第20話 神域の終焉と、二週間の「空白」
二階の自室、その中心で俺は最後の一削りを終えた。
指先から伝わっていた粘土の粘り気が消え、代わりに世界そのものが「完成」の振動に震えた気がした。
「……できたッ!!!」
吠えた。喉が裂けるかと思うほどの咆哮。
視界が白むどころか、逆に世界がかつてないほど鮮明に、高解像度で脳に突き刺さってくる。
琥珀の加護が細胞一つ一つを活性化させ、紅羽の熱が神経を焼き、翡翠の知性が脳内の情報処理を最適化し続けていた結果だ。
どれだけの時間をこの一尺四方の粘土の塊に注ぎ込んだのか、もはや俺には分からない。
だが、目の前には「それ」があった。
三柱の胸像。
琥珀の像は、万物を包み込む慈愛を湛え、そこにあるだけで周囲の重力が安定するような重厚さを放っている。
紅羽の像は、今にも空間を焼き焦がさんばかりの躍動感を纏い、石膏の肌からは熱を帯びた色気が溢れ出していた。
翡翠の像は、凛冽とした冬の空気のように研ぎ澄まされ、計算し尽くされたラインが静謐な美を記述している。
「よし……行くか」
俺は魂の化身とも呼べる三つの胸像を背負い、一階へと降りた。
衣服は汚れ、手や顔にも石膏の粉がこびりついている。けれど、琥珀たちが放つ加護のせいで、心身はかつてないほど研ぎ澄まされ、疲労感という概念そのものが脳内から消去されていた。
だが。
階段を下りきり、リビングのドアを開けた瞬間、俺は自分の「時間感覚」が粉々に砕け散るのを感じた。
「あ、創。お疲れ様、ちょうどいいところよ」
キッチンで振り返った母さんの隣には、当然のように琥珀がいた。
彼女が手際よくフライパンから皿へと滑らせたオムライスは、黄金の輝きを放つ「聖餐」そのものだ。立ち昇る湯気と共に放たれる圧は、一口食べれば不老不死にさえなれそうな神々しさに満ちている。
「マスター。二週間ぶりの食事、まずはこの『おむらいす』で土台を整えてください」
「……二週間? おい、今なんて言った?」
俺の問いに答えたのは、ソファでスマホを叩いていた結愛だった。
その姿を見て、俺は再び絶句した。結愛が着ているのは、紅羽が火で炙り、再構築したという「朱雀ジャケット」の究極体だ。繊維の一本一本が生きている炎のように光を反射し、妹を「一国の王女」のような気品で包み込んでいる。
「お兄ちゃん、やっと出てきた。紅羽さんのおかげで課題は満点確定だけど……私の実力だけじゃないから、少し悔しいのよね」
結愛のスマホからは、絶え間なくSNSの通知音が鳴り響いている。
その隣で、紅羽がニヤリと笑いながら結愛の肩を抱いた。
「いいじゃない、これも立派な才能よ。悔しいなら、これからもアタシのセンスに追いつくまで精進しなさいな」
呆然とする俺の視界の端で、父さんの書斎から翡翠が出てきた。
父さんの手には、翡翠が弾き出したのであろう「未来の都市計画図」と見紛うばかりの超建築の図面が積み上がっている。
「……主、意識の帰還を確認。現在、泰三との共同作業により、一分ごとに資産が百万円のペースで増殖中です。運用は完璧、結城家の財政に隙はありません」
翡翠は淡々とタブレットを眺め、父さんは満足げに頷いている。
……俺だけが、あの部屋の中で時を止めていたのか?
いや、違う。
俺が抱えるこの三柱の像を見れば分かる。
琥珀が素材を清め、紅羽が俺の情熱を絶やさず、翡翠が造形のロジックを支えていた。
この家全体が、俺が「神」を彫り出すための巨大な共鳴箱として機能していたのだ。
「……みんな、ただいま。最高の資料のおかげで、とんでもないものができた」
俺が魂の結晶である胸像をテーブルに置くと、三人の女神がそれぞれの「自画像」を前に、初めて静かに、誇らしげな微笑みを浮かべた。




