4.城の使用人
翌朝、テイラー男爵家で毎日着ていた普段着でタマラに挨拶すると、彼女の表情が少し曇った。
繰り返し洗濯したので繊維が細くなったペラペラのワンピースに破れた箇所を補強するためのつぎはぎが至るところにある。タマラのお仕着せの方がずっと立派で綺麗である。
正直言うと恥ずかしかったが、二日連続で着ていた新しいドレスは洗濯したい。他に着るものがないので仕方がなかった。
タマラはティアをどう思っているのだろう? 想像するだけで不安になる。
「あ、あの、すみません。こんな格好で……」
ティアが言いかけるとタマラは困ったように首を振った。
「ティア様。大変申し訳ございません。旦那様は奥様のドレスを用意するような気が利く方ではありませんので、私どもの方で考えるべきでした。ティア様が着ていらしたドレスは今カーラが洗濯しておりますので、その間大変恐縮ですが、私どものお仕着せをお召しになりますか……?」
こんな提案をして失礼ではないだろうか?と悩んでいる様子のタマラにティアは笑顔で答える。
「もし、お仕着せを貸して頂けるなら有難いです! お手数をおかけして大変申し訳ありません」
タマラがホッとしたように息を吐いて、ティアを使用人部屋に連れていってくれた。新品の侍女用の制服を手渡しながら気遣うように彼女を見つめている。
「あの……差し出がましいかもしれませんが、着ていらしたドレスもサイズが合わなかったようですので、新しいドレスをお贈りするよう旦那様にお伝えいたしますね」
「い、いえ! そんなことをお願いできる立場にはありませんので! どうかお気になさらないでください。私はこのお仕着せをお借りできたらそれで十分です……」
伯爵夫人として人前にでるようなこともないだろうし、と言いかけて、口をつぐんだ。
『俺が君を愛することは一生ない』
彼がああ言ったのは当然だ。むしろ最初にハッキリさせてくれて感謝したいくらいだ。
ただ、サイラスとの会話は使用人に聞かせるべきことではない。
ティアが複雑な表情で俯くとタマラはそっと手を握ってくれる。手の温かさと共に彼女の優しさが伝わってきて胸の奥が温かくなった。
***
ティアがお仕着せに着替えると、タマラは城の中を案内してくれた。まるで新入りの侍女になったみたいで不思議な気分だ。
外から見た時の印象通り、城の中は暗く寂れていた。
ほとんどの窓に古くてかび臭いカーテンがかかっている上に、壁のあちこちにシミやひび割れがあり塗料も剥げている。早急に修繕が必要なことは明らかだった。
どうしてこんな陰鬱な雰囲気のままにしておくのだろう?
案内されるまま歩いていると城の最上階に辿り着いた。
この階は城主サイラスや領地管理人セドリックの執務室がある。他にも記録庫や書庫などがあり、領地経営の中枢といっていいかもしれない。
ここは絵画なども飾られていない。殺風景な廊下の先に壁に掛けられた大きな黒い布が目に入った。
思わず凝視していると、タマラが苦笑いしながら案内してくれて黒い布をめくる。布の向こうに上に続く暗い階段が現れた。
「この階段の先には東の塔があります。先代の伯爵がお使いになっていた居室があるので、ここから先は立ち入り禁止です。どうか気をつけてくださいね」
ティアは怪訝そうに首を傾げた。
「立ち入り禁止ということは、お掃除などもしないと…?」
「はい。掃除は私とセドリックが行っております。私ども以外は、決して立ち入ってはいけないと遺言されておりますので、どうかティア様もお近づきにならないよう、お願いいたします」
真剣な顔で言いつのるタマラに、ティアはコクコクと頷いた。
「はい、絶対に近づきませんのでご安心ください」
ティアが断言するとタマラは安心したようだ。
その後も城内を回り、厨房や庭も案内してもらう。
厨房では料理長が一人で全員分の食事を作っているらしい。驚いたティアが「大変じゃないですか?」と尋ねるとタマラが困ったように頬に手を当てた。
「そうですね。でも人を雇う余裕がなくて……今この城に住んでいるのは私とセドリック、料理長のリチャード、庭師のジェイク、侍女のカーラだけなので、そこまで大変ではないと思いますわ」
家令のセドリック、侍女長のタマラ、料理長のリチャード、庭師のジェイク、侍女のカーラ。
心の中で彼らの名前を忘れないように復唱する。
厨房に行くと、背の高い男性が人懐っこい笑顔で迎えてくれた。
彼が料理長のリチャードに違いない。
想像よりもずっと若い。まだ二十代前半くらいではないか? 赤髪に緑色の瞳の好青年だ。
「はじめまして。伯爵夫人のティア様ですね。美しい烏の濡れ羽色の髪が大変魅力的です」
恭しく頭を下げた後、ティアと視線を合わせるとニコッと笑う。
顔の傷痕に注意を払わず、髪の色を褒められたのは初めてだ。艶もなくパサパサした髪なのに。自分の黒髪を摘んでまじまじと見つめているとタマラが心配そうに尋ねた。
「ティア様、大丈夫ですか? リチャード、いきなり馴れ馴れしいわよ。失礼をお詫び申し上げます」
ティアは慌てて首を横に振った。
「い、いえ、全然違うんです! 私の髪の色って真っ黒で地味だなって思っていたので……。褒めて頂いたのは初めてで嬉しかったです! お優しいんですね」
明るい笑顔を向けるとリチャードの顔が紅潮した。
「いや、そんな、おおげさな」
「これから私も皆さんと一緒に働かせて頂きます。ジャガイモの皮むきくらいはできますので、是非お手伝いさせてくださいね」
爽やかな笑顔を残してティアとタマラは厨房から出ていった。
リチャードは片手を口元に当てて「いや、笑った顔、可愛すぎ」と呟いた。




