05
あたしたちは、いつものように石柱群の一つに腰を下ろす。見上げる空は雲一つない綺麗な星空。そして、蒼く大きな満月。
「そういえば、シオンがここに来たのも満月の夜だったね」
「ああ、そうだったな」
「シオンはどうして、エルデの集落に来たの?」
「あの頃ルフトでは、エルデをどうするか連日のように会議が行われていて、集落全体が異様な空気に満ちていた。だが、正直なところ、私はエルデの排除などに関心はなかった。いつも、会議に加わることもせず、一人で月光浴をしていた」
「月光浴かぁ。あっちの世界でも、そんなことしてるって言ってたね」
「そうだな。夢の世界とはいえ現実の世界が基盤になっているのだろうから、趣味が同じでもおかしくはないだろう」
「ま、そーだよね。……で、その月光浴が、なんでここに来ることに繋がるの?」
「月の光を浴びながら、ふと思ったのだよ。エルデの民とはどんな存在なのかと。それで、気がついたらここまで来ていたという訳だ」
「へー。そうなんだ。で、エルデの民は、その時初めて見たの? どんな風に思った?」
興味があり尋ねたが、シオンは少しばかり気まずそうな表情をする。
「こう言うと、ミヤは怒るかもしれないが、初見の感想は『獣と変わらないな』だったな。私の姿を遠巻きに見ては警戒心を飛ばす姿に、そう感じた。……だが、それは私たちルフトが招いた結果なのかもしれないな……」
「で、で、あたしのことは、どう感じたの?」
さらに前のめりになり尋ねると、シオンが思わず苦笑いを浮かべる。
「…………変な女」
少し躊躇しつつ、短い言葉でシオンは答えた。その回答に、あたしは「えーっ」と、不満の声をあげて頬を膨らませた。
「そう怒るな。しかし、そう思うのも仕方ないだろう。第一声が『自分と戦え』だぞ。そんな女、普通なら誰でもそう思うだろう」
「まー、そうでしょうけど」
あたしは頬を膨らませたまま、わざとらしく拗ねた態度を見せる。するとシオンは、慰めるように頭を撫でてきた。あたしは不満の態度を崩さないけど、その手に反応するように尻尾が嬉しそうにユラユラと揺れてしまう。
「だがな、いざ戦ってみると、この女と剣を交えるのは楽しいと思えるようになっていた。それは、それまでに感じたことのないものだったな」
シオンもあたしと同じだった。戦いあって、お互いが楽しいと思えていた。同じ気持ちを感じられていたことに、あたしはすごく幸福感を感じた。
「なんか、嬉しいな。シオンもあたしと同じように感じてたんだ」
尻尾がパタパタと揺れ、耳が跳ねる。嬉しさが全身に現れてしまう。
「フフッ。ミヤが楽しんでいるのは、手にとるように分かったよ。お前は、とても分かりやすい性格だからな」
そこまで言い、いったん言葉を切ったシオン。ふと何かを考え、思い出したかのように言葉を続ける。
「……性格といえば、あちらの世界でミヤは随分としおらしい性格だったな」
「えっ……。そう……だったかな……?」
「ああ、私の知る限りでは、剣をふるっては、誰彼構わず決闘をけしかけるような勇ましさは見なかったな」
シオンがあたしの目線の高さに合わせて、顔を覗き込んでくる。
「えーと。それは……」
言うのが恥ずかしかった。眠る前までは、シオンを好きだという気持ちにも気づいてなく、ただ楽しいという気持ちだけの行動だった。
だけど、あの出来事があって、あたしは自分の気持ちに気づいてしまった。それが反映されたのが、あの夢の世界でのあたしの姿。――恋に戸惑い、悩む少女の姿。
そして、思い出してしまう。シオン……神志那先生の前で、何度も泣いていた姿を。
急に恥ずかしさでいっぱいになった。顔が熱く、まともにシオンの顔を見ることができない。
「……どうしたんだ、ミヤ?」
そっぽを向くあたしの耳許で、シオンが囁く。それはあまりに近く、吐息がかかってくるほどだ。
「ひゃあぁぁっ」
思わず変な声を出し、仰け反ってしまう。
「どうした? らしくない声を出して」
シオンは笑みを浮かべながら寄ってくる。
あたしもおかしいが、シオンもらしくない。いつものシオンは冷静沈着で、何事にも一歩引いた感覚で物事を見ている。だけど、今のシオンは大人の落ち着きはあるけど、明るくユーモアもあった神志那紫苑先生のような印象が強い。
「ミヤ、何か言えないことでもあるのかい?」
再び、耳許でシオンは囁く。
「……っ。だって……、その……。あっちでは……、シオンのことが…………好き……な気持ちで、いっぱいだったから……」
なんとも、たどたどしい言葉だ。だけど、シオンは満足そうに微笑み、あたしの頭を撫でる。
「その言葉が聞きたかった」
「…………へっ!?」
思いがけない言葉に、一瞬時が止まる。
「えっ? えっ? どういう……」
「ミヤ。お前は、私に言ったな『あたしが泣いていたら、“苦しい”って思ってくれますか?』と……」
「……あっ、それ、覚えて……」
動揺と恥ずかしさが入り交じり、口はパクパク、尻尾も耳もバタバタと暴れる。
「覚えているさ。書店で初めて見かけたことも、一緒に月を見たことも、お前の笑顔も泣いている顔も……全てな。私は、ずっとお前を見ていた」
「で、でも、あの時、シオンは答えをはぐらかしたじゃないか」
「仕方ないだろう。あの時はこちらの記憶はなかった。それに、教師としての責任感の方が強かったからな。だが、ミヤに対しての気持ちは、あちらも現実も変わらない。あの世界の私も、現実の世界の私も同じなのだから。……だから、言おう。私はお前が泣く姿は見たくない。ミヤの涙は私を苦しくさせ、哀しくさせる。だから、ずっと笑顔で私の側に居てくれ……」
シオンはあたしを真っ直ぐ見つめる。彼の黒い瞳に映るあたしは、今にも泣き出しそうな情けない顔をしている。
「……ミヤ。もう一度、言ってくれるか?」
「な、なにを……」
言うべき言葉は分かっていた。でも、恥ずかしくて、わざと尋ね返す。しかし、シオンは「分かっているだろう」と言わんばかりに、微笑むだけで答えようとはしてくれない。
あたしは、腹をくくった。
「…………好き……シオンのことが」
言うには言ったが、やっぱり恥ずかしくてシオンから顔を逸らして軽く俯いてしまう。顔が、全身が熱い。心臓がバクバクして止まらない。
「――ミヤ。私の目を見て言って」
シオンが静かに囁きかけ、優しく頬に触れる。
あたしは自然と顔を上げ、シオンの瞳を見つめていた。
「あたし、シオンのことが好き」
さっきとは違い、自然に言葉が出てきた。
「私もだよ、ミヤ。私もミヤを愛している――」
あたしの両目から涙がこぼれ、頬を濡らす。シオンはその涙を拭い、そっと顔を寄せてくる。
そして、静かに唇を重ねる。
優しい口づけに、心が満たされていく。
あたしはずっと求めていたんだ……。この愛情を。
自分の求める愛情に応え、受け入れてくれる存在を。
蒼い炎が赤土色の大地を覆う。その炎はしだいに石柱の上に居るあたしたちをも包み始める。
蒼い炎に触れた足先が痛みも苦しみもなく消えていく。
少しずつ消えていく自分の身体を眺め、あたしはシオンに尋ねる。
「ねえ、シオン。この世界からあたしたちが消えたら、また違う世界ができるのかな?」
「どうだろうな。それは私には分からない。だが、できるとしたら夢で過ごしたあの世界のような姿かもしれないな」
「どうして、そう思うの? でもさ、あの世界って、結局なんだったのかな?」
シオンは少し考え、自分の出した結論を答える。
「あれはミヤの願いと《世界》が創り上げた世界じゃないかな」
「あたしと《世界》が? どうして?」
「私は当事者ではなく、巻き込まれただけだからはっきりとは言えないが、我々ルフトの行いは《世界》に害する行為でもあった。そこで《世界》は一度この世界を捨て、新しい世界を創ることにしたのだろう。その際、創作物である我々から魔力を奪う段階で、ミヤの強い思いまで吸収してしまい、何かしらイレギュラーな反応が起きてしまったのかもしれないな」
「うーん。なんか、よく分かんないな。……でも、たしかに眠る前にあたしは強く願っていたな。幸せな別の世界で生きたいって……」
シオンの説明は難しくて、よく分からない。だけど、あたしはどうでも良い気分になっていた。あたしは満天の星空と蒼い満月を仰ぎ、大きく深呼吸をする。
「うん。でも、いいやっ」
「何がだ?」
「きっと、次の世界はあるっ! そうすれば、あたしはまたシオンと会える。それに、ユウイやコータとも。姿は変わるかもしれないけど、会えるんだったらそれで良いっ!!」
楽観的なあたしの発言に、シオンは吹き出す。
「そうだな。会えれば、それで良い」
「あたしは、シオンとずっと一緒に居たい。そして、色々なことをして、笑ったり、泣いたり、怒ったりしたい。あっ、それと絵も上手くなりたいな」
「ははっ。ミヤの絵はなかなか上達しなかったからなぁ。次の世界ではみっちりと教えてやるからな。覚悟しておけよ」
「はーい。神志那先生っ」
「よしっ! 犬塚は素直でよろしい」
次の世界に希望を託し、夢の世界での名を呼び教師と生徒として笑い合う。
「…………ミヤ。愛している」
「うん。あたしも大好きだよ、シオン」
あたしたちは、もう一度唇を重ねる。
この世界で最後の口づけを――
蒼い炎に包まれ消えていく。シオンの姿が……。もう、黒い髪も瞳も、大きな黒い翼も見えない……。
そして、あたしの身体も消えていく……。
世界が消えていく――
満天の星空に浮かぶ蒼く大きな月は、消えてゆく世界の姿を静かに見つめていた。
◇ ◇ ◇
ある昼下がりの公園。
初夏の陽射しは眩しく、緑をより鮮やかに照らしている。少しばかり暑さのある陽射しの下、子どもたちが楽しげに走り回っている。
噴水そばの木陰にあるベンチには一人の少女が座って、子どもたちの姿を微笑ましく眺めている。
少女は時間を気にしているのか、公園に設置されている時計に度々視線を送っていた。そして、傍らに置かれた画材道具に手を伸ばし、一冊のスケッチブックを取った。少女は何かを描くわけでもなく、パラパラと捲り中を見ている。
そんな少女の側に、一組の男女が近づき声をかけてきた。ベンチに座る少女と同世代くらいの柔らかな物腰の少女と、爽やかな風貌の青年。
三人は楽しそうに会話をしている。青年の方は時々ベンチに座る少女をからかうような素振りをみせ、それを柔らかな物腰の少女が注意する。そんなことを和やかに繰り返している。
しばらくして、二人はベンチに座る少女に手を振り、公園を出ていった。
再び一人になった少女は鞄から鏡を取り出し、くせっ毛ぎみの髪を丹念にチェックし始める。納得したのかしないのか、微妙に首を傾げながら鏡を仕舞うと、再度公園の時計に目をやった。
時計の確認を終えると、今度は少しソワソワした様子で公園の入り口を見つめる。
「――――――」
入り口付近から少女の名を呼ぶ男性の声。その声を聞いた少女は表情を輝かせ立ち上がると、男性に向かい手を振った。
少女よりも少し年上のその男性は、少女の傍に駆け寄るや否や、優しく少女の髪を撫でる。少女はそれをとても嬉しそうに受け入れ、はにかんでいる。
少しその場で言葉を交わした二人は、ベンチに置いていた画材道具を持ち、空いた手はしっかりと互いの指を絡ませ繋ぎ、公園の外へと歩き出した。
二人はとても楽しそうに歩く。
今、生きているこの瞬間の喜びを胸いっぱいに感じ、幸せそうに笑っている。
いつか願った、哀しみや苦しみで泣くことのない幸せな世界で――




