第43章 見守
「───その電話、何だったの?」
花理崎 菜那が私に問う。
「増峨さんが、ここと通信取っておこうって」
私は応える。
「こっちの声と向こうの声、繋いでおけば何が起こってるか判るし、心配ないでしょ?」
「…………それもそうね」
不自然で、僅かな間。
その瞬間の菜那の反応を見ただけで、私は確信した。
彼女も、私と同様の疑いを、この瞬間に増峨さんにかけたのだ、と。
彼女も勘は良いほうだ、そう思っての言動だった。
「美雪さんも、それでいいですよね?」
その菜那が、早速行動に移る。
彼女は、背後のソファで疲弊した様子で座っている初葉 美雪にそう尋ねた。
当の美雪さんは、半ば思考が麻痺しているご様子。そんなことなどどうでもいい、と言った顔で頷いた。
しかし菜那はそこで安心せず、第2の初葉 美雪抑止策を開始する。
彼女は、隣にあった、アメニティなどが載っている棚の上の冷水機から水をコップに注ぎ、美雪さんの前に差し出した。
「水しか無いですけど……ちょっとゆっくりしていて下さい」
普段なら、そのあまりに不自然な所作に首を傾げるところだが、判断力を欠いている美雪さんは、
「……ありがと」
と、素直に礼を告げた。
「……で?」
私の元に帰って来るなり、菜那は小声で尋ねてきた。
「ここからどうすればいいの……?」
作戦に協力の姿勢を見せてくれて、素直に嬉しい。
「ここを離れたいところだけど……美雪さんと寧音さんから目を離すことは出来ないわ……。
とにかく私たちが、自然な会話を続けないと、犯人は騙せない」
「……判った」
『おーい!』
菜那との作戦結託が完了したと同時、
受話器のマイクロフォンの向こうから、先程とは別の声がした。
『早房っス〜!誰か返事を〜!』
私と菜那は見合った。
──どちらが電話に出る?──という言葉を脳内に浮かべつつ。
無言の押し付け合いが続き、その間、絢の呼ぶ声は連続して放たれてくる。
15秒ほどそれは継続され、結果、私が出ることになった。
「ごめんなさい、少し離れてて」
私は、少しの間応対できなかった理由を、偽りながら答えた。
『こっちは気にしないで、皆さんはホテルの安全をお願いします!』
「わかった、任せて」
私がそう応えたあと、マイクロフォンの奥で、
「行きましょう」と言う絢の声がした。
「ねぇ……2人とも」
それからやや遅れて、今度は美雪さんが私たちに声をかける。
「これからウチら……どうなっちゃうワケ……!?ホントに……助けに来るのよね?」
「大丈夫ですよ、安心して下さい。……助けももうすぐ来るでしょうし」
私が宥める。
しかし、即座に彼女は切り返してきた。
「すぐっていつ……!?ねェ、教えて!?ウチ、もうこれ以上、誰も失くしたくない!
……あんなにキライだったけど、今なら絢だって、居てほしいと思ってる……帰ってきたら一目散に抱きしめてやろうと思ってる」
目をパンパンに腫らしながら、美雪さんは私たちの目を真っ直ぐに見て訴えかける。
「それに何より……ウチは寧音を手離したくない……!
ウチから寧音を奪ったら……何も残らない……!もし、アンタたちが犯人だって言うんなら……」
彼女は、その膝の上で眠る乾 寧音の顔を見ながらそう言った。
かと思った次の瞬間、
眼前にあったテーブルの上にあるフルーツナイフを手に取り、
その刃先を私たちに向けた。
そんなことをされても、私は平静を保てた。先刻の推理が、今ここに来てその真価を発揮したからに他ない。
しかし、菜那はそうもいかなかった。
彼女は、美雪さんのその行動が生んだ悪魔に、見事なまでに刺激された。
「アタシ達を、疑ってるっていうんですか!?」
菜那が吠えた。
もちろん、美雪さんはそれに気圧されることなく突っかかる。
「疑ったって仕方ないでしょ!?人生の中で、一度も経験しないはずのコトが、一晩のうちに二度も起こったのよ!?
正気でいられる方がオカシイッ!!」
「でも、アタシ達はずっと此処に居るじゃないですか!疑う理由が無い!」
「理由なんてこの際カンケーないっ!」
「そんな理不尽な……!?」
「2人とも落ち着いて……」
「「落ち着いてなんかいられないっ!!」」
意見のぶつかり合う2人だったが、私の諫めには、声を重ねて反論してきた。
『大丈夫か……!?随分と騒がしいぞ!』
受話器からは、増峨さんの焦る声も。
つい先刻、私の危惧した事態が今ここで現実になってしまった。
そしてこれは、犯人の思う壺。
この現場が完全にパニックに飲まれ、誤断の波が生まれれば、犯人の行動はより一層容易になる。
そうなれば、
この場にいる全員の死も、そう遠くなくなってしまう──。
しかし、今この2人を止める術など無いように思われた。
彼女が、覚醒めるまでは──。
「…………美雪……ちゃん……?」
囁くように小さくて、透き通った声。
その声は、憤慨して右も左も見えなくなっていた美雪さんの、
膝元から聞こえてきた。
「…………どうしたの?みんな……」
その声の主──乾 寧音は、私たち3人を見回し、きょとんとした顔でそう尋ねた。
対して我々3人は、彼女が覚醒したこと自体に驚いていた。
催眠術にでもかけられたようにストンと眠りについた彼女は、少なくとも今日は、目覚めないだろうと踏んでいたから。
「……ネネ……!アンタ……!」
「……美雪ちゃん……?何か……揉めてるの……?」
まるで女児のそれのような、純粋無垢な瞳で私たち3人を順に見回し続ける寧音さん。
それを見た途端、美雪さんは静かに涙を流し始めた。
「ううん……何も無いよ……」
彼女は微笑んで答えた。
その美雪さんの涙の意味を、寧音さんは追及しなかった。
そして、薄い赤に染まる頬を伝う涙を拭うと、掠れた声で言った。
「何があったのかわかんないけど…………
私は……美雪ちゃんの傍にずっと居るから……安心して」
その言葉を聞いて、美雪さんはハッとしたような表情を浮かべ、俯いていた頭を上げた。
直後、寧音さんの顔を見下ろした。
その寧音さんは微笑むでもなく、無表情で美雪さんを見つめ返していた。
その言葉に、より信憑性を持たす為、とも言うように。
その言動に、美雪さんは無論のこと、私と菜那も気付かされた事がある。
私たちはどうしても、その体格差や日頃の振る舞いから、“守る人”と“守られる人”を区別して見てしまう。
今の場合、“守る人”は美雪さん、“守られる人”は寧音さんだ。誰がどう見ようと同じ結論を下すだろう。
しかし、真の友人の仲にはそんなものは無い。
或いは、たとえあったとしても、それは体格や所作振舞で結論づけられるものではない。
互いに守り合う存在、それこそが、真の友情。
決して強き者が弱き者を助けるのが鉄則ではないのだ。
その真実を、初めて知ったのは菜那と美雪さんだけ。
私は初めてじゃない。改めて思い知ったと言った方が正しいだろう。
何故ならば私は、つい半年前に全く同じ関係に出会していたから、である。
その関係とは言わずもがな、
金子 結由と角中 宙音、彼女ら2人の関係である。
気性は荒く、それでいてタフで心優しい結由と、
同じ心の良さは持っていても、臆病で小柄で華奢な宙音。
彼女らもまた、守り守られる関係に見えるが、
結由は宙音に、二度も命を救われたのは、紛れもない事実である。
二度目の救出には、私も立ち会っている。そしてその時知ったのだ。
弱き者が強き者を守ることもあるのだと──。
──そんなことを思い出しながら、
私は美雪さんが泣きつつ、
「うん……!あり……がと……!」
と、繰り返し答えているのを優しく見守っていた。
その一時の中では、今の深刻な状況を忘れることが出来た。
けれど、現実というものはいつも、無情なまでに私たちを襲うもので──。
『あのっ!誰かいますか!?』
不安と恐怖で冷たくなっていた場が暖かくなりかけていた瞬間、
受話器から、慌ただしく叫ぶ絢の声がした。
私と菜那、そして美雪さんと寧音さんは互いの顔を見合った。
だが今度は電話に出る役を押し付け合うなんてことはせずに、私がその役目果たしに打って出た。
「もしもし!?どうしたの!?」
私がそう応じると、絢は、狼狽と動転の入り交じった声で、私たちに、ある事実を伝えてきたのだった──。
『増峨さんが、居なくなりました──!!』




