無敗と称号
三話の三です。
一話四分割でお話しすすめてます。
四谷見附から学園内へ一歩足を踏みいれると早朝にも関わらず、ランニングを行う数十名の団体の掛け声が彼方此方で聞こえてくる。
早朝から活気あふれる学園内は朝練に励む学生だけでなく、園内に建てられた学生寮から朝食を求めてフラフラとコンビニへ買い出しに出てくるジャージ姿の人達も見受けられ、徹夜明けの大学生と汗を流しながら走り込む高校生の対比は朝のいつもの光景だ。
戦場ヶ原学園は外堀を囲む環状線『外堀モノレール』と内側の各エリアを結ぶ『学園路面電車』が主な移動手段となっている。それ以外にも自転車部を主軸とした学生が運営する人力車がポピュラーな移動手段であり、お手頃な値段設定が人気を呼んでいた。
稼ぎ時の登校時間と夕方の移動ラッシュ時には○の中に駆の字が書かれた駆屋の人力車が学園内を賑わすのもこの学園ならではだ。
さすがに今の時間から稼働している駆屋は少なかったが、今でも数台が停留所に待機している。
数人で立ち話をしていた車夫たちから、見慣れた一人が私を見つけると人力車をひいて駆け寄ってきた。
「おはよう姫様。今日も相変わらずお美しい」
「おはようございます。褒めても何もでませんよ?」
「なに言ってるでい、俺は毎朝姫様の顔を拝んでるだけで幸せいっぱいよ。今日はどこまで行くんだい、よかったら乗っていくかい」
「う〜ん、どうしようかな。今日は内郭の生徒会総本部まで行かないといけないの。遠いし路面電車をつかうわ」
「なんでい、なんでい、俺っちそんなこと気にしないよ。姫様のためなら地の果てだって行ったらぁ。つれないこと言わないでお乗りなさいよ。もちろん料金はいらないよ」
「ありがとう征さん。では、お言葉に甘えて」
車夫の征さんが腰を落とし、踏み台を用意してくれる。
私はそれを足場に人力車へ腰を下ろした。
征さんは颯爽と走り出し、四月も下旬へとさしかかった小春日和の中、冷たい風が清涼剤となって私の頬を撫でていった。
人力車の移動は、一駅ごとに停まる路面電車よりもかなり早く内郭へと辿り着き、上に羽織った薄手のカーディガンを通り越して染みこむ冷風から身を隠すように建物へと移動する。
予算分配説明会と書かれた会議室の扉を開けると、太陽が燦々と輝く真夏の熱気が私へと降り注いだ。
江戸城西の丸があった場所に建設された生徒会総本部の大会議室は最大収容人数が三千人と、規模の大きい部屋にも関わらず階段状に並んだ座席には部の代表または代理人達が所狭しと席を埋め、さながら野球の応援スタンドのようだ。
集合時間を間違えたかしら。
腕時計、会議場に架けられた時計へと視線を走らせ時間を確認する。
どうやら私の時計が遅れていた、なんてオチではないみたい。
かなり早い時間に着いたつもりが、中央にいる役員席には総合生徒会会長、書記、会計、各支部生徒会役員が座っていた。焦りを押さえつつ脇の通路をなるべく走らないことを意識して駆け下り、役員席中央にいる天王寺会長たちへ頭を下げた。
「会長、みなさん、申し訳ありませんでした! 私が一番最後に到着するなんて」
「いやいや、神導さん顔をあげてください。まだ皆さん集まったわけではありません。ただ運動部の奴らは血の気が多……ゴホン、朝練があるために早く集合する傾向があるんです。我々はそれを知っているから予定時刻よりも早めに着座していただけです。まだ来ていない役員もおりますし、部活連も揃っていないようです。君が気にすることなど何一つありはしない!」
天王寺会長が口を開く前に一つ後ろの席に座っていた響鬼先輩が立ち上がり力説してくれた。
「ありがとうございます。響鬼先輩」
「あー、僕が言おうと思ったことを響鬼君に言われてしまったよ。おはよう椿姫くん」
爽やかな笑顔で挨拶をする天王寺会長の口元が、一昔前にあった歯磨き粉のCMみたいに、白く美しく光輝いた。
天王寺フラッシュとファンの間で絶賛される輝きは、毎回倒れる女性がいるほど眩しい。あの輝きは何か仕込んでいるのではと疑っていた私は、まばたきを我慢して会長の歯を凝視しているのだが、未だに目をつぶらずにはいられない。
「おはようございます、天王寺会長」
「彼が言ったように、君が集合時間に遅れたわけではないので安心して。あと十分ほどで予定時刻だ」
彼の隣に用意された副会長の座席に着くと、会場からため息が漏れ聞こえてくる。
周りの好奇な視線に晒されるこの瞬間は未だに慣れそうもない。
埋まっていると思っていた座席は、響鬼先輩が言っていたようにいくつかの空席が目立ち、そのうちの一つは確実に第零茶道部に違いないのだが、その他にも紫電流空手部など有名所も来ていないみたい。
予定時刻がきても席は埋まることはなく、天王寺会長がマイクを片手に立ち上がり、説明会がスタートした。
「みなさん。おはようございます。総合生徒会会長の天王寺です。これより部費争奪戦の説明会を致します。二、三年生は知っているかと思いますが、去年から若干ルールが変わった箇所もあります。また、新一年生の代表の方も数名おられますので復習と思って聞いていただければ幸いです」
争奪戦ルール
1、部費は各部の代表に校票(学園内でのみ有効なお金)として配布。
2,我々が公式認定している立ち会い人のいない争奪戦は認めない。
3,立会人は高等部教師、生徒会役員、風紀委員、立会人執行部、剣技会委員とする。
4,立会人なき部費の移動があった場合、異議申し立てが起こった場合、それは略奪と判定し、お互いのクラブは厳重注意と争奪戦の参加資格を剥奪。
5,神器を使用した決闘を公式に認める
「まじか」
「うわ、大胆な決定をしたな」
「剣技会を待たずにそれやるか」
会長が五番目の条項を読み上げたとき、静かな水面に波紋がひろがるようにざわめきが広がっていく。
神器を使った決闘を認める。これがもつ意味合いは、この学園内に通うものにとってはかなり大きい。
この条項を巡っては剣技会委員を交え、生徒会内部でも大いに揉めた。
私を含めて反対意見は半数以上を占めていたのだが、天王寺会長の鶴の一声が形勢をひっくり返した。
彼の人望は生徒会内外で厚く、そこからの逆転劇などありえようはずもない。
「以上が今年の大まかな争奪戦ルールとなります。細かいルールは各自に配布しているルールブックに目を通してください。ここまでで何かご質問がある方はいますか?」
喧騒さめやらぬ会場には、何人か意見を述べようと腕をまっすにあげ、会長に指名されるのを待っている。
そのどれもがきっと五番目に提示されたルールのことなのは自ずとわかっていた。
会長から痩身の男性が指名され、近くにいた生徒会役員からマイクを手渡される。
「ども、第八サッカー部の河野です。ルール事態は大まかに変わってないけど、五番目のルールはどこまで適用されるんですか?」
「適用と言われますと?」
「あー、なんだ、俺って言葉にするの苦手じゃん? うーん、つまり、神器を使用した決闘を“公式”に認めるってことはさ、無敗十傑に挑んで勝った場合、称号はどうなるのさ」
「なるほど。その事に関しては後から言おうと思っておりましたが、他に何人か手を上げている方で、それ以外の事を聞きたい方はおられますか?」
先ほどまで上げられていた腕があがることもなく、誰もがそのことについて早く聞きたいと掻き立てていた。
「わかりました。他の意見がないようなので、この件についてお話しします。
これまでの争奪戦でも神器を使用した戦いは数多く見受けられました。しかし、前年までの争奪戦ルールでは神器を使用した戦いは認めておらず、発覚した場合は全て無効試合となっていたのですが、今回から使用を公式認定致します」
聞きたいのはそこじゃねーぞ。早く称号について言えや。ちょっとうるさい! 天王寺さんの声を遮るなブ男共。
野次が飛び交い、先ほど以上に会場が騒がしくなるなか、会長は淡々と説明を続けた。
「皆さんがお聞きになりたいことは良くわかってます。剣技大会以外で公式に神器を使用した戦いを認めるということは、当然のことながら無敗の称号も移動致します」
うおおおおお、せり上がる地響きにも似たそれは会場中に広がり一気に爆発した。
それだー、よくいった、私もそれが聞きたかった。会場内はスタディングオベーションが巻き起こる。
無敗。それは武を極める人間には心地よいほど耳にしみこむ魔性の言葉。
人は産声をあげ、己が手に神器を持ったときから、この言葉にとりつかれる。
人は無敗のままに生き抜けるのか。
答えは否だ。
無敗十傑の称号を手にしている私でさえ、学力テストを勝負の場とするなら、全校でも三番目であり、本道の剣では祖父に勝てたこともない。
私は無敗ではない。では、この学園で言われている無敗十傑とは何か。
学園内で行われるイベントは数多く、体育祭、文化祭に並び学園内でもっとも盛り上がる神器を使用した『剣技会』を勝ち抜いて、はじめて得ることができる称号、それが『無敗十傑』だ。
広い学園に設置される武道会場は十あり、そこで行われる大会で優勝した者のみが『無敗十傑』を名乗ることが許される。
大会参加資格は厳しく、一度でも『剣技会』で敗れた者は永遠に大会出場の資格を剥奪され、歯を食いしばり、羨望の眼差しで勝者の行く末を見据えるしかない。
称号はただの名誉的な扱いではなく、学園内では様々な恩恵を受けることができる。
例えば学費免除や必要な備品の配給、望むなら寮生活の補償や海外留学の資金援助等々。
十兵衛が零部の予算が出ないと聞いて余裕なのも、この称号を持っているからだ。しかも、あそこは十兵衛と如月さん、『無敗十傑』が二人もいる希有な存在として入部当初から各クラブの注目の的だった。
中等部から大学院まで有効なこの称号を手にしたいと思う学生は数え切れないほどいる。
何よりこの『争奪戦』で称号を奪うことが出来る有利さは誰もが理解するところだった。
中等部から大学部まで参加する剣技会では人数的に倍率も高く、それらを勝ち抜くことに比べ、今回の争奪戦は高等部のみを対象とした戦いであり、無敗十傑に直接戦いが申し込めるとなれば、色めき立つのも仕方がない。
ましてや、十兵衛は指名手配を受けている。
指名手配をうけた学生は基本的に対戦を拒否できない。
私の心配をよそに、一度火がついた会場の熱気は下がることもなく、誰もが有頂天となって閉会した。
「はぁ」
会議室から最後の部長を見送り、扉を施錠した私は嘆息した。
「神導さん。心配には及びません。今回の争奪戦では、我々生徒会は執行部となります。ですから、あなたは決闘を申し込まれることはありません」
「如月先輩。今回のルールでいの一番に狙われるのは高等部の無敗十傑称号保持者たちです。私もその一人ではありますが、自分のことを心配しているわけではありません。高等部の称号保持者は六人、そのうち、天王寺会長と私を除けば四人が危険に晒されるんですよ」
「真っ先に十見が狙われますな」
嬉しそうに十兵衛の名前を挙げる響鬼先輩のにやけ面がカチンとくる。
いつも十兵衛を目の敵にするこの人は何なのだろうか。
「響鬼先輩、もう一度会長に考え直すように言ってくれませんか」
「天王寺君に!? いやぁ、彼も頑固なところがあってね、私なんぞの意見で翻すような男では」
「そうですよねぇ」
あれ? いや、もうちょっとお願いしてくれてもいいよ。僕は役に立つ男だよ。
置き去りにした響鬼先輩が後ろで何か言っているのを無視して、一限目の授業を受けるべく足早に生徒会本部を後にした。
十兵衛、役に立てなくて御免ね。
◆
午前の授業も終わり、校舎から解放された学生達は学生食堂や民間企業が建てたレストランへと散っていく。
私はお昼を一緒に食べようという友人たちの誘いを断り、お弁当を持って十兵衛にメールした。
【今どこ? お昼一緒に食べない?】
返事は数秒で戻ってきた。
【我、今潜伏セリ。昼飯了解。第五隠家ニテ】
第五か。ここから少し歩くけど、十兵衛も追っ手を巻きながらくるから丁度良い頃合いか。
少し浮かれていた私はいつの間にかスキップをしていて、周りから囁き声で「姫さまが浮かれているわ」「姫ちゃん可愛いな」などの言葉が風にのって耳に届き、顔が赤くなる。
注目を浴びたまま隠れ家に行っても、用心深い十兵衛が顔を出さない可能性が高くなる。
少し遠回りになるけど、人目を避け裏路地をまわって行くかな。
後ろから誰も追ってこないことを確認しながら細い路地をいくつか曲がりくねり、何本かの裏路地を通り過ぎた頃、奥の方から押し殺した声が耳朶に入り込む。
男女の押し殺した声量の言い合いに、私は耳をそばだてることを躊躇った。
以前十兵衛に男女の密会が多い路地裏のマナーは見ざる聞かざる、あまり関わらないことと忠告を受けていたからだ。
ところで十兵衛、言わざるはいいの?
もしこれが男女の睦言なら私の行動は完全にお節介になる。戸惑いつつも、隠れ家へ行く道を歩き出したとき、奥の路地裏から女性の甲高い声があがった。
「それくらい自分でやったらいいじゃない。いい加減、この手を放してよ!」
「あんだその口の訊き方は! いつからテメェは指図できるほど偉くなったんだコラァ」
怒鳴り合いのあと、何かを蹴飛ばすような激しい物音が通路に轟き、脇道から飛び出してきた女性と私の目が合ってしまった。
女性は私をみると身体を硬直させ、後から追ってきた男が女性の腕を掴むと、ものすごい剣幕で声を張り上げる。
「鞘花てめぇ、舐めた真似しやがって! どうなるかわかってるんだろうな! おお、コラァ」
男は乱暴に鞘花と呼ばれる女性を突き飛ばし、彼女は抵抗する間もなく壁に背をぶつけてしゃがみ込む。
「おやめなさい! 殿方が女性に乱暴するなんて見苦しい」
「んだてめぇ、ジロジロ見てたうえに説教くれるとは何様だコラァ」
左耳につけた三連ピアスを見せびらかすように茶色く染めた長い髪の毛をかき上げ、男は私へ恫喝を浴びせた。
素肌にスカジャンを羽織り、ジーンズにスニーカーを履いた男は視力が弱いのか目を細めて私を見たとき、ひるんだ様子を見せ一歩後ろへ下がった。
「て、てめぇ、神導椿姫か……」
「濁っているからわからないと思っていましたが、目はちゃんと見えるようですね」
「あんだと。舐めた口聞きやがって、総合生徒会副会長様だが知らねえが、偉そうな口聞いてるじゃねぇぞ」
「あなたこそ、いつまでチンピラ口調で人を恫喝するつもり? 恥ずかしいと思わないの」
「このアマァ」
激高した男は腰から黒い柄に刃渡り三十センチほどのボウイナイフを身構え、半身となってそれを突き出す。
『うほぉ。いい女。早くこいつを切り刻みてぇぜ』
下卑たどこか人を嘲る声がボウイナイフから聞こえ、それを手に持つ男の薄ら笑い声と重なる。
これが彼の神器か。
「学園内の神器使用は果たし合い以外は禁止されています。すぐに納めなさい」
「は! どこの優等生だよ。裏じゃ誰もが神器をつかって戦っているぜ」
「神器を使うこと、覚悟はあるんでしょうね?」
「何の覚悟だ、よ!!」
私が持っている赤鞘の長い刀身を一瞥し、狭い裏路地でそれを抜くのは不利と判断したのか、男はナイフを小刻みに突き出し、調子に乗ったまま私の間合いへと簡単に足を踏み入れる。
挑発するように突き出されるナイフを半歩後退して右にかわし、赤鈴の柄へ手をかけると一気に抜刀した。
相手と十分な間合いさえあれば佐々流抜刀術に狭さなど関係ない。
チリンと涼しい鈴の音が通路に響き、抜き放たれた刀身が下から上へと切り上げ、相手のナイフをはじき飛ばすと、ボウイナイフは側壁に突き刺さった。
「ぎゃぁ」『ぎゃぁあ』
ナイフと男の二重奏となって声が通路を彩り、相手は右手を押さえて蹲る。
左手で押さえられた右手は手首から先がだらりとぶら下がり、折れていることが一目でわかった。
『なんじゃ、誰かと思ったら土筆ではないか』
『げ! 姉御!』
残心の身構えで刀身を男に向けたままでいると、珍しく赤鈴が声をかけた。しかも相手は人ではなく、男の神器に対して。
『下種の声が聞こえてきたかと思えばお主であったか』
『これは姉御お久しゅう。あっしも姉御が相手だと知っていれば、主に忠告したものを』
『お主も人界に身を置くのなら主と一緒に格をあげよ。今のままでは以前のままぞ』
『へい。面目ありゃしません』
ボウイナイフの声はシュンとなって縮こまり、黙ってしまう。赤鈴もそれ以上は語らず、私は彼女を鞘に納める。
「うう、痛てぇよ。クソアマーどうなるかわかってるんだろうなぁ」
右手を押さえながら怨嗟の籠もった眼差しを向ける彼に、今度は私が脅しをかける。
「あなたの神器は手元になく壁に刺さったまま。これがどういう状況かわかっているの?」
男は顔をさっと紫色にまで染め上げると、右手を押さえたままフルフルと小さな小型犬のように震え始めた。
私が鍔鳴りの音を出すと、
「ひぃい」
彼は恐怖に満ちた声を上げて地面へ顔を伏せる。
突き刺さったナイフを抜いて彼に放り投げると、それを手に持ち脱兎の如く逃げだした。
神器は持ち主を守る神的存在だ。仮に私が何かしらの怪我を負ったとき、赤鈴がその身を傷つけて私を守ってくれる。
それだけに神器を身につけなていないときに受けた攻撃は、本人をダイレクトに傷つけ、死ぬ可能性は格段に跳ね上がると子供の頃から繰り返し教えられてきた。
普段強がっている人でも、身体から神器を手放すと一歩も踏み出せない『痛がり屋』は数多くいるほどだ。
主と神器の関係は逆も然り。
男のボウイナイフよりも私の抜刀術と赤鈴の神格が彼の神器を凌駕したため、ナイフを弾いたときに刃こぼれしたのか、そのダメージが主人へと跳ね返り右手を骨折させたに違いない。彼は骨折を治すために整骨院へ行くか、刀工のところへ駆け込み治療を受けることになるだろう。
神器によって受けたダメージは刀工が修理したとき、主が背負った傷も一緒に回復してくれるのだから。
男の背中が路地裏を曲がり、消え去ったことを確認して、倒れたままの女性を助けおこす。
彼女はどこか不機嫌な顔をしたまま、スカートに付いた土埃を叩き払い、私へと顔を向けた。
「助けてもらってありがとうございます。……なんて、言うと思いました?」
「え?」
一瞬何を言われたのかわからなかった私は、驚いた顔を彼女に向けてしまった。
お礼を求めて救出したわけではない。それは確かなのだけど、面と向かって言われてはこちらとしても気分が害される。
「いま助けて損した。そう思いませんでしたか。別に助けてくれって頼んではいませんよ。私だって、あいつをぶちのめす機会を狙ってたんだから。あなたが私よりも先に手を出しただけ」
「そうだったの。ごめんなさい」
「謝らないでください。私をよりいっそう惨めにしたいんですか」
「……」
どうしろってのよ。
なぜこの人はこんなにも憎しみに満ちた目で私を見つめてくるの。
「私は高等部二年の秋風鞘花です」
「先輩でしたか。失礼しました。私は神導椿姫と言います」
「知ってるし。その態度も鼻につく。あんたさ、天王寺会長に反抗したらしいじゃない。争奪戦を無くせとか会議で言ったんだって? 何様なの」
天王寺会長のファンなのかな。
普段何かと一緒に行動することが多くなった私に、彼のファンがちょっかいを出してくるのは日常茶飯事だったけど。
彼女もその一人だとすれば、やっかみなのだろうか……。
「私は別に反抗したわけではありません。ただ、いつも争乱の元になる争奪戦を無くせば、争いや傷つく人もいなくなるのではと意見したまでです」
「はっ。どこまでその態度が本気なんだか。あんたさ争奪戦の意味をわかってる? 誰だって好きこのんで怪我したいわけでも、争いたいわけでもないわ。学園は私たちにチャンスを与えてくれているのよ。強い奴らにはより多くの予算が行き渡り、弱小新興クラブは一生弱いままでいいと思っているわけ?」
「そんなことは思っていません。それに弱いクラブは地力をつけ実績を残していけば、来年度には予算も多くつきます」
「来年とか知らないつーの。ほとんどの人間が『今』を生きているのよ。卒業したあとに後輩達が大会に優勝しても、それは後輩達のもの。私には何も関係ないじゃない」
人通りが少なかった路地裏も先ほどの乱闘のあとだけに、物陰に隠れていたカップル達が顔を出し、私たちのやり取りを遠巻きに見つめていた。
秋風さんは好奇の視線に晒されるのを嫌い、身を整えると私の横を通り抜けていく。
彼女はすれ違いざまに、
「椿姫さんみたいに強い人には私の気持ちなんてわかりっこないんだよ」
そう呟いて立ち去っていった。