5-11 藁を背負う石鎧
三方から串刺しにされている俺の傍を、数機のパトロクロスが駆け抜けていく。
敵部隊の迎撃は失敗に終わった。騎兵級を足止めできただけでも金星であろうが、石鎧の多くを逃してしまった。悔しくてならない。
何より悔しいのは、俺の命も終わろうとしている事である。
体に突き刺さる図太いランスからは激痛が発せられており、早く抜いてしまいたい。けれども、今抜いてしまうと、傷付いた内臓からの大量出血でショック死してしまう。
血反吐を飲み込む動作さえ、万力で胴を潰される拷問に等しい。生きている感覚が苦痛そのものだというのなら、生物は何のために生まれてきたのか嘆きたくなってしまう。
『予科生、返事をしろ! クソッ!』
赤備は三機のパトロクロス相手に孤軍奮闘していた。戦況は悪くなく、今もパトロクロスの片腕を斬り飛ばしている。が、敵も必死。予科生が操っていた石鎧と同一機体だと思えない程に、粘り強く戦闘を引き伸ばしている。
『お前達は、奈国の武士として恥ずかしくないのか!』
『我等は汚名を恥じない! 魔族の手先となろうとも、魔族に喰い殺される未来より祖国を守る。犬吠埼指令はそう決断されたのだ!』
『そこの予科生を見ても、そう言えるかッ。外道共がッ』
俺のために叫んでくれる明野に惚れてしまいそうだ。
『豊かなドームの内側にいた親衛隊も、内縁軍も知らぬのだ。魔族は異常なのだ。石鎧で太刀打ちできるはずがない』
『だから、そこの予科生を見――言えッ』
『ルイズ様が迫っ――れるのだッ。刻限まで――このドーム――制圧できねば、皆死ぬのだぞ! 親衛隊!』
『そうだ、私――親衛隊と――責務を、果た――』
通信機の調子の悪化して、石鎧同士の会話が聞き取れなくなってきた。
「はぁ、ハァ、はぁ」
……違う。賢兎が壊れたのではない。俺の意識が朦朧としているからだ。
風邪をこじらせた時の発熱の、その何倍もの高熱を皮膚から感じる。血を失っているから寒気を感じるかと思えば、酷く熱い。
全身から湧き出る汗が蒸発して、賢兎の中が蒸し風呂状態となっているのか。出血多量や内臓破裂で死ぬより早く、蒸し暑さで死んでしまいそうだ。荒い呼吸を続けているので、息の水蒸気が理由かもしれない。
とにかく暑い。
ヒビ割れ、一部がブラックアウトしている曲面スクリーンの内部で、魔族の文様に埋め尽くされようとしている俺が苦しんでいた。
細かく伸び続けているオレンジ色は、縦横無尽に描かれているように思えて、一部ではフラクタル構造を作り上げている。
植物の根に似ている。より似ている構図は、魔法陣なのだろう。
魔族由来の力が俺の命を喰らい尽くそうしているのか。
あるいは……能力が真の力を解放しようとしているのか。
“――ドウシテ、ダ? 魔族ノ臭イガスル??”
まだ死なない俺を不思議がって、騎兵級はランスを押し込んでくる。
痛覚が致死量レベルにまで刺激される。
だが、ランスの先端に掛けられている圧力の割には、ほとんど沈降して来ない。最早、突き殺すなどという甘い力加減ではない。騎兵級は穴を無理やり広げて、肉を引き千切って分断しようしているはずなのに、俺は人間としての形を保ち続けていた。
賢兎は両手をダラリと下げており、一切の抵抗をしていない。だというのに、魔族三体に潰されようとしている人間が何故生きていられるのか。
爵位特権の『ソリテスの藁』が原因だと思われるが、だとしても不可思議だ。
魔族元来のこの特権は、ダメージ量を半減させるだけだったはず。魔族に訊ねた訳ではなく、経験から導き出した推測であるため、多少の間違いはあるかもしれないが。
どのように推測したのかを具体的に言えば、泣き喚いて中断を訴える俺入りの石鎧に対して、隊長が実弾を撃って試したのである。弾が装甲に入り込んだ深さを何度も計測して、能力の解明に努めたのだ。その努力が無駄であったなど信じたくはない。
まあ……流石の隊長でも、同じ箇所に二度も弾を撃ち込む狂気性を持ってはいなかった。
仮に、『ソリテスの藁』の能力がダメージ半減でないのなら。
致命傷が続いているのに死なないのであれば――まだ無茶ができる。
「はァ、ハァ、はァ。クソ……俺も大概だな」
二つ残っていた手投げ式グレネードを握る。特別な躊躇いはなく、片手で器用にピンを抜き去る。
賢兎の頭の上、騎兵級の胸の位置にグレネードを差し出す。
掲げられた爆発物から逃れようと騎兵級はザワ付くが、俺の体に刺さったランスが抜けずに焦るだけだ。その様子を、賢兎の頭部カメラを光らせてあざ笑ってやる。
激昂状態にある魔族であっても、攻撃手榴弾は効く。無用心に、俺を深く突き刺すために接近していた事も仇になった。
時間だ。
手の平の上で二つのグレネードは起爆した。音速を超える衝撃波を周囲に撒き散らす。
外縁軍が用いるグレネードは、大気の薄いドーム外でさえ殺傷範囲にいる石鎧のフレームをひしゃげさせる。大気で満ちたドーム内で使用すれば、殺傷性はより高まる。
三方にいた騎兵級は、上半身のあらゆる関節を稼働範囲外に折り曲げた。内臓はズタズタで、激昂していた魔族であっても即死してしまう。
衝撃波で弾き飛ばされた大気の隙間へと、土煙が吸い込まれていく。
塵で覆われた爆心地では、片手を上げた賢兎が原型を留めている。塗装は剥がれて、腕からは漏電しているのに、まだ生きている。
「まったく。ゼー、ハァ。自己診断で、損傷九割。それでも、まだ動くなら……」
グレネードの直撃を無力化できた訳ではない。きっちりと爆発の衝撃で傷付いている。
命を数量化して横棒で表示できるなら、ほんの少し、藁の茎の隙間だけの命が残っている状態だ。
俺の命は、残り一本の藁で消失してしまう。
…………だが、それは可笑しい。命はそんなに数値的か。
例え話をしよう。
石鎧に藁束を背負わせ続ければ、かなりの体積を必要とするだろうが膝を付くだろう。これは正しい。
では、一本ずつチマチマと藁を追加していった時も、石鎧は過重により潰れてしまうのか。限界ギリギリまで藁を乗せた状態から、たった一本藁を追加しただけで、科学の結晶たる石鎧が潰れてしまうものだろうか。これは疑問だ。
たった一本の差であれば、誤差の範囲に収まって耐えられるかもしれない。何せ、空気のように軽い藁一本である。計測誤差は十分に考えられる。
では、次だ。
この限界ギリギリまで藁を乗せた石鎧に、たった一本藁を追加しただけで、科学の結晶たる石鎧が潰れてしまうものだろうか。これは疑問だ。
たった一本の差であれば、誤差の範囲に収まって耐えられるかもしれない。何せ、空気のように軽い藁一本である。
ふむ、案外大丈夫だ。次も考えよう。
この限界ギリギリまで藁を乗せた石鎧に、たった一本藁を追加しただけで、科学の結晶たる石鎧が潰れてしまうものだろうか。これは疑問だ。
たった一本の差であれば、誤差の範囲に収まって耐えられるかもしれない。何せ、空気のように軽い藁一本である。
では――。
「はぁ、ハァ、はぁ」
騎兵級は灰となって消えていった。楔のように打たれていたランスも消滅して、俺は自由を得る。
貴族特権でまだ死んでいないとはいえ、ほとんど死に掛けているのだから、このまま倒れてしまいたい。『ソリテスの藁』は肉体的な苦痛を和らげる効果を一切持っていないのだから、気絶してしまうのも得策だ。
そんな本心を無視して、俺は歩き始める。
『おぃ、予科生……』
「はァ、ハァ、はァ」
壊れたカメラで進路上を見る。
赤備とパトロクロスは、ゾンビのような足取りの賢兎に怯えて硬直していた。敵同士であるのに戦闘を中断し、煙の中から現れた俺を凝視し続けている。ただ壊れているだけなのに、そんなに俺が特殊に見えるのか。
明野達に救援を求めず、傍を通り過ぎて行く。
目指しているのは、ドームの外だ。単体でドームを破壊できる魔族の貴族が、そこにいる。
人類唯一の生活圏であるドームは、何よりも貴重だ。そこに住まう人間も同じぐらい貴重だ。
数千人いる人間の内、二人の少女達は最重要だ。
この身がある限り、守りたい。
「はァ、ハァ、はァ」
『穴が、おい……』
『嘘だ。嘘だ嘘だ。魔族を……予科生ごときが』
アンデット《死に損ない》。
そんな呟き声が、パトロクロスの誰かが言ったような気がした。
「はァ、ハァ、は――がァッ、はぁ、ハァ、はぁ」
血を吐きながら笑う。
俺もそろそろ、人間を止める時が来てしまったらしい。




