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2.生い立ち

翌朝、目を覚ますとティアは古めかしい寝台に横になっていた。


ああ、よく寝た。

熟睡できた時に感じる体の気だるさが心地よい。


ティアはウーンと伸びをしてから、自分はどこにいるんだろう?と考えた。

寝ぼけたまま周囲を見回す。

えっと、ここは夫になったサイラス・アスター伯爵の寝室のようだ。


あれ? 隣の部屋のソファで寝ていたはずなんだけどな……


夕べのことが少しずつ思い出されてくる。


あの伯爵が寝台に移動させてくれた?

他に人がいないのだからきっとそうなのだろうけど、何故そんなことをしたのかしら?

一応紳士らしく振舞ったということ?


貴族の男なんて上辺だけは紳士らしく振舞うけど、中身は残虐な暴君ばかりだ。

父と兄たちの顔を思い出して胸がムカムカしてきた。爽やかな朝には考えたくもない。


それにしても急な結婚だった。ティアはぼんやりと昨日までのことを思い出した。


***


父であるフランク・テイラー男爵と兄イアンとトマスは全員ろくでなしだ。


ティアの母サンドラは後妻だった。


イアンはフランクの前妻の息子で、トマスは愛人の息子らしい。愛人が亡くなった後、トマスを本邸で引き取ったそうだが、二人は同じ歳だ。それだけでも吐き気がするくらい気持ち悪い。


サンドラはティアが一歳の時に再婚した。だから、父と兄たちとは血が繋がっていない。正確には継父と継兄である。便宜上は父、兄、と言っているけれど……。


フランクは、夫を不慮の事故で亡くして行き場を失ったサンドラを攫うようにして結婚した。彼の容姿はまあまあだったが、サンドラとは親子ほどの年の差があった。


母は庶民にはあり得ないほど美しく知性もある人だったから、あんな男を愛していたはずがない。


サンドラは博識でティアに生き抜く術を教えてくれた。ティアが十歳の時に突然の病で亡くなってしまったが、母の教えがなかったらこの年まで生き残ることは難しかっただろう。


母が存命中は、フランクも兄たちもティアを虐めたりしなかった。不思議とサンドラには常に敬意を払っていた、と思う。


しかし、母が亡くなってからティアへの態度が豹変した。


ティアはろくに家具もない屋敷の離れに追いやられ、たった一人で閉じ込められた。離れの周囲には鉄条網が張られ、ティアは文字通り監禁されるようになったのである。


使用人は誰も近づくなと厳命された。当然食べ物を届けてくれる人もいない。


離れには小さな庭と井戸がついており、ガリガリに痩せた鶏とヤギが飼われていた。ティアはサンドラの教え通りに野菜や薬草を育て、献身的に鶏とヤギの世話をした。おかげで卵と羊乳という貴重な蛋白源を得られるようになったのである。


ある時、優しい使用人が食べ物を届けてくれようとしたが、それを見つけたフランクは激怒し使用人を鞭打って罰した後、屋敷から追い出した。


二度目に同様のことが起こった時、ティアは思い余って「罰するなら私も罰してください!」と叫び、一緒に鞭で打たれるようになった。一度フランクに鞭で打たれ始めると、それを真似してイアンも鞭を使うようになった。


陰気なトマスは引きこもりだったので鞭を使うことはなかったが、鉄条網の向こうからじーっとティアを見ている時があって薄気味悪かった。三十代も半ばの男がずっと自分の部屋に引きこもっているなんて何を考えているのか全くわからない。


使用人たちは恐怖に怯え、ティアは腫れ物のような存在となった。屋敷で彼女に接触しようとする者は誰もいなくなった。


そうして孤独な七年余りが過ぎ、突然フランクから「お前はもう十七歳だ。持参金付きでアスター伯爵家に嫁に行け」と宣言され、抗議する間もなくティアは新しいドレスを着せられ、わずかな荷物と共に馬車に乗せられた。


結婚は絶対にしたくなかった。


誰と結婚しても支配者が父から夫に代わるだけで自由なんてあるはずがない。


しかも、フランクが選んだ結婚相手だ。年齢は八歳も年上。きっと暴君に違いない。


聞くと嫁ぎ先のアスター家は由緒正しい伯爵家だったが、ここ十数年で没落し経済的に困窮している極貧貴族なのだそうだ。


でなければ評判の良くないフランク・テイラー男爵なんかと姻戚になろうとするはずないし、ましてや嫡出子でもない醜いティアとの縁談を受けるはずもなかったろう。


身分は底辺貴族だが金だけは多少持っているフランクは持参金で伯爵家を釣ったらしい。


吝嗇な彼がティアのために持参金を払うことに驚いたが、テイラー家の怪しい事業に高位貴族のお墨付きをもらいたいのかもしれない。


伯爵家に嫁がせるからにはそれなりの衣装が必要だ。


フランクが用意した新しいドレスに腕を通したが、体が細すぎてドレスがぶかぶかだ。


ホリーという古参の侍女長は溜息をついた。彼女はサンドラが生きていた頃に侍女として仕えてくれていた。もちろん会うのは七年ぶりである。


「……まったく旦那様は何をお考えなのかしら? お嬢さまはこのご縁談について何か聞いていますか?」

「相手の方はお金が必要で、と伺いました」

「ああ、ようやく金で厄介払いができるってことね」


そう呟いたホリーは慌ててティアに頭を下げる。


「も、もうしわけございません! 失礼なことを言いました」

「いえ、いいのよ。本当のことだから……」


この屋敷の厄介者だった自覚はある。それでも少しは傷ついた。


暗い思いを振り切るようにティアは笑顔を見せた。


「それよりもドレスを何とかしないと」

「はっ、そうですわね」


考えあぐねたホリーと侍女たちが色んなところにタオルやガーゼを詰めて何とか見られるようになった。


鏡を見てティアの黒色の瞳が光を失う。彼女の黒い髪とはまるで似合わない流行おくれのけばけばしい黄色いドレスだ。


「お嬢さまは亡き奥様に似て元の顔立ちはお美しいからよくお似合いですよ」


わざと頬の傷痕から視線を外しながらホリーは言った。


心にもない慰めはどうだっていい。


ティアは恐ろしくて仕方がなかった。父と兄でさえ暴力を振るってきたのだ。夫となるとどれほどの苦痛と支配に耐えなくてはならないのだろう?


いっそのこと逃げ出して、一人で生きていきたい。


馬車に揺られて久しぶりに見る外の景色を眺めながら涙が滲んだ。


無情にも馬車はあっという間に伯爵邸に到着し、ティアは一人屋敷の前に取り残された。これからどうしようと途方にくれていると親切そうな声が聞こえてきた。


「あの、ティア様でいらっしゃいますね? テイラー男爵のお嬢さま?」


振り返ると、庶民的な服装の中年女性が正面の扉の前でニコニコと手を振っている。


(うわっ! あ、あいさつ、挨拶しないと!)


「はい! どうかよろしくお願い申し上げます」


内心慌てながらもティアは丁寧に頭を下げた。その女性も深くお辞儀を返す。


「お嬢さま、おやめください。私は単なる通いの女中ですから。この御屋敷には使用人がおりませんので……」

「え?」


ティアはポカンと彼女の顔を見つめた。ここは王都にあるアスター伯爵のタウンハウスだ。使用人がいないなんて、そんなことあり得るのだろうか?


「いえ、あの……きっと旦那様が今夜ご説明くださると思いますわ。ちゃんとした結婚式もできずに気に病まれていると思います」


結婚式……?


ああ、そうか。自分はアスター伯爵と結婚するのか? 


結婚式なんて全く頭になかったティアは彼女に向かって曖昧に微笑んだ。


「あの、旦那様はどちらに?」

「旦那様は王宮で働いていらっしゃいます。夜には戻られますが、夕食はお嬢さまお一人で召し上がるようにとのことです」


それを聞いてほっとした。見ず知らずの男性と向かい合って食べる食事なんて美味しいはずがない。


彼女の名前はアルマと言った。


顔の傷痕のせいか同情するような視線を投げかけられたが、嫌な印象は受けなかった。本心からティアのことを気遣ってくれるのを感じたからかもしれない。


アルマは一緒に夕食をとりながらアスター伯爵家の事情を教えてくれた。


アスター伯爵家は由緒ある家系だったが政争に敗れ極貧になってしまったそうだ。何でも最近亡くなった先代伯爵は現在の国王から酷く疎まれていたらしい。


先代は生涯独身を貫いた。周囲から何を言われても結婚しようとせず、遠縁で身寄りのなかったサイラスを養子にして後を継がせたのだという。


そのサイラス・アスター伯爵がティアの夫になる男性だ。


「その、サイラス様……旦那様はどのような方ですか?」


内心ビクビクしながらティアは尋ねた。アルマは頬に手を当てながら首を傾げた。


「そうねぇ、一言でいうのは難しいけれど、真面目で不器用で……ちょっと誤解されやすい方かもしれませんね。ティア様ももしかしたら困惑されるかもしれませんが、悪い人ではないのですよ。先代の伯爵は変わり者でね、サイラス様もご苦労されたから……いえ、もちろん、私なんかには分かりかねますが……」


口ごもるアルマを見ながらティアは考えた。


もし相手が普通の人だったらお世辞でもなんでも『優しい人』とか『いい人』ってどこかに入る気がする。


それがないということは……?


この結婚には全く期待できないということかしらね。


ティアは深く溜息をついた。


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