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放課後の電車内は同じ高校だけでなく、他校の生徒も多く乗車している。
満員ではないけれど、座席はほぼ埋まっている状態。
皆が静かに読書をしたり、眠ったりしてそれぞれの最寄り駅までの道のりを過ごしている昼過ぎとも夕暮れともつかない曖昧な時間。
駅に着いてふたりの女子高生が座る間の席が空いたけれど、八ツ橋 献一は一目見て座るのをやめた。
吊り革に掴まりながら、片手で問題集を流し読みする。
まもなく警察官になるための採用試験がある。そのための勉強のつもりだが、身が入っていないのは自覚があった。
なぜなら、治安の維持などどうでもいいから。
消防でもいい。警察でもいい。
十数年前に新たに設立された国軍でもいい。
とにかく卒業とともに寮があって、給料が出て、食事が出て、親がいなくても生活していけるだけの基盤が築ける職業なら、正直なところ、どんな会社でも構わない。
しかし数字には強くないので、体を使う業種を選んだだけのこと。
問題の解説を読む。
日本国新憲法 国内におけるすべての金属の使用量を内閣府が決定し、天皇が承認するものとする。
また、石油及びその他自然的燃料も本条に準ずる。
日本新刑法 財物のうち、特に金属、自然燃料を財産犯により自己の占有としたものは特殊資源犯とする。
本条における正犯者は未遂処罰はない。
国軍兵及び警察官による、その場でのあらゆる手段、方法の断罪行為を許可するものとする。
法律に関する文章はなかなかどうして言い回しがくどい。
献一は隠しもせずに大口を開けて欠伸した。
次の問題の解説。
特殊資源犯防止法 飛行機、船舶、鉄道等各種公共交通機関はその車体の重要性を鑑み、2メートル毎にひとつの緊急ボタンを設置することを義務付けるものとする。
車内を見回した。
手摺や網棚にボタンが規則的な位置に設置されている。
駅に着く。
人が入れ替わって、また出発。
世界の金属と石油は枯渇しつつある。
そのため、世界的な規制が実施された。
国交以外での飛行機や船は利用できない。
いわゆる海外旅行は、ほぼ要人のみの娯楽となった。
さらにスマートホンはひとり1台以下、パソコン又はタブレットは1世帯に1台以下。持たなければ毎月の税金がいくらか控除される。
テレビ、ゲーム機は没収。家具に使われているほとんどの金属が、新たに発明された電気を通す電道石に取って代わり、高層ビルはすべて撤去され低層ビルとなり、新たに建築されるビルは鉄骨の使用を禁じられた。
私用や会社からの貸与品など、ひとりでスマートホンを何台も持ち、家にテレビがあり、動画なるものを見放題、音楽を聴き放題、身の回りに金属がいくらでもあった時代を知る年代からすればすこぶる不便な世界になったらしいけれど、献一達の年代は今が当然なのでさほど苦労はない。
暇つぶしはもっぱら読書か体を動かすことだけだ。
次の駅のホームに滑り込む。
おや? と違和感を抱いた。
5人くらいの男達が帽子を目深に被り、口許をマスクで隠していたのだ。サングラスまで掛けている。
ひとりならまだしも、連れ立ってあのような妙な格好をするだろうか。
彼らがいたのは、最後尾車両の当たりだ。進行方向とは逆のほうへ取り残されていくように乗客から見えている。
減速した。
ぎょっとした。
献一がいる先頭車両の停車位置にも、同じ格好の5人組がいるではないか。
不穏な空気。
怪しい。怪しすぎる。
明らかにおかしい。
献一はゆっくりと問題集をリュックに収めた。
降車する客がドアの前に移動を始める。
誰も何も思わないのか?
献一は運転席とを隔てる強化ガラスに走った。
「開けるな! ドアを開けちゃだめだ!」
拳で思い切りガラスを殴ったが、間に合わなかった。
ドアは開かれた。
ならば、どうする。
気のせいか?
気のせいであればいいのだが。
男達を見やる。
降りる客を待つ男達が包丁を鞄から取り出すのが見えた。
どこにでも販売している石でできた包丁だ。よく切れる。
男達は電車を乗っ取る気に違いない。
客が目当てなら、降りた客を狙えばよかったはずだ。
乗せたら終わり。
献一はリュックを胸に抱えて、男達に突進した。
思わぬ反撃だったのか、男達はあからさまに驚いて尻餅をついた。
「ドアを閉めろ!」
勢いに任せて団子になって献一も倒れる。
倒れながら叫んだ。
しかし運転手は判断が愚鈍だった。
運転席の小窓から顔を覗かせて、怪訝な表情を浮かべている。
「早くドアを閉めろ! 包丁を持ってる! 立て籠もられるぞ!」
それでもまだ閉めない。
馬鹿が。
乗客のほうが賢かった。
何人かの乗客が慌てて降りてきた。
入れ違いに、立ち上がった男達が雪崩れ込んでいく。
「くそ!」
リュックを最後尾の男の足元に投げ込んで転倒させた。
転んだ拍子に電車とホームの間に尻が挟まっている。
後転する要領で体勢を整えるつもりのようだ。
さらに献一は間髪入れずに長さを活かして、目一杯、腕を伸ばした。
ふたりの男の首根っこを掴む。思い切り引き寄せて、体を反転させて車外に放り投げてやる。
代わりに自分の身は車内に残ったわけだが。
ドアが閉まる。
アホみたいにのんびりと走り出す電車。
流れていく景色の中に、呆けている男3人がいる。
すぐに振り返った。
まだ2人残っている。
「てめぇ、このクソガキ!」
ひとりが包丁を振りかざした。
残っていた乗客が悲鳴をあげる。
「やめとけ! 俺達の目的は金だろ!」
黒色パーカーを着付けたほうに制されて、包丁男は渋々腕をおろした。
鼻息が荒い。
緊張しているのか、怒っているのか。
献一は唇を強く引き結んで胸を張った。
どう対処すればいいのか、わからなかった。
感情に委ねて蹲ればいいとでもいうのか。
包丁男がざっと車内を見て、ランドセルを背負っている私立小学校の女の子に目を止める。
人質にする気だ。
咄嗟に献一が立ち塞がった。
包丁男がうんざりしたように天を仰いだ。
「邪魔くせえな! 正義漢ぶってんじゃねえよ!」
「もういい。とりあえず、運転手と連絡だ」
パーカー男がドア上部にある非常用連絡ボタンを押した。押下することで乗務員席と連絡が取れる仕様になっている。
そうだ、ボタン。
瞳だけで緊急ボタンを探す。
押せば自動的に国軍と警察に通報が入るはずだ。
あった。
だが届かない。
届くまでに制される。
他に動けそうな客は──いない。
恐怖に怯える女子高生、主婦。
男は献一だけだった。
「どうされましたか?」
呑気な声がマイクから聞こえてくる。
マイクに向かってパーカー男が声をあげた。
「止まるな。走り続けろ。止まったら乗客をひとりずつ殺す」
「は?」
強化ガラスの向こうで運転手が振り返った。
包丁男が持っているものを見せ付けてやると、ようやく事態を把握したようだった。
遅すぎる。
「本部には車両の故障だと言え。すべての電車を避けろとな。ぶつかってお前も一緒に死ぬぞ」
マイクでのやりとりに気が逸れている。
献一は首だけで振り返り、顎で女の子に隣の車両へ移るよう示したが、女の子は首を僅かに横に振った。
やはり恐怖からなのか、動けないようだった。
「よし、ブラインドを下げろ。全員でだ、妙な真似はするなよ」
残っていた数人の乗客達が窓のブラインドを下ろし始める。
走行中の電車が揺れた。
今だ。
押した。
手摺に掴まるふりをして、押した。
緊急ボタンを確実に押した。
手応えがあった。
だが、反応がない。
イメージであれば、赤く警告灯がついたり、爆音のアラートが鳴動するのだが、これが通常なのか、故障なのか、判断がつかなかった。
もう一度押す勇気はなかった。
その中で自然と女の子の傍に歩み寄った。
隣の車両を見る。
最後尾から乗り込んだ男達が車両数だけ分かれて見張っているのか、男がひとり立っている。
車両を移動しても意味はなさそうだ。
ほどなくして、残っていた乗客はすべて先頭車両に集められた。
パーカー男が貴重なスマートホンで乗客達の写真を取り、なにやら操作をしてどこかへ架電している。
通話相手に声高に告げた。
「おい、乗っ取ったぞ! 証拠写真も送った! 金を振り込んでくれ!」
ネットバンキングの口座画面を見たり、仲間で喜びの雄叫びをあげたりしている。
こいつらは使い捨てだ。
指令塔が別にいる。
「あとは30分走らせればいい。そのあとは適当に停車させてとんずらだ!」
ということは、やはり乗客を傷付けるつもりはなさそうだ。
献一自身、知らぬ間に緊張していたらしかった。ほっと息を吐くと、握りしめていた掌の汗の量に驚く。そっと太腿で拭った。
ふと隣に座る女の子が落ち着かずに動き始めた。
困り顔できょろきょろとしている。
「……トイレ?」
聞くと、小さく頷いた。
犯人を刺激することになるだろうが、仕方ない。
「トイレに行かせてやってくれ」
言うと、パーカー男が女の子を見た。
その目に確かに同情が宿った。
心根が腐っているわけではなさそうだ。
「トイレはない。我慢できないか? 30分で帰してあげられるから」
心なしか、声音も言葉遣いも柔らかい。
だが女の子は服の裾を掴みながら俯いた。
「俺のリュックの中に災害用のポータブルトイレがある。それを隣の車両で使わせてやってくれないか」
「垂れ流せばいいだろ」
と、包丁男。
パーカー男がやはり仲裁に入った。
「渡してやれ。──でも、お前は動くな。」
動こうとして、制された。
パーカー男は、最も献一のリュックに近い場所にいた主婦を指定した。リュックを改めさせ、ポータブルトイレを取り出す。
「連れて行け。5分経っても戻らなかったら探しに行く。そのときに妙な動きをしていたら、迷わず殺すからな」
パーカー男に釘を差され、主婦はうんうんと頷いた。
「お嬢ちゃん、おいで。おばちゃんが手伝ってあげる」
主婦も強い人だ。
怖いだろうに頬をピクつかせながらも笑顔で腰を屈める。
女の子は、献一の腕を引っ張った。
「お兄ちゃんも」
「ごめん、俺は行けない。行ったら駄目だって言われているから」
「途中まで。ドアのところに立ってて」
連結部分のことを言っているのだ。
パーカー男を見やる。
パーカー男は逡巡して、舌打ちをした。
「駄目だ。そこのドアの前までならいい。俺達に背を向けて、両手を頭の上に挙げてろ。譲れるのはそこまでだ。
わかった?」
わかったか、の部分は女の子に向けられていた。
子どもには優しいタイプらしい。
言われた通りにした。
車両の最後部ドアの前に立ち、両手を挙げる。
ややあって、なにか見えた。




