7・終章 家督継承
謎植物越しの窓から、陽の光が差し込む。
周囲にこの図書館以外の建物はなく、街の灯も届かないため、カーテンがなくても夜はちゃんと暗い。星が賑やかだが、慣れれば、眠りを妨げるほどでもない。
今日は俺が朝食当番のため、樹精獣たちとヨルの分を作る。
ヨルもそれなりに料理が作れるようになったが、俺から言わせれば、まだまだ無駄が多い。
太歳の一件から帰って来ると、部屋は拡張され、ヨルの分のスペースが出来ていた。
部屋に帰ってきてすぐには気がつかなかったが、リビングのソファーに座って寛いだ瞬間「何だあれ!」と二度見の勢いで、変なところに空間が足されているのを発見した。
俺の部屋は、ドアを開けるとすぐにリビングダイニングがあり、左にキッチン、右に本棚や洋服棚などがあり、さらに右側に、両手をついて這い上がったところにあるスペースを寝床としている。
ドアから入った正面全てガラス張りで、俺の寝床の上の天井もガラス張りだ。樹精獣が何処からか持って来た観葉植物的なものがそこかしこにあるため、温室の中にいるような気分になる。そして、ドア側の壁だったところの高い位置に、ぽっかりと空間があき、ロフトというには高すぎる位置に、秘密基地感覚のスペースが出来ていた。
何でそんなところに、と思わないでもないが、ヨルは翼があるから、リビングから飛んで、その空間に落ち着けるので、動線は問題ない。
ただ慣れるまでは、よく壁にぶつかっていた。
家の中で、鷲と七匹のレッサーパンダを飼っているような気分だ。
いまもヨルの寝床から、黒い翼がバサバサいっているのが見える。
いつもは背に格納しているが、偶にああして虫干しをしているようだ。
キッチンよりさらに左に一つ下の階に通じる通路がある。階段ではなく、ゆるい下り坂があり、その先には洗濯物を干すテラスと、トイレと洗面所と風呂があり、窓全開にすると露天風呂気分を味わえる。
髭模様のあるジェームスを先頭に、樹精獣たち部屋へとやって来る。
「ジェームス、おはよう」
キチュッとひと鳴きして手を上げる。他、樹精獣たちもキュッ、キュッとご機嫌に喉を鳴らしながらやって来ると、カトラリーと飲み物を各自用意し始める。
今日は、ハッシュドポテトに、コンビーフとマーマレードのサンドイッチ、タワー型に盛ったサラダだ。それにクレモンを並べる。
クレモンは蜜柑の様な果物で、エルフには毒性がある。猫に蜜柑を与えても、触らせてもいけないように、エルフにとってはさらに危険な果物なのだが、それも過去の話。
もともとクレモン当たりしない体質だったが、それでも、俺たちの兄弟が誘拐された際に利用されたのを、そのままにしておけなかった。
誘拐事件後、クレモンの品種改良に取り組み、園の庭や、イグドラシルの中庭で毒性の弱いものどうしの交配を繰り返し、ついに毒性のない個体を生み出した。そしてさらに、農家に知恵を借り、従来のものより甘い実を付ける株を作り出すことに成功すると、この甘い実を諸外国の行商に卸し、需要が高まった頃、その栽培方法を伝授した。
この栽培方法というのが、クレモンの原種に、品種改良されたクレモンの木を接ぎ木することで、本来実を付けるのに十年掛かるところ、接ぎ木した翌年には実が成るということもあり、あっという間に大陸中に広まったのだ。
今に至っては、毒性のある原種を見つける方が難しいだろう。
このクレモンの原種もまた、何者かがエルフにのみ毒性を持つ成分を多く含むように、悪意を持って開発された痕跡が見られたため、原種の根絶やしに踏み切ったのだ。
イグドラシルの中庭には、この改良されたクレモンが沢山実を付けている。
樹精獣たちも問題なく食べられるようだ。
ソルトやイーサンは好物で、他の料理の前に、まずクレモンから食べ出している。
器用に皮をむき、白い筋のようなアルベドまで取り除いている。
「俺にもクレモンをむいて」と甘えると、仕方ないなと言わんばかりに、それでいて張り切ってソルトがむいてくれる。とても愛おしい。
「我のも頼む」とヨルがクレモンを差し出すと、ハリーがキュチュッと鳴いてヨルの額に投げ返した。
「ハリーに認められるようになるには、まだ時間が必要なようだね」と一応慰めておく。
ヨルが角を出しているときは、角に刺さるように投げて付けてくる。
食べ物で遊ばないようにと、大人組のスミスがハリーを厳重注意する。
朝食が済むと、今日はノディマー家にとって、重要な行事があるため正式な場に出るための司書服を着用する。
一階に降りて、開館準備をしている司書の中にアベリアを見つけ、王宮に出かけることを伝える。詳しいことは先日の申し送りで、レベル5の司書達には伝えてあった。
「館長、いってらっしゃいませ」
「ああ、後のことは頼んだぞ」
図書館内では偉そうな人を演じないといけないため、出来るだけ低い声を出して言う。俺の声はどちらかというと高いから、低い声を出すよう心掛けている。
ノディマー伯爵家の馬車が、公園入口に待機しており、中にはニッチとミッツが乗っていて、イセ兄が御者をさせられていた。
母さんと父さんと、ヨドゥバシーを乗せた馬車を借りて、イセ兄が俺たち三人を迎えに来てくれたのだ。
「イセ兄、ガルダ王に会ったよ」
背中越しに御者席のイセトゥアンに話しかける。
「え、マジで⁉ よく生きていたな」
「そういう事を言うから、マジでビビったんだけど! 話しかけられて、めっちゃ声震えたし、脅すのやめてくれよ! 少なくとも、子連れの熊のように問答無用で襲ってきたりはしなかったから、わりと常識的な情緒の持ち主だったよ」
「そうなのか、外交官がよく戦闘狂だって話しているから、すれ違いざまに腹パンくらいは喰らわされるかと思ったんだが」
「そんな王いねーよ、そんなのバカの代表じゃねえか」
「司書服でその口調だと、すごい違和感だ」
「いま、兄弟とヨルしかいないし」
「そういえばヨルよ、弟を助けてくれたようだな、これからも頼む。恐らく第一司書の正式な護衛の任を賜るだろう」
「そうなれば、我は本意だ」
「俺は初めましてよのう、ヨルとやら。ノディマー家次男のニトゥリーや。俺からも、ソゴゥを頼むで。弟は図書館で孤軍奮闘しよったから、ずっと心配しておったんよ」
「俺もやで、図書館職はかなり危険が伴うらしいて、しょっちゅう軍の特殊部隊が、戦闘訓練の指導に行っているって聞いてな、嘘やん、って思っとたんよ。安全な内勤ちゃうんかいって、せめて護衛付けたってくれやと思うてた矢先やったからな、これからも期待してるで」
「もちろんだ。我はそのためにいる」
「今回は、本当にヨルはいい働きをしたよ。特に、泥濘で肩車してくれたときとか」
ヨルは腑に落ちぬ、といった表情で口を結んでいる。
国の重要な施設間には、そこの職員と来客申請登録がされている馬車のみが通行できる道路がある。ソゴゥが登城する際は、だいたいこの特別道路を通ることになる。
王宮正門に到着すると、イセトゥアンは馬車を迎えの騎士に渡して、兄弟とヨルは王宮謁見の間に続く控室に向かった。
「ソゴゥ! 久しぶりだな、元気だったか? 何だか色々大変だったようだな、ちゃんと食べているのか? 図書館って遊べるところあるのか? あ、そうだ、面白い店を見つけたんだ、今度予約するから飲みに行こう!」
ヨドゥバシーが、仕事から帰ってきたご主人様を出迎える飼い犬のように纏わりついてくる。思わず「ステイ」と言いたくなる。
「後処理が落ち着いたらな。それより、大変なのはお前だろう、大丈夫なのか? 頼むから公衆の面前で漏らさないでくれよ」
「いや、公衆っていうか、身内と王族しかいないから大丈夫だろ」
「何のフォローにもなってないよ、イセ兄さん」
これから王により、ヨドゥバシーのノディマー家の家督承継と十二貴族任命式、それとトーラス家へ、一族のティフォン事件で負う懲罰の下知が行われる。
合理性を重んじるエルフ族は、こうした事柄を分けて行わず同時に済ませてしまう。
ティフォン・トーラスをニトゥリーに引き渡すときの悲鳴は壮絶だった。
ニトゥリーの名は、悪者によく知れ渡っており、最近では言う事を聞かない子供に「悪いことをしたらニトゥリーが来るよ」と脅すらしい。
あの円盤状の武器の出所と、ティフォンを利用して今回の絵を描いた者を探るようにニトゥリーには助言しておいた。
「任せろや、今まで生きてきた世界がいかに平和だったかを、ティフォンに教えてやるからのう」とニトゥリーが凄絶に笑うのを見て、ティフォンご自慢の毛髪が、ストレスで枯れ果てるのではと、やや不憫に思った。
時間となり、謁見の間に通される。
正面の玉座にゼフィランサス王、王の左右にアンダーソニー王子と、ロブスタス王子、向かって左列にノディマー家、右列に第二貴族のトーラス家が並び、王の正面にヨドゥバシーと、トーラス家当主のガスト・トーラスが跪く。
全員が揃ったのを見届け、ゼフィランサス王が、まずヨドゥバシーに向かい声を掛ける。
「ノディマー家一族の多大なるイグドラムへの貢献と、功績を鑑み、十二貴族との決議の結果、ヨドゥバシー・ノディマーをノディマー家当主と認め、十二貴族に同格として加え、今日この時より十三番目の貴族とし、十二貴族は十三貴族とする。ヨドゥバシー・ノディマーよ、こちらへ」と王の呼びかけに、さんざん練習したであろう作法で、なかなかに優雅な所作で立ち上がり、アンダーソニー王子より、三つの月を象った家紋の旗を受け取る。
「ヨドゥバシー・ノディマーよ、貴族とは、この国の全ての国民のためにその高い能力を使い、貢献するという事が出来る者である。より大きな問題を解決し、より多くの者の役に立ち、昼夜国民にできる事を献身的に考え、国家に尽くすものである。権力を振りかざし、国民を蔑ろににし、自己の利益のみを追求する者は貴族ではない。よくよく肝に銘じた上で、最終的に問う、十三貴族として恥じぬ貢献を約束し任命を受けるか」
「お約束を違えることがないと誓い、拝命賜ります」
隣で、母さんと父さんの鼻を啜る音が聞こえる。
イセ兄やニッチとミッツに続いて、俺が園から出てすぐの頃、ヨドゥバシーは、ノディマー伯爵より家業を手伝ってほしいと頼まれ、十八で園を出て、いよいよノディマー家に養子に入るとなった時、初めて本当の父親だと聞かされたのだった。
他の兄弟たちは、ヨドゥバシーよりは早くに聞かされたり、自分で調べたり、勘づいたりして知っていた。その後、母さんが大司書及び館長職を退き、皆に母親であることを知らせた後、夫婦は失われていた二人の時間を取り戻すように旅行三昧で、家のことはヨドゥバシーに押し付けていたようだ。
ヨドゥバシーも苦労しているんだなと、しみじみ思う。
イグドラシルの根っこ登りをやらされないだけ、俺よりはマシかも知れないが。
長男のイセトゥアンは王宮騎士で、今目の前にいるロブスタス王子に比肩する位置にいるため、ロブスタス王子に目の敵にされているが、外遊でこの場にいない、王妃と王女の絶大な支持を得ている。とにかく、ニトゥリーとミトゥコッシー、それに俺は既に重要職にあるため、家業はヨドゥバシーに任せ、四男のヨドゥバシーが家督を継ぐことになった。
「次に、ガスト・トーラスよ、トーラス家のティフォンによる不始末はティフォン一人の懲罰では贖うことはできない。貴族書の持ち出しを含め、諸外国へ多大なる迷惑をかけたばかりか、一歩間違えれば大陸中の生命を損なう事態となっていた。今回の責任を問い、一族全体への賠償を申し付ける。向こう百年の業務量、範囲の倍増、利益の領民への配布率の増加を課す。詳細をリスト化して送るので、これを必ず達成させよ。毎月の登城を定例化し、その報告をいたせ。トーラス家の能力で達成し得る内容であるため、未達成の報告は受け付けない。成果物と、期待値を超えた部分の報告をせよ」
「かしこまりました」
「貴族なのだから、当然できるであろう?」
「はい、懲罰を受け入れ、責任を果たし、確実に成果をご報告いたします」
ゼフィランサス王は頷き、今度はヨドゥバシーに「貴族とは、辞めたくても辞めることのできないものと心得、決して驕り、慢心しないように」と告げ「期待しているぞ」と微笑んだ。
これが企業なら、誰かの首を挿げ替えたり、解散したりするのだろうが、貴族はそうはいかない。爵位剥奪や、お家取り潰しなどは合理的でないと考え、悪いことをしたら徹底的に償わせるのがイグドラム流だ。
そのため、十二貴族以外が、これにとって代わるため十二貴族を貶めようと画策しても無駄で、能力のない貴族はどうあがいても、十二貴族(いまは十三貴族)には決して成れないのだ。
家督継承と十三貴族入りを果たしたノディマー家の祝賀会が王宮で行われ、その後、緊張から脱して酔いまくっているヨドゥバシーに、領地にあるノディマー家の増改築を夏までに終わらせるから、遊びに来て欲しいという話にイセ兄がプール、ニッチがバーカウンター、ミッツがサウナ、俺が大きな犬がいるなら行ってもいいと冗談で言って、その話が五回目になったころ、お開きとなって、それぞれの職場や家へと帰っていった。
夜、部屋のドアを開け、館内の廊下へ出る。
第七区画の通路を歩き、一階まで吹き抜けになっている場所で背中からダイブする。
天井のガラスから見える月を見ながら落下する感覚が、どうにも癖になる。
司書は図書館内で魔法が使えるため、減速しながらの落下だ。
灯の消えた夜の図書館内は静寂に満ちていて、世界に自分しかいないみたいだ。
第五区画に近寄らなければ、レベル5の司書達にこの真夜中の散歩に気付かれることもないだろう。
一階から中庭に出て、暗い道をスズランの様な形の灯を手に、ジェームス達が付いてくる。
彼らは夜目が利くはずなのだが、こういう形にこだわるところがたまらない。
中庭を進むと、目的の木がある。樹齢千年とは思えないほど、細くて頼りない。けれども若々しい木だ。
その幹に触れる。
ほんのりと手のひらが温かい。
「力を貸してくれてありがとう」
気のせいか葉がサワサワという。
「それと、もし会ったらでいいんだけれど星蝉にも伝えておいて、ありがとうって」
何処かでヒリヒリッと虫の音のような音が聞こえ、足元が幾何学模様の黄緑色の光が移動していくのが見えた。
「地面の中が好きなんだね」
光る地面に喜んで跳ねる樹精獣たちが可愛い、叶うなら写真を撮りたい。
俺はべたりと地面に横になって、それから空を見上げた。
最初は月が三つもあるなんて、って思っていたけど、今ではこの空も当たり前だ。
それに、ペットと暮らす図書館暮しは結構楽しい。
END