第52章 聴取
「──あ、どうも……」
緑茶の入った椀を出した私に、一見すると男と間違えてしまいそうなほど剛健な身体付きの女性──波間部 水零は、少しだけ首を下げて会釈した。
というかこっちが秘書なのか。世間一般のイメージに則れば、どちらかというとこの眼鏡をかけた金髪の女性──緒張 万李の方が秘書の理想像と呼べるだろう。
「それで……話とは?」
彼女たち二人と対面して座る黒雨 凜は、私が彼の前に椀を置いたと同時に切り出した。
それに対して万李は、私の注いだ茶を啜り、その椀を静かに置くとこう始めた。
「……二ヶ月前の事件……大変心が痛みます。皆様のご心中、誠にお察しします」
定型文を読みあげる機械のようだった。
黒雨さんはそれに対し軽く頭を下げた。
「……その中で、本当に恐れ入るのですが……事件に関して少し伺いたいことがあるのです」
「……もう話すことは全てお話ししたはずですが?」
黒雨さんが珍しく眉をしかめる。
「そうですね。警察がこちらに事情聴取に伺ったことは、我々の耳にも入ってきております」
「ではもうお話しすべきことは無いかと」
「いえ、そうではなく」
万李は引き下がらずに続ける。
「我々は警察ではなく、管理局の人間です。なので聴取はまだ済んでいないのです」
「……そういうことですか」
黒雨さんは納得した頷きを見せた。
「それで、お伺いしたいのは……」
万李が提示した話題は、衝撃的ではあったものの、私は心のどこかで、いつか話すことになるだろう、と予想していたものだった。
「ツアー当日、怪しい“人造人間”がいなかったか、という話です」
「……どういうことでしょう?」
解せない、そんな単語が黒雨さんの顔に記されてあった。
私と同じようにそれを察した万李は、一拍間を置いてからこんな言葉を告げた。
「“狂った殺人少女”……ご存知ですか?」
「……何ですか、それは」
黒雨さんの声色が厳しくなる。
「メディアでは、例の事件を起こしたのはグループ犯であると報道されていますが……警視庁の中で犯人の候補として最近、
“狂った殺人少女”と呼ばれる一人の少女が挙がっているのです」
黒雨さんと私は、戦慄した。
しかしその根源は、完全に異質であった。
「……とても非現実的な推察ですね」
戦慄の直後であるのに、そんな事実を忘れる程に、あからさまな怒りを見せる黒雨さん。
「2時間にも満たないうちに、あれだけの人たちが殺されているのでしょう……?それなのに、たった一人の犯行だと……!?いったい何を根拠に……!」
「……事件発生後、現場に向かった警察官複数名の証言による推察です」
「ふざけるのも大概にしてくださいませんか」
黒雨さんの、今までに見たことのない怒り。
ここまで彼が怒りを顕にするのは、後にも先にもこの瞬間だけだろう。
「……あれだけの人間の生命が奪われ、今もなお別の命が奪われる危険性があるというのに、何人かの警察官がそうだと言ったから一人の少女が犯人だと!?
おふざけも甚だしい!気分が悪くなりそうだ、もう帰ってくれ!」
「でしたら」
勢いよく立ち上がって憤慨する黒雨さんを前にしてもたじろがずに、万李は反論する。
「複数犯だとする証拠があるなら、私どもにお見せして欲しいものですね」
その言葉を挑発と受け取ったのか、黒雨さんはとうとう手を上げんとした。
それをいち早く察知したのは、万李のそばに居た水零だった。彼女は、拳には拳で対応しようと、自身の右手をギュッと握りしめた。
それを見た私は慌てて、黒雨さんを止めた。
男子の中では痩せ型と取られて何らおかしくない体格の彼が、水零に勝てるはずなどない。
それを知りながら立ち向かって敗れて、正当防衛だと言われてしまったら、いよいよ本当に勝ち目が無くなる。
そう考えると、黒雨さんを止める為の手は、自然と出た。
「……万李さんの言うことを……まずは聞いてみませんか?」
私はそんな言葉で彼を宥めた。
──以前にもこんなことあったな──なんて考えながら。
私の声を聞いて落ち着いてくれたのか、彼は振り上げた拳を、まだ納得のいっていない顔をしつつも下げてくれた。
その流れで、再び腰を下ろした黒雨さんを真似るようにソファに座った万李は、軽く頭を下げたあと、何事もなかったかのように話を続けた。
「……昨日、警察がその“狂った殺人少女”の正体が、“人造人間”ではないか、と見当したのです」
「……」
万李がそう告げても、黒雨さんは黙ったままだった。
「その為にこの度、“人造人間”の専門であり、その管理権を握る我々管理局に“狂った殺人少女”に関しての捜査権限が移ったという次第です」
「何故……“人造人間”だと?」
沈黙したままの黒雨さんに代わり、私が尋ねた。
この質問の返答次第では、例の計画──“人造人間”抹殺計画を、政府が認めたことになるかも知れないから。
「警察の考えた理由は2つほど。
1つは、過去の事件と照らし合わせた際に見えた犯行可能である確率の高さです」
「……というと?」
「……2113年7月……覚えておいでですか?
T県のとある埠頭で、警察特殊部隊員数十名の命が奪われた事件。
同じ日に多発していた事故も含めて考慮すれば、今回の事件と同等の人間の命が奪われているのです」
忘れることなどない。あってはならない。
その事故の発端は──
「──海凪 希良梨。その事件を起こした、“女性人造人間”の名前です」
──私なのだから。
「少女の“人造人間”は、法に逆らって未だ逃亡中……まだ私たちの手によって回収されないままです。
今回ほどではないものの、それでも多数の人間を一瞬で殺し、加えて装甲ヘリをも破壊し墜落させる力を持っているのです。彼女が今回の“狂った殺人少女”ならば、話が通ります」
タネをひけらかす手品師のようにつらつらと話す万李。
「仮に“狂った殺人少女”が海凪 希良梨でなかったとしても、既に証明されているその化け物のような力を持つ“人造人間”が新たに製造され、解き放たれていたとすれば合点がいきませんか?」
なるほど、無理のない話ではない。
「……では2つ目は?」
私は尋ねる。
「……現場に転がっていた、こちらの腕です」
万李は液晶タブレットを操作し、とある写真を探し出すと、私たちにそれを見せた。
そこに映っていたのは、私にとっては記憶に新しい、血に塗れた細い腕だった。
土の上に転がるそれが、平面的に、二次元的に映っているようには見えず、まるでそこに物として立体的に、三次元的にしか受け取ることが出来なかった。
「この腕の中心に、“人造人間”固有の骨──“堅構骨”が存在していることが、司法解剖で判明しました。
また勿論、多数の被害者の中に“人造人間”は存在しませんでした。
つまりそれは犯人のものである可能性が高い……言い換えれば、犯人は“人造人間”である可能性が高いと言うことになります」
万李はそんな台詞で話を閉じると、こちらの出方を伺うようにして私の顔を覗き込んだ。
「……お話はわかりました」
だが結果は彼女の期待とは違って、質問に応えたのは、未だ怒りの炎が冷めやらぬままの黒雨さんだった。
「しかしお言葉ですが、我々メンバーの関与が無いことは、ここに断言できます。この2ヶ月間、私たちはあの日あったことについて包み隠さずに話し合いました。
その中で怪しい“人造人間”の話など少しも無かった。それ以上話すことなんて何もありません。
…それにもう、私たち以外のメンバーに、あの事件の話をするのはやめてください……。私はあの日現場にいなかったぶん浅いが、ここにいる愛翠を含めて皆、心に大きな傷を背負っている……。
2ヶ月という時間のお陰で漸く塞がりかかってきたその傷を、再び掘り返すなんてことをするくらいなら、この家の主として……そしてリーダーとして告げます……。
もう2度と、この家の敷居を跨がないでもらいたい、と」
彼の断固とした態度に、万李は口を噤んだ。
それを見ても、黒雨さんは勝ったような表情など見せず、ただ口を一文字にしたまま、万李の次の言葉を待った。
それに対して当の万李は、自らがその期待を裏切られたのとは裏腹に、黒雨さんの期待に応えるように口を開いた。
しかし彼女が言い放ったのは、会話の流れからして自然な別れの挨拶ではなかった。
「……緒張 基」
名前だった。
「……何です……?」
「名前です。緒張 基」
相変わらずの、抑揚のない口調に思えたが、よく聞くと、その言葉には感情が微かに感じられた。
「万李さん、その話は……」
「良いの。私が勝手に話しているの……責任は私が持つわ」
十数分ぶりに口を開いたかと思えば、水零は万李を制止しようとしていた。しかし万李はこの通り、彼女を弾き返した。
「今……緒張と言いましたよね?……ということは……?」
私がそう問うと、万李は静かに頷き言った。
「……そう、その名の持ち主は私の家族……実の兄です」
彼女は言い、そして付け加えた。
「兄であり……あの日、果敢にも現場に向かって殉職した、刑事です」
と。
万李がそれを告げたのを見た水零は、とうとうやってしまったと言うような表情をした。
「兄は……基は、それは立派に亡くなったと……刑事として誇らしい姿を見せてくれたと、ちょうど、“狂った殺人少女”が犯人だと供述した刑事が教えてくれました。
しかし本当は、酷なくらいに呆気のない死に様だったことを後に知りました……“狂った殺人少女”の手が、何の躊躇いもなく彼の首を切断して、頭だけをその場に落としたと……有り得ない話のように思えるけれど、これが真実だと伝えられました……」
涙は流すことはなくても、万李の声は震えていた。それを知られるまいと、強い女の人物像を必死に努力しているのも見受けられた。
「……刑事になった以上、何れこうなるだろうと覚悟はしていましたが……あんな死に方……!
そんなのないって、何度も虚空に訴えました……けれど何も帰ってこない……。
兄も……」
彼女の話すのを、この時ばかりは流石に黒雨さんも黙って聞いていた。
「……黒雨さん。確かにあなたの言う通り、コテージであの惨状を目の当たりにした彼女たち4人が心に背負っている傷を、これ以上、抉るべきではないでしょう……。
けれど貴方の話では、その傷を負っているのは彼女たちだけのように聞こえましたが……ご存知でしょう?他にも被害者や……遺族が居ることを」
黒雨さんや、すぐ隣にいる水零がどうなのかは、視覚だけでは判断のしようが無いが、少なくとも私は感じていた。
万李から放たれている、禍々しさすらあるオーラを。
「……今日は、次に行かなければならない場所がありますので失礼致しますが、また時間のある時に伺わせて頂きますので、その時には……真摯な対応をして頂けるよう……お願いしますね」
顔を上げて黒雨さんを真っ直ぐに見た万李の瞳は、執念の炎が燃えていた。
その炎は確実に、この場の空気を一変させていた。
一言も話すことが出来ないよう禁じられているみたいに、口を開くのがひどく重い、そんな空気に。
「……行きましょう、水零」
秘書の水零にそう告げたと同時に、床に置いてあった黒のバッグを手に取り、そそくさと部屋を出て行った。
「あ……」
と、水零は慌てて万李に付いて行った。
穏やかではない空気に圧倒される部屋に居ることで私は、
彼女たちの見送りをするのを、すっかり忘れていた──。




