第14章 兄妹
「──おーにーいーちゃあーんっ!行ーくーよーっ!」
玄関で、妹がボクを呼んでいる。
もう高校生と呼ばれてもおかしくないこの15歳の3月。
そんなボクの事情などまるで気にしない妹は、ボクが受験を終えた途端に、やれ公園に行ってキャッチボールだの、やれ動物園に行ってキリンとかゾウとか見たいから連れて行けだの、
それまで静かにして気遣っていたぶんを一気に発散していた。
その気遣いに応えないわけにはいかないと、常日頃全く運動をせずに鈍った身体に鞭を打って、毎日付いて行ってやっていた。
「わかった!わかったから少し待っていてくれ!」
そんな状態なので、最近は寝坊が多い。
寝癖を直す暇もないまま、ボクは妹──美依莉に手を引っ張られた──。
──妹はもう小学4年生だが、周りの同年代の女の子に比べてかなり幼い部分が多々ある。
例えば今日観ているこの映画。
可憐な女の子がヒロインになって戦う、よくありがちなアニメの劇場版。
恐らく対象年齢は幼稚園から小学校低学年ぐらい。事実、今この映画館に来ている女の子は皆それくらいの年齢と見える。
それに加えて美依莉は背も高い。確か身長は158センチ(なぜ覚えているんだ)。
はたから見たら、兄妹と言うよりカップル。
まあカップルがこんな映画を観ないことはないだろうが、たぶん最初からこれ目的、というのはなかなかない気がする。偏見だろうか。
売店で買ったポップコーンを食べながら、全く興味の無い映画を観る。
いや、実際のところは、映画より美依莉を見ている。
美依莉はもちろん映画を観ている。目をキラキラと輝かせて。
その彼女を見てボクは、先日伝えられた、ある事実を思い出す──。
「──“人造人間”……!?美依莉が……?」
ボクは、思わず椅子から立ち上がってそう大声で言った。
「……ああ、そのよう、なんだ」
父もどうやら戸惑いを隠せないらしい。
いつも真っ直ぐな彼の言葉に、今回ばかりは動揺が見えた。
「……ゴメンね……今まで報告出来なくて」
対して母──いや、義母は、申し訳なさそうに震えた声を出す。涙も流している。
「どうしても、言い出せなかったの……。2人が何て言うかわからなくて、怖くて……!」
高校の合格発表の翌日。
美依莉も眠ってしまった夜更けに、ボクは父に呼び出され、そしてこんなことを言われた。
そりゃ戸惑いもするよ。
父がボクの実の母と離婚したのは5年前のこと。毎晩ケンカ、なんてことはなく、ただの仕事の都合上の離婚。
そして義母は、かつての夫と、死別していた。
夫は『この世で一番危険なスポーツ』──ハードホッケーの超有名選手。それ故の多忙生活が災い、体調不良状態で出場した試合で、事故に遭い、命を落とした。
当時、義母は24歳。そして美依莉は、まだ3歳。人間の死というものを理解するには、あまりにも幼すぎる。
その時の義母の辛さは、想像に難くない。
そんな彼らが職場で出逢い、1年半の交際を経て結婚したのは、今から三年前のことである。
同じ家族になってからすぐは、他人行儀な接し方だった美依莉も、いつの間にやら、本当の妹みたいになった。
時にはケンカもするが、だからこそ、仲が良いと言えるのかもしれない。
その美依莉が、まさか“人造人間”だったなんて。
「……やっぱり、嫌、かしら……?」
義母は言う。
「……い、嫌じゃない、けど……」
この世の中、大っぴらに“人造人間”を差別する奴はそうそういない。少なくとも、ボクと父はしない。しないはずだ。
だが、隠れて彼等を差別する奴らは無数にいる。
ちゃんと子供を産めて育てられる奴らが。
もしかすると、その類に入るボクも、“人造人間”を無意識のうちに見下しているのかも知れない。
自分のことなのに、疑心暗鬼になってしまう。
これこそ、ボクのこの迷いの根源である。
だが、その迷いは早急に決着がついた。
“人造人間”として扱うからいけないんだ。
美依莉は機械じゃない。
ボクの妹なんだ。
「……ありがとう、義母さん。もっと後になって聞いていたら、今より悩んでいたと思う。きっと、いずれ明かされないといけない日は来るはずだったから」
ボクは結局そう答えた。
こんなボクは偽善者なのかも知れない。
けど、それがボクの中で議決された、最良の選択だった──。
──ちなみにこの幼い彼女は、まだ自身が“人造人間”であることを知らない。
不妊症だった義母がかつての夫と共にとった苦渋の選択の末に譲渡された“人造人間”であることを、彼女は知らない。
いったい彼女は、このことをいつ知るのであろうか。
兄がそんなことを考えているなどつゆ知らず、映画を観終わった美依莉は、ボクに満面の笑顔を見せた。
千円費やす甲斐は、全てこの瞬間に集約されていたのかも知れない。
「ねぇ、お兄ちゃん。明日は何して遊ぶ?」
ヘトヘトの兄に対して、まだまだ遊べるといったご表情の美依莉様は言った。
「……明日は……休ませてくれないか…?」
「えー!やだー!春休みは毎日遊びたいのー!!」
駄々(だだ)をこねる美依莉。
「……しかしだなぁ……。そうだ……!友だちのところで遊ぶのも良いんじゃないか?」
「友だち……?あっ!そうだ!ココハちゃんがいた!帰ったら連絡しよーっと!」
まだ決まったわけでもないのに、そのココハちゃんとやらと遊べると、ルンルンはしゃいでいる彼女を見ても、この疲ればっかりはさすがに取れなかった──。
──その春休みから9年の月日が流れたある日。
ボクは大学院に通っていた。
専攻は電脳機学。主にコンピューターやその周辺機器、及びコンピューターを搭載する様々な道具と、その及ぼす影響を研究対象としている。
今年も順調に進んでいて、卒業も難なく出来そうだ。
一方、妹の美依莉も、今年大学に受かった。
けれど彼女自身も、そしてボクたち家族全員も、まるで浮かれていなかった。
浮かれてなんて居られなかった。
その原因は、言うまでもなく、
2年前、2096年に日本政府が出した、
【“人造人間”案件基本法】だ。
2110年までに、この日本に存在している全ての“人造人間”を集める法らしい。
人間同様に扱えとか言いながら、その人間の都合が悪くなったから金銭交換で返せと言ってくる。
そんな話があってたまるか。
……と、思っていても何も出来ないのが情けなくて仕方ない。
その感情ばかりがボクたちの心の中で渦巻いていた。
この怒りと不安の禍渦を脱するために出した白鷺家の決断は、
通知が来る2105年までは、政府に美依莉は渡さない、だった。
だがその日、事件は起きたのだった。
久々に研究室を出ることが出来たので、大学の建物の近くにある和菓子屋の饅頭を買ってから帰ってきた。
この『あんチョコ饅頭』は、美依莉のお気に入り。コレを食べている時の彼女の綻んだ顔を見ていると、こっちまで幸せになる。
「ただいま」
午後7時過ぎ。ボクは白鷺家の玄関を跨いだ。
美依莉からの応答はない。代わりに義母が、台所から顔を出した。
「お帰りなさい」
「美依莉は?部活か?」
「そうよ。この週末に試合があるとかで、練習詰めだって。あの子がいいのなら、私は構わないんだけどね」
そう言う義母の顔は曇っている。
美依莉は『アクロバテニス部』に所属している。アクロバテニスとはその名の通り、アクロバティックなテニスのこと。
十数年前に開発された、“重力操作空間”と言う、これも書いて字の如く重力を自在に操ることができる特殊な装置を使用して、幅はテニスコートぶんくらい、そして高さを3階建てのビル程の大きさの空間の中を、三次元的に動いて戦う、最新式スポーツである。
美依莉は中学で初めてアクロバテニスに触れた。
すると、それまでの2年間をアクロバテニスに捧げてきたはずの中3部長ですら圧巻のファインプレーを連発。即入部。
それからというもの、彼女はアクロバテニスに超夢中。高校には推薦で入った。それくらいの実力者なのだ、彼女は。
なので、その今週末の試合も、1年ながら出ることが出来るのだろう。
「そうか……あんチョコ饅頭、買って来たんだがな」
残念に思い、ボクは饅頭の入った包みをダイニングのテーブルに優しく置いた。
「あら、あんチョコ饅頭?なら私も食べようかしら」
「ちゃんと残しておいてやれよ」
はーい、とまるで聞いてない義母は空返事で返してくる。
ちゃんと監視しておかねば。
彼女には、このあんチョコ饅頭を全て食い尽くしてしまったという前科がある。
と、思っていたその時であった。
ピンポーン……。
ドアベルが鳴った。
そのベルにボクと義母は、揃って嫌な予感を憶えた。得体の知れぬ不安を。
「誰かしら……?」
顔色が沈んで行く義母。妙に老けて見える。
ドアベルのカメラに映った映像を見て、彼女の顔は険しくなった。
「……誰なんだ?」
ボクは尋ねた。が、義母はこちらを向いて、ふるふると、首を横に振った。
「わからない……誰なのかしら」
「俺が出よう」
救世主気取りで、けれど厳格な雰囲気を醸し出しながら登場したのは、父であった。
完全にオヤジの部屋着姿だが、威厳……的なそれが何とかカモフラージュしていた。
ガチャ……。
警戒心からか、父は静かに扉を開けた。
その扉の先に仁王立ちしていたのは、
長身ながらガタイのいい、黒スーツの若い男だった。齢は……まだ二十代中盤、言い方は悪いが下っ端レベルか。
「……何方でしょう?」
父は問うた。
すると黒スーツの角刈り男は、胸ポケットから、掌サイズの黒い金属製の何かを取り出して、それをこちらにスッと押し出しながらこう言った。
「警察庁“人造人間”課所属、瓦田 正と申します。以後、お見知り置きを」
黒色のソレは二つ折りの端末で、開くと二面の液晶画面があり、片方には彼の顔写真、もう片方には彼の名前が表示されていた。
「“人造人間”課……?どうしてこの家に?……美依莉のことか……?」
そう言う父に続き、
「“人造人間”の訪問収集は、法律で禁じられていますよ!?あなた、警察の人じゃないんでしょう!?」
と義母が吠えた。既に涙腺がやや緩んでいる。
だが、その様子を見ても全く揺るがない瓦田は反論した。
「いえ、確かに私は警察官です。その証拠が、先ほどお見せした“電子端末式警察証明書”です。
そして私は今、あなた方のお嬢様をお預かりにあがったのではございません」
「……なら、何だと言うの?」
涙腺崩壊寸前の義母を見ても、正は一切動じた様子を見せない。
この男に感情はあるのか……?
「……実は、先日行いました、白鷺 美依莉さんの“人造人間”健康診断の結果が出まして……」
“人造人間”と付けて、特別感が出ているが、実際のところは、人間の行う健康診断と殆ど変わらない。
強いて挙げるなら、マンモグラフィーの際に、その身体に組み込まれている機械に僅かな影響が及ぶので、代わりの検査を行っていることくらいだ。
「……ああ、あれか。わざわざこんな時間に来て下さらなくても、別の時間でも居ましたし、何なら美依莉を連れて、そちらに出向きましたのに」
父はそう返した。
「……おかしいわよ、あなた」
その父の背後からそう告げたのは、未だに顔色が優れない義母だ。
「病院で受けた健診の結果を、どうして警察官の方がお知らせにいらっしゃるの?それに確か受診の時にもらった資料には、特に異常の無かった時には、郵便で診断結果表を送付するって書いてた」
それを聞くと、確かにおかしい。
「……まあ話を聞こうじゃないか。……すまない、瓦田さん、続けて下さい」
いえ、と短く返した後、正は続けた。
「お察しかとは思われますが、その結果があまり良くなく……。もし娘さんがいらっしゃれば──」
「あの娘はまだ部活です」
食い気味に、語気を強めて義母が言った。
「そうですか。では、お父様に」
表情筋を一つも動かさないままの正は、そのスーツと似た黒色のショルダーバッグの中から、小さなカードチップを取り出した。
「それは……?」
父が不思議そうに尋ねる。
「立体映像計算盤で読み込める、超微細チップです。後でお渡ししますが、その前にここで結果をお伝え致します」
淡々と話す正。しかもその間に、左手に、さっき見せて来たのは別との端末を握り、そこに右手に持ったチップを差し込んでいた。
ピロロ……と、何やら電子音を発したかと思うと、彼の左手に乗った端末は、正の顔の前に、何かを投影した。
目立ったのは、
その中心に、細いゴシック体の字で書かれた、
『製造不良体』
と言う単語だった。
その文字を見たボクたち三人は、唖然とした。父と義母は、言葉を失った。
その単語が意味することの重大さを、知っていたから。
「……娘さん──美依莉さんは、ご覧の通り、製造不良です。
このような健診で発覚するケースは珍しいそうです。
娘さんの身体の中には、“静殺気体”に似た有害ガスを発生させる条件が揃っており、今までそれは目に見える状態で発現しておりませんでした。
しかし、激しい運動、或いは大事故等の、何か強い衝撃を身体自身に与えることを行ったせいで、それが発現した。
と、医師は告げておりました」
彼の方が、“人造人間”より機械に見える。
言えと命じられたことをそっくりそのまま伝える。顔色も声色も一切変えずに。
これは彼に限ったことなのか。それともまさか、警察官は皆、こんななのか……?
「……しかし、こちらの方でお調べしたところ、ここ数年間、そして生涯でそのような事故を起こされた記録はございませんでした。
となると──」
「……アクロバ……テニス」
ボクがこの一部始終の中で初めて発した言葉がコレだった。
「……そのようですね」
彼らがボクたち家族に確かめる必要など無いはずだ。
何故なら彼らはずっと、美依莉たち“人造人間”を、管理局のコンピューターで監視しているのだから。
にも関わらず、こうして一つ一つ振り返っているのは、
ボクたちに理由を納得させ、あちら側のペースに持ち込みやすくするためだろう。
「……そこで、誠に遺憾ではございますが、実は管理局からこのような通知が」
言って、正がまたバッグの中をガサゴソと何かを探る。
その末に取り出したのは、一枚の紙。
このご時世に紙などというアナログな手段で通知して来るとは。
とか思っていたが、そんなものは一気に吹き飛ぶくらいの衝撃が、次の瞬間襲って来るのだった。
「白鷺 美依莉さんの、回収命令です──」
1部に止めるつもりでしたが、長くなりそうだったので区切らせて頂きました、すみません!
大事な話ですので、もう少し書かせてください……




