未知の感情
「はい、じゃあこの術式を組んでみて」
「ん……こう……?」
「それでも発動はするけど……少し触るね」
家の裏手、少しスペースのある庭でヴェルの手に触れる。彼女の組んだ術式を直接繋ぎ直し、最適化していく。
そうして完成した魔法は、ただ火を点けるだけの簡単なものだが、ヴェルは初めての魔法にとても興奮していた。
「わ、凄い! スクロールなしでも魔法が使えたわよ!」
「元々脳内でやってる手順を紙の上でやるのがスクロールだからね。じゃあ、今度は自分一人でやってみて」
「分かったわ! そこで見てなさい、すぐにアンタのこと追い越してやるんだから!」
「うん、ヴェルなら少し特訓すれば私を越せるよ。たった数日で魔法が使えるなんて、凄い才能だ」
実際、全くの未経験から数日でここまで至れるのはかなり筋が良い。私は少し嬉しくなって、ヴェルの頭を撫でた。少し歳の離れた妹にしていた、手癖のようなものだった。
「あ……もう! 子供扱いしないで! こんなの、全然大したことないんだから!」
「じゃあ、次の課題をあげる。この本の……コレね。応用だから少し難しいけど、頑張ってね」
「ん~……ねぇ、組み方は分かるけど、どうして此処を簡略化しないの? そうすればもっとコンパクトになるのに」
「制御が難しくなるからね。でも、もしこの術式をきちんと制御できたなら、次は簡略化をしてみると良い。魔法は使う人によって組み方も使い方も違うから」
そう言って反抗はするものの、ヴェルは私の手を払うことはなかった。むしろ私に身体を預け、新しい質問を投げてくる。
ウルズ達を招き入れて5日。その中で一番当たりのキツかったヴェルも、すっかりと気を許してくれるようになった。
どうやら、猜疑心が強い代わりに一度懐に入れてしまえば、とことん甘くなるタイプのようだ。
「なるほど……でも、テレスの魔法はみんな教本通りだよね? アレンジとかしないの?」
「私は構築が下手なんだ。だから、少し指向性を変えると……」
先ほどヴェルが使ったものと同じ、点火の魔法を使用する。火が点くというところまでは同じだが、その火が指の上で渦巻くように術式を組む。
「どう、見えた?」
「うぇぇぇ……? なに、コレ……ぐちゃぐちゃじゃん……」
「うん。別にわざとやってるんじゃないけど、こうなるんだ」
本来、術式を組むセオリーは簡略化と効率化だ。可能ならどちらも、両立が叶わないならどちらかを十全にするのを目標にする。
だが、私はその作業が壊滅的に下手だった。そのために、私は基礎レベルの魔法すら、教本通りの丸写し術式を使っている。応用すると、思わず顔を顰める程度には汚い術式が出来上がってしまうから。
「ここがこうなって、えぇ……? でも、発動はしてるし……」
「ね? だから、私のはお手本に向かないの。ヴェルはもっと自分にあった組み方をするんだよ」
「言われなくてもそうする」
あと数ヶ月もすれば、彼女に渡した本の術式程度なら全てマスターするだろう。そうすれば、私に教えられる魔法も殆ど無くなる。
その後はヴェルに使い方を任せるつもりだ。それを使って金を稼ぐのも、自衛のために使っても良いと思っている。
「ね、ヴェル。魔法書を渡す時に言ったこと、覚えてる?」
「……魔法の使い方の話? 安心してよ、変なことには使わ――」
「それは前提の話。本当に必要だと思ったら、迷わずそのために魔法を使って。たとえそれが、誰かを傷付けるとしても」
「え……? で、でも……魔法は使い方によってはとても危険だって、テレスが……」
ヴェルに魔法を教えることになった時、私は彼女に一つの教訓を教えた。それは、魔法が扱い方によっては人を殺しうる技術にもなるということだ。基礎の魔法でも人に向ければ傷付けられるし、最悪殺していまうだろう。
当然、それは他の物事にも同じ事が言える。薬学も、医療も、日常の些細な道具だって、扱い方一つで危険なものへ様変わりしてしまう。だから、私が伝えたかったのはその先のことだった。
「重要なのは、ヴェルが魔法を何のために使いたいのか。それがとても大切なの」
「何の、ために……」
「ウルズやスクルドを守るために使いたいなら、その技術を磨けば良い。お金を稼ぐ力にしたいなら、どうすればお金になるのか考えれば良い。ヴェルはこの力を、どう使いたい?」
私は間違えてしまった。いつか語り合った夢を忘れ、使い方を誤り、沢山の人を殺した。ヴェルには、そんな末路を辿って欲しくない。そんな思いから、私はヴェルに問いかけた。
「私、は……一人でも生きていけるように、強くなりたい。おねぇやスクルドを守れるようになりたい」
その紅い瞳には、強い決心が宿っていた。今後、その決意がどう変わるのかは分からない。けれど……私は、ヴェルの覚悟を信じたい。
「そっか。じゃあ、その思いを忘れないでね」
「ん……分かった」
その後も、ヴェルへの指導は続いた。水を吸うように知識を飲み込む彼女に対抗し、つい熱が入ってしまった。
「………………」
そんな私達を見つめる、黒髪の少女に気が付かないほどに。
11
夜が深まり、辺りが静まりかえった頃。私はおねぇ達と眠る布団から抜け出し、とある場所へと歩を進めた。
お姉さんの仕事部屋の隣。目的の人物が眠っているであろう、入ったことのない一室だった。
「お姉さん。入る、ね」
ウルズねぇはお姉さんのお仕事を手伝い、製薬について教えて貰っているらしい。家事や細かいことにも良く気が付いて、お姉さんの生活を助けている。お姉さんに頼られているのがとても良く分かる。羨ましい。
ヴェルねぇもまた、魔法についてお姉さんから教わっていた。何だか距離が近くて、今日も仲良しさんだった。とってもずるい。
もうすぐ約束の一週間。そうなれば、お手伝いをしているウルズねぇや、魔法を学んでいるヴェルねぇとは違って、私とお姉さんを繋ぐ関係性は途絶えてしまう。
私は焦っていた。私にはウルズねぇのような献身さも、ヴェルねぇのような魔法の才能は無い。だから、とある思いつきで強引なことをしようとしてしまったのだ。
「よし……これで……」
それはおねぇ達にも話していない、私の力。『亜人』と呼ばれる種がごく稀に獲得する特別なもの。まだ私のものは弱いけれど、眠っている人へ使うには十分だった。
そして……私は見てしまった。お姉さんが抱える闇。お姉さんの歪な精神が作り上げられた、地獄の風景を。
「ぅ、あ……!?」
「誰だ、お前。どうやって結界を抜けて……って、スクルド?」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
濁流のように押し寄せるあまりに酷い光景に呆けていると、私の身体は宙を舞っていた。
凄まじい殺気だった。お姉さんが私だと気付くのにもう少し時間が掛かっていたら、確実に首を折られていた。その事実が、私の心を完全に打ち砕いた。
ボロボロと涙が止まらなかった。私が悪いのに、まるで被害者のように泣くしかできなかった。それくらい、あの一瞬のうちに覗いた闇とお姉さんの殺意は恐ろしかったのだ。
「ごめんなさい、お姉さん……!」
「……私こそ、ごめん。怖かったよね」
「う、うぅ……!」
お姉さんの手が、私の背中を擦っていた。私はお姉さんに縋り付くように抱き着いて、自分の身勝手さを恥じることしかできなかった。
「落ち着いた?」
「ぐすっ……急にごめんなさい、お姉さん」
「なら聞いても良い? スクルド、貴女は……」
お姉さんの目が、私の瞳を見つめていた。たった一度使っただけでバレるなんて、お姉さんは凄い人だ。おねぇ達には、これまで気付かれることはなかったのに。
「うん……私は、生まれつき魔法みたいな力が使える。人の記憶や精神を覗く、特殊な眼の力が」
「『魔眼』……なるほどね、変な魔力の正体はソレか」
「それでね、お姉さん……私、見ちゃった。お姉さんの、記憶を……」
「…………どこまで、見たの?」
「見えたのは……人が沢山死んでいるところと、後は……お姉さんがお墓の前で泣いてるところ」
グロテスクな光景は確かにショッキングだった。戦争の風景は私が考えていたものよりも遙かに残酷で、容赦がなかった。
それでも、それ以上に痛かったのは……お姉さんが感じた苦しみを、まるで自分の痛みのように追体験してしまったことだ。後悔と罪悪感、自己嫌悪と絶望が混じったその痛みは、あまりに耐え難い苦しみだった。
「ごめんね……そんなもの、貴女が見る必要はなかったのに……」
「違う! お姉さんは悪くない! 悪いのは私。私だから!」
だから……そんなに辛そうな顔をしないで。私が一瞬だろうと耐えられない苦しみを、お姉さんはずっと受けているのでしょう? お姉さんがこれ以上苦しむ必要なんて無い。お願いだから、もう自分を責めるのは辞めて。
「お姉さんのせいじゃない……! お姉さんは悪くない!」
「…………ありがとう、スクルド」
私はお姉さんのことを強く抱き締めた。あれほど大きく見えたお姉さんが、今は傷付き、行き場に迷う私達と変わらない少女のように見えたから。
そんな傲慢な行いを、お姉さんは優しく受け入れてくれた。自分が救われるためではなく、私がこれ以上傷付かないように、そうしてくれていた。
悲しくて仕方がない。だって、お姉さんは私の行動で僅かにだって安らいではくれないのだ。ただ、古傷を開いただけ。私の思いつきのせいで、お姉さんを傷付けてしまった。
「ごめんね、お姉さんっ……!」
拭えない痛みと悲しみが、ずっと私の心の中を占領していた。ズキズキと痛むその感情は消えることがなく、むしろ肥大化しているように思えた。
それと同時に、私の中には一つの願いが産まれていた。使命感と言い換えても良い。私がこの場所で果たすべき目標が、確かに見えた気がした。
お姉さんを救うこと。それが、私のすべきことだった。私なら……私だけは、お姉さんの苦しみを分かってあげられる。お姉さんの全てを、知ることができる。
そのためにはもっと、もっとお姉さんを知らないと。この人が救われるその日まで、私が隣でずっとずぅーっと、そうしてあげないと……
私はそのために、お姉さんと出会ったのだ。
きっとそうに違いない。
暗闇の中、私はお姉さんを抱き締めながら、ぐるぐると頭を回していた。多分、私はおかしくなってしまったのだと思う。
だって、こんなのはどう考えてもおかしい。痛くて、辛くて、苦しいのに……それがお姉さんのものだと思うと、何故か鼓動が早くなるのだ。もっと欲しいと、身体が求めてしまうのだ。
「スクルド……? そろそろ離し――」
「やだ。まだ、こうしてたい」
私は未知の感情に震えながら、しばらくの間ずっとそうしていた。これから生涯に渡って悩まされることになる、『 』との出会いだった。




