道連れ
「光の蔓!」
呪文を唱えると、白く輝く植物が竜の四方から伸び、彼に覆い被さった。
光る網に閉じ込められた竜は、エレナを睨み怒鳴り散らす。
「こんなもの! こうしてくれる!!」
竜は鋭い歯で植物を食いちぎり、尖ったかぎ爪でズタズタに引き裂いた。エレナは間髪入れずに水魔法を詠唱する。
呪文と共に竜の足元から水が吹き出し、分厚い氷が下半身と両翼を覆った。先ほどからエレナは、彼の動きを封じようとしているのだ。
「無駄だ! 吾輩には効かん!!」
竜は凍った足を強引に持ち上げ翼を勢いよくはためかせた。氷はあっけなく砕け散り、彼は自由となる。
そんな! 全然歯が立たない! どうすればいいの?
決して手加減しているわけではないのに。それを上回る絶大な力が竜にはあるのだ。
考えている間にアストラが向こう側から竜に飛びかかる。剣の一振りがあまりに速いので、斬撃が生じていた。竜は息を乱しながらそれを避けている。
「その姿も匂いも! 何もかも不愉快だ! ここから消え去れ!」
竜は歯をむき出しにし、噛みつこうとする。アストラは身をよじり、踊るようにかわした。素早さが互角なので、なかなか勝負がつかない。
そうだ! いいこと思いついた!
エレナは背負っている袋から、ハーブを出し、大声で告げた。
「アストラ! 息、止めて!!」
「あ!? 何で!?」
「いいから早く!!」
アストラは不審そうに鼻と口を左手で押さえる。エレナは密閉した袋を破り、ハーブを空中に撒いた。
「風の協奏曲!」
呪文を唱えると、竜の真上にハーブが舞った。エレナも息を止める。ひらひらと葉が落ちて、心安らぐ香りが辺り一帯へ広がった。
「何の真似だ? ……これ、は」
竜が急にふらつきだし、地面にゆっくり倒れこんだ。香りが離散してから、エレナはそっと口を開いた。
「ごめんなさい。眠りのハーブを使いました。あなたに落ち着いて欲しかったので」
少し前、竜は隠れているエレナたちをいち早く見つけた。彼は人間の発する匂いを察知したようだった。
竜は嗅覚が発達しているのではないか。
とっさにそう考え、エレナは件の行動に移ったのだ。
「ぐ……小賢しい、人間め! こうなれば、友にたどり着く前に、この身もろとも葬ってくれる!」
腹の底から出た咆哮。
二人は思わず耳を塞いだ。竜の雄叫びが止んだ後、どんっと遥か遠くで鈍い音がした。
そのうち地響きが近づいてきて、山の中腹から雪が崩れ落ちて来るのが見えた。
「まずいぞ!! 雪崩だ!!」
アストラは血の気の引いた顔で叫ぶ。動けなくなった竜は、二人を道連れにしようとしているのだ。
一刻も早く逃げなければ!
しかし気付いた頃にはもう、雪はエレナたちのすぐ近くまで迫っていた。
「危ねぇ!!」
「きゃあ!」
アストラはエレナを左肩に抱きかかえ、猛スピードで走った。雪が津波のように後ろから押し寄せてくる。
「くそ!! こんなところで死んでたまるか!!」
アストラは右手で剣を横一文字に振った。疾風が起こり、雪へとぶつかる。するとわずかに雪崩の速さが緩まったのが確認出来た。
「っ! これならいける!!」
アストラは一瞬だけ雪と対峙した。それから掛け声と同時に低く構え、渾身の一閃を放った。
「うおりゃああああああああああっ!!」
大きな風の刃が生まれ、襲い来る雪崩に高速でぶつかる。雪の軌道が変わり、二人の数センチ横を激流が走っていった。
数分後。雪崩が収まって辺りは静かになる。
二人の荒い呼吸音だけが、何度も聞こえていた。
「大丈夫か、エレナ?」
抱きかかえられたまま、尋ねられる。
息が当たるほど近い距離。フードが外れ、お互いの顔がよく見える。アストラのぱっちりした青い瞳が、エレナを映していた。
彼女はどきりとし、焦って顔を離す。
「だっ、大丈夫! 助けてくれて、ありがとう! とにかく下ろしてくれる!?」
動揺を隠せず、声が裏返ってしまった。恥ずかしいことこの上ない。アストラは真っ赤な顔で、エレナを優しく地面に下ろした。
「わりぃ! 危なかったから、つい!」
彼は剣を鞘に収め、ばつが悪そうに頭を掻いている。エレナはその隣で、冷静になろうと一生懸命、深呼吸をした。
おかしい。どうしてどきどきするの?
アストラは幼い頃からずっと一緒で、家族同然の存在だ。なのに今、心臓が思わぬ反応をした。
太くたくましい腕にくるまれ、彼が男であるということを、エレナはより強く意識してしまったのだ。
少し気まずい空気が漂ってから、二人は周囲を見渡した。
雪が一部分だけ、こんもり盛り上がっている。あの竜が埋もれているのだ。ハーブの効果で完全に眠ったのか、動きはない。
「やっぱりこいつは敵だったな。今のうちに、早く逃げようぜ」
「ううん。助けて話を聞こう。そのために眠ってもらったんだから」
「お前、またそんな無茶なことを!」
「私、この竜が悪い人とは思えないんだ」
「人じゃねぇだろ、こいつ」
「嫌ならいいよ。先に行っても」
エレナは絶対に助けるという目をアストラに向けた。考えを曲げるつもりはない。しばらく視線を戦わせた後、彼は諦めに満ちた表情をした。
「あー! もう、分かったよ! どうにでもしやがれ!!」
アストラは投げやりに言って腕組みをし、顔を背けた。エレナの世界一の頑固さを、恐らく彼が最もよく知っているだろう。
エレナはありがとうと笑い、魔法で炎を出して雪を溶かした。姿を現した竜は、やはり眠りに落ちてしまっている。
エレナは彼の状態を観察した。
「この竜、毒も受けてる!」
身体にある傷口が紫に変色している。だからずっと苦しそうにしていたのか、とエレナは合点がいった。
彼女は解毒と治癒の魔法を唱える。すると、傷口は本来の色へ戻り、少しずつ薄皮が張ってきた。
この竜は人間をとても憎んでる。でも、一体どうして?
エレナは横たわる巨体に何気なく触れる。ごつごつした鱗は、思いのほか温かい。
エレナはちゃんと知りたいと思った。その猛烈な怒りに隠された、彼の心を。
冷静に話をすれば、きっと想いは伝わるよね?
エレナは竜の中に潜む良心を信じ、向き合う決心を固めたのだった。