残された足跡
二時間後。
慎重に歩みを進めていくと、次第に空が雲に覆われ、綿花のような雪がちらついてきた。ルカーヌから聞いていた通り、ここは天気が変わりやすいらしい。
吹雪になりませんようにと祈りながら、エレナは両足を前へ前へと出した。
そそり立つ山の姿が大きくなるにつれ、積雪の量も増してくる。歩くごとにさくさくと音がして、二人の後ろにはたくさんの靴跡がついていた。
「もうすぐ山のふもとだな! 一旦、休憩しようぜ!」
さらに一時間歩いてから、アストラが声をかけた。雪は幸い止んでいる。
エレナはうなずき、メモをポケットにしまって、杖を雪に刺した。その後、背負っていた袋から魔鉱石のはまったコップを二つ出す。
「何やってんだ?」
「いいから見てて」
エレナが石を押さえて念じると、水がコップの底から湧いてきて、あっという間に熱湯へ変わった。彼女はそこにとうもろこしの粉末を入れ、持ってきたスプーンでかき混ぜる。とろりとしたクリーム色のスープが完成し、湯気と甘い香りが周囲に立ち込めた。その工程を物珍しそうに眺めていたアストラは、目を輝かせて叫んだ。
「うわ、すっげー!! 何だそれ?」
「ポロン先生の発明品! すごいでしょー? これがあれば、どこでも温かいスープが飲めるんだよ!」
エレナはまるで自分の手柄のように、笑顔で胸を張る。
すると、お前がすごいんじゃねぇけどなと、速攻で突っ込まれた。彼女は的確な返しにぐうの音も出ず、黙ってコップを手渡す。
アストラはふっと口角を上げ、スープを一口飲んだ。
「はー! あったまる! こんなうまいもんが飲めるなんて、ポロン先生様々だな!」
「他にも役に立ちそうな発明品を持ってきたよ! それに薬草とか眠りのハーブとかも!」
「眠りって、お前それ、いつ使うつもりだ?」
「不安で眠れない時に使おうかなって」
「いや、ここで使ったら凍え死ぬだろ」
「……あ」
「あ、じゃねぇよ!」
アストラが盛大にずっこけそうになっている。エレナはコップを両手に持ち、ほかほかのスープを飲みながら、自分がいかに冷静さを欠いていたか実感した。
あの時はほんと、バタバタしてたからなぁ。
ほっとしたのをきっかけに、妖精の森での出来事から現在までを振り返る。危機の連続で今まですっかり忘れていたが、よく考えると分からないことだらけだ。
あの黒髪の人。一体、何者なんだろう。
ユーティスはウーディニアをよく知っているようだった。そして、あの男も同様に。見るからに彼らは嫌悪し合い、対立していた。エレナは二人の間に、何か因縁のようなものがあるのではないかと推測した。
詳しい話、ユーティスさんから聞きたいな。
彼の慈しみにあふれた微笑みを思い出し、胸がずきんと痛くなる。エレナは悲しみを打ち消すようにスープを飲み干した。
それからエレナは二人分のスプーンとコップを水魔法で洗い、布で拭いて袋に片付ける。ポロンの作った発明品はどれも便利な物ばかりだなぁと、心の底から感心していた。
そういえばポロン先生。通信した時に何か言いかけてたような……?
杖を持ち袋を背負って、ポロンの言わんとしていたことを想像しようとする。
その時だった。
「おい、エレナ! あれ、見てみろよ!」
先に歩き始めたアストラが、警戒心を漂わせて、指を差す。
見ると地面に丸い大穴が空いていた。
しかも一つや二つではない。この辺り一帯、穴ぼこだらけだ。雪が不自然に溶けて失くなってしまっている。
「何があったんだろう?」
状況を探ろうと、雪の積もった地面を歩いて見渡す。そこでエレナはあるものに気付き、きゃっ! と悲鳴を上げた。
「おい! どうした?」
「アストラ。これ」
エレナは身を縮め、怯えた視線を足元にやった。
氷と雪。一面、白しかないはずのその区域に、場違いな色が染み込んでいる。
目の覚めるような、赤だ。
「何だこれ? 血か?」
「分からない……。でもどうして? ここに生き物は居ないはずなのに」
「もしかして妖精の血か? この分だと、けがしてるかもしれねぇな」
「ちょっと見て! これ、何だろう?」
もう一度良く観察すると、地面に巨大な足跡が付いているのが分かった。しかもその足跡と赤い斑点は、はるか遠くの斜面まで続いている。
「この先にきっと、誰か居るんだ」
「魔物か?」
「そうじゃなきゃいいけど」
こんな足跡、見たことない。
エレナは背筋が寒くなった。足がこれほど大きいなら、身体も相当大きいに違いない。正体不明の何かが、確実にこの先に存在しているのだ。
敵なの? それとも味方?
こめかみに汗が滲んできて、彼女はごくりとつばを飲み込んだ。
しかし逃げるという選択肢はない。妖精族がそこに居るかもしれないからだ。呪いを解くには彼らを見つけるしか方法がない。
エレナは恐怖を押さえつけ、強い瞳でアストラを見据えた。
「この足跡を追いかけてみよう。妖精の手がかりが掴めるかもしれない」
「ああ! もし魔物が出やがったら、おれたちでぶっ潰そうぜ!」
「うん! 頑張ろう!!」