縁、一
亡き祖父母が残した蝶番縁相談所を手伝うことになった花と百合の物語です。
読んでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
「えっと……京本由香里……二十九歳……文具会社で事務職……ひとりっこ……頼りがいがある年上の男性希望……か……で……」
人差し指で、ポンッとエンターキーを押すと、早くもなく遅くもない速度でキーボードをたたき始める、ピンクのネイルの細い指。
「で、東海林達夫……間違えた……達朗……三十五歳……IT企業勤務……丸顔で優しい雰囲気の……」
カタカタカタ……と小気味よく進む入力作業。
「木下紗枝……五十四歳……バツイチ……離婚後は長男とふたりで生きて来たが、長男は既に家庭も持って家を出ている。孫もいる……えっ! 孫? ……」
疲れたのか、指をグウパアしながら入力を続ける。
「西川貞夫、五十歳……ホームセンター店長……奥ゆかしい控えめな……ん? これ何て読むんだっけ? ああ、やまとなでしこ……か……」
蝶番縁相談所の登録者名簿を見ながら、プロフィール等を入力するのが田村花の仕事だ。
花はこの手の仕事をやったことがない。おしゃれなカフェで。可愛いセレクトショップで。流行りの雑貨屋さんで。いろいろバイトはやってきた。高校を卒業してからは、ただ気持ちの赴くままに働き、何か自分なりの『時期』が来たら辞めて。気楽な実家暮らしは花にとって楽園? とは言い過ぎだが、居心地の良い温室だった。
ところがそんな生活を、母親と、特に姉は見過ごさなかった。
一カ月ほど前、田村家の夕食の時間。
ダイニングテーブルにはロールキャベツ、筑前煮などが並んでいて、それを美味しそうに食べている花を前に、先ず母親の順子が切り出した。
「もう二十二歳だものね? そろそろ就職しないといけないわね。ねぇ花?」
そう優しめに切り出したが、隣に座っていた姉の百合が前のめりになって花を睨み、凄んだ。
「就職しないの? じゃなくて! 独り立ちしないの?」
モゴモゴとロールキャベツを食べながら、花はふにゃふにゃと何か言っている。
「は? 何? 飲み込んでから言いなさい。大体いつまで食べてんのよ!」
と百合が更に花を睨むと、ゴクリと飲み込んだ後、小さく首を振った。
「就職って言ってもさぁ、何やっていいんだか分かんないんだもん!」
「高校出て? 何年だっけ? 大学も専門学校も行かないからさぁ、こうなるんじゃないかって思ってたわよ!」
「お母さんね、花はファッションに興味があるみたいだから、服飾の専門学校とかに行くと思ったのよ。でも……そうでもないみたいだし……」
「おしゃれは好きだけど、仕事にするにはちょっと違うんだよね……」
「何がちょっとちがうんだよねーよ! あんた何様?」
「百合、ちょっと熱くなりすぎよ」
「だいたいさぁ、お母さんは花に甘いのよ! 進路の時とか、しっかり話さないからこうなるのよ!」
「私の心配はいいからさぁ、お姉ちゃんは、自分の心配すれば?」
「わ、私? 私はちゃんと働いてるし……」
「仕事じゃなくて、再婚話があるんでしょ?」
百合の勢いが止まった。そして、椅子に寄りかかり、暗い目をして呟いた。
「もう……結婚はしないって言ったでしょ……」
「お姉ちゃんフラられたの?」
「違う。こちらからお断りしたの!」
「何で? 顔も収入も良くて、バツイチ女には勿体ない話だって、前にお母さんと話してたじゃん」
「そうなんだけどさぁ……でも何か……ちょっと違ったんだよね……」
百合は三年前に離婚した。
再婚は考えていないと言っていたが、最近友達の紹介で知り合った男性に交際を申し込まれ、一瞬気持ちが揺れた。ところが、前の結婚で不妊治療を経験し、その事が原因で色々あった百合は次の恋愛に飛び込む事が出来なかった。
「じゃ、私夏彦と遊ぶ約束してるから!」
適当に矛先を百合に向けて、いつもの様に逃げようとしたが、今回だけはそうは行かなかった。
「おい、大きな声で何を話してるんだ?」
父親の敬一が会社から帰って来た。
「お父さん、おかえりなさい! じゃあ、いってきまーす!」
「ちょっと花、話があるから待ちなさい」
少しいつもと調子が違う事に順子はすぐに気が付いた。
「今日は気持ち早いわね。何かあったんですか?」
ぐったりと力が抜けた様に、花の隣に腰かけた敬一は、ネクタイをゆっくりと緩めた。
「会社の健康診断、引っかかってしまってな……再検査になったんだ。肺がんの疑いが……」
「まさか! あなた煙草をやめて十年になるじゃないの……」
「ストレスかな……」
敬一のそんな呟きに、出戻り娘とニート娘は思わず顔を見合わせた。
「だ、大丈夫だよ、お父さん! 顔色めっちゃいいじゃん! ねぇ、お姉ちゃん」
「そ、そうよ。そんな顔しないでよ。ほら、ご飯食べよ」
必死で励まそうとする花と百合を見つめ、敬一はほぼ命令口調で言った。
「花、早く就職するんだぞ!」
「は?」
「百合は、そろそろ再婚相手を探せ!」
「えっ? 急にどうしたの?」
花と百合は慌てた。
敬一は、そんなにうるさいタイプの父親ではない。今まで二人の娘たちに対し、進路などの相談には乗るが、最後は何でも自分で決める様に言ってきた。順子にも、電化製品の買い替えや親戚の冠婚葬祭など、いつもよりお金が必要な時などには話し合うが、家の事は全て任せて来た。
「お父さんも色々不安な年になってきたからな……」
「あなた、大丈夫ですよ……」
「あっ、このマンションのローンもあと少しあるしな……」
「あなた、大丈夫ですよ……」
そう言いながら、順子も不安な表情になっていた。
「お父さん、私再婚はしないって言ったでしょ? でも、しっかりと仕事はやっていくから安心して……それに……弱気にならないでよ」
敬一、順子、百合の深刻な雰囲気に花は焦った。就職する自信がなかったからだ。
「ねぇねぇ、いきなり就職無理なんだけど」
「花、何言ってんのよ! あんたね、この空気分かんない?」
「だってさっきも言ったじゃん!」
「やりたい事なんてね、みんなあるもんじゃないのよ!」
「そうだけど、もうちょっと時間がほしいだけだよ」
「時間って? もう十分でしょ!」
姉妹といっても、花と百合は年が十五も離れている。ひょっとしたら親子といってもあり得ないことでもない。そのせいか、昔から花に対して順子以上に心配し干渉してしまう。
「なら花、伯父さんとこ行ってみるか?」
一瞬の静けさの中、敬一がある提案をした。
「えっ? 何で私が伯父さんとこに?」
「今バイトもしてないんだろ? 伯父さんと伯母さんの仕事手伝ってこい」
「伯父さんってさぁ、サラリーマンじゃない? それにちょっと前に定年退職したんじゃなかったの?」
「知らないのか? 結婚相談所やってるんだよ」
「は? それって前にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがやってたんじゃ……」
「ああ、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが亡くなってからね、伯父さんたちがやってんのよ。あれ? 話してなかったかしらねぇ」
「そうそう、私も最近再婚相手ならさがしてあげるって、伯母さんに言われたわ。やんわりと断ったけどね」
敬一の兄であり、花と百合の伯父、修造は定年退職後に、夫婦で結婚相談所を引き継いでいた。
一年ほど前に、修造と敬一の両親である、番助と蝶子が立て続けに亡くなった。
先ず心筋梗塞で番助が亡くなった。そしてその三か月後、ずっと患っていた持病が悪化し、後を追う様に蝶子も逝ってしまったのだ。葬儀に参列した人たちは、仲のいい田村夫婦らしいと口々に言っていた。
幼い花がよく番助と蝶子の所へ遊びに行っていた頃、大工だった番助にリカちゃん人形の家を作ってもらったり、裁縫が得意で近所の人たちに洋裁を教えていた蝶子にはリカちゃんの服を作ってもらったりしていた。でも成長するに従って、一年に二、三度しか会わなくなっていき、番助と蝶子に最後に会ったのは、亡くなった年の正月だった。お年玉をくれて、頭を撫でて「いい子だね。可愛いね」と子供の頃から変わらない優しい言葉で、番助と蝶子は花を可愛がった。その事を思い出すと、とても寂しい気持ちになったのだ。
「結婚相談所かぁ。私、何やったらいいの?」
「さぁ、お茶汲みでも掃除でもなんでもやりなさいよ」
「でもお姉ちゃん、伯父さんと伯母さんって、ここ最近話したことないし……それに遠くない? ここから通うのに二時間くらい掛からないかな……」
「大丈夫よ。伯父さんたちは今、お祖父ちゃんの家に引っ越したから」
「マジで? それでもここから通ったら一時間以上……」
「なら住み込めば?」
間髪入れずの百合に、「でも……」と何か逃げの言葉を探したが、深刻な表情の敬一と順子を前に、花は何も言えなくなった。




