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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 春 〜  作者: 都月 敬
4日目
15/30

夕_集落


 楽しかった道連れも、馬車が進むにつれて、一人減り、二人減り。

 やがて、碧流一人になってから、道は山を登り始めた。

 傾斜はさほどきつくはないが、周囲からは青草が絶え、ゴツゴツとした石が転がり始める。そんな道を進むこと、しばし。


「着いたよ、おつかれさん。」


 御者の声とともに、馬車がその車輪を止めた。

 ここが、孔族の村か。


「ありがとうございました」


 料金を払って、荷台を降りる。

 馬車はすぐに、元来た道を引き返していった。

 それを見送ってから。碧流はまず、眼下の景色を眺めた。

 山、といっても、それほど登ってきてはいない。

 それでも、遮るもののない視界一杯に、夕暮れに染まる草原が広がっていた。

 遥か遠くに、うっすらと、最後に過ぎた村らしき影が見える。だが、それだけ。

 それ以外は、すべて。茫々と茂り、風に揺れる草の原だった。

 ゆっくりと、視線を近づけていくと、徐々に緑は減り、山肌が現れる。

 それに刻むように作られた山道を、碧流は登る。

 右手から左手へ、山の斜面が続いていく中の、ほんの少し開けた平地に。

 その村はあった。

 出迎えてくれるのは、太い樹を組んだだけの門。

 両脇には、申し訳程度に、柵も張られていた。

 その奥には、木と枝で組み上げた家と、床を上げた倉庫が並んでいる。

 碧流は、その門の手前で、足を止めた。

 こう、門を構えられると、無許可で潜っていいものか、少し迷う。

 逡巡していると、向こうから、一人の女性が近寄ってきた。


「――――誰? 何か用?」


 どうしても、泰陽の常識に囚われていると、こういうところで面食らう。

 わかっている。孔族に礼節の文化はない。だから、これでいいんだ。

 かと言って、碧流には身についた習慣というのがあるもので。


「すみません、急にお訪ねして。私は泰陽の学院から来た、碧流という者です」

「……タイヨウ、ヘキル?」


 まずい。泰陽も知らないか。となると。


「えっと、紅兎、いや、コトさんは、ご存知ですか?」

「コトサン?」

「コト、です。コト」


 女性はやっぱりぴんとこない様子で首を傾げている。

 こうなれば仕方ない。無理は承知で。


「では、村長に会わせていただくことは、できますか?」



 言ってみるもんだ。

 この言葉を、今日ほど実感したことはない。

 村長、と言った途端に、女性は大喜びで、村の中へと案内してくれた。

 わからないことばかり言う旅人が、ようやくわかることを言ってくれたので安心した、というのはあるのだろう。だとしても、その親切さは充分に伝わってくる。

 その、道すがらも。


「タイヨウは遠い?」

「遠いです。でも、今日は景芝から来ました」

「ああ、景芝。じゃあ、朝からだ。おつかれさま」


 とか。


「お腹減ってる?」

「まぁ、少しだけ」

「ほんとに?」

「……あ、いや、かなり」


 とか。

 でも、食堂はありますか? という質問には、微笑うだけで答えてくれなかった。

 泰陽以降の食事は、昼時に通りかかった町で買い込んだ弁当一つのみ。

 考えてみると、宿もなにも考えて来なかった。野宿にはまだ辛い時期なのに。


「着いたよ。ここ、長のウチ」


 女性が指したのは、この村で見た中では、一番に大きな家だった。


「ここ?」

「そう。ここ」


 にこにこと。

 案内してくれるだけで、特に取次をしてくれる様子はない。

 ……仕方ない、もう一度、腹をくくるか。


「ありがとう。じゃあ、行ってみます」


 そう告げて、軽く手を振る。

 女性も、それに合わせて。


「がんばれ〜」


 と、応援してくれたが。

 何をがんばるのか、わかってるのだろうか。


「失礼します」


 妙に軽い、木の扉を押して、中へと入る。

 ふわり、と、草の匂いがした。

 薄暗い室内。天井は高いが、板はない。三角に設えた屋根の裏まで見える。

 左右に壁はあるが、正面にはなかった。代わりに、梁から何枚もの布が垂らしてあって、部屋の奥が見えないようになっている。

 入ってすぐは、土間、というやつだろうか。土がむき出しの地面があって、その少し先から、床板が敷いてある。どうやら、そこで、靴を脱ぐらしいが。


「――――どなたかな」


 布の向こうから、声がした。

 思わず、声が出そうになるほど驚いたが、それはおくびにも出さず。


「泰陽の学院生の、碧流、と言います」


 とりあえず、名だけを名乗り、後は直立で待機する。

 礼節がない、と言われると、逆にどう振る舞っていいのかもわからない。


「碧流。コトの、友人の方か」

「そうです!」


 ようやく話が通じそうで、ついつい気が逸ってしまう。


「約束もなく、急に来てしまって申し訳ないのですが、コトさんは――――」

「碧流。我々に礼節は不要。友と接するようにしてくれれば、それで良い」


 碧流のぎこちなさを感じ取ってか、声が優しく助言をくれた。そして。


「入りなさい。コトも、じきに戻ろう」

「……はい」


 言われるがまま。土間で靴を脱ぎ、床に上がる。

 布を大きくまくるのははばかられて、いちいち避けるようにして進んだ。

 やがて、大きな囲炉裏の向こうに胡座をかく、一人の老人の姿が見えた。


「座りなさい」


 老人は、囲炉裏を挟もうとした碧流に、右の円座を示す。碧流もそれに従った。


「遠路はるばるご苦労。さ、山の夜はまだ冷える」


 囲炉裏には、炭が明々と燃えていた。窓は高いところに小さく切られているだけだから、そのぼんやりとした明かりが、この広間では唯一の光源だった。

 それに下から照らされた長は、枯れたような手で、白い灰を掻き回しながら。


「碧流のことは聞いている。コトが世話になったようだ。泰陽でも、ここまでも」

「あ、いえ、そんな」


 謙遜してみようにも、世話をしているのは間違いない、という自覚がある。

 長は、そんな碧流の反応を、どう受け取ったのか、穏やかに微笑うと。


「あれは、泰陽では、元気でやっているだろうか」

「ええ。元気ですよ。友だちもいますし」


 元気なのは、間違いない。講義中を除けば。


「そうか」


 と、嬉しそうに頷いて。


「景芝では、いや、景芝でのことは、あなたは知るまいが、なかなかに難しいところもあったようだ。だが、泰陽で上手くやれているなら、何よりだ」


 景芝でのこと。

 それは、朱真の言う、核心なのだろう。長は、その内容を知っているのか。


「……その、景芝でのこと、とは?」


 恐る恐る訊いてみるが、長は炭をつつくだけで答えず。


「ところで、コトからは、こちらへは来ない、と聞いていたが」


 話を変えられた。


「あ、ああ。すみません、ちょっと気になることがありまして」


 簡単に話せる内容でもなし、仕方ないか。こちらも、紅兎の話をしにきたわけではないのだし。

 気を取り直した碧流は、ここまできた目的を話し始める。


「孔族が、鉄鉱脈の情報を売る、という話が出ているそうですが」


 囲炉裏の炎を眺めていたその目が、すう、と細められた。


「――――そんな話を、どこで?」

「景芝の鉄工町です。仕入先が、孔族から朱家に変わる、と言っていました」

「……朱家、に」


 火搔き棒を置いて。長が腕を組む。


「ご存知では、ありませんでしたか?」


 碧流の問いにも、その視線は、炎へ据えられたまま。

 こうなると、碧流には、それ以上の言葉を重ねることもできず。

 釣られたように、二人で炎を眺めること、しばし。


「碧流」

「はい」


 パチン、と一つ、炭が弾ける。


「今夜は泊まっていきなさい。夕食を用意させよう」


 長が、静かに腰を上げた。

 そして、そのまま、布の向こうへと消えていく。

 残された碧流は、どうすることもできずに。


 パチン、ともう一つ、炭が弾けた。


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