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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 春 〜  作者: 都月 敬
6日目
21/30

夜_須弥


 振り仰ぐ夜空は、掛け値無しに美しかった。

 澄んだ藍色に幾多の星が散りばめられて、群青の雲が細くたなびいている。

 ただ、そんな風景も、高速で後ろへ流れてゆけば、優雅さとは程遠く。

 様々な荷物とともに放り込まれた荷馬車から、碧流は呆然と空を眺めていた。

 前方では、リクを先頭として十名ほどの騎馬隊が、深夜の荒野を駆けている。

 固定の粗い荷物の押さえ方も、ようやく掴めてきた。

 馬に乗れないにも関わらず、無理を行って連れてきてもらったのだから文句の言いようもないが、道無き斜面を減速もなしに駆け下りられた時には、本当に死ぬかと思った。

 あちこち打って、舌も噛んだが、どうやら命に別状はなく。

 程なくして平らになった地面を、今は駆け足で進んでいた。

 男たちの間に、言葉はない。

 誰もが、この隊の任務に、納得などしていないのだろう。

 集められ、この話を聞かされた時には、リクの時と同じような怒声が轟き、碧流へは殺意にも似た獰猛な視線が向けられたものだったが。

 それでも、長に逆らって、狩りを止めよう、と言い出す者はいなかった。

 見届ける者を募った時も、ほぼ全員から手が挙がった。

 神馬は絶対だが、長もまた絶対なのか。

 実際に、その現場を見た時に、彼らがどう動くのかは、まだわからないが。



 やがて荒野が草原に変わり、歩様が駆け足から速足に変わる。

 そろそろ、神馬を含む野生馬の生息域なのか。皆が、探るように動いている。

 空には真円の位置もとうに高く。冷え切った夜風が伸びかけた草を薙いでいく。

 かなり肌寒いが、碧流は防寒具など用意してはいない。

 加えて夕食は、ヤンのご好意の干し肉を齧っただけだ。

 なにも用意していなかったので、もちろんありがたかった。

 ありがたかったのだが、寒い。温まるものが、欲しい。

 朱真たちと合流するまでの辛抱だ、と自分を励ますが、その朱真たちも、一体どこにいるのやら。

 漏れ聞いたところによると、神馬の生息域はなかなかに広く、神事の際はその位置を把握するために、数日も前から係の者が草原を駆け回るのだと言う。

 ただ、今はまだ草も生え始めの時期で、群れが充分な餌を確保できる草原は限られてくる。神馬の群れは大きいから、ある程度予測は付くらしい。

 そうは言っても、今は夜。満月の月明かりこそあるものの、その向こうにいる影が、馬のものなのか、岩のものなのかも判然としない。夜目に自信のある孔族をしてそうなのだから、碧流など、無駄にきょろきょろするのもとうに諦めている。

 ただぼんやりと、翳りもない月影を浴びること、しばし。


 ……ピィィィィィィィィィィィィィィィィッ――――――――!!


 遠くで、甲高い音が響いていた。

 どこかで、聞いたことのあるような。


「鏑矢だ!」

「どっちだ!?」


 男たちが騒めき始める。

 鏑矢など、こんなところで使うようなヤツは、一人しかいない。


 ……ピィィィィィィィィィィィィィィィィッ――――――――!!


 もう一度、同じ音が鳴り響いて。


「あっちだ!」


 予告もなく、騎馬が一斉に駆け始めた。

 それに合わせて、荷馬車も急旋回。碧流が大きく転がされる。

 騎馬隊を追いかけ、土煙も蹴立てて、荷馬車が爆走する。

 引く馬だって、必死にがんばってくれてはいるのだが。

 荷馬車と荷物と他一名の重さは、如何ともし難く。

 十頭から、徐々に遅れていく一台。


「……がんばれ〜」

「がんばってる!」


 そっと応援してみたら、御者さんに怒られた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 蒼い巨体が、夜闇を駆ける。

 間に合わせで跨った馬を励まして、なんとか前へ回り込もうとするが。

 寸前で身を捻られて、再び、間を離される。


 ――――下手くそ!


 そんな声が聞こえるようだが、もちろん思い込みだ。

 思わず空耳がするほどに、あれに毒されていると思えば、気も重くなるが。


 ピィィィィィィィィィィィィィィィィッ――――――――!!


 もう一度、鏑矢の音が響いて、神馬が再び身を翻す。

 いい間合いだ。

 妄想とはいえ、これ以上馬鹿にされるのは我慢がならない。

 今度こそ、と、朱真は手綱を引き絞る。

 紅兎は、どこだかは知らないが高い場所に陣取って、鏑矢で神馬をこちらへと追い込んでくる役目だった。

 作戦はいいが、連絡が取れないのが問題だ。今も、夜だというのに、予告も無しに始められて、朱真の目が神馬を捉えるまでに時間を食った。

 だが、もう狙いは外さない。

 神馬の脚を予測して、走る方向を読み切ると、素早くその前へ踊り込む。

 驚いた神馬が、またも身をかわそうとするが。

 その太い首へ、朱真の投げた縄が絡みつく。

 神馬が、高くいなないた。

 首を振り回し、前脚を高々と振り上げる。

 それでも外れないと知るや、今度は、一度、二度と、強く後脚を蹴り上げて。

 最後に、猛然と走り出した。

 速さはともかく、力比べでは、この馬では堪え切れるものではない。

 朱真は素早く飛び降りて、渾身の力を込めて、神馬の動きを封じに掛かる。

 巧みに縄を引き絞り、暴れるほどに締まるように力を込める。

 引きずられる足をなおも踏ん張り、腰を落として、腕を引く。

 引き負けぬよう、身体に回した縄が肉に食い込み、擦れた手のひらからは血が滲み出す。それでも、離すわけにはいかない。

 朱真は、久々に、血が滾るのを感じていた。

 この馬との勝負もそうだが、これほどの馬に跨ることができたなら。

 初めて、馬上で存分に力を振るうことができるだろう。


「下れ、神馬――――!!」


 喰いしばった歯の間から、強く強く、想いを込めて。

 力を振り絞ったのは、神馬の方も同様だった。

 引いても逃げられないと悟ったのか、急に転じて、朱真の方へと襲いかかる。

 巨大な蹄を叩きつけられ、転がって身をかわす。それでも縄は離すことなく。

 押し止める力が無くなって、神馬が再び駆け出した。

 土埃を舞い上げつつ、草の少ない地面を引きずられるが、それも数歩の間。

 大地に踵を打ち付けて、踏ん張りを取り戻すと、無理やり身体を持ち上げて。


「うらぁっ!!」


 体勢を立て直し、もう一度、引き直す。

 つんのめった神馬も、すぐにまた駆け始めるが、朱真は大樹のように動かず。

 なおも、神馬は狂ったように、朱真の周りを回り続けたが。


「……もう、いいだろう」


 そう、穏やかに声を掛けられると。次第に、その歩調を緩めていき。

 やがて、朱真に背を向けて、脚を止めた。


「よ〜し、よし。いい子だ」


 ほっと、全身の力が抜ける。

 これほど力を振り絞ったのは、いつ以来だったろうか。

 心地よい、というにはいささか重すぎる倦怠感が、全身にたまっている。

 だが、それ以上の充実感とともに、朱真は裂けた手のひらを見つめて。

 痛みも構わず握りしめると、今度は、自らの獲物へと目をやった。

 汗に濡れる青鹿毛は、夜闇に包まれてほとんど黒い。

 だが月影に照らされて輝く馬体は、どんな宝石よりも美しく、朱真には見えた。

 そのまま、ゆっくりと、その巨体に近づく。

 その瞬間。

 神馬が後脚を蹴り上げた。

 しかし、それは朱真の予想の範囲内。


「この、じゃじゃ馬が!」


 もう一度、綱を強く引くと、朱真は裸のままの神馬に飛び乗った。

 跳ね上がり、暴れる神馬。高々と棹立っては、何度も後脚を蹴り上げる。

 馬上の朱真は、綱を離してたてがみを掴むと、両の腿を強く締め上げた。

 それは、振り落とされないように踏ん張るとともに、馬を制御しようとする強い意思表示。これは、いずれが主かを決める争いだ。

 神馬も、それに負けぬよう、何度も何度も暴れ続けたが。


「ほら、どうした。オレを振り落としてみろ!」


 背の上から、挑発的に言われた、その途端。

 急に、ぴたり、と動きを止めた。


「……なんだ、もう逆らわんのか?」


 からかうように首筋を叩かれても、ぶるる、と鼻を鳴らすのみ。

 どころか、飽きたように、足元の草を食み出す始末で。


「まったく、天邪鬼なものだ。まるで、どこかの誰かのようだな」

「……どこの、誰なんですか?」


 呆れ混じりの呟きには、思いもかけない応答があった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「おう、碧流。こちらは、無事捕まえたぞ」


 裸馬に跨ったまま。朱真がこちらへ馬を進めてくる。

 先ほどまで野生だった神馬は、さもしぶしぶというように、それでも言われるままに、脚を進めている。手綱もないのに、器用なものだ。


「もう、乗りこなしているんですか」

「いいや、まだまだだ。この跳ねっ返りには、教えることが山ほどある」


 呆れたような碧流に対して、心から楽しそうな朱真。

 こんな朱真を見るのも、そういえば初めてかもしれない。


「そちらの首尾はどうだった?」


 完璧な成果を見せられた上での質問では、やや答えにくくもあるが。


「お許しはいただけませんでした。でも、止めもしない、とは言ってもらえました。後ろの皆さんは、見届け役の方々です」


 そう言って、後ろへと視線を送る。

 朱真も、やむを得まいとばかりに息を吐き。


「長い歴史の上にあるものだ。偲びなくもあるが」


 呟いて、その象徴を軽く叩く。

 気持ちいいのか、不満なのか。神馬と呼ばれた馬は、また大きく鼻を鳴らした。

 そこへ、幾つもの足音がして。

 控えていた、孔族の男たちが姿を見せた。足取りは重く、目つきは暗い。

 それを見回して、朱真が深く一礼する。


「馬上から失礼する。なにせ、離すとすぐに逃げてしまうもので」

「構わない。孔族に礼など不要。何より、その手並みを見せられれば」


 孔族も馬を扱う民族だ。素直には言えずとも、早くも神馬を従えている朱真の馬術に、心から感心してもいるのだろう。

 だが。だからと言って。

 納得できるものでもないことは、それぞれの瞳に籠る炎を見ればわかる。


「……ちょっと、いいだろうか」


 それは、碧流を運んでくれた御者だった。

 一言断って、朱真と神馬に近づいていく。

 朱真に小さく緊張が走るが、碧流が目で抑えた。

 目的はわからないが、彼ならば、滅多なことはしまい。

 首元に寄ったところで、神馬が歯を剥くが、朱真が首筋を叩いてなだめる。

 御者は、神馬の首筋、たてがみの辺りを優しく撫でると、皆の方へ振り返り。


「……こいつは、神馬じゃないぞ」

「――――なに?」


 やはり、最初に反応したのは、それに跨る朱真だった。

 あれほどの激闘の末に手に入れた馬が、神馬ではない、とは。

 しかし、念のためか、御者はもうしばらく、入念にたてがみを撫で回した後で。


「年越しに刈った跡がない。間違いない、神馬じゃない」


 その声に、もう数人が駆け寄った。

 馬は迷惑そうな顔を見せたが、それ以上、抵抗する様子もなく。


「本当だ」

「まだ、それほど経ってないよな」

「伸び切るには早いだろう」


 寄ってたかって、ぶつぶつと。

 神馬のたてがみは、年越しの神事に欠かせない捧げ物だ。

 碧流も、真新しいたてがみが、村の門に捧げられているのを見ている。

 その跡がない、ということは。


「あ、こいつ、牝だぞ」


 他の男に股座を覗かれて、さすがに馬が尻っ跳ねた。

 馬に慣れている孔族だから、蹴られはしなかったが、すぐに朱真が締め直す。


「見た目は、神馬そっくりだがなぁ」

「だが、こいつ、もっと若くないか」

「ってことは、娘、ってことか」

「それが、一番濃い線だな」


 どうやら、この馬は神馬の娘、ということで決着が着いたようだ。

 改めて、御者は馬上の朱真を見上げると。


「アンタら、別に神馬じゃなくても、構わないんだよな?」

「……ああ、オレが乗りこなせる馬なら、問題はないが」


 なんとなく、拍子抜け感はあるが、そもそもは朱真が乗れる馬が必要だっただけだ。その点、この馬であれば、なんの問題もない。

 と、なると。


「まぁ、神馬を狩るなんてのは、とても許される行為じゃないが」

「その娘を狩っちゃならん、という掟は、あるわけじゃないしな」

「この方々には、いろいろと、お世話になったことでもあるしよ」


 じわじわと、その態度が軟化していく。

 なんというか。案ずるより産むが易しというのか、やっぱり、取り越し苦労というべきか。

 程よく、皆の肩の力も抜けかけたところへ。


「お〜い。ちゃんと神馬は狩れたのか〜?」


 全く事態を把握していない娘が追加され。


「いや、どうやら、神馬じゃなかったらしい」

「なんだとぅ! この、ボンクラがッ!!」


 全く意味のない罵声が、朝ぼらけの空にこだましたのだった。


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