06
コータと喧嘩をしてから数日後。あたしは久しぶりに養父の道場に来ていた。
道場には好きなように通って良いと、昔から養父には言われていた。子どもの頃は毎日のように通っていた道場だが、大人になり働き始めると通う回数は目に見えて減っていった。シオンと修業を始めた最近に至っては、すっかり道場に寄ることがなくなっていた。
その現状を養父が寂しがっていると、数日前ユウイに聞かされた。
「毎日、家で顔を会わせてるのに変だよね」
と、ユウイは笑っていたが、あたしは少しばかり罪悪感を覚えていた。
養父は元々、あたしを鍛えてみたいという理由もあり養子にしたのだ。家では父として本当の娘と変わらず可愛がり、時に厳しく自立を促すが、師としての立場ではまだまだ教え足りない弟子が離れていくのは寂しいのかもしれない。
色々と思うこともあり、こうやって久しぶりに道場に足を運ぶこととなった。
道場であたしの姿を見つけた養父は、とても嬉しそうだった。そんな姿を見てしまうと、素直に来て良かったなと思うと同時に、度々寄らないとダメだな、なんて思えてしまった。
しかし、シオンと実戦混じりの修業を始めていたせいか、形式張った道場での稽古は物足りなさを感じた。
あたしは少し稽古を受けただけで道場の隅に座り、ぼんやりと他の人の稽古の様子を眺めるようになっていた。だが、身体も動かさず、ただ眺めるだけの見学はすぐ退屈になってしまう。さて、これからどうしようかと考え始めた時、一人の男が声をかけてきた。
「ミヤ、暇そうだな。俺の相手してくれる?」
その声はコータのものだった。道場の隅に座るあたしを影で覆うように立ち、赤い瞳で見下ろしている。いつもなら楽しげに揺れているコータの色素の薄い茶色の尻尾が、今日は不機嫌そうにだらりと垂れ下がっている。
あの喧嘩から数日たち、さすがに原因不明の苛立ちは消えていた。だから別に稽古の相手をするのは構わなかった。
でも、あたしは体術から離れ何年も経っていた。現役で稽古を続けているコータの相手が務まるかは不安があった。
「……べつに良いけど。あたしが相手で良いの?」
と、一応尋ねてみるが、コータは「構わない」と少し無愛想に答えるだけだった。
「じゃ、ご期待にそえるかどうか分からないけどね……っと」
勢いをつけ立ち上がり、あたしはコータの前に立った。
試合場の一面に向かい合って立ち、一礼をしてコータを見据える。同様にあたしを見据えるコータの赤い瞳。
コータの赤い瞳に見つめられると、あたしの中で熱い何かが湧き上がる。それは、しばらく感じていなかった感覚だった。
開始の合図とともに、二人が動く。
間合いを計り、互いの動きを寸分も見落とさないように気配を探る。
ピリッとした微かな空気の震えを感じた瞬間、コータの初手の攻撃が襲いかかる。素早く突き出されたコータの腕を反射的に払い除け、そのままの流れで蹴りを繰り出す。しかし、その蹴りは難なく止められてしまう。
しばらく、付かず離れずの攻防が繰り返される。
最初はコータの相手が務まるか不安ではあったが、始めてしまえば意外とどうにかなるものだった。身体が動きを覚えているということもあるかもしれない。でも、シオンから学んだことも大きい。シオンの教えは剣術に限らず、戦うこと全てにおいて反映されているようだ。
あたしは、しだいに楽しくなってきていた。真剣に取り組むコータの赤い瞳に獣の本能を呼び覚まされたのか、シオンと一緒の時とは違う喜びを感じていた。
身体に受ける心地よい衝撃に、相手に与える衝撃。あたしは楽しく心を弾ませ、この時間を堪能していた。
あたしは誰も居ない道場の裏手でぼんやりと沈んでいく太陽を眺め、自分の身体から熱が引いていくのを待っていた。しかし、時々自分の手を見つめては、その度に先程のコータとの稽古を思い出してしまい、なかなか奥に籠った熱は引いていかなかった。
「――――ひゃぁっ」
突如、首筋に冷たい物が触れた。その不意打ちに、変な声が出てしまう。そして、反射的に牙を剥き後ろを振り返る。
「――う、うおっ」
背後にいたのは、手にジュースの瓶を二本待ったコータだった。あたしの声と振り向きざまの表情に驚いたのか、その瓶がするりと手から抜け落ちていく。
「あっ、危なっ――」
咄嗟に落ちていく瓶に手を伸ばす。二本の瓶は中身を溢すことなく、ストンと綺麗にあたしの手に落ち、無事無傷で掴むことができた。
「おー。さすが、ミヤ。……って、お前、怖い顔して脅かすなよ」
「なに言ってるの。先に脅かしたのは、コータの方でしょ」
おそらく瓶が触れたであろう首筋を撫でながら、唇を尖らせる。
あたしはコータに瓶を一本返し、残った方は了解も得ず口をつけた。口の中に、大好きな甘酸っぱい香りが広がる。喉を通る冷たさは、身体の内側から熱を冷ましていく。
「ミヤ。やっぱり、お前は強いな。手合わせしてよく分かったよ」
「それはシオンのお陰だよ」と、うっかり言ってしまいそうになった。だけど、先日のことを思い出し、その言葉はグッと飲み込んだ。
「コータも凄いよね。ずっと稽古を続けているだけあって、隙もないし、一撃一撃が重かった」
「そりゃ、俺はミヤと違って、真面目に続けているからな」
「ハハハッ。そーだね。でも、ホントに今日の手合わせは楽しかったよ」
「そうか。それは良かった」
コータは嬉しそうに言いながら、あたしの隣に腰を下ろした。
それから、何を話すわけでもなく、一緒にぼんやりと夕日を眺めていた。コータの瞳と同じ燃えるような赤い夕日は、少しずつ山の裾野に姿を消していく。そして、東の空からしだいに夜の色が顔を覗かせ始める。
「ミヤとはこれからも、こんな風に一緒に夕日が見れたらいいな……」
コータが独り言のように呟く。言った後に、なぜか慌てたような素振りを見せたが、あたしは気にせずに素直な感想を返す。
「そうだね。こんな綺麗な夕日を一緒に見れるって良いね」
横に座るコータが、さっき以上に動揺する素振りをみせる。そして、急に押し黙ったかと思うと、真剣な表情を向けてきた。
「どーしたの? 暴れたり、静かになったり。ちょっと怖いよ」
挙動不審なコータに、笑いながらだが思わず怪訝を口に出してしまう。
「……ミヤ。聞いてほしいことがある」
「なに? 急に改まって」
ただならぬ雰囲気を醸し出すコータに、先程とは違う不気味さを感じる。
「……俺と、家族になってほしいんだ」
「………………へっ?」
何を言い出すかと思えば、コータは訳の分からないことを口にする。
「家族って?」
「文字通り、そのままの意味だ。俺と一緒になって、子どもを作って、家庭を作りたいんだ。ミヤと――」
「……いっ、一緒って。子どもって!」
ようやくコータの言葉の意味を理解し、今度はあたしが動揺し言葉が詰まる。だけど、コータの気持ちを理解して、それを受け入れようとする気持ちは湧いてこない。そんなあたしから出てくる言葉は、コータの心を逆撫でするものだった。
「バッ、バッカじゃないの。家族って……。冗談で言うことじゃないでしょ」
「俺は冗談なんかで言ってない。本気で言っているんだっ!」
コータの口調が強まる。
「あたしには、ふざけているようにしか感じないっ」
コータの言葉は真剣だって分かる。なのに、何であたしはこんなことを言っているのだろう。
「それに、あたしはそーゆーことには興味がないの」
あたしが恋や愛に興味がないのは事実だ。だけど、こんな風に荒い言葉でコータにぶつけている意味が分からない。
必要以上な拒絶に、コータは俯き黙る。そして、ポツリと呟く。
「そういえば……お前は、ただの戦闘狂だったな……」
その言葉には、あの日と同じようにトゲがあった。
「なに? その言い方っ」
このままではあの日の二の舞だと分かっているのに、止められない。
「――そんなに、あのルフトのヤツと居る方がいいのかよっ!!」
声を荒らげ、燃えるような赤い瞳があたしを睨みつける。その赤は、あたしの内にある本能を呼び覚ます色。
「なにそれっ! シオンのことは関係ないでしょっ!!」
興奮し牙を剥き出し、唸る。
「だったら、なんでお前はあいつの話しをする時、俺やユウイと居る時よりも楽しそうなんだっ!!」
「……楽しそう?」
荒らぶっていた感情が、一気に鎮まっていく。
「そうだよっ! なんで、お前は昔より楽しそうなんだよっ」
無自覚だった……。あたしは普段通り過ごしていると思っていた。だけど、コータたちの目には、今まで以上に楽しそうにしているように映っていたの……?
「この間だって、そうだ。お前は俺の言い方に苛ついたんじゃない。あいつが貶されたことに苛ついたんだろっ!!」
「…………」
言葉が出てこなかった。
あの日感じた原因不明の苛立ちは、コータの言うようにシオンを貶されたからなのだろうか? でも、なんでシオンのことであたしが腹を立てなければいけないの?
内に湧き上がっていた強い感情は跡形もなく消え去り、代わりに複雑に入り乱れる感情が居座っていた。初めての感情に、あたしは戸惑い混乱していた。
突如、頬に温かな液体が流れる。その液体は止めどなく流れ、頬を濡らすばかりでなく、頬から流れ落ち胸元までも濡らしていく。
それが何か自分では理解できないまま、声もなく立ち尽くす。するとコータは気まずそうに顔を逸らすと、持っていたタオルをあたしに握らせた。
「……悪かった……。俺も言い過ぎた。このことは忘れてくれ。…………だから、もう泣かないでくれ」
と、消え入りそうな声で言い、コータはあたしの前から静かに去っていった。
薄暗くなり始めた道場裏で一人佇むあたしは、自分の頬を濡らすものが涙だとようやく気づくことができた。
生まれて初めて流す涙。
母が死んだ時も、ユウイの家で初めて幸せを感じた時も、涙は流れなかった。
それが会って数ヵ月も経たない男のことで流すことになった。
あたしはこの感情が何というもので、どこから来るものなのか理解できないでいた。
ただ、とても胸が苦しかった――




