第1話:異世界に転生しました
草の匂いがした。
風が吹くたびに、耳元で細い葉がこすれ合う。
「……ああ、本当に来たんだ」
私はゆっくりと起き上がった。
目の前には、どこまでも続く草原。遠くには森があり、その向こうには山並みが見える。振り返れば、少し離れた場所に立派な城壁があった。城壁の奥からは、いくつもの尖った屋根が空へ突き出している。
日本では、まずお目にかかれない景色だ。
もっとも、日本ではもう二度と景色を見ること自体ができないはずだったのだけれど。
私は四十三歳で死んだ。
病気だった。治療を続けてはいたものの、最後には身体を動かすだけでもつらくなっていた。もう一度元気に歩き回れたら、と何度思ったことか。
その私が、今は草原の真ん中にいる。
それも、自分の足で立っている。
「よいしょっと」
立ち上がってみる。
膝は痛まない。息も切れない。軽く飛び跳ねてみたら、思っていた以上に身体が浮いて、着地した私は思わず笑ってしまった。
「若いって素晴らしいなぁ」
神様の説明によれば、この身体は二十五歳。見た目はもっと若く、十八歳くらいらしい。
私は服の上から腕をさすってみた。筋肉がしっかりついている。以前は少し歩いただけで疲れたのに、今ならどこまでも歩けそうだ。
近くに水たまりでもあれば顔を確認したかったが、あいにくそんなものはない。
まあ、赤いソフトモヒカンに薄茶色の目だと聞いているし、そのうち鏡を見る機会もあるだろう。
しかし、どうしてソフトモヒカンなんだろう。
別に嫌いじゃないけどさ。
「さて、と」
私は空を見上げた。
青い。雲も白い。
ここが異世界だと言われなければ、ただ自然の多い場所に連れてこられただけのようにも見える。
だが、そうではない。
ここはステラという世界。今はステラ歴三千年で、私がいるのはシルク王国の王都クーラルの近くだそうだ。
そして、私をこの世界に送り出したのは、オリミスという神様である。
あの神様、ちゃんと無事に到着したか気にしているだろうか。
「……連絡しておこうかな」
言ってから、私は自分で首をかしげた。
連絡って、どうやって?
もちろん、スマートフォンなんて持っていない。仮に持っていたとしても、異世界で電波が入るとは思えない。
けれど私には、神様から授かったものがある。
《想像魔法》。
想像した結果を、そのまま実現してしまう魔法だ。
必要な技術も知識もいらず、魔力の消費はゼロ。しかも私自身の魔力は無限らしい。
……うん。
説明を聞いたときにも思ったけど、どう考えてもおかしい。
普通、こういうのは何かしら制約があるものじゃないのか?
まあ、もらってしまったものは仕方がない。せっかくだし、ありがたく使わせてもらおう。
「神様と顔を見ながら話せる魔法……電話じゃなくて、映像通話みたいな感じがいいかな」
相手の目の前に画面が現れて、呼び出しボタンを押せば会話が始まる。こちらにも相手の顔が映る。
そんな仕組みを頭に思い描く。
すると――。
『《想像魔法》にて《映像通話》が完成しました。』
「おおっ!?」
突然、頭の中に女性の声が響いた。
慌てて辺りを見回したが、誰もいない。
「……今の、何?」
返事はなかった。
怖いというより、びっくりした。
なるほど。新しい魔法を作ると、完成を教えてくれるのか。
便利だけど、初回くらい予告してほしかったな。
気を取り直して、オリミス神を思い浮かべる。
「《映像通話》。神様につないでください」
私の目の前に、薄く光る四角い画面が現れた。
画面の中央には『呼び出し中』の文字。
おお、ちゃんと日本語で読める。
いや、ステラの文字も読めるようになっているらしいから、実際にはどちらでも困らないんだけど。
しばらくすると、画面が切り替わった。
『ん? なんじゃ、これは』
映っていたのは、見覚えのある丸い顔だった。
白っぽい長い巻き髪に、ふっくらした身体。古いギリシャの彫刻に出てきそうな衣装を着た、小柄なおじいさん。
この世界の創造神、オリミスである。
「神様、こんにちは!」
『おお、リアリスではないか! どうしたんじゃ、おぬし。そこにおるのか?』
「無事にステラへ到着しましたよ。ちゃんと着いたって報告しようと思って」
『おお、そうかそうか。無事で何よりじゃ』
画面の向こうで、神様が満足そうにうなずいた。
こうして話していると、どうにも近所のおじいさんと会話している気分になる。
創造神って、もっと威厳のある存在だと思っていたんだけどなぁ。
『ところでリアリスよ、この妙な板はなんじゃ? 押してみたらおぬしが映ったのじゃが』
「ああ、それは今作った《映像通話》という魔法です。離れた場所にいても顔を見ながら話せるんですよ」
『ほう! なんと便利な!』
「でしょう?」
『おぬし、もう《想像魔法》を使いこなしておるのか』
「いやいや、試しにやってみただけですよ」
使いこなすも何も、頭で想像しただけだ。
こんなのでいいんだろうか。
いや、いいんだろうな。実際にできてしまったし。
『しかし、わしにまで連絡できるとはのぅ』
「神様なら、これくらい驚かないと思ってました」
『いやいや、なかなか面白いぞ!』
神様は画面に顔を近づけたり、少し離れたりしている。
あの、近い近い。鼻しか映ってないですよ。
「神様、少し離れてください。顔が見えません」
『おっと、すまんすまん』
……本当に神様なんだよね?
私を転生させた本人なのだから、疑う理由はないのだけれど。
「それで、神様。少し確認してもいいですか?」
『なんじゃ?』
「私はこれから好きに暮らしていいんですよね?」
『うむ。おぬしの人生じゃ。自由に生きればよい』
「よかった。せっかく健康な身体をもらったんですから、今度はのんびり楽しく暮らしたいんですよ」
前の人生が不幸だった、とは思っていない。
それでも、病気でできなかったことはたくさんある。
知らない場所へ出かけたり、おいしいものを食べたり。気が向いたら何かに挑戦して、疲れたら休む。
そんな当たり前のことを、今度は存分に楽しみたい。
『うむうむ。それがよい。それにしても、よくこんな魔法を思いつくのぅ』
「私のいた世界には、似たようなものがあったので」
『ほう、そうなのか』
神様はしきりに感心していたが、私としてはむしろ、こんなものまで作れてしまう《想像魔法》の方が驚きだ。
「それじゃ、そろそろ街に行ってみます」
『うむ。気をつけるのじゃぞ』
「はい。また連絡しますね」
『おお、いつでもよいぞ』
画面が消えた。
「……神様相手にテレビ電話しちゃったよ」
自分で作っておいて何だけど、我ながら変な状況だ。
まあ、楽しかったからいいか。
私はもう一度、城壁の方へ目を向けた。
王都までは歩いて二十分ほどらしい。
行く前に、やっておくことがある。
「まずは身の安全を確保しないとね」
異世界といえば、魔法に魔獣、そして冒険者。
もちろん、私は実物を見たことがない。
知識といえば、昔読んだ小説や遊んだゲームで覚えた程度のものだ。
そんなところへ、何の備えもなく飛び込むのはさすがに怖い。
神様からは強い力を授かったけれど、だからといって油断は禁物だ。
私はまず、《不老不死》を想像した。
年を取らず、命を落としたとしても元の身体に戻って復活する。回数に制限はなし。
『《想像魔法》にて《不老不死》が完成しました。』
「よし」
次は《絶対防御》。
危険な攻撃や不慮の致命傷から身を守る力だ。
『《想像魔法》にて《絶対防御》が完成しました。』
続いて《状態異常無効》。
毒や麻痺といった厄介なものを防ぐ。知らない世界の毒草にうっかり触る可能性だってあるしね。
『《想像魔法》にて《状態異常無効》が完成しました。』
最後に《完全回復》。
生きている相手の傷や病気を治し、失った身体の一部まで元に戻せる回復魔法。
『《想像魔法》にて《完全回復》が完成しました。』
「……うん。これでいいかな」
不老不死、絶対防御、状態異常無効、完全回復。
声に出して並べてみる。
……待て待て。
何だ、この盛り合わせは。
ゲームなら間違いなくバランス調整が入るやつじゃないか。
しかも自分で好きに作れるときた。
これ、神様は本当に大丈夫だと思って授けてくれたんだろうか。
今さら心配しても仕方がないか。
……あ、待てよ。
よく考えたら、今は魔法を作っただけだ。肝心の自分に使っていない。
危ない危ない。防具を買っただけで満足して、装備せずに冒険に出るところだった。
「《不老不死》《絶対防御》《状態異常無効》。対象は私。効果はずっと続くように」
三つの魔法を自分自身に発動させた。
……特に何も起きない。
光に包まれるとか、身体が熱くなるとか、そういう演出はないのか。
いや、別に演出が欲しいわけじゃない。ちゃんと守ってくれれば、それでいい。
「これでよし。あとは《完全回復》を必要なときに使えばいいかな」
ちなみに、魔法を自分にかけたものの、効果が実際に働くかどうかはまだ確かめていない。
だからといって、自分を刺したり崖から飛び降りたりして試す気にはなれない。
不老不死の確認方法が死亡実験って、いくら何でも嫌すぎる。
「まあ、必要になったら分かるでしょ」
必要にならないのが一番だけど。
私は軽く肩を回し、王都へ向けて歩き出した。
足元には小さな花が咲いている。踏まないようによけながら進むと、草の間から虫が飛び出してきた。
「おっと」
反射的に身を引く。
……虫に驚いている場合じゃないな。
これから魔獣がいる世界で暮らすんだぞ、私。
しばらく歩いていると、ふと不思議な感覚がした。
頭の中に、地図が浮かんでいる。
中央には赤い点。おそらく現在地だ。少し先には『クーラル』と書かれた大きな街がある。
「おお、これが神様の言っていた脳内マップか」
意識を向けると地図が拡大し、少し離すと縮小する。
思った以上に使いやすい。
そういえば、この世界の言葉も読めて話せるようにしてくれたんだった。
《想像魔法》とは別のおまけらしいけれど、むしろ旅をするなら必須じゃないか。
言葉が通じなかったら、最初の宿探しから困ってしまう。
「神様、こういうところは気が利くんだよねぇ」
さっきの丸い顔が思い浮かんだ。
次に連絡するときは、ちゃんとお礼を言っておこう。
歩くにつれて、城壁がどんどん大きくなっていく。
近くで見ると、思っていた以上に高い。石を積み上げた壁が左右へ長く伸び、道の先には大きな門が開いていた。
その前には人の列ができている。
馬車を引く商人らしき人、荷物を背負った旅人、鎧を着た人たち。
ああ、本当に異世界なんだ。
今さらながら、少し胸が高鳴った。
剣と魔法の世界。
冒険者になって、知らない土地を歩いて、おいしいものを見つける。
危険なことにはなるべく関わらず、気ままに暮らす。
うん。我ながら、いい計画だと思う。
問題は、私がこの世界のお金を一枚も持っていないことだ。
「……まずは仕事探しか」
いきなり現実的になってしまった。
でも、冒険者ギルドなら仕事もあるだろう。
異世界転生といえば冒険者。そういうお約束は、素直に楽しみたい。
門へ向かう人の列に並びながら、私はひとりでうなずいた。
さて。
今度の人生は、どんなことが待っているんだろう。
できれば平和で、のんびりしていて、おいしいご飯に困らない人生がいい。
……この願いくらい、叶ってくれるよね?




