激昂
エレナとアストラは、足跡を頼りに雪の中を歩いた。魔力を隠しいくつもの裂け目を飛び越え、斜面を目指す。
三十分後。足跡の主が見えてきた。遠くからでもはっきり分かる、立派な姿。
「嘘でしょ。あれは──」
エレナは驚きのあまり腰を抜かしそうになった。実物は初めて目にする。しかしその全貌は何度も本で見たことがあった。
「竜だ」
彼女は心臓をばくばくさせながら、静かに呟いた。
そこには体長およそ六メートルほどの竜が、雪の斜面に横たわっていた。黒い角が頭に二本、鼻の上に一本付いている。筋肉質な身体を覆う黒緑の鱗は、鋼鉄のように固そうで艶を帯びている。背中には大きな翼が一対生えており、たてがみは頭の上から背中まで続いていた。
顔は爬虫類と似ていて、宝石を思わせる金色の瞳が美しくきらめいている。
「まじかよ。初めて見たぜ」
アストラが口をぽかんと開け、竜に釘付けとなっている。勇敢な彼もさすがに恐怖を覚えたのか、近付くのをためらっていた。
すでに滅びたとされる種族が、この死の大地で生き延びていたとは、誰が想定しただろう。二人は顔を見合わせ、小声で相談を始めた。
「妖精は居ないみてぇだな」
「う、うん。そうだね」
エレナは平常心を保とうとしたが、声がうわずってしまった。アストラは心配そうに眉を寄せ、彼女に尋ねる。
「あいつ、どうすんだ? やっつけるか?」
「うーん。とりあえず、話を聞いてみない?」
「は? お前、正気かよ!? 相手は竜だぞ? ユーティスが前に言ってただろ? 竜は人間を滅ぼそうとしたって。あいつ、絶対敵だぞ!」
確かに、イスト王国で古書が見つかった時、ユーティスはそう話していた。
いにしえの時代に起こった、邪竜と人間の戦争。あれが本当なら、目の前の竜は敵である可能性が高い。だがエレナは決めつけたくなかった。『言い伝えが全て真実とは限らない』とも、ユーティスから聞いていたからだ。
「そんなの、ちゃんと話してみなきゃ分からないじゃない。あの竜はもしかしたら、ここでずっと暮らしてるのかもしれないし。運が良ければ、妖精の居場所も知ってるかもしれないよ?」
「……お前、怖がりなんだか度胸あるんだか分かんねぇな」
「お願い、アストラ。あの竜と話をさせて」
エレナは真摯に訴える。アストラは数秒間、困り顔で沈黙してから、深い深いため息をついた。
「仕方ねぇな。でも、いざとなったら手加減するなよ。本気でやらなきゃ、こっちが危ねぇからな」
「分かった!」
エレナがうなずくと同時に、遠くからバサッと翼を広げる音がした。
「そこで何をしている!?」
すくみ上がるような怒鳴り声と共に、竜がものすごい速さで羽ばたいてきて、二人の前に降り立った。大翼から生み出された風に吹き飛ばされそうになるのを、踏ん張ってこらえる。彼らは意を決して、竜に向き合った。
金色の瞳が威光を放ちながら、エレナとアストラを見下ろしている。その巨体を注意深く見つめると、黒緑の身体に無数の切り傷があるのを発見した。どうやら雪上に血を落としていたのは彼だったらしい。
「また人間か! 不快な匂いがすると思ったぞ!」
荒々しい口調。見れば見るほどおっかない姿だ。竜に比べたらそこら辺の魔物など、馬鹿みたいに可愛らしく思える。エレナは逃げ出したい衝動を必死に抑えながら言った。
「すみません。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「ぬ!? 娘よ。お主、竜族の言葉を話せるのか?」
竜が口を開き、重低音を響かせる。エレナはハッとして、【言語変換】の耳飾りを付けていて良かったと思った。アストラも腕輪の効果で竜の言葉が分かるようである。
彼女は話を続けた。
「はい。分かります。私はエレナといいます」
「お主、あの魔法使いの仲間か? 吾輩にとどめを刺しにきたのか?」
あの魔法使い? 誰のことだろう?
エレナは首を横に振る。
「違います。私たち、ここへ妖精族を探しに来たんです。どこに居るか知りませんか?」
「妖精族だと?」
竜はみるみるうちに目を血走らせ、うなった。
「吾輩から宝を盗んだあげく、友まで奪おうというのか!? そのようなことは断じて許さんぞ!!」
激昂した竜はいきなり口を大きく開け、火の玉を吐いた。
エレナとアストラは、とっさに左右へ飛び退いて、難を逃れる。
二人が立っていた雪の地面は、炎と熱風により、一気に蒸発してしまった。後にはぽっかりと丸い穴が出来ている。
「そうか! さっきの穴ぼこは、こいつの仕業だな!」
納得の声を上げたアストラは、剣を抜き素早く切りかかる。竜は後ろに跳んで逃げた。身体の大きさからは想像出来ぬほど俊敏だ。竜はその場で一回転して長い尻尾を振り回し、アストラを打ちのめそうとした。ヒュンと空を切る音がする。彼はそれをしゃがんで回避し、再び剣を突き出した。しかし竜はまたも跳躍し、攻撃は空振りに終わってしまう。彼らの緊迫した攻防は続いた。
一方、エレナは戸惑い、反応が遅れてしまった。さきほどこの竜は、妖精族を『友』と言ったのである。
彼は何かを知ってるんだ!
そう思い至った瞬間、エレナは大声で叫んでいた。
「私たち、妖精族と話がしたいんです!! お願いします!! 話を聞いてください!!」
「黙れ!! 人間の言うことなど、信用出来んわ!!」
竜はエレナに再び火の玉を吐いた。彼女は急いで身を翻し、それをかわす。竜は苦しそうに息を切らしていた。傷が痛むのだろうか。
だめだ、聞く耳持ってくれない! こうなったら魔法で竜を止めるしかない!
エレナは覚悟を決め、杖を固く握って構えた。




