夕_集落
もはや、見慣れた顔に、苦笑で迎えられて。
「……あんた、オレに代わって、御者になるかい?」
「ははは。それもいいかもしれませんね」
まぁ、三日連続で同じ馬車に乗る者など、御者の他にはいるまいて。
乾いた笑いを浮かべつつ、碧流は乗り慣れた荷台へと乗り込む。
行先は、もちろん孔族の村。
ただし、前回は、わかりやすく村のためだったので、気も楽だったが。
いや、今回も、遠くは村のため、ではあるのだけれども。
胸に抱えた気持ちは、ずん、と重い。
やがて揺れ始めた馬車に、身を委ねながら。
碧流は、二人の仲間のことを思う。
本来ならば、紅兎がこちらへ来るべきだった。
だが、あちらにも、紅兎の力は必要だ。そして、あちらに碧流は必要ない。
こちらの使命もさることながら、あちらの任務も容易いことではありえない。
だとしたら、碧流は、全力でこちらの使命を果たすのみ。
と、意気込んではみたものの。道中は揺られる以外にすることもなく。
車中での味気ない昼食を挟んだ夕暮れ時。ようやく馬車は終点の村へ着く。
「明日も乗るのかい?」
「わかりません。上手くいけば、乗らないと思います」
「そう言うなよ。待ってるぜ」
御者の軽口を残して、馬車が去っていく。
碧流は一度、夕陽に照らされた門を見上げた。
太い樹を組んだだけの門。初めて見た時には気づかなかったが。
確かに、そこには黒い毛の束が捧げられていて。
「……これは、無理だろぉ」
さすがに、弱音が漏れた。
そこへ。
「碧流?」
ヤン、と言ったか。
前回にも案内してもらった女性が、こちらへと駆け寄ってきた。
「碧流。もう来たの?」
ヤンが目を丸くする。
そう言えば、また来て欲しいと言われていた。
思い出せば、がっついているようで恥ずかしくもなるが。
「また、別の用事ができまして」
どうあれ、正直に答えるしかない。
ヤンはいつもの笑顔を見せてくれて。
「長のとこ?」
「そうです」
「こっち」
もう、案内してもらわなくても大丈夫なのだが。
嬉しそうに先を歩くヤンに、碧流も大人しくついていった。
『ヤン、碧流のこと気に入ったみたいよ』
昨日の、紅兎の言葉を思い出すが。
「コトは、一緒じゃないんだね」
「はい。また別の用事があって」
意識的に、意識しないようにする。
もう、ここへ来ることはないかもしれないのだから。
「ここ」
「はい。何度も、ありがとうございました」
長の家の前で、ヤンに頭を下げる。
ヤンはにこにこしながら小さく手を振って、今来た道を戻っていった。
長の家へ向き直り、気を引き締め直す。
背筋を伸ばして、大きく深呼吸を一つ、二つ。
これから、碧流は、神をもらいに行くのだ。
「失礼します」
不要と知りつつ礼をして、軽い木の扉を押して、中へと入る。
もう嗅ぎ慣れた、草の香り。何枚も垂れた、布の向こうから。
「碧流、か。入りなさい」
常に変わらない冷静な声に導かれ、碧流が奥へと進む。
出迎えてくれた姿も、変わらないものだった。
「随分と、早く戻ったものだが」
「状況の報告と、別のお願いがあって、参りました」
長は、やはり、囲炉裏の灰を掻いている。
それが必要なことなのか、ただの癖なのか、碧流は知らない。
特に促されないので、勝手に話し始めた。
「お話しした、朱家の知人は、協力を約束してくれました。今、採掘を止めるよう、動いてくれています」
「そうか」
長は、さして嬉しくもなさそうに頷いた。
やや拍子抜けであり、その代わりの要求を差し出すのが心苦しくもある。
それでも、黙っていては、話は進まない。
「その上で、お願いがあります」
動かない長へ向けて、碧流は膝を揃えると。
「神馬 (シンメ) を、お借りできないでしょうか」
ぴくり、と。長の手が一度、小さく震えて、その動きを止めた。
碧流は言葉を重ねる。村を救うためだと、理解してもらわねばならない。
「知人は、朱家の当主に刃向かうことを、約束してくれました。しかし、知人の力はまだ弱い。当主を止めるには、次代の南公位を得なくてはならず、そのためには、景芝での槍術大会に優勝しなくてはなりません。そしてそのために、是非とも、孔族の神馬の力が必要なのです」
一息に言い切った。
後は、長の反応を待つ。
「――――神馬をして、なんとする」
長は、静かな声音のまま。
「乗ります。槍術大会は、馬上での槍術を競うもの。人馬一体とならねば勝利は覚束ず、知人がそれを果たすには、馬は神馬でなくてはなりません」
逸る気持ちを、昂ぶる思いを、抑えつつ。
碧流もなるべく静かに語る。
そこへ。
「何を言うか! 神馬に乗るなど、不遜も甚だしい!!」
怒声は、後ろから響いた。
乱暴に布を掻き分けて、姿を見せたのは、あの夜に酒を酌み交わしたうちの一人。
「族を救ってくれた者の言うこととて黙って聞いていたが、神馬を貸せなどと言われては黙ってもいられない。図々しいにもほどがある。出ていってくれ!」
男は、碧流に掴み掛からんばかりに詰め寄った。
しかし、碧流もここから引き下がるわけにはいかない。
「それはできません。僕も、孔族を救いたい。そのために、しなければならないことがある」
その視線は、やや前方の床を見つめ。
その意識は、真っ直ぐに長へと向けられている。
「――――それが、神馬を乞うこと、か」
長の視線は、囲炉裏の炎から動かない。
「知人はすでに神馬を狩りに向かっています。順は逆になりましたが、僕は神馬を崇める孔族の方々に、一言、ご報告と、お願いに」
「神馬を、狩るだと……!」
男の顔は、すでに怒りで真紅に染まっていた。
それはそうだろう。
孔族にとって、神馬は崇めるべき神だ。
年の初めに、神馬を捕らえ、たてがみを切る。神馬は感謝とともに放し、たてがみは村の門に捧げる。それは重要な神事だ。
すべてに、きちんとした仕来りがあり、幾重にも定められた手順がある。その上で、畏みつつ、恭しく行っているのだ。それを何代も受け継いできたのだ。
それを、他族の者が。縄を掛け、鞍を乗せて、乗馬とし。あまつさえその上で槍を振り回して、見世物とするなど。到底、許されることではあるまい。
それを承知で。碧流は、頭を下げ続ける。
「知人は、神馬を狩るでしょう。それを変えることはできません。ですが、できれば、孔族の方々からのご承諾をいただければ、と思い、まかり越しました」
歴代の行為に想いを馳せて、せめて、同じように恭しく。
長が、火搔き棒を置いた。
「――――勝手、だな」
「はい。勝手で、一方的です。ただ、時がないことだけは、御諒解ください」
今にも、鉄の採掘は始められてしまうかもしれない。
孔族でもロウを中心に対策はしているのだろうが、それでも、いつまでも抑えられるものでもないだろう。
それは、長にもわかっているはずだ。
「ふざけるな! 長、すぐに人を集める。馬鹿なことはやめさせなければ」
長が、片手を上げた。
言葉もなく、男が止まる。
「――――コトは」
「知人とともに、神馬狩りに」
「コトもだと!?」
男が叫んだ。
「あのガキ、心まで景芝に染まったか!!」
「違います!」
初めて、碧流も声を荒げた。
視線だけを、斜め後方の男へ向けると。
「コトは、それが孔族のためになると思って、行動しています」
男が黙ったのを確認し、再度、長へと向き直る。
「コトは、これまでずっと、紅家に入った自分を認めずに来ました。自分は孔族であり、紅家の人間ではない、と。景芝の、周囲の人間からも、常に反発をして」
長は何も言わない。
それでも、その纏う空気が、少しだけ揺らぐ。
「そのコトが、今回の件で初めて、朱家の知人に頭を下げました。紅家に相応しい人間にもなる、とも言いました」
長が唯一見せた、嬉しそうな笑顔。それは紅兎の話が出た時だった。
「それでも、コトは孔族だと。紅家でありながらも、いつまでも孔族なのだ、と。彼女は、そう誓いました。その上で、今も行動しています」
長が、紅兎を、コトを、今でも愛しているのなら。
「コトのためにも、神馬狩りを、お許しください」
紅兎に倣って。碧流は、深く、深く、頭を下げた。
薄暗い広間を、沈黙が支配する。
長は何も言わず、炭も鳴らない。
ぎりぎり、と。歯が軋る音だけがした。
後ろの男は、今にも走り出しそうな自分を、必死に抑えているのだろう。
碧流は頭を下げたまま。長も囲炉裏を見つめたまま。
やがて。
「――――碧流は、不思議な男だ」
長が、ぽつり、と呟いた。
「鉄を売るな、と言い、村を開け、と言い、神馬を狩らせろ、と言う」
確かに、勝手な言い分ばかりだ。
まだ二度目と思わずとも、失礼にもほどがある。
「だが、それらはすべて、孔族のことを思ってくれてのことだ。誰よりも孔族の未来を憂い、今を切り開こうとしてくれている。例え、過去を捨ててでも」
初めて、長の視線が、碧流へと向けられて。
「――――なぜだろうか」
それに、碧流は返す答えを持たない。
「……なぜ、でしょうね」
顔を上げて、ただ、苦笑を見せて。
長も、それで少し、微笑んだ。
「――――リク、人を集めなさい」
「長! それでは」
リクと呼ばれた男が、一歩踏み出す。
だが、長の言葉は、彼の意に反して。
「狩りを許すことはできない。だが、我らを思ってのことであれば、止めることもできまいよ」
「長!」
許さないが、止めもしない。
「ただ、見届ける必要はある。もし、あまりにも暴虐な扱いをするのであれば、崇めてきた者として、押し止める必要もあるだろう」
それが、崇めてきた者としての務め。
「そうでなければ、見送るのみだ。神馬が許すのであれば、その背を貸すこともあろう。諾える者のみ、集めなさい」
「……は、はい」
己の感情を嚙み殺して。リクが、出て行く。
「――――碧流」
「はい。僕も行きます」
もう一度、頭を下げて。
碧流は立ち上がった。
長はそれを、どこか眩しそうに見上げてから。
「これからも、紅兎のこと、よろしく頼みます」
そう言って、深々と、頭を下げる。
その姿に、碧流の脳裏には、今までの、様々な顔をした紅兎が甦ってきて。
「はい。もちろん」
碧流は、自然と、笑顔を返すことができた。




