第19章 頂点
「──ねえ菜那ちゃーんっ!写真撮ろーよ!」
「写真?……別にいいけど」
灼熱の太陽が照りつけるドームグラウンド。
この中で今朝から催されていた第182回K中学体育祭は、先ほど終わったばかりだ。
日頃から運動をしない私──花理崎 菜那は、たったの3つの競技に出ただけで、もう一歩も動けなくなるくらいヘトヘトだ。
残ったエネルギーを絞り出して早めに帰ろうと、荷物を整理していた私の所に、
生まれながらのスポーツ女子、オレンジ髪が特徴的な私の親友、稀崎 雛乃が、まだまだ動き足りないと言わんばかりの元気な声で、私とのツーショットを依頼してきたのだ。
正直なところ、さっさと帰ってベッドに突っ伏したくてたまらないくらい疲れているが、しかし雛乃の依頼を断ってから程疲れるものはないことを私は知っていたので、彼女の頼みを呑んでやった。
「誰に頼もうかなあ……」
製造型からして、恐らくフレームアルバムに対応しているカメラを持ったまま、それを誰に撮ってもらうか決めていなかった彼女は、カメラマンを捜している。
其処に、ある一人の少女が声を掛けてきた。
「何してるのー?カメラなんか持って」
小走りしている彼女のポニーテールが揺れるのが気になる。
彼女の名は、坂巳根 莉央。
22世紀の我が国を代表する企業の御令嬢。また彼女は、玲音と言う芸名で、有名ファッションマガジン『ViNa』のトップ読者モデルとして活動している。
その美貌と、同じ中学生とは思えないプロポーションは、生まれもってのものなのか、それともその莫大な財力の成す技なのかは定かではない。
おまけに成績優秀、運動神経抜群と言う、出来すぎているステータスに恵まれた彼女は、言わずもがな、クラスの人気者である。
そんな彼女が、何故こんな不便な立地の公立学校に転校したのかは知らないが、その負け知らずの人生が構成した彼女のお姫様な性格が、私はどうもいけ好かなかった。だがそれを表に出しては、クラスの中での孤立は免れないだろうと考え、仕方なく、周りに合わせて彼女のファンを演じていた。
「あっ、リオちゃん!リオちゃんも写真撮ろーよ!中学最後の運動会なんだから!」
契りを交わした訳でもないのに彼女の臣下とでも言える立場にあった3年2組の面子の中で、この雛乃だけが対等に接することが出来た。
一時は周囲の反感も買いかねたこの行為だったが、莉央本人が対等に接することを許したようだったので、クラスメイト達は暗黙の了解をせざるを得なかった。
「それもそうね、2度と来ない瞬間を写真として記録するのも悪くないわ。……ちょっとアナタ」
目の前を通りかかったクラスメイトを声で捕まえて、写真を撮れ、と命ずる莉央。
にこやかに承諾したその男子に、おねがい、とカメラを手渡す雛乃。
するとその彼は頬を赤らめた。
どうやら彼も、雛乃のことが好きなようだ。
その刹那、私は莉央の顔を見た。
その瞬間ほど、私が恐怖を憶えたことは他になかった。
トップモデルの彼女だから出来たのだろうか、
眼は怒り、口元は嗤っていた。
異なる二つの顔から2つずつに割って、怒れる顔の目元と、せせら嗤う顔の口元を取り出し合体させたような表情だった。
しかもその顔は、雛乃が無邪気な顔を向けた瞬間に、何事も無かったかのように消え去った。
「じゃあ撮るよー……。はい、チーズ!」
私は、カメラのシャッターが閉じた瞬間、莉央のように表情を繕えなかった。
何も知らない人の目線からすれば、少しカッコつけた冷ややかな顔をしているだけにしか見えないだろうが、私はこの時、
脅威に怯え、引きつる顔を消し去ろうと努めることしか出来なかった──。
それからわずかに1週間後のことである。
「──“人造人間”の多くは、2年前に国の手によって回収された。それを行う為の法案が可決された時に巻き起こった議論や暴動は、皆の記憶にもしかと焼き付いているだろう」
仏頂面のまま、社会担当の釜井先生は淡々と授業を続ける。
こちらに興味がないのか、単純に怒るのが面倒なのか知らないが、彼の堅苦しい話を聞けるかと眠っている奴を見ても、起こしもしない。まあ、しっかり授業を受けている私のような人間からすれば、授業の進行を妨害するようなそういう人間が静かに寝てくれているのならそれに越したことはないが。
「彼らが製造されたのは、“極度少子高齢化時代”の到来により、著しく減少した人口を補う為で──」
「ねえ先生」
ふいに誰かの声が飛んできた。
誰かと思って見てみれば、案の定、あの女──莉央だ。
「何だ坂巳根。授業の妨げだ。何かあるなら簡潔に言え」
顔をしかめる釜井先生。その圧に尻込むこともなく、その自信満々な態度でこう言った。
「もう“人造人間”の話なんてやめましょう?」
と。
自分を何処ぞの国の王女か何かと勘違いしているみたいなその態度が、汚い言い方をすると胸くそが悪かった。
それは先生も同感だったようで、額には苛立ちで血管を浮かばせ、
「何だその言い草は。何故やめなければならない」
と、語気に強みを帯びさせ言った。
それに対しても莉央は眉ひとつ動かさずにこう述べた。
「もう“人造人間”の話はしたくない。あの単語を耳にしたり口にしたりするだけで虫酸が走るのです。何故って、人間があんな機械と一時でもよろしくやっていたと思うと嫌で嫌で仕方がないんです。
考えてみて下さいよ、人は家や道具と話しますか?ましてや仲をよくすることなんてないでしょう?
それなのに人の形をしていて話せるからって対等に扱うだなんてバカバカしい……」
「そんな言い方はないだろう……」
「あ、いま先生、私に一瞬同意しましたよね?口では否定しましたけど、心の中ではそう思ったでしょう?」
う、と口を閉じる先生。
「みんなだってそうでしょう?道徳上そんなことを言ってはいけないけど、否定出来ないからみんな黙っているんでしょう?」
いや、違う。
確かに彼女の言うことも一理ある。社会の“人間”はみんなそう思っていたし、子供たちはそうやって教えを受けてきた。
事実、私だってそうだ。私の両親も、莉央と同じ、言わば“人造人間”嫌悪派だった。回収の法案が決まった時には狂喜乱舞していたのを思い出す。
私はどうと言ったことはなかったが、少なくとも好意は抱いていなかった。
ある友人に関する、“あの事実”を知るまでは。
私たちクラスメイトも、ただずっと口をつぐんだままだった。
ただ一人を除いて、のことだが。
「そんなことないよ、リオちゃんっ」
ガタッ、と音を立てて勢い良く立ち上がったのは、無論、あの女だった。
「……何がおかしいの?雛乃」
莉央は彼女を睨みつけた。いつもはチャームポイントとして役割を果たしていたその切れ長の目が、獲物を捉えた猟蛇のそれと化していた。
だがその獲物は、一切弱味を見せないまま反論する。
「私、“人造人間”の友だちがいたの!四年前に別れるまで、その娘が“人造人間”だってこと知らなかった。ずっと人間だと思ってた!」
「何が言いたいの?」
雛乃の言葉に質問を被せる莉央。
「今はあなたのその友だちの話と何の関係があると言うの?関係のない話ならお断り──」
「それだけ人間に似てるってことだよ、リオちゃん!“人造人間”さんたちは」
莉央に圧し負ける気配のない雛乃。
しかしその目には闘争心などは全く見られず、ただ友だちとして接している、いつもの雛乃だった。
それが、莉央の逆立った心に、さらに刺激を与えた。
「雛乃……?あなたの言おうとしてることの本意が全く掴めないの。もう少し、判りやすく説明してくれるかしら……?」
「もー、しょーがないなあ。私が言いたいのは──」
その時、終業のチャイムが鳴り響いた。
そのチャイムは、試合終了のゴングであり、
戦闘開始の合図、でもあった──。
その放課後。
「どうしよう……!もうこんな時間!早く帰って夕飯作らないと」
いろんな先生にあれこれと質問をしている間に、気がつけば夕日も沈み、校舎の2階の窓から見える街の電灯がちらほら点り始めているのが見られる時間だ。
今日は仕事の都合で父母の帰りが遅かったのを忘れていた。花理崎家の長女である私は、妹と弟の夕飯を作ってあげないといけない。
小走りで下駄箱に向かう。
急ぐことに思考を集中していた私だったが、その耳に声が飛び込んできた。
「ねえ、雛乃さん」
最初、その声が何処からの声か判らなかった。だがすぐに、傍にあったトイレからのものだと気付いた。
「貴女……少し調子付きすぎじゃないかしら」
この声……莉央?でも彼女、今日はモデルの撮影があるって昼休みに言いふらしてなかったっけ。あれは作戦……?最近仕事の増えてきた女優業で身につけた演技だと言うの……?
「調子づいているって……別にそんなことないよっ。どうしたの急に」
雛乃の声も聞こえる。
その声に対して。
「あんたちょっと黙りなさい。今は莉央が話しているのよ」
「そうよ。ここにいるのは莉央よ。莉央“様”なのよ。あなた神が目の前にいる時に口答えするの?」
と、莉央を崇め奉るような発言をする二人の女子の声が。
片方は鼻にかかった声が特徴的なハイトーンヴォイス。恐らくこの声の持ち主は、莉央の親衛隊気取りでずっと付き纏っている女子、雪月 閑名だ。
1年生の頃からクラスは同じだった。出会った頃から『ViNa』の愛読者だった彼女は、同世代の神とも呼べる“玲音”が我が校に転校してきたと知った途端、玲音教の信者となった。
となると、もう一人の付き人の名前は横英 花蝶だな。
中学生ばなれした美貌と、学力テストは常に上位の秀才さを兼ね備えた彼女は、莉央にも匹敵するカリスマ性を持ち、入学当初はクラスどころか同学年の女子に憧れられていたが、莉央が来た途端その全てを奪い取られた。
その後、彼女自身も莉央の手中に入ったが、果たしてそれは真の好意によるものなのか、それとも下克上を狙う為にそこに忍び込んだのか……。
そんなことをあれこれと思い巡らせていると、先の言葉に対する雛乃の返答が聞こえた。
「莉央“様”って……大袈裟じゃない?莉央ちゃんは莉央ちゃんだよ。そんな神様みたいな人じゃな──」
……何だ?途中で止まった……?
何があったんだ……?
と、トイレの中を覗こうとすると、
ガンッ!
と、個室の扉に叩きつけられる音が。
これって……もしかして雛乃の身体が?
だとしたらこれ……確信に変わる……!
トイレに誰かを連れ込んで複数人で攻撃する……いわゆる『イジメ』の典型じゃないか!
しかもその対象が稀崎 雛乃。
これは放って置けない……はずなのに、
脚が動かない。
意思はトイレに向いているのに、私の脚は、帰宅しようとしかしない。
その現実から逃避しようとしかしないのだ。
だが冷静になれば、トイレに入るのは不正解な気もしてきた。何故って、入ったところで事態は好転しないからだ。
恐らくこの現場に入ったところで、暴力を振られるか、上手く言いくるめられるかのどちらかである。莉央たちに対する勝算が、まるで思い浮かばない。
しかしここを離れるわけにもいかない。
妹と弟に、心の中で謝罪を済ませて、
私は寄り道をしていくことにした。
「アンタ調子乗るんじゃないわよ!莉央“様”と対等だと勘違いしやがって……!」
声からして、これは閑名か。だとしたらこれが彼女の本性……普段からじゃ想像できない。あのキャッキャと遊ぶ女の子のような姿は、(案の定とも言えるが)取り繕っていただけなのか。
「閑名の言う通り……。お前、ちょっと男子にちやほやされるからって、勘違いも甚だしいわ。
社会に身分階層があるように、学生の間にも学級階層があるって知っているわよね?……お前はその最下層だってことを忘れるな!」
威圧的な花蝶の態度。
それに対して雛乃はずっと黙っているが、一体どうしたんだ……!?
「……花蝶」
莉央の声。不敵な優しさと艶やかさを帯びている。
閑名たち2人はどんな顔をしているのかは見えないが、私はその声を聞いて、背筋がこわばった。
凶器を突きつけられたような感覚が身体を包む。
「私も……その点には思うところがあるの。ただ……戒めの言葉、ありがとね」
莉央の思っている、彼女と閑名たちとの関係性は、私や彼女の周囲の考えているそれと同じだということが今わかった。
莉央は姫、そして閑名たちは彼女に仕える侍女だかメイドだかのような立場。或いは親衛隊。
で、今の雛乃は、彼女たちに目をつけられた一般市民、もしくは奴隷、といったところか。
「……私は貴女が憎くて仕方なかった。
何故一般庶民の貴女が、私を差し置いて、男たちの目を奪っているの……?
金も、知識も、実力も、全て私の方が上なのに……何故全て一般的なだけの貴女が、あのクラスの男子を虜にしているの?
あのクラスも、この国も、世界も!やがて支配するのはこの私!貴女じゃない!
何者の追随も、先を行くことも許さないわ!
仮にも貴女のように、私の前を進む者が現れたのなら、決して容赦はしない。
その見せしめを……貴女でしてやるわ……」
なんて身勝手な女なのだろうか。
私は思わずそう言葉にするところだった。
だが喉元でそれをとどめ、再び息を殺した。
「明日から、覚悟しておくことね…………行くわよ、二人共」
武力行使する宣告を済ませ、莉央はトイレを立ち去る。
見ていたことをバレてはいけない私は咄嗟に男子トイレの個室に隠れた。
3人の足音が過ぎ去ったのを確認すると、私はすぐに女子トイレに立ち入った。
しかしそこに雛乃の姿は無く、
数秒前の良からぬ空気のみが、いつまでもしぶとく漂っていた──。
──翌朝。
「はあ……」
と、私は溜息を吐いてばかりだった。
何について、私が溜息を吐いているのか。そんなことは、お察しが付いているだろう。
あれから、私は雛乃を捜し回った。窓から西日が差す中、時間も忘れて彼女の姿を求めたが、捜し始めてから1時間が経過したところでハッと我に帰り、そして同時に妹と弟のことを思い出し、慌てて帰路に就いた。
夕飯のカレーを作っている時も、私の心は上の空。お陰で指を切ってしまった。
勉強にも手はつかないし、気分転換にテレビを観たって一切集中出来ない。
その状況を打開する為に、雛乃に電話をかけてみるとかメッセージを送るとかいうことをしようかと考えたが、それは思考の中の身にとどまり、いざ行動に移すとなると、身体が言うことを聞かなかった。
眠ることなく、それを十何時間と続けているうちに、気がつけば朝になっていた。
こんなこともあり、今のこの私の溜息は、眠れなかったための疲れと、結局何も出来なかった私自身への情けなさの溜息、というわけだ。
溜息だらけの登校。その末にあるのは、もちろん教室である。
始業時間の10分前に、私は教室の引き戸の前に着いた。
開けっ放しの引き戸から見える教室の中に、雛乃の姿はあった。彼女は今、珍しく読書にはまっており、今日は私の知らない何かを読んでいるようだ。
しかし、その様を見ても、私の心は安まらない。今日1日、何か無いように見張っておかなければ。
そう心に決め、教室内に一歩足を踏み入れた時だった。
「花理崎さん」
あの声だ。艶やかで色気のある、それでいて恐怖心を駆り立てるあの声──莉央の声だ。
「……おはよう莉央。ど、どうしたの?」
私は振り返ることなく小さな声で尋ねた。
「警戒することはないわ。リラックスして、今から言うことをよく聞いて頂戴」
声はゆっくりと私に近づき、そして私の耳元に触れた。
そして彼女はやや威圧的に、私に命じた。
「稀崎 雛乃の身に何が起ころうと、彼女に近づき救いの手を差し伸べることは私が許さない。もしそんなことをしたら、貴女の身にも良くないことが起きるわ」
単なる脅し。そう考えられないこともない。
だが、この女の場合、本当にしでかすかもしれない。その富、名声、武力。あらゆる実力手段を行使して、自らに逆らう者を陥れようとすることは十分あり得る。
彼女に逆らうのは、得策とは言えない。
「貴女が私に従ってくれているのなら、私は貴女に何もしない。簡単でしょう?私に逆らわないだけで良いのだから」
完全に、このクラスを牛耳るつもりだ。
それも全ては、未来の支配者となる為の過程に過ぎないのだろうか。
「……話はそれだけよ。これからも仲良くしましょうね」
固まる私の前を行く莉央。その左右には案の定、閑名と花蝶の姿があった。
気を取り直し、教室に足を踏み入れる。
するとどうだ。
それまで普段と何も変わらないように見えた教室の雰囲気が、一気に暗くなった。
その原因は言わずもがな、私と同じように、莉央に服従宣告を受けたクラスメイトたちだ。
こんなのは間違っている、止めるべきだ。
しかし口に出せば、いつ自分に魔の手が降りかかってくるか判ったものではない。
仕方ないから、大人しくしておこう──。
そんな考えが、皆の顔にあった。
朝練の成果の汗が額に見えるクラス一の運動男子も、アイドルの話題で盛り上がる女子たちも、よく解らないアニメの話ばかりしているオタクの男衆も皆、
何事もなかったかのように振る舞いつつも、チラチラと莉央の方を見て、攻撃が来ないかと臆している。
私はそれを瞬時に察知した。
実に息苦しい室内だ。
そしてそれは彼らも同じで、息苦しさを感じていないのは恐らく、莉央たち3人だけだろう。
斯く言う私も莉央の方を見てビクビクしながら、定められた自分の席へ向かう。
その座席の位置は、偶然にも、
雛乃の席の前だった。
無論、雛乃を避けるように、莉央がクラスメイトに命じていることを、雛乃は知らない。
しかも幼くて鈍感な彼女は、このギスギスした暗い空気感にも気づいていないことだろう。
だが、今日の彼女は違った。
日頃ならいの一番に声をかけてくるはずの彼女が、まだずっと本を読んでいるのだ。
素直に考えてみれば無理もない話だ。何せ彼女は、今回の件の当事者。たとえ雛乃であろうと普段と同じままなど有り得ないのだ。
この状況を不自然と思っていないふりをしようと、体操服を専用の袋に入れたり、バッグの中身をゴソゴソいじったりと、いつもならしないようなことをしてみるが、無為なことだった。
莉央たちが外に出たタイミングを見計らって、私は雛乃に挨拶してみることにした。いつもは雛乃の役割だから、慣れないものだ。
「……お、おはよう、雛乃」
初対面みたいな緊張のしようだが、元々対人会話能力に乏しい私には、今はこれが精一杯。しかも妙に気まずいからこれもまた一因。
だがそれに見合わないテンションで、雛乃は返してきた。
「菜那ちゃん、おはよ!どーしたの、改まっちゃって」
なるほど、いつもの彼女だ。
しかしそれは、嘘偽りの無いものには見えなかった。
取り繕っているように見えてならなかった。
だから私は、ある決断をするのだった──。
「──何?こんな廊下の奥で、話があるだなんて」
仔犬のような瞳で尋ねてくる雛乃を見て、心が傷む。
何故に私がこうして、放課後に彼女を連れて、人目につかないような廊下の隅っこで罪悪感を苛まれなければならないのだ。
今朝、あの後、私は彼女に『話がある』と約束したはいいものの、それからは昨夜同様、全く集中が出来なかった。
『テストに出るから注意しろ』とか、『ここがポイントだ』とか。そんな言葉は右から左。耳に入った情報は、脳に直結しないまま、外へと出て行くだけだった。
頭の中にあるのは、もちろんあのことだけ。話の内容も、そのことだ──。
「ねえ雛乃……。私、今日からあなたと話せなくなった。……こうやって、コソコソ隠れながらでないと無理なの」
言いながら、私は俯いた。雛乃の顔を見ていられなかった。
「たぶん……それはみんなも同じ。……そんなことを伝えるためだけだよ。ごめんね、早く帰りたかったでしょう?」
自分から呼び出しておきながら、早々に話を済まそうとする私。
押し潰されそうなこの空気に耐えられなくなったからだ。
けれど、そんな空気を吹き飛ばすようなことを雛乃は平気で言うのだった。
「……知ってるよ」
「え……?」
「みんなが莉央に命令されているの、知ってる。……カエデちゃんとかユイナちゃん、トウガくんにコウマくんまで、菜那ちゃんみたいに私を呼んで、学校中のいろんな所に呼ばれて、同じことを言われた。
最初に声をかけてくれたのは菜那ちゃんだったけど」
明るかった声が、少し沈んでいく。だんだん深刻そうになっていく彼女の声を聞いて、まだそれを知らなかった私は、その新鮮さに驚いていた。
「それに、菜那ちゃんが昨日の放課後のコト見てたのも、私知ってるよ。……隠れていたのかもしれないけど……見えちゃったんだ」
「……!?ご、ごめん!私、何も出来なくて……っていうか……」
「ううん、責めたりなんかしない。菜那ちゃんは、何も悪くないし」
慌てて謝ろうとする私を、雛乃は叱らない。
「……大丈夫。私、頑張るから!莉央ちゃんたちが何であんなことするのか、私まだよく理由わかんないんだけどね。……残り10ヶ月、私頑張る!」
「そ、そんなこと言わないで!……力になれないかもしれないけど、私たちだって……」
俯いたまま、私は言う。こんな人間に、何かが出来るはずがない。
「うん、けど……私、思ったんだ。ここで踏ん張れなきゃ、これから先なんてもっと踏ん張れない、って。それに、」
雛乃の言葉が一時中断され、私の肩に、彼女の手が、優しく置かれた。
反応して見上げると、彼女は、いつになく力強い目をしていた。
「菜那ちゃんたちに、迷惑かけたくないから!」
彼女の決意表明を聞いて、私はふと、ある友人のことを思い出した。
4年前、突如として姿を消した、元気が売りの女の子。
彼女は、友人だった私と雛乃に、何も頼ってくれなかった。別れの言葉も無いまま、彼女はある日、姿を消した。
その1年後に、彼女が“人造人間”だったという事実を知らされ、やるせない気持ちになった。
だって私は、彼女が姿を消したまさにその日、彼女が“人造人間”であるという疑いを初めて持ち、いつか真偽を確かめようとしていたからだ。
そしてそれが真であれば、
雛乃を連れて逃げようと考えていたから。
なのに、私は何も出来ないまま、彼女を失った。弱かったから。
逃げようとする彼女を引き止めることなど、しようと思えば出来たはずだ。
なのにしなかったのは、そうする勇気が無かったからだ。
不可抗力の成した事件だったにも関わらず、私は自分を責めた。弱い自分を、責めた。
そんなことがあったのに、私はまた、その弱い勇気のせいで、大切な友人を1人、失いかけている。
もう2度と、私はあんな思いしたくない。
けれど、何も言えない。返せない……。
「……じゃあゴメン、私、部活あるから。これでも部長なんだよ?って、菜那ちゃん知ってるよね」
ぎこちない笑顔で、雛乃は切り上げた。
ジャージの入ったカバンを持って、急いで駆けていく彼女を、私は止められなかった──。




