朝_鉱山
そもそもは、景芝の祭り見物に来たのではなかったか。
にも関わらず、その祭り当日の朝を、碧流は九山連峰の森の中で迎えていた。
泰陽の学院でそんな話をしたのが、すでに懐かしく感じる。
碧流の行動の目的は、気づけば大きく変わっていた。
今の目的は、朱家の人間が鉄鉱山に手を出して来た時に、すぐに対応するため。大きくは、孔族を救うためだ。
神馬の娘を捕まえたあの日から、碧流は孔族の村でお世話になっている。
朱家の人間は、いつ来るかわからない。そう思えば、のんびり景芝にはいられなかった。なにができるかはわからないが、少しでもなにかをしないと。
毎日、ロウが配置する布陣に口を出し、張り巡らす罠にも口を挟み。
景芝には戻っていないが、すぐ下の町までなら、何度でも往復した。
その合間には、希望する若い者に、簡単なマナー講座だって行った。
眠る間もない、とは言い過ぎだが、なにかあれば夜中にでも起きた。
正直、疲れは溜まっているし、精神はすり減っている。
なぜ、ここまで、孔族に肩入れするのか。
それは長にも訊かれたことだが、やはり碧流にもよくわかってはいない。
ただ、その理由については、あまり深く考えないようにしていた。
「――――来たぞ」
ごくごく小さな声が届いて。
辺りに潜んだ全員に、緊張が走る。
彼らは別に特殊工作員ではない。特別な訓練など受けてもいない。
状況の説明を受けて、それぞれのやるべきことを割り振られた、それだけだ。
言われた通りにできれば充分。不測の事態が起これば、どうなることやら。
「よぉっし。」
腕をまくって弓を構える紅兎を押さえる。
予定では、彼女の出番はない。非常事態の要員なのだから、ない方がいいのだ。
憮然とする紅兎は無視して。
「……予定通りに」
碧流の言葉に、ロウが頷く。
彼はそのまま下生えを掻き分けて、緑の向こうへ消えた。
下の町に、山掘りの道具を持った人間が集まり出した、と聞いたのが三日前。
それがこちらへ動き出した、と聞いたのは、今朝のことだ。
その報告を、碧流はここで聞いた。
三日前から、三交代制で、この場所には必ず誰かが詰めている。
いつ、誰が来ても大丈夫なように。たまたま、今日の担当が碧流だっただけだ。
九山の山歩きならば、孔族に勝る者などいない。報告を受けてから、荷物を押しながらの彼らがここへ辿り着くまでは、幾分の余裕があった。
その間に、再度、指示を周知し直し、気を引き締め、ロウが到着して。
ついに、奴らがここへ来る。
「……飛んで火にいる夏の虫、だよね?」
紅兎が訊いてくるが、碧流は応えない。
彼女も緊張しているのだろう。じっと黙っているのが辛いようだ。
しかし、それは碧流も同じこと。こんなことに、慣れているはずがない。
やがて、ガヤガヤ、と、無駄話が聞こえ始め。
ガチャガチャ、と、金属音を鳴らして、大八車が登ってくる。
向こうの表情に、声に、足取りに、緊張感はない。
待ち伏せされているなど、夢にも思っていないようだ。
隣の男同士で雑談する者、俯いて黙々と登る者。顔を上げているのは、先頭の男くらいか。
その、足元に。
――――トン、と。
何処からともなく、一筋の矢が突き立った。
「……ん? お、うぉあっ!」
先頭の男が飛び退り、続く男に激突する。それが大八車まで伝播して、バケツが一つ転げ落ちた。ガシャンガシャン、と、静かだった森に、金属音が響き渡る。
「な、なんだぁ!?」
男が頭上を見回し、他の男もそれに倣う。
そこへ、次々と矢が飛来した。
「うおおおおおおっ!!」
それぞれの足元に、精確に矢が突き立って。
慌てて足を運んだ一人が蹴つまずいて転がり、巻き添えで、もう一人が。
ここは、奪われた鉱脈へ向かう道の中でも、特に傾斜がきつい。山に慣れぬ者が、空を見上げたまま動き回れる場所ではなかった。
結局、男たち全体が、斜面をずり落ちるように下がる。
「誰だっ!! 孔族かっ!?」
先頭の男が、森に向かって叫んだ。姿を見せない敵というのは、怖いものだ。
再度、その足元に、次の矢が突き立つ。
とうとう男が、尻もちをついた。
「やる気か!? やる気だな! そっちがその気なら、こっちも黙ってないぞ!!」
どこへ向けばいいかもわからず、きょろきょろしながら男が怒鳴る。
もちろん、孔族にやる気はない。
そもそも、まだ一矢とて、男たちに刺さってはいなかった。
「逆らって、タダで済むと思うなよ! こっちには正当な権利があるんだからな」
もし孔族が出たらこう言え、と。それは言い含められた言葉だったのだろう。
その分、男の言葉は軽く、当然、その場の誰にも響かない。
後ろの男たちは、完全に浮き足立っていた。
――――もう、ひと押しか。
男たちは地面に半円を描くように突き立った矢の向こうに溜まっている。
それが、誘導された地点だとも気づかずに。
「わかったら、大人しく、どけ! これ以上は、温厚な俺でも――――ぶほぁっ!!」
樹々を見上げる形で叫ぶ、丁度その口を目掛けるように。
勢いよく、茶褐色の塊が、次々と降り注いだ。
それは、他の男たちの頭上にまでも。
「うわぁ、なんだこれ!?」
「汚ったねぇ!」
「っていうか、臭ぇ!!」
「……え、これ、ひょっとして、、、」
「うわ、マジかよぉ。そこまでするか」
まさに、阿鼻叫喚。多少の泣き言付き。
それは、泣きたくもなるだろう。
鉱山仕事に来たのだから、汚いのも、臭いのも、覚悟の上かもしれないが。
これは、それとは、質が違う。
昨日までに、孔族の馬房や放牧地から回収されたモノたちなのだから。
「おい、こっち付けんな!」
「うっせぇ! 汚ねぇ! 臭ぇ!!」
「暴れんな、飛ぶ!」
「待て、お前! なんでそんなキレイなんだよ!!」
あまりに予想外の衝撃に、男たちは精神まで荒んでしまったようだ。
仲間同士で、まさに汚いやり取りが繰り広げられている。
そこへ、畳み掛けるように。
ピィィィィィィィィィィィィィィィィッ――――――――!!
唐突に、耳をつんざく高音が、樹々の間を貫いた。
「な、なんだ、次はなんだぁっ!?」
「うるせぇっ!!」
「っていうか、痛ぇ! 耳が痛ぇっ!!」
「もういい、退けっ、退けぇっ!!」
慌てふためく男たちの中、退却の声だけは、隊長らしく。
ドタバタ、と。男たちが山道を駆け下りていく。
恐慌状態を無理に回復させようとしなかったことと、その中で、忘れずに大八車を押していったのだけは、感心だった。
碧流は、その影が全く見えなくなるまで、充分に待ってから。
「……ここで、鏑矢射つ予定なんて、ありましたっけ?」
「いや。ここだなぁ〜、って思ったら、つい」
同じく耳をつんざかれた碧流に、紅兎が頭を掻きながら笑って見せる。
まったく、予定通り、の言葉が、これほど意味をなさないとは。
「まぁ、いいだろうよ。おかげで奴らも退いてくれたんだ」
苦笑とともに、ロウが姿を現した。片耳を、小指で掘りながら。
皆も気を緩めたのか、辺りからも、ちらほらと人の気配が感じられる。
双方ともに、怪我人は無し。
最後のはともかく、作戦は成功、と言っていいだろう。
ロウは、お気楽とも思える笑みを浮かべながら。
「これで、今日のところは、大人しくしてくれるんじゃないか」
「……どうですかね」
碧流もそう期待しているが、素直に頷けないのが、心配性のサガ。
だが、ロウはそのゆったりとした笑みを崩さず。
「ま、もう一回来てくれるなら、それはそれで、別のもてなしも準備しておくさ」
碧流は、それにはもう言葉を返さず。
ただ、遠く、北西の方角を見やった。
その地には、この国の都がある。
そこでも、今頃はもう、友人が別の戦いを始めているはずだった。
馬は得ても、人馬一体となるには、時間が足りな過ぎるはず。
乗りながら馴らすと言っていたが、果たして間に合ったのか。
そもそも、使い慣れぬはずの長槍で、満足に戦えるのか。
不安を挙げれば、尽きないが。
「負けたら、話にならん!」
碧流の視線を追ったのか。紅兎が厳しい表情で、そう怒鳴った。
「……気に入ったんですか、それ?」
「うん。アイツには、話にならん男として生きて欲しい」
よくわからん気に入り方だが。
「それは、紅兎の中だけにして欲しいです」
彼が負けたら、こっちだって、本当にただでは済まない事態に陥る。
だが、そうなることはないと、碧流は信じている。
あの、実は、プライドなら誰よりも高い男が、やると言ったのだ。
こちらの命運をも握っている、雌雄を決する試合を。
そして、その先の、国と民とを背負う戦いを。
朱真だって、紅兎から話にならん男と呼ばれ続けるのは、たまったもんじゃないだろうし。




