1.十四年目[5]
ふと気がつくと、助手席には恭一がいた。伊知恵は急に胸が高鳴った。なんで気づかなかったんだろう。恭一は長いまつげを伏せて、静かに寝入っていた。
恭一への想いは、憧れから始まった。スマートでそつない人付き合い。押しつけがましくなく、さわやかで、人に気を遣わせない完璧な男の子。
クラスやサークルで知り合った男子学生は同期も先輩達も皆優しく人当たりが良かったが、どこかで値踏みされている気配が感じられた。求められているステレオタイプの女子像があり、それにプラスアルファの魅力のある子を彼らは探している。だが自分ときたらそれ以前に彼らに女子として認められるレベルにも達していないように思え、伊知恵は男子と話しているとだんだん落ち着かなくなる。
だが恭一だけは、異性を全く意識せずに自然体でいられた。それは恭一が誰に対しても同じようにふるまい、どこかで線を引いて踏み込みも踏み込ませもしないからかもしれない。裏を返せば、彼女募集中ではないと宣言しているようなものだが。
ううん、とかすかにのどの奥でうなって、恭一が目覚めた。隣に伊知恵がいるのを見て、びっくりして体を起こす。
「びっくりした?運転手が代わってて」
伊知恵は自分でも驚くほど自然に恭一にほほえみかけていた。
「びっくりした。いっちゃんが運転してることに、もっとびっくりした」
恭一は背もたれを起こして、目をこすった。
「智志くんにも言われたよ。もっと早く代わってあげれば良かったって反省した」
「すごいなあ。慣れてるんだ」
恭一は生き生きとした伊知恵のハンドルさばきに目を丸くしていた。
「俺も早いとこ、免許取りたいな。大学に入ったら、って思ってたけど、入ったら入ったでバイト忙しくて。一浪しちゃったから、学費以外は全部自分で稼げって親に言われてるし」
「うちの方じゃ、高校卒業までにはたいていみんな取るよ。若いのが免許なしじゃ、肩身が狭くって。教習所代は親に出してもらうけど」
「いっちゃん、実家、和歌山だったっけ?」
「うん。恭一くんはお母さんが三重だったよね?」
何かの話で、母親の実家が近くだと知ってから、伊知恵はますます恭一に親近感を覚えていた。
「うん。奈良を挟んで隣同士だね。山が、影が出来るぐらいすぐそばにあって、ところどころに田圃があって、きれいな川があって、家は少しだけど、東京に比べるとうんと広い」
恭一の語る風景が、自分の故郷と似ているのを知って、伊知恵は嬉しくなる。
「時々は、行ったりするの?」
よく行き来してるんだといいな。そんな密かな希望があった。
「一昨年、さあちゃんの十三回忌で行ったっきりだな」
恭一は懐かしそうに目を細めた。
「さあちゃんって・・・?」
「ゆうべ話した、二十歳で死んだ姉ちゃんだよ。沙織って名前で、さあちゃんって呼んでた」
沙織。さあちゃん。伊知恵は、その名前をかみしめるように記憶した。恭一の大切な思い出の人。どんな人だったんだろう。
そして、恭一の母親の郷里が三重県だと知ったのは、サークル室での何気ない香苗との会話の時だった、と思い出した。
「いっちゃんって、ちょっと残念なんだなあ」
そう香苗に言われて、伊知恵はいぶかしんだ。残念?何が・・・。
「どうせなら京都弁だったら、はんなりしててオシャレなんだけど、ちょっと違うんだよね、そのなまりっていうの?」
香苗に悪気はなかったのだろうが、ウィークポイントの一つを指摘されたようで伊知恵は萎縮した。東京に来てからというもの、周り中がテレビのように標準語を話すから、自分も自然と同じように話しているつもりだったが、時々郷里の言葉が出てしまっているらしい。その時傍らにいた恭一がすかさず言ったのだ。
「なんで?どこの言葉もいいもんじゃん、俺田舎の言葉好きだなあ、何だかほっとして」
「恭一くんは田舎あるの?」
香苗が尋ねると、恭一は言った。
「親父は東京だけどおふくろが三重」
「うちは両親とも代々東京なんだよねぇ」
さらりとそう言う香苗が何となくうらやましいような、もやっとした気分にとらわれて、伊知恵はそれ以来、さらに口が重くなっていった。
「・・・三重と和歌山って、近いから言葉も似ているのかなあ」
恭一が言う。
「どうだろ。意識したことないけど・・・」
「さあちゃんはよく、ナントカやに、ナニナニだに、って言ってたな。それがなんか可愛くってさ。小さい頃、よく真似してたよ」
「うちの方ではそれは言わないなあ・・・」
そう言いながら伊知恵は何だか嬉しくなって顔がほころんだ。恭一ならきっと、方言が交じっても変だと思われることはないんだろう。そう思ったからか、恭一との会話はぽんぽんはずんだ。下宿先のこと、高校時代のこと、アルバイトのこと・・・。