第45章 立証
──私に己の名を告げられたその男──早房 絢であったが、動揺したような仕草は一切せず、手をピクリとも動かさずにただこちらを睨んでいた。
だが数秒後、絢は自らの正体を既に突き止めていたと話す私──愛翠 杏紅に問いかけた。
「……いつから、知ってたんだよ」
と。
その様は、出来心で行った悪戯がバレて親か先生に叱られる寸前の萎縮した子どものようでありながら、反面、何事にも動じぬ、揺るがぬ威厳を持つ父親のようでもあった。
一方私も、それに屈するつもりは毛頭なかった。
「いつから、か……。
確信を持ったのは、増峨さんを見失ったとあなたが告げた時だったわ」
これから嘘を暴いていく立場でありながら、ありもしなかったことを話すのは論外であるから、私は偽りなく答えた。
「根拠は?」
屈していないと示すためか、或いは焦りを隠すためか、間髪入れずに問うてくる絢。
「根拠ならある」
「……答えてみろ」
口調が挑戦的になりつつある絢だったが、私も決して屈さぬ態度を見せながら、
手品のタネを見せびらかすようにして明かしていくことにした。
「あなたに私の疑いの目を向けざるを得なくなったのは、あなたが虹際さんを救出に行くと言い始めた時の台詞よ。
尤もらしい理由のようだったけど実は違った……。
あなたは、居なくなった虹際さんが、何に襲われるかわからないと言った。
それって、おかしな話じゃない?」
「…………」
「……正体の判らない何かに襲われるかもしれない……言い換えればそれは、
まだ何者にも襲われていないということは確か……そうでしょ?」
「……つまりオレが、
虹際さんが何にも襲われることがないと知っていたと?」
眼前の絢が言うので、私は頷いた。
しかしこれに対する論を彼は述べる。
「だが獣はどうなんだ?このご時世じゃ、建物が近くにある森でも獣は出ておかしくないはずだ」
「それは無いわ」
「……何故」
「このホテルと研究所の間の森林は、全てトレイル・ブレーザーが所有する敷地。
そしてトレイル・ブレーザーはこの敷地を買い取ったと同時に、鳥獣対策を万全にした。
広楽島にも採用されている、耐高衝撃透明ガラスで上空を覆い、地上からは人間動物共に害のない特殊電磁波壁を採用している──と、フロンティア内部の説明版に記されてあったわ……よって獣の立ち入る余地は無い」
「全て知りつくしてたってわけか……」
絢は目を閉じる。
「まだ終わりじゃない。……もう一つ、あなたに対する疑いが、確信に近づいたきっかけがある」
私がそう言うので、絢はすぐに目を開き、再びその鋭い眼光を私に向けた。
「ついさっき……あなたはもうすぐ、警察の車が助けに来ると言った……けれど、増峨さんは救助車が来るとしか伝えていない……。
それは単なる言い間違いじゃなくて……あなたがフロンティアの研究所に行った時、
あなたの魔の手を逃れて通報した者の声を聞いて知っていたからじゃないの?」
私がそう尋問すると、絢はもう一度その目を伏せるとか、俯くなどということはせず、数秒の沈黙の末に、
「…………ククククク……!」
と、不敵に笑い始めたのである。
その笑いは更に勢いを増し、
「ハハハハハッ!!」
と高らかに笑い出したではないか。
私はその瞬間、その甲高い笑いの裏にある意図を把握出来ずにいた。
だが戸惑いの表情を見せてはならないと、必死にポーカーフェイスを保った。
10秒ほど、彼は笑い続けた。もうそろそろ、その笑いを聞きつけた菜那や美雪さん等が来てもおかしくない頃に、彼はピタリとそれを止めると、こう呟いた。
「……“人造人間”抹殺計画」
突然、理解に苦しむような言葉の羅列を告げられ、私の思考の回転は一瞬停止した。
「……それが、オレが遂行中の任務の名称だ」
「……任務?」
私は引っかかったその単語を思わず反芻していた。
「ここまで話していればもうご周知かと思うが……オレは政府の人間だ」
確かに、それは予想の範疇だった。
「そうして政府は……今もこの世界の何処かで密かに生きているとか言う“人造人間”や、彼等を研究対象にしている者……そして“人造人間”を製造っている者共を、
この世から人知れぬ内に葬り去ろうとしているんだよ」
絢が話したその内容は、今夜起こった一連の事件のあやふやだった接点を、全てしっかりと繋ぎ合わせた。
このコテージでの突然の殺人や失踪、そして、フロンティアの中で“人造人間”についての真実を知る者だけを狙った大量殺人……。
「更にいえば、今日のフロンティアのツアーも、仕組まれたモノだった……今のこの状況を生み出す為の、な」
私は、彼が政府から差し向けられた刺客だと知った時から、そこまでは理解出来た。
しかし、1つ解せない事がある。
「政府は、“人造人間”を造らせていたんじゃないの?」
私はそれを尋ねた。
「今日……命琴さんが言っていた。今もフロンティアでは、公には一切明かさずに“人造人間”が造られ続けている……それは、『A』という正体不明の存在と、政府による指示だと」
「……その事なら……全てその、『A』の仕業だよ」
絢は、何度も訊かれてうんざりだと呆れる風にして言った。
「『A』という存在がいる事は、オレたち政府も認識している……政府のやろうとする事を悉く掻き乱してくる輩だ。
警察含め、オレたちは『A』をテロリストとして国際手配しているが……名前も顔も割れていない奴に懸賞金をかけたところで無意味なのは誰もが承知の上だ」
「じゃあ『A』は、政府の名も騙って、二役を演じているってこと……?」
私が言うと、絢は深く頷いた。
となると、初葉 命琴のやっていた事は、『A』の武力行使の加担に過ぎなかったという事になる。
激動の時代を生き抜くための術として政府が選んだ道を、一歩一歩進む為の助けになって欲しい、そう頼まれれば、いち科学者にとっては冥利に尽きるというものだ。
世界を救う為に、という善意と、
その為に科学を用いれるという科学者としての誇りを、
傷つけ弄び、且つ己の目的達成の為に利用した『A』に対する憎悪が、ふつふつと込み上げてくる。
しかし、今はそればかりに矛先を向けていられる状況ではなかった。
「……さて、名推理ショーも幕閉じにして……」
絢は何かの合図のように、パン、パンと2回、手を叩いた。
「“人造人間”抹殺計画は、お察しかと思うが極秘任務だ。
愛翠 杏紅、あんたの名推理に感服した余りにバラしてしまった以上、」
そのまま絢は、その手拍子した手をギュッと握りしめ、
拳に変えた。
「あんたの口を、封じなきゃならねェ」
刹那、彼は戦闘態勢にその身体を移行させた。
それを私は、認識した。
認識することは可能だったが、
そこから私が万全の態勢に入るのよりも遥かに早い時間で、絢が、
5メートル程あった筈の距離を一気に詰め寄り、
私の首から顎にかけての部位を、鷲掴みした。
その力のままで私は絢に押され、背後にあった、ちょうど人ひとり程が通り抜けられそうなガラス窓を突き破られ、
連なる大木の木の葉が風に揺られる音が聴こえる暗闇へと放り出された──。




