夜_客室
「ふぃ〜。。。」
思わず、大きなため息が漏れる。
あの後、紅兎ともに、広間中を蠢く酒呑みたちと酒呑ませたちをただ眺めていた碧流を、朱真が解放してくれた。
案内を、と先に立とうとする侍女は丁重にお断りして、与えられた部屋へと戻る。柔らかな長椅子に身体を沈めると、ようやくひとごこちがついた。
酒はできるだけ断ったはずなのに、なぜか頭に悪酔いめいた酒気が残っており。
そうするうちに、気にしていなかった旅の疲れも出てきたようで、気を抜くと、このまま眠ってしまいそう。
「碧流、寝るなら、ちゃんと寝台で」
「……は〜い。。。」
――――ん?
半ば無意識に返事はしたが、ここは一人用の客室のはず。
がばっ、と。
身を起こしてみれば、一足先に寝台に転がる、紅兎の姿が。
「使ってるじゃないですか、僕の寝台」
「いいじゃん、広いんだから。もう一人くらい、いけるいける」
軽い。その上、めんどくさそうだ。
確かに、小柄な二人が転がったところで、まだまだ余裕がありそうではあるが。
いや、問題は寝台の大きさじゃない。
すぐに思考を放棄したがる頭を振って、碧流が紅兎を起こしにかかる。
「ほらほら、あなたのお部屋はあちらですよ、お嬢様」
「う〜、やめろ〜。めんどくさ〜」
持ち上げる端から、くたくたと崩れていく紅兎。
仕方なく、両脇の下に手を入れて、抱きかかえるようにする、と。
ふわり、と。なんだか、甘酸っぱい香りがした。
「……結構、お酒、過ごされましたね?」
「っせ〜よ、まだ宵の口じゃね〜か」
会場には、酒に慣れていない人用に、爽やかな果実酒も用意されてはいたが。
こんな、場末の酒場に転がる飲んだくれみたいな酔い方するほど、呑まなくてもいいだろうに。
「ほら、ちゃんとしないと、またあの会場に戻しますよ」
「うぁ〜、やめれ〜。それだけは〜」
途端に、くたくただった身体に、一本筋が通った。
どんだけ嫌なんだ。いや、嫌だけれども。
少しだけ持ちやすくなった身体をずるずると引きずるようにして、ようやく部屋の境界にあたる扉の前まで運ぶ。
さて。扉は開けっ放しだったとはいえ、これを越えると紅兎の部屋に入ってしまうわけだが。それは許されることなのか、否か。
しばし熟考する碧流から、紅兎はそっと、身体を離すと。
「――――ちょっと、待ってて」
と言い残し、自分の部屋の中へと消えていく。
残された碧流は、素直にそこへ立ち尽くす、が。そんなはずはない。
「待っててって、もう寝るんですよね。閉めますよ、扉」
「待て。待ってってば! 待機!」
灯り一つない暗闇の中、どうやら紅兎は自分の荷物をがさごそと。
「……あれ〜、寝間着、どこやったかなぁ、、、?」
――――おい!
「着替えるんですよね。閉めますよ!」
「だ〜め〜。すぐだから〜」
すぐだから、なんなのか。
そして。
「あ、あった。」
という声と、それに続く、衣ずれの音。
思わず、その場で回れ右。どうせ目を凝らしても見えないし、見てはいけないとも言われてはいないのだけれども。
――――女性に対する礼儀、ではないな。これは、単なる根性なしだ。
冷静に自己評価を下す。
そこへ、さらに追い討ちを掛けるように。
「あ〜、これ、どうしようかな。いいや、汗かいちゃったし。脱ご」
暗闇から届く、独り言。
碧流にはこれがどれかもわからないまま、それでも妄想だけは掻き立てられる。
むくむく、と。なにかが鎌首をもたげかける中。
「お待たせ〜」
背中を向けた碧流に、柔らかいものがのしかかってきた。
「じゃ、寝台まで。よろしく」
「よろしく、って、乗合馬車じゃあるまいし。って、こっちの寝台で寝る気ですか!?」
ああもう、自分でも呆れるくらい、ツッコミにキレがない。それはともかく。
「ほらほら、あっちの部屋にも立派な寝台がありますよ。あっちで、一人で、のびのび眠った方が、気持ち良い朝が迎えられると思うんですけど」
「うるさい」
一言。そして。
「行け。」
そう命じられてしまえば、碧流にもそれ以上の対抗策はなく。
「はい。」
紅兎の身体を背負ったまま、碧流は自室の寝台へと向かう。どうしても、足は引きずってしまうけれど。
背中に当たる柔らかさと意識しないよう、煩悩と戦うその道行き。
なぜ、この部屋はこんなにも広いのか。
と、思ったところで、その旅も終わる。長いようで、短い。人生か。
なるべく引きずらないよう半回転して、背中の紅兎を寝台に下ろす。
すると。
もぞもぞ、もぞもぞ、と。
紅兎は這いずるように動いて、寝台の向こう端の壁に張り付くように横になり、そのまま、くるん、と毛布に包まった。
そして。
ぽんぽん、と。
壁を向いたまま、自分の背後に手を伸ばして、布団を二つ、叩いた。
――――そこに、寝ろ、と。
はい、わかりました、と。
大人しくそこに横になるには、碧流にはまだ、色々と足りなくて。
碧流は、そっと、呼びかける。
「――――紅兎」
「……ごめん、碧流」
なにを言うかも決まっていなかった呼びかけは、唐突な謝罪に掻き消された。
「ごめん。ここまで、いっぱい嫌な思いさせた」
さっきまでのふにゃけた声とは違う、いつもの声で。
「碧流がいなかったら、ここまで来れなかった、と思う」
初めて聞かせてくれた、紅兎の本心。
「あの人とも、あんな風に、できなかったと思う」
自分が、何を、どうするべきか、わかってはいたって。
自分では、どうしようもないことだって、あるんだ、と。
「――――ありがと」
でも、こうして。
少しでも、近づくことができたなら。
そして、それを、少しでも喜んでいるのなら。
「紅兎」
碧流は、もう一度、優しい声で呼び掛ける。
「僕は、長椅子で寝ますね。同じ部屋には、いますから」
――――もう、大丈夫だから。
やっぱり向こうを向いたまま。
丸くなった毛布が、小さく頷いたように見えた。