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第六話 浅葱の黙を奪い盗る

 ――夜天は(たか)く、悪地は()くく。

 ピクニックを行うのなら、赤烏(せきう)を浴びた蒼昊(そうこう)の下。

 友情を確かめ合う殴り合いをするのならば、曲瀬(くせ)を背景に落暉(らっき)に曝されて。

 コミックヒーローが輝くのは、硝煙迸る採石場。もしくは、幻月(げんげつ)薫る摩天楼と相場が決まっている。

 それでは――悪事を為すに相応しい舞台(ステージ)とは、すわ何処であろうか。


「こちら、澪――たった今、敷地前に到着した」


 夜陰(やいん)が空間を支配し、周囲は人の気配が感じられないほどに静まり返っている。

 それはまるで、宵の息嘯(おきそ)すらも世界の果てに溶けてしまったかのような錯覚を覚えるほどだ。

 眼前に(そび)え立つ建造物にどこか闇夜に浮かぶ碑石の如き厳かささえも錯覚させられてしまうのは、澪の心の表層を撫でる淡い緊張感によるものであろうか。

 いつも澪が身を窶すスラムの底ではなく、此処は一般市民が数多く生活するエリアの一つである。

 歓楽街という訳でもないので時間帯的に人気も非常に少ないということもあるが、現在の澪の佇まいであれば道を歩いていても不振がられる様相ではない。

 現在澪がその身に纏っているのは、依然のような服と呼ぶのも烏滸がましいほどの襤褸切れではなく、中流層の市民が生活を営む街を何の問題も無く通ることのできるレベルの服装であるのだから。

 人間らしい生活を送るための金銭にも余裕が出て来たため、食べる物を食べその身は幾らか肉付きも良くなり、顔の血色も良好な様を見せていた。

 安物とは言え着る物にも不自由しなくなり、公衆浴場へも通えるようになったため身綺麗になり、スラム以外でもすれ違う通行や店の者に嫌な顔をされることもなくなっていた。

 されど、澪に油断は無い。

 それでも、澪に慢心は決して生まれることは無かった。

 目的を達するその時まで――願いを叶えたその瞬間まで、澪に立ち止まるつもりなどは毛頭無い。

 故に澪は今日も潜み、潜る――鬱蒼とした暗がりを。

 その中で澪は一人、自身の口元に装着した小型マイクへ向かい――|星彩の囁きよりも小さく、小さく、小さな声で言葉を紡いだ。


『位置情報確認――誤差許容範囲、掌握。範囲索敵――生物反応無し、オールグリーン。現在ミオの目の前の存在する、裏口に設置されている監視カメラの映像は既に誤魔化し済みであります。対侵入者用警報装置遮断完了――機能復旧まで残り十分。迅速な行動を推奨します』

「了解」


 囁くように呟いた澪へと返ってきたのは、左耳に装着した小型スピーカー越しに伝えられるナナの声であった。

 それに短く返答し、澪は足早に建物内へと侵入する。

 実行者である澪は当然現場に足を運んでいるわけであるが、クラックに専念するナナにおいてはその限りではない。

 クラッカーは直接的に機械などに触れて作業を行うことも勿論可能であるが、突発的なアクシデントでもない限り、そこには場所と時間と身の安全が確保されているという条件が必要となってくる。

 例外はあれど、クラッカー自体が己の肉体、身体能力を駆使して戦うタイプではないということが一番に挙げられる。

 作業中は外部からの物理的な害意・悪意に対して無防備であるし、それが電脳空間(サイバースペース)に侵入している最中であれば尚更である。

 故にクラッカーはこの場合にナナのように、例えその場所に居なくとも離れた別の場所――少なくとも落ち着いて作業を行うことのできる空間に身を置くことが求められる。

 そして、ナナは現在電脳空間に潜り込んだ後、電子網(ネットワーク)を伝ってのクラックにより、澪と同じ現場に居合わせる必要は皆無なのであった。

 闇に紛れ、影に溶け、迅雷の如く駆ける――とは言え、主なセキュリティはリアルタイムでナナが弄っているので、澪に求められることは、如何に手際良く目的を果たすことに注力できるかという点である。

 つまり、現在澪は空き巣――正確には建造物侵入を経由した、盗人仕事の真っ最中であった。

 電子キーも解除済みの裏口は、取っ手を引くだけで容易く開かれる。

 澪の覗き込んだその先には、長い通路と臭いの希薄な薄暗い空間だけが展開されていた。

 再度、澪はナナへと状況報告を報告を行う。


「裏口より侵入完了――目視範囲に生命反応無し。ナナ、目的への道順を指示してくれ」

『――はい。そのまま真っ直ぐ進みますとT字路に突き当たりますので、そこを左に曲がります。途中に幾つも部屋が存在しておりますが、今回の仕事には関係ありませんので無視していただいて結構であります。取り敢えずは、最初の分岐点であるT字路まで進んで下さい』

「了解――このまま進行を続けるよ」


 目元を覆う暗視ゴーグルにも、熱源反応は無し――それでも万が一のケースも考え得るため、澪は警戒を怠らず慎重に、そして迅速に歩みを進める。

 左耳から聞こえてくるナナの指示だけではなく、周囲の音も一つも聞き逃さんばかりの面持ちで、澪は目的へと向かった。

 空間を照らすのはボンヤリとした非常灯の明かりのみであり、頭上と足下に等間隔で設置させれたそれは、まるで暗澹(あんたん)とした虚空に浮かぶ幾つもの螢惑(けいこく)のようであった。

 そうこうしている内に突き当たりに到り、澪は通信機を通してナナへ次々と指示を仰ぐ。


「とりあえず、T字路を左に曲がったよ――この後は?」

『再び、そのまま真っ直ぐ進んで頂いて結構であります――それから次の十字路を右に曲がって、その後直ぐに有る二つの扉の内で右の扉へと入って下さい』

「了解……っと――あっ、もう十字路も目の前だね。ただ、その……」

『御心配には及びません――カメラや警報だけでなく、通路脇に控える警備ロボットも無視して下さって構いません。当然、其方も方も誤魔化し済みなのでお気になさらず』

「や、それはそうなんだろうけど……銃器も装備してるみたいだし。やっぱり、こう、じっと見られているような感じがしてどうも……ね」

『仰ることは理解できましたが、それはもう我慢していただくしかありません。私のクラックにより彼等(ロボット)視界(カメラ)には、現在何も映っていないはずなので動体センサーも反応致しません――彼らにとっては、いつも通り物静かな深夜の通路に変わりない事でしょう』

「ま、そうだろうけどさ……。とにかく、さっさと用を済ませて帰るとするよ」

『サポートはお任せ下さい――それから、施設の機能復旧まで残り時間八十パーセントを切りました』

「っと、了解。それじゃ、こっちの扉を開けて……」


 ナナの指示通り開いた扉の先は、幾つかも機械が密集する小部屋であった。

 当然と言うべきか、室内は静まり返り、人の気配は微塵も無い。機械の稼働音さえ、ほとんど聞こえてこなかった。

 ナナ曰く、此処こそが今回のお宝の山であり、坩堝の墓標であるとのこと。


「――目的地に到着したよ。ここで良いんだよね?」

『間違いありません。それではミオ、この部屋の中心に位置している――そこから正面に見える基盤へと向かって下さい』


 手早く、澪は移動する。


「えっと……コレ?」

『はい、正解です。それでは、予め渡しておいた端末を接続して下さい』

「ほい、っと――こんな感じでいいのかな……」

『上出来であります――それでは開始致しますので、ミオは念のため周囲の警戒を行っていて下さい』

「了解――」


 その返答を最後に、接続された端末の画面上に澪には不可解な文字の配列が高速で流れ始める。

 それは恰も、大雨の後に過剰に濁った汚水で氾濫している排水路の様に似ていると感じられた。

 しかし、このまま端末画面と基盤を眺めていても澪に出来ることなど何もないので、ナナに言われた通り澪は周囲へと神経を張り巡らせる。

 この部屋自体には澪以外の人間が居ないことなど最初に確認済みであるので、警戒の先はこの部屋の外――通路である。

 ナナを信頼しないわけでもないが、彼女も懸念する通り万が一ということも想定しておかねばなるまい。

 一応、澪も最低限の武装としてハンドガンの一丁くらいは所持しているが、実際に人間を打ったことの無い腕では心許なかったりもするのだ。

 高反射神経や照準システムでも入れる(・・・)ことが出来れば、その辺りの事情や澪の生存率も上昇するのであろうが――それにもまた、金が必要である。

 金、金、金。

 澪だけではなく、この世界で人間が人間らしく生きてゆくために――他者からの不条理な悪意から身を守るためにも、やはり金は必要だ。


『九十八、九十九――コンプリート。データコピー完了であります。ミオ、目的は果たしました。セキュリティシステム回復まで残り時間三十パーセントを切りました。此処から迅速に脱出しましょう』

「……っ! りょ、了解っ」


 澪が詮の無い思考に埋没している内に、ナナからの作業完了通知が左耳へと届く。


『急いで下さい。時間切れは、警報の作動と通報――そして、あれらの警備ロボットの起動を意味します』

「わかってるよ――お縄も蜂の巣も御免だからね」


 そうして、手早く端末をポケットへと仕舞い込んだ澪は小部屋の扉を開けて、一目散に出口へと駆け出すのであった。

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