲鳴を横目にしつつ、レクスは関所に向かった。騎士より粗暴な男たちのほうが数が多いように見える。おそらく怪我人がいることだろう。
レクスが関所を覗き込むと、手当てを受ける騎士の姿があった。突然の襲来で不意を突かれ、負傷した者が多いようだ。喧騒の様子が変わったことで窓の外を眺めていた騎士が、関所に入って来たレクスに目を丸くする。
「お嬢さん、どうしてこんなところに!」
どうやら新魔王の顔を知らないらしい、とレクスは薄く苦笑いを浮かべた。それはともかく「お嬢さん」と言われるとは、と考えるとまた苦笑を禁じ得ない。確かにレクスは童顔も相俟って少女のような外見をしている。
「ここは危険だ。中に隠れて」
「戦いが終わるまで静かにしているんだ」
騎士たちは詰め所の奥にレクスを押し込む。ちょうどそのとき、髭を蓄えた初老の騎士が顔を出したところだった。この関所の所長であるガリオンだ。
「レクス! どうしてこのような場所に!」
「レクス⁉」
若き騎士たちの声が重なる。それから慄くように跪く。自分たちの無礼に、レクスの怒りを恐れていた。だが、レクスに彼らを咎めるつもりはない。この国において新魔王の顔を知らないのは彼らだけではないからだ。
「もうすぐ王宮の援軍が来ます。でも、ミラに任せておけばもう終わります」
レクスが窓の外を覗くと、すでに何人もの男が地に伏している。ミラの動きに男たちが付いて行けるはずはなく、さらに足元では大量のポケットラットが男たちを攪乱していた。
「あのポケットラットは……」
「私が従属契約したポケットラットです」
「あんな大群を……」
レクスがポケットラットの群れの中に転移した瞬間、従属契約の完了を感じた。いまはレクスの意のままに動き、ミラに助太刀している。ポケットラットとは言え、あれだけの大群を同時に契約できるということは、レクスが王の名を冠した際に得た魔力による賜物だ。
「ミラ! 援軍が来た……っスよ?」
外からフィリベルトの声が聞こえた。勢いが消えたところを見ると、すでに戦いは終わっているらしい。
関所から出たレクスのもとに、ブラムが駆け寄って来る。フィリベルトとルドの姿があり、ミラが撃退し倒れる粗暴な男たちに拍子抜けしている様子だ。
「ブラム。怪我人の手当てを」
「承知しました。……レクス」
穏やかなブラムの声が何かをはらみ、レクスは思わず背筋を伸ばす。何か嫌な予感がした。
「このこととはまた別に、後ほどお話があります」
「……ハイ……」
ブラムは微笑んでいる。しかし、その微笑みが恐ろしいものであることは、レクスはすでに知っていた。
レクスが関所を出ると、足元にポケットラットの群れが寄って来る。褒めてくれ、と言わんばかりの視線に、レクスは一匹ずつ頭を撫でてやった。同じポケットラットの家系でなくとも、この小さなネズミを可愛く思わない者はいないだろう。
(ハムスターみたい……)
リベルはポケットラットの家系だが、原作の設定によって膨大な魔力を持っている。だが、現在のリベルは大して魔法を使えない。その分、スキルの開花が早いようだ。神から与えられた魔力もある。これからスキルはいくらでも身に付くだろう。だが、現在のリベルには戦う術がない。前回の悪の大魔王と同じだけの力を持ち合わせていれば、今回もミラを呼ぶ必要はなかっただろう。
(何かルドから魔法を教わったほうがいいかな……)
きゅるる、とポケットラットが幸せそうに喉を鳴らす中、粗暴な男たちは次々に捕縛されている。ミラとの回路同調がなければ、レクスはこの場で命の危機を迎えていたことだろう。
* * *
人間の襲撃者はすべて王宮の地下牢に捕らえられた。これから厳しい取り調べが行われることだろう。
そんな中、レクスは執務室でキングの前に立たされていた。キングの目を見ることができず、俯いている。キングの気迫がレクスの背中を丸めさせていた。
「どうやって争いを感知した」
厳しい声が言う。こういう性質の人が最も怒らせたら怖いということをレクスもよく知っていた。
「何かスキルで……」
レクスは口の中でもごもごと言う。こんなに叱られたのは久々だ。
「なぜひとりで行った」
「転移できたので……」
キングは大きく溜め息を落とす。顔を見なくとも、呆れているのがよくわかった。
「お前はもうただの村民ではない。一国の王だ」
「はい……」
「ミラと回路同調していたからよかったもの、王が自ら戦いの場に出るべきではない」
「その通りです……」
「単独でなんて言語道断だ。あの場でお前が命を落とせばどうなるかわかるだろう。護衛はそのためにいるんだ」
「はい、すみません……」
「あのときお前が取るべきだった第一の行動はなんだ」
「ミラかイーリスを呼ぶことです……」
「わかったならいい」
キングはまたひとつ息をつき、姿勢の向きを変える。
「ミラ、フィリベルト。お前たちは報告書を作成してくれ」
「はっ」
ミラとフィリベルトもいつになく畏まっている。カルラとイーリスは穏やかに見えるが、心中もそうであるとは限らない。ブラムもいつもの冷静な表情で、その胸中は読めない。
「ルドはレクスを鑑定しろ。魔法とスキルをひとつ残らずボードに記録するように」
「了解で~す」
ルドはいつもの調子で応える。行ってこい、とキングに背中を押されると、レクスはようやく解放された気分だった。
* * *
ルドの研究室は、王宮内の魔法学研究室にある。宮廷魔法使いが鍛錬や研究をするための機関だ。医療に関する研究も担っている。
「こってり絞られましたね~」
机に着くと、ルドがのほほんと言った。その向かいの椅子に腰を下ろし、レクスは苦笑いを浮かべる。
「レクスは思ったより考えなしだったみたいっすね」
「面目ない……」
キングの言うことは正しく、反論の余地はない。国王であるレクスは、争いを感知したからと言って単独で突っ込むべきではなかったのだ。
ルドはレクスの前に水晶と木の板を用意する。水晶に左手、木の板に右手を置くと、能力値の鑑定は完了だ。木の板がすべての能力を映し出すステータスボードになるのだ。
「やっぱり未来視がありますね~。それからミラとの回路同調。転移とテイムは魔法っすね。でも、感知系は魔法もスキルもないみたいっすね~」
「じゃあ、どうして争いを感知できたんだろう」
「感知したときはどんな感じだったんすか?」
レクスは顎に手を当て、あの瞬間のことを思い浮かべる。
「頭の中に『伝令』って声が聞こえたんです。外を見たら、頭の中に映像が流れました」
「う~ん? そういった魔法もスキルもないっすね~」
ルドがステータスボードを差し出す。その中には、確かに感知系のものはなかった。
「映像が見えたのはポケットラットの視点だったかもしれない」
「へえ」
「僕はポケットラットの家系だし、何か繋がっているのかな」
「なるほど~。確かに、王が同じ種族の魔獣と繋がるのはよくあることっすね。従属契約する前に繋がっていたのは不思議っすけど」
確かに、とレクスは考え込む。あの大群のポケットラットを従属契約したのはあの瞬間で、争いを感知したときはまだ契約していなかった。それでも、レクスの頭にポケットラットの視点が流れ込んだのだ。
「あ……もしかして、執務室に迷い込んだポケットラットだったんじゃないかな」
それは昼間のこと。レクスの執務室に野良のポケットラットが迷い込んでいた。レクスはそれを素手で捕まえ、外に逃がしてやったのだ。
「あり得るっすね。レクスは素手だったし、魔法が効いてた可能性はありますね~」
レクスはいまだ、王としての能力を把握しきれていない。同じ種族であるポケットラットに、手のひらから何かしらの効果が伝わっていた可能性はある。
「一度でも従属契約すれば、王の名に付随する魔力で他の魔獣とも繋がれますからね。これから、各地のすべてのポケットラットがレクスの目になる可能性がありますよ」
「何かあったら教えてくれるんだね」
「そっすね~。音と映像が即座にレクスに送られるなら感知スキル要らずっすから、誰よりも優れた監視者になるかもしれませんね~。ポケットラットの強みが出てますわ」
ポケットラットはどこにでも、いくらでも存在している。他の魔獣にとっては捕食対象で、討伐することも簡単だ。だがネズミのだけあって繫殖力が高い。ポケットラットの数が減ることはよほどのことがなければあり得ないとされている。
「でも、単独で城を抜け出すのはいただけないっすね~」
「う……」
「まあ~、単独じゃなくなりましたけど~」
ルドがレクスの足元に視線を向ける。レクスの足のそばに、五頭のポケットラットが待機している。王宮に引き上げて来た際に付いて来たのだ。
「従魔は何かと便利っすからね。ポケットラットは最弱っすけど、偵察に関しては最優秀と言えますね~」
「ポケットラットがうろついていても誰も気にしないしね」
「そっすね。王宮できな臭い動きがあったら使うといいっすよ」
「わかった」
五頭のポケットラットはレクスによく懐いている。可愛らしさを感じるため名前を付けてやろうと考えたが、見た目の判別があまりに付かない。ポケットラット自身が自分の名前を覚えれば反応するだろうが、レクスが個体の違いを把握するのには時間がかかりそうだった。




