生き続ける
そう告げると、ユーティスは三人に注意を促した。
「こちらにあるのは歴史的にも貴重な書物ばかりです。なのでくれぐれも丁重に扱っていただくようお願いします」
「大丈夫ですよ! おいら古書には、全然興味ありませんから! それよりこの部屋の植物を調べてきます!」
早口で言うなり、ヘルメは虫眼鏡を片手に入口付近へ走っていった。
ユーティスはそれを、かなり心配そうに見送ってから、古書を調べ始めた。また紙に何かを書き留めている。
「おっ! これは、腕輪の効果を試すときが来たんじゃねぇか?」
アストラはうきうきした様子で本を引っ張り出し、読もうとする。しかし、いくらにらめっこしても何も起きない。彼は眉根を寄せ、腕輪を見つめた。
「何だ? 読めねぇぞ? これ、壊れてんのか?」
「アストラさん。『言語変換』の魔法は、耳で聞いた言葉にしか効果がないのです。ここにある本は全て、古代文字で書かれておりますので、読むのは不可能ですよ」
「えぇ!? そうなのか? 何だよ! つまんねぇな!」
アストラは舌打ちし、本を穴に戻す。側で話を聞いていたエレナも、残念で仕方なかった。彼女も耳飾りの効果で、文字が読めると思っていたのだ。
こんなにたくさん面白そうな本があるのに、と口惜しく思いながら、目の前の薄い書物を手に取る。何気なくページをめくると、紫の霧に包まれた竜と、人間が魔法を放っている絵が描かれていた。
そうだ! 絵のある本なら文字が読めなくても、意味が解るかも!
名案がひらめいたエレナはその本を脇に挟み、古書を物色し始めた。アストラは後頭部で手を組み、彼女を眺めている。
「大賢者伝記といい、それといい、お前ほんとに読むのが好きだな」
「まあね。だって面白いもん」
「そんなの見て眠くならねぇ? おれだったら、すぐ寝ちまうけど」
「ならないよ。アストラは頭より身体を動かすタイプだからじゃない?」
「待て。人を筋肉バカみたいに言うなよ」
「あれ? 違うの?」
「おい! そう思ってんのかよ!」
目を三角にして突っ込むアストラに、エレナは冗談だよ、とくすくす笑う。すると彼は優しい表情をして、ぼそりと呟いた。
「お前はその顔が一番いいな」
「え? 何か言った?」
「いや、何も! おれ、おっさんが悪さしねぇように見張ってくるわ!」
いきなり頬を染めたアストラは、ヘルメの所へ全力疾走した。そしてものすごく嫌そうな顔で迎えられている。
アストラ、急にどうしたんだろ? 変なの。
不思議に思ったが、特に気に留めるでもなく、本を集めた。そして図書園中心に備え付けられた木製の長椅子に座り、表紙を開いた。文字は意味不明なので、絵だけに注目する。
逃げる妖精と武器を持つ人間。赤・青・黄の石を持つ三つの種族と、光る本。かつて栄えたであろう妖精の森の景色。
それらは淡い色合いで描かれており、とても繊細で美しかった。まるでおとぎ話の一場面を見ているようだ。
「エレナさん。何をされているのですか?」
本を何冊も抱えたユーティスが、後ろから声をかけてくる。エレナは振り返って言った。
「文字が読めないので、絵を見てました。ユーティスさんは、何か見つかりましたか?」
「私は新種の魔法書を発見しました」
「新種ですか?」
「はい。妖精族は昔から魔法の開発に力を入れておりまして。現在、使用されている六つの属性魔法以外にも、いくつか新たな物が作られていたようなのです」
「そうなんですか! 魔法って新しく作ることも出来るんですね!」
「はい。既存の魔法をいくつも組み合わせたり、呪文を図や古代文字に置き換えて魔法陣を描いたり──あと精神や肉体の極限状態でのみ、神の言語を聴けることがあります」
「へぇー! すごいですね! 私も魔法を作ってみたいです! それもいつかは教えてもらえますか?」
「……考えておきます」
ユーティスは返事を濁し、持っていた書物を長椅子に置いた。ふいにエレナはいいことを思いつき、先ほど見た本を開いて、彼に渡した。
「妖精の森の絵が描いてる本、見つけましたよ。ユーティスさんの故郷は、こんなに綺麗な場所だったんですね」
「ああ! このような物が残っていたのですか!」
ユーティスは感嘆の声を上げ、絵を食い入るように見据えた。
緑の葉を生い茂らせる大樹と、白く荘厳な王宮。色鮮やかな花とたくさんの蝶や動物。そして、尖った耳の麗しい妖精たち。
『地上の楽園』。そんな言葉の似合う素晴らしい光景が、そこには余すことなく表現されていた。
ユーティスは深緑の瞳に涙を浮かべ、笑った。
「もう二度と、目にすることはないと思っていました……。本当に嬉しいです」
ユーティスの喜びが伝わってきて、エレナは心底切なくなった。彼は自分と同じ痛みを持っている。大切な居場所を奪われ、家族を失って深く傷付いている。
エレナは自分に言い聞かせるように、話した。
「今は何も残ってなくても、ユーティスさんがここで過ごした思い出は失くなりませんよ。亡くなった人たちも、その想いも、ずっと心の奥で生き続けてます」
忘れなければいつだって、故郷はある。大切な人たちもちゃんと居る。それは滅びることなく、死ぬまで記憶の中にあり続けるのだ。
エレナは柔らかく微笑んだ。悲しみが癒えることを願いながら、ユーティスをじっと見上げる。
彼はまぶたを閉じてうつむき、蒼い首飾りを強く握っていた。
「エレナさん。私はあなたに会えて、本当に良かった」
しばらくしてから、熱のこもった視線を送ってくる、ユーティス。エレナはどきりとして、深緑の瞳を見つめ返す。
「あなたのお陰で思い出しました。私は誇り高き妖精王、セレニエル=ニュンフェの息子です。どのような事態にも、逃げずに立ち向かわなければならない」
重く決意を口にした彼の目に、もう曇りはなかった。
数時間後。
珍しい植物などを収集したヘルメは、先に馬車へ戻り、次いで三人も図書園から外へ出た。
ユーティスは青いマフラーをたなびかせ、一番前を歩いている。彼は平らな場所を探し、書物を見ながら、杖で大きな図形を描いた。アストラは首をかしげ、エレナは横からいぶかしげに尋ねる。
「ユーティスさん。これは何をしてるんですか?」
「『転送』の魔法陣を描いてます。母上が独自に作り出した魔法を、私もやってみようかと思いまして」
「どんな魔法なんですか?」
「この陣に入ると、遠い場所でも一瞬にして移動が出来るようです。描いてから少しの間だけですがね。これで馬車ごとノース王国まで帰りましょう」
「ユーティスさんの探し物は、もう見つかったんですか?」
「ええ。手がかりを掴みました」
ユーティスは腹をくくったという表情をして、二人を見た。
「あなたたちに、全てをお話したいと思います」
ユーティスが話を切り出そうとした、その時だった。
黒い小さな鳥が、三人の横を高速で突っ切る。それを誰かが捕まえ、見せつけるかのようにぎゅうっと握り潰した。黒い霧がその者の手から立ち上る。エレナは目を見開いた。
「久しぶりだな、博識の魔法使い」
平べったい岩の上で足を組み、悠々と座る、一人の男。
闇色のローブと長い黒紫の髪が、濡れたように艶めいている。緑の風景に気配なく現れた彼は、この世の者とは思えぬ異様な存在感を放っていた。
「いや。今は『大賢者』と呼んだ方がいいのか」
男は魅惑的な笑みを浮かべて、赤い双眸をユーティスに向ける。ゆるりと吐かれた言葉には、嫌悪と嘲りが込められていた。
「お前は」
ユーティスは唇を震わせ、男を凝視している。
そして、その整った顔に絶望の色を滲ませ、言葉を落とした。
「ウーディニア……!」