1.十四年目[2]
「じゃあ、次は恭一くんね」
すっかりMC気取りの香苗が、恭一の方に身を乗り出した。
「困ったなあ。何にもないよ」
恭一は夜空を振り仰いだ。もともと怪談には興味がないので、聞きかじった話すら思い浮かばない。
「なんか、あるでしょ。小学校の七不思議とか・・・」
智志が助け船を出してくれたが、恭一の頭には何も浮かばなかった。
「じゃあさ、友達とか親戚とかで、早死にしちゃった人の話でもいいよ」
香苗がハードルを下げてきた。うーん、と恭一は口ごもりながら、おれらと同じぐらいの年で死んじゃった親戚の姉ちゃんがいたなあ、と言った。
「何何?おもしろそう。それ、聞きたい」
香苗の声が妙に鼻に抜けて甘ったれた風なのは、彼女が夏の合宿の頃から恭一に急速に熱を上げているからだ、というのは仲間内の暗黙の了解だった。
「姉ちゃんって言っても、従姉とかじゃないんだ。うちのおふくろの年の離れた妹で、正確には叔母さんなんだけど、俺にとっては姉ちゃんだったな」
恭一は懐かしい日々を思い出してぽつぽつと語り始めた。
母の実家の三重から都内の大学に入って、恭一の家に下宿しながら通っていた沙織。年上の優しいお姉さんが出来て、一人っ子の恭一はものすごく嬉しかった。休みの日にはいろいろなところに連れて行ってもらった。アルバイト代が入ったからと言ってはお菓子やおもちゃを買ってくれた。一緒の布団で寝たことも何度もある。そんな沙織がある日突然、交通事故で他界した話になると、恭一は少し胸が詰まった。
「ひどい話だな。トラックにひき逃げなんて・・・」
正樹がしんみりした口調でつぶやいた。
恭一が後で知ったことだが、沙織を殺めたトラックは、無理なスケジュールで睡眠不足だった運転手が眠気覚ましに事もあろうに缶ビールを飲みながら運転していて、沙織を轢いたことにも気づかなかったという。
「死ぬ少し前に、大きくなったら姉ちゃんをお嫁さんにするんだ、なんて言ったことがあったな。そしたら姉ちゃん、おれが二十歳になるまで自分も二十歳のままで待ってるから、なんて真顔で言うもんで、おれびっくりしちゃってさ。そんなことが本当に出来るのか、なんてマジで信じちゃったよ。まだ五歳だったし・・・」
恭一は目頭が熱くなってきて困った。
「バカだよな、本当に二十歳のまま逝っちゃってさ」
ああ、もうダメだ。おれ、寝るわ。そう言って席を立とうとしたとき、香苗が急に低い声でつぶやいた。
「それって、どうなんだろう?」
「え?」
恭一だけでなく、みんなが自分に注目したのを見て、香苗は一瞬恍惚とした。
「予感とか、あったんじゃない?二十歳のまま歳を取らないで待ってるなんて、普通言わないよね?それに・・・」
さらに香苗は少しもったいをつけて言葉を切った。みんなの興味とかすかな期待が自分に注がれた視線にこもるのが解る。
「恭一くん、誕生日九月だよね?たしか。もうすぐ二十歳じゃないの?」
みんなの目が一斉に恭一を見た。
「・・・うん、誕生日、おとといだった」
そう恭一がうなづくと、今まででいちばんの盛り上がりの奇声が一斉に上がった。
「やばいよやばいよ」
「俺、今一瞬鳥肌たった」
「迎えに来たわよーなんて、現れたりしてな」
当の恭一は、あいまいな表情を浮かべている。
「笑い事じゃないわよ!」
言い出したのは自分なのに、香苗は大まじめな顔で厳しく仲間達を制した。
「恭一くん、少し気をつけた方がいいかもね」
またしても注目を集めてしんとしたタイミングで、香苗は真面目な顔でゆっくりそう言った。
「・・・ごめん、私、疲れちゃった。先に寝ていい?」
ずっと大人しく黙っていた伊知恵が突然そう言ったので、みんな驚いて伊知恵を見た。あ、いたんだ、この子。そんな空気が沈黙に乗って流れる。それほど、伊知恵はさっきから気配を消していた。
「あ、俺もそろそろ寝るわ。明日、帰ったら夜バイト」
すかさず恭一もそう言って腰を上げた。
「たき火、どうする?」
「消した方がいいよな」
にわかに場は現実味を帯び、楽しい宴はそそくさと終わりを告げた。
火の始末をして、めいめいが寝支度を整え、男女別に山小屋の部屋に入っても、恭一は何だか寝付かれなかった。
違和感が胸にくすぶっていた。沙織のことはずっと忘れていた。いや、忘れていたのではなく、思い出さないようにしていた。あんなひどい喪失感は、いつまでも抱えていられるものではない。なのに、どうしてあの場でわざわざ話してしまったんだろう。仲間達の気を引きたかったからかも、と自分の心の底をほじくってしまうと、厭な自己嫌悪が胸をよぎった。あのタイミングであの話をしたら、当然ああいう展開になるのはわかっていた。自分は無意識に計算していたのかもしれない。みんなの、或いは誰かの気を引きたくて。
おととい、自分は二十歳になった。両親にも祝ってもらったし、母方の祖母からもお祝いの電話をもらった。その時、沙織の話は出なかったけれど、誰もが心の片隅で沙織を思いだしていたかもしれない。
何より、自分が強烈に沙織を思いだしていた。あの時、初めて「ハタチ」という言葉を知ったのだから。
「十四年なんて、すぐよ」
そんな風に沙織は言っていたっけ。過ぎてしまえば、本当にあっと言う間だった。
(さあちゃん、年食って、待っていて欲しかったよ)
恭一は寝袋の中で目を閉じて、沙織の面影に呼びかけた。
三十過ぎて、ちょっぴり太った気のいいおばちゃんになって、恭一の甥っ子か姪っ子の一人や二人産んで、いいお母さんになっていただろう。
永遠に二十歳のままでいてくれるより、その方がずっと良かった。
恭一は寝袋にくるまりながら、じわっと熱くなった鼻と目尻を袖でぬぐった。大人になっていく沙織をずっと見ていたかった。これからはもう、自分は一人で沙織の年齢を飛び越えていくのだ。そんな気弱な感傷が、恭一の中にくすぶっていた。