表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/30

夕_景芝


 小さな円座を引いただけの、小さな荷馬車の荷台で。

 がらがらと、揺すられながら。

 碧流は、ぼんやりと、両の手のひらを見つめていた。

 そこには、四つずつの爪の痕が、しっかりと残っていた。


「碧流がそんなことしたって、どうにもならないのに」


 手当をしてくれながらそう言った、ヤンの苦笑が思い出される。

 それは、碧流にもわかっている。でも、仕方なかった。あの場では、拳を強く握り締める他に、できることは何もなかったのだから。

 碧流の目の前で、孔族の男たちは、次々と倒れていったのだ。

 殴られて、蹴られて。顔を、赤や、青に腫らして。たくさんの血を流して。

 それでも、何重にも築かれた人の壁は、ついに、誰も通すことはなかった。

 日が暮れて、山道が暗くなる前に、奴らは引き返していった。

 追い返したのだ。一切、手も足も出すことなく。

 立派だった。

 この目で見ていた碧流が言うのだから、間違いない。

 だが、碧流には、偉そうに、彼らを褒めることなど、とてもできなかった。

 ただ、見ていただけだったのだから。

 自分も参加する、とは言ったのだけれど。

 彼らの誰も、族外の碧流の参加を許さなかった。

 碧流の身体を案じてはくれたのだろうけれど、それが誇りだと言われれば。

 碧流とて、無理やり参加することなど、できるはずもなく。

 ただ、見ていることしかできなかった。拳を、強く、握り締めて。


「――――碧流。」


 顔を上げると、隣の紅兎が、こっちを見ていた。真っ赤に腫らしたままの目で。

 人壁を築くことになった昨日の昼から、紅兎は村に戻されていた。

 参加させるわけにはいかないし、黙って見ていられるわけもないし。

 周りからすれば、当然の処置ではあったのだが、紅兎は納得しなかった。

 長の家の部屋に閉じ込めても、大声でわめいて、暴れて、大変だったらしい。

 それでも、夜には大人しくなって。

 暗くなってから、戻った碧流が顔を見せると、紅兎は一言。


「……勝ったの?」


 と訊いた。

 碧流が、今日のところは、と答えると。


「そう」


 とだけ言って。後は俯いたまま、部屋から出てくることもなかった。

 今朝、動ける者たちが、再度、壁を築きに行っても、そのままだったが、奴らが来ない、という連絡を受けると、真っ先に下の町へ駆け出したのが、紅兎だった。

 紅兎は、借りた馬の持ち主も驚くほどの早さで町との間を往復すると。


「勝った!!」


 と、叫んで、すぐに。その場で、大声を上げて、泣き崩れたらしい。

 碧流は、それを、また、あの森の中で聞いたのだけれど。

 急いで村に戻った時も、紅兎はまだ泣いていた。

 さすがにもう、涙は止まっていたけれど。


「……アイツ、話になったね」


 その目はまだ、赤いまま。


「話にならん男、って呼べなくて、残念でしたね」 


 たぶん、昨日の昼からのことだから、そうそう治りはしないだろう。

 なのに、紅兎は、いつもと変わらない憎まれ口を。


「大丈夫。アタシの中では、なにがあろうと、アイツは話にならんから」


 それでいて、なぜか碧流とともに、景芝へと向かっている。

 村では、お祝いだの、感謝だのと、碧流も色々言われたのだが。

 朱真はともかく、その後の朱家がどうなったのかを、しっかりと確認しておきたかったので、丁重にお断りした。

 結局、感謝してもらうようなことは、なにもできなかった気もするし。

 だが、それはあくまで、碧流の都合。


「紅兎は、村に残っても良かったんじゃないですか?」


 それは、村を出る前にも確認したことではあったのだが。


「……うん。でも、いいの。行く」


 やっぱり、紅兎は煮え切らない答えを返してきた。

 村で聞いたのと同じ答えを返されて、碧流は同じように口を噤む。

 紅兎は紅兎で、なんらかの考えや、気持ちがあるのだろう。

 だとしたら、それ以上は、碧流からはなにも言えない。

 景芝へ行く、という碧流の意志が固いと見るや、長は、村から荷馬車を出すよう、指示を出してくれた。

 いつもの乗合馬車だと、結局、出発が翌朝になってしまうので、助かった。

 だったら、今夜は宴に参加して、明朝、乗合馬車に乗る、というのが最も親切だったような気はするのだが。まぁ、それも今さら、ということで。

 ちなみに、御者さんは、あの神馬狩りの夜にもお世話になった方で。


「景芝の祭りには、ぎりぎり間に合うな」


 と笑って、快く引き受けてくれた。

 そして今、碧流は、紅兎ともに、景芝への馬車に揺られている。

 すべてが上手く運んだのに。

 そうとは、とても思えないほどの。

 鉛のような重さを、肚の中に抱えながら。



 馬がいいのか、御者の腕か。それとも、単純にどこにも停まらなかったからか。

 荷馬車は、いつもの乗合馬車より遥かに早く、景芝の街へ到着した。

 碧流と紅兎を朱家の屋敷の近くに降ろすと、御者は大きく伸びをして。

 そのまま、夜の景芝へ消えていく。

 車内で聞いた話によると、御者さんはまだ独り身で。

 どちらかというと、白いミルクのような肌が好きなようだった。

 どこへ消えたのかは、推して知るべし。


「――――さて、優勝者を祝いに行きますか」


 頷かない紅兎を引っ張って、碧流は屋敷の扉を叩く。

 あの家宰さんが出てきて、深く、頭を下げた。

 朱真は留守だった。


「やっぱり、話にならん!」


 大会の優勝者として、恒例の南公主催の祝賀会に出ているようだ。であれば、帰りも遅くなるのだろう。屋敷で待つこともできたが、それも丁重に辞した。

 無理に急いで帰ってきたのに拍子抜けだったが、だからと言って、ただぼんやり待つこともあるまい。


「……じゃあ、お祭り見物にでも行きますか?」

「行く!」


 全力で頷く紅兎に引っ張られ、炭火焼きのいい香りに誘われて。

 碧流は、ようやく、当初の目的に戻ることができた。



 景芝の祭りは、泰陽と違って、夜遅くまで続けられるらしい。

 まぁ、祭りと言っても、夜店の屋台が遅くまで営業しているだけだけど。

 もちろん、紅兎にとってはそれで充分、というより、それこそが目的で。


「これは旨い! それはイマイチ。これは、意外」


 と、片っ端から買い食いしては、独自評価を下していく。意外ってなんだ。

 当然ながら、費用は碧流持ちだが、お祭り資金なら充分に持ってきた。

 今回は、彼女もたっぷりがんばったから、たまにはいいだろう。

 でも。


「……その、旨いの。僕の分じゃありません?」

「黙れ! お前はまだ、本場の本気がわかっておらん!」


 油断したら奪われるのが、景芝ルールなのだろうか。だとしたら、嫌な街だ。

 だが、屋台の料理は文句なく美味しかった。手の込んだものなら、景芝に譲る部分もあるが、串焼き、炭焼きの類は間違いなくこちらに軍配が上がる。

 独特の辛味にもすっかり慣れた碧流としては、泰陽に帰ってから、この辛さが恋しくなったら、一体どうすればいいのか、今から心配になるくらいだった。

 そうして、並ぶ屋台を一通り。

 存分に食べ尽くした二人は、ぱんぱんになった腹を抱えながら、ちょっと人の少ない通りを歩く。

 そろそろ朱真も帰る頃だと思えば、もう屋敷へ向かってもよかったのだが。

 なんとなく、この祭りの夜を、もう少し楽しんでいたかったから。


「……良かった。」


 気づけば、紅兎が、碧流の横顔を覗き込んでいて。


「……なんですか?」


 妙に気恥ずかしくなって、正面を向いたまま、尋ねる。

 紅兎は、あの、子どもに向けたような、優しい声で。


「碧流、馬鹿だから」

「……本当に、なんですか」


 予想外に馬鹿にされ、ちょっと憮然となる。

 でも、紅兎は、いつになく、真剣な顔をして。


「碧流が、背負うこと、ないんだよ」


 びくっと、した。

 それは、図星ではない、と思うのだけれど。


「碧流には、他に、ちゃんと、がんばるところがあるんだから」


 そんな声で、そんなことを言われると。

 自分でも、意識もしていなかった気持ちが。

 紅兎は、ひょっとしたら、それを、碧流に教えるために。

 そう思ったら。ちょっとだけ、本音が溢れた。


「……勝手に、一員だと、思っていたのかもしれません。僕も、泰皇民族じゃ、ないから」


 俯きそうになる顔を、無理やり上げる。

 紅兎は、ちょっと遅れて、斜め後ろから。まるでお姉さんのように笑って。


「それが、馬鹿なんだよ。碧流には、ちゃんと、家族がいるでしょ」

「――――はい。」


 見上げた空には、滲んだ下弦の月がかかっていて。

 やけに明るかったから、もうしばらく。二人は、そのまま歩いていった。

 やがて、祭り用に出された、休憩用のテーブルを見つけて。

 皆に倣って、珍しく、食後の果実酒なんか飲んでみたりして。

 そこへ。


「――――連れてくる必要はなかったようだな」


 ほろ酔い加減の二人に、呆れたような苦笑を浮かべて。

 いつもより少しだけ小ざっぱりした格好をした、朱真がそこに立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ