03
何の変哲もない静かな夜だった。空には星が輝き、蒼く大きな満月が大地を優しく照らしている。
仕事を終わらせ、帰宅途中。仕事先で貰ったルクの木の果実を絞ったジュースを飲みながら、あたしはのんびりと家路に向かっていた。そんな時でも、当たり前のように強い奴を捜し、気配を探りながら歩いていた。
瓶の中のジュースが空になった頃、ふいに妙な気配を感じた。
――研ぎ澄まされた刃のような、鋭利な気配。
その気配に導かれるように視線を動かすと、集落の一角に人だかりができているのが目に入った。先程の気配が、その人だかりがの方から放たれているのを感じ、あたしは野次馬根性丸出しで近づき、人だかりの中心を覗き込んだ。
「おおっ。もしかしてルフト?」
遠巻きの雑踏の中心には一人の男がいた。
屈強で筋肉質な身体の男が多いエルデの民と違い、すらりとした細身で背も高い。黒く長い髪を風に靡かせ、同じように黒い瞳であたしたちを蔑むように見ている。
その男の背には、あたしたちエルデには無い黒い翼があった。
この世界には、大きく分けて二つの種族が存在する。
《大地を駆ける者》と《天を舞う者》。
エルデの民は、地を駆ける獣の血を受け継ぐ者のことを指す。
あたしやコータの狼種や、ユウイの兎種のように、エルデという括りの中でも、さらに多種多様な種が存在している。外見的特徴も、自身の持つ血が色濃く現れる。耳や、尻尾。爪や牙といった具合に、種の多さに合わせ姿も千差万別だ。
一方、ルフトの民はその名の通り天を舞うことのできる翼を持つ、唯一の種族だ。
翼の色や形状の違いがあるが、ルフトにはエルデほど多様な姿の違いはない。基本的に翼を持っている者がルフトと呼ばれている。
その翼は、この世界に生きる人間で、唯一、天を支配できるという特権意識を彼らに与えていた。
ゆえに、ルフトは厳しい階級制度を持つ民となった。翼の色で階級を定め、同じ種族でありながら上層階級の人間は下層の人間を蔑む傾向にあるほどだ。
同種間にも階級を作るのだ。大地を駆けることしかできないエルデの民を、彼らが同等の人間として見るはずもなかった。
エルデを人間の最下層とし蔑むルフト。そんなルフトの男が、なぜかエルデの集落に降り立っている。
周囲に集まった人たちは遠巻きに黒い翼の男を見ながら、怪訝そうにヒソヒソと小声で囁いている。皆、警戒しているのだ。
だけど、あたしには関係なかった。
彼の姿を目にした瞬間、感じた衝撃。全身に電流が走ったかのような、初めて感じる衝撃。
あたしは直感していた。
彼は、今まで会った誰よりも強いと――
戦いたい。本能が、そう告げる。
ゴクリと生唾を飲み、野次馬たちを掻き分け、彼に近づく。
「あんた、強いでしょ。あたしと戦って!」
眼前に迫り、あたしは本能のままに訴える。
その言葉に、ルフトの男と共に、周囲までもが呆気にとられ、静まり返る。あたしの尻尾と耳だけが、全く空気を読まずに興奮ぎみに揺れている。
いっときの間を置き、我に返った人たちが一斉に非難の声を上げる。でも、そんな声などあたしは気にしない。
「ねえ、戦ってよ」
彼に向かって、もう一度言う。
「…………死にたいのか?」
あたしの熱い懇願と違い、彼はとても低く冷たい声で言い放つ。
その声に、全身の毛が逆立つ。
決して、恐怖を感じたわけではない。あたしはその声に、底のない強さを感じたのだ。
「それって、あたしと戦ってくれるってこと?」
身体の奥底から溢れる興奮に、尻尾が千切れんばかりに揺れる。
「……物好きな女だな」
蔑んだ表情を変えず、男は呆れたように息を吐く。そして、静かな動きで腰に携えた剣に手を伸ばす。
「待って。ここじゃ、人が多いからダメだよ」
男は一瞬、不可解そうな表情を見せたが、周囲を見渡し納得したようだ。
「たしかに、ここでは関係ない人間も巻き込んでしまうな」
「ここから少しいった場所に、広くて人の来ない場所があるの。そこで戦おうっ! ついて来てっ」
あたしは女みたい細い男の腕を掴み、集落の外へと向かった。




