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第四話「夏ノ青春大戦:水上編」

 あれから、本当に長い時が過ぎたと感じる。

 坂城幼稚園が初々しさで満ち溢れる春は、刺客達の争いをいくつも巻き起こしながら過ぎていった。

 時に教員用の準備室で。またある時には教材倉庫で。空き教室で。放課後の教室で、廊下で、中庭で。

 刺客達は、人目に付かないと判断すれば、躊躇わずにどこでも戦闘を開始した。レベルの高い、激しい戦いが繰り広げられるには、この幼稚園は凄まじくミスマッチだった。

 それでも刺客達は、幼稚園以外の場所で一戦交えようなどという事はあまりしなかった。それが何故なのかは僕にもよく分からないが、きっと刺客達皆がほぼ毎日集まるこの幼稚園が、一番戦いやすいからだろう。

 それともう1つ、理由があるかも知れない。それは、刺客達のモラル(・・・)だ。

 幼稚園は刺客全員が認める争いの場である。刺客達はここでは常に気を抜かない。

 授業を受けていても、皆と遊んでいても、児童を指導していても、お昼ご飯を食べていても、ゲームをしていても。

 笑っていても、怒っていても、驚いていても、泣いていても。

 いつ襲われてもいい様に、心に隙を作らないのだ。僕にはそれがよく分かる。

 だが、ここから一歩外へ出れば、そこは彼らにとってプライベートだ。

 戦闘モードをオフにして、心を休めて良い場所。彼らは自然に、幼稚園以外の場所をそういう風に認識する様になったのだ。

 そうでもしないと、刺客達の心はとっくに壊れてしまうだろう。だから、お互いに心だけは守る為に、彼らはモラルを持った。

 そういう考え方も、出来るだろう。刺客でない僕には、正解なんて分からない。

 だが、皆が幼稚園以外の場所で戦わないなら、自分の家にwhsをずっと置いておくという選択肢もあるだろう。それなら他の刺客から奪われるリスクも減る筈だ。

 しかし、好感度が集まって、願いを叶えらえる状況になれば、すぐにでも叶えてしまいたいというのが刺客達の思うところである。少しでも早く。その為には、やはり肌身離さずwhsを持っていたいのだろう。

 さて、今までで一番長く感じた春もようやく終わり、梅雨がやってきた。そしてそれは僕らにじとじとと付き纏い、戦いを滞らせては僕らをイライラさせた。

 そんな梅雨も明けかけてしまったというのが今日この頃である。 

 百合がwhsを雨森さんから奪った事も、遥か遠い日の出来事の様に思える。百合はあれから、すぐに他の刺客にwhsを奪われたのは勿論、もう二度とそれを手に出来なかった。

 僕はといえば、ただただ百合が戦う姿を指を咥えて見ているだけだった。残念な事に、僕のゴッドパワーは戦闘には向いていない。それだけでなく、僕は絶望的に戦いが下手なのだ。

 これなら、百合が独りで戦う方がマシだ。よって僕は、武器である神器を出してあげるだけのドラえもんと化したのである。

 ……長い事語ってしまって失礼。物語を進めよう。




「雨森せんせぇ!? おっかしいですねぇ、どうしたんですかぁ、なんでそんなに慌てて私から逃げてるのかなぁ!?」

「…………」

「あれぇ!? 無視ぃ!? 無視ですかぁ!? 真面目ちゃんの雨森雫さぁん!」

 全く、上岡さんは本当に声が大きい。

「それでね、百合、この新しい神器の説明に戻るけど――」

「ちょ、ちょっと神貴! ヤバいって! こんな所でごちゃごちゃ話してる場合じゃないって!」

 こちらからは少し離れた場所で大乱闘を繰り広げている、2人の教師。百合はさっきから、そちらの方に気が散っている様だ。

「じゃあどういう場合なんだよ」

「えっと、戦うか、逃げる?」

「逃げるなんて刺客の恥だ。それに、戦う為にはこの武器に関する知識を君が得ておく必要がある。だから僕はこうやって説明しようとしているんだろ?」

「そりゃそうだけど……うわっ! ヤバいって、上岡先生発砲してるよ!」

 春の間にあれ程場数を踏んでおいて、未だ戦闘に慣れていないこの子はちょっと可愛くもあるが、やはり問題児である。僕ですら冷静でいられる様になったというのに。

 今回、戦場となったここは、坂城幼稚園の中のプールである。正確に言えばプールサイドだ。真ん中の水が溜まった部分を取り囲む様に、刺客達全員がそこにいた。

 何故こんな場所で、しかも授業時間なんかに戦いが始まったのかと言うと――

「ねぇ、刺客のモラルを無視した雨森せんせぇ! 着替えの最中に下着ドロみたいにwhs盗っていった雨森せんせー!!」

――と、まあこういう事である。

 本来ならうさぎ組は今日、プールの授業を行う筈だった。その前の休み時間、今回プールに入る予定だった上岡さんが水着に着替えている最中に、事件は起こった。雨森さんが、上岡さんの持っていたwhsを、こっそりと抜き取っていったのだ。

 着替え中なら流石の上岡さんも、whsをいったん手放す事になる。その隙を狙った作戦という事だ。

 中々に見事な手口だが、残念ながら上岡さんにその犯行がバレてしまったのである。

 しかも上岡さんは、そんな卑怯な手は刺客のモラルに反するとか何とか言って大激怒したらしく、授業を揉み消してこんな戦いを始めたのだった。

 で、他の刺客――みぞれちゃんと五反田さんは、それに上手く乗っかった。てな訳で、僕ら天界組も乗っかろうって訳である。

 だから僕は、この戦場にぴったりな武器を持ってきた訳だ。

「百合、もう一度頭から説明しよう。この神器の名は、『ウォーターソード -水竜剣- 』だ」

「そんなの何回も聞いたからもういいよ! かいつまんで要領良く説明して!」

「ああ、もう、分かったよ。要するにだな、この武器は、水に沈めると数分間威力が増すんだ」

「はぁ!? それじゃまるで、おもちゃじゃない!」

「おもちゃなんかじゃないよ。これは神が創造したトップクラスの武器なんだぞ」

「知らないよ、胡散臭い! ひゃあっ!?」

 と、口論になり始めたところで、百合は背中に水鉄砲を喰らった。

 放ったのは、数メートル先にいる上岡さんである。長い髪を南風にたなびかせた彼女は、ライフルの様に馬鹿でかいその水鉄砲を降ろすと、大きな声でこう言った。

「いつまでぇ、遊んでんのぉ?」

「くっ……」

 百合は歯軋りをした。いつまでもぼやぼやしていたら、次に上岡さんが持ち出すのは本物のライフルだろう。

「遅くなってごめんなさいねぇ、先生! 今から先生達の遊びに参加してあげますからぁ!」

 上岡さんに負けない大声で、百合は言い放った。

「神貴、それ貸して」

「うん。百合、今度こそは頑張れよ」

「いつも頑張ってるよ」

 僕は、彼女にウォーターソード -水竜剣- を手渡した。それとほぼ同時に、百合は戦闘態勢に入る。

 上岡さんが、それを確認した様に小さく頷いた。

「それじゃあー、全員戦闘準備も整ったようですしぃ、皆さんで雨森さんを攻撃しましょうかぁ!」

 雨森さんは少しだけ目を見開いた。

「おいおい、そりゃあ一体どういう事だ? 俺達にお前さんの味方をしろっていうのか?」

 五反田さんがGパンのポケットに手を突っ込みながらそう言った。

「別にぃ、そんな事言ってないですけどぉ。ただぁ、必然的にそうなるんじゃないですかぁ? だってぇ、whsを持っている人を攻撃しないと意味無いじゃないですかぁ。それともぉ、皆さんがここに集まったのは戦いの為じゃないとでもぉ?」

「でも、必ずしも4対1の体制になるとは限らないんじゃない? whsを手に入れる為には、雨森先生を攻撃する他の刺客の邪魔をする手だってある。そうなると、誰が誰に攻撃するか分からない大乱闘になってしまうけど」

 今まで黙っていたみぞれちゃんも口を開いた。

「でもぉ、それだと戦いが滞るでしょお? ずっと同じ人がwhsを持ってるなんてぇ、つまんないよぉ。だからぁ、早く他の人の手にもwhsが回る様にぃ、その時その時でぇ、whsを持ってない人達は協力するのぉ」

「成程なぁ。戦いの展開を早くする為に、お宝持ってない奴らはその時限りのチームを作る、ってぇ訳か。ま、そっちの方が面白いな。俺は乗った」

「……じゃあ、あたしも」

 渋々といった感じで、みぞれちゃんも上岡さんの案に乗った。

「何だかよく分かんないけど、百合も乗った!」

「よぉし、じゃあー、再開しましょうかぁ、雨森さんっ!」

と口にするが早いか、上岡さんは拳銃を取り出して、雨森さんに向けて発射した。

「っ!」

 雨森さんは素早く顔を横に逸らした。弾は避けきれた様だったが、頬からは血が流れている。軽い切り傷が出来た様だ。

 彼女は頬を手の甲で拭った。

「顔を狙うなんて……どう責任を取って下さるんですか?」

「せんぱぁい、それぇ、ジョークですかぁ?」

 すぐに上岡さんは拳銃を機関銃に取り替えて、連続射撃を始めた。それを見切って、空に浮く雨森さん。

「落合ぃ、空中は任せたぁ!」

「了解」

 魔法使いの雨森さん以外で空中浮遊が出来るのは、超能力者のみぞれちゃんと、後は神である僕位だ。

 雨森さんは下からくる上岡さんの弾丸を避けつつ、みぞれちゃんに攻撃する為魔法を詠唱する。

「≪アングリ―フレイム≫」

「あっ! ……っと、危ない」

 みぞれちゃんはそれを右へ左へと避けながら、猛スピードで雨森さんに近づいていく。

「おおお! 凄い凄い! ハイスピードアクション、って感じ!」

「興奮してる場合か百合! 早く戦闘に参加しろよ!」

「えー、だって百合空飛べないし」

「あ、そっか……」

 今の神器では、空中にいる敵に向かって攻撃する術が無いのだ。って事は、相手が空に逃げたら終わりじゃないか!

「ターちゃんはどうするの?」

 いつの間にかすぐ隣にいた五反田さんに問い掛ける百合。

「俺? まあ俺の攻撃と言やぁ、注射器攻撃がダイレクト吸血攻撃だがな」

「ふーん、吸血鬼も大変だねぇ」

 そう、ヴァンパイアからの刺客である五反田さんは、血を吸って相手の体力を奪っていく戦法をとっているのだ。刺客達の中でもとりわけ特殊な戦法である。

「だが、俺はこういう場合の戦いの盛り上げ方を知っている! それがこれだ!」

「おおっ!」

 五反田さんはポケットから黒いメカを取り出した。

「それってラジコン?」

「の様なドローンだ!」

「かっこいー!」

 成程、おもちゃで空中戦に応じようという訳か。

「早速飛ばしていくぜー」

「わっ! 飛んだ飛んだ!」

 プロペラが4つ付いたいかつい機械は、ゆっくりと上昇した。そして、雨森さんやみぞれちゃんがいる位の高さに辿り着くと、右へ左へびゅんびゅんと変則的な動きを繰り返した。

「よし、いける!」

「え、な、何これ?」

 空の上でみぞれちゃんは動揺している様だった。

「五反田ぁ、間違えてそれ撃ち落としちゃってもぉ、恨まないでねぇ」

「あんたの事なんかとっくに恨んでるから心配ご無用でい」

 上岡さんと五反田さんの視線が、空から不意に地上に移り、また空に戻った。

 ドローンは雨森さんの動きを邪魔する様に、彼女にまとわりつく。

「くっ……≪ブリザード≫!」

 ドローンは素早く、確実にその魔法を避ける。

 下からくる弾丸は、雨森さんを狙い続け、みぞれちゃんは彼女に近づき続ける。

「≪レインドロップ≫!」

 巨大な水の塊がいくつもの線をえがき、みぞれちゃんを包み込む様に一点に集中し始めた。

 だが、みぞれちゃんはわずかな隙間から、水の塊に触れずに脱出する。水の塊はやがてひとつとなり、派手な音を立てて粉々に砕け、四方へ飛び散った。

 みぞれちゃんは雨森さんを追いかけ続けた。後ろ向きにびゅんびゅんと飛びつつ、なおもみぞれちゃんに魔法を放とうとする雨森さん。向かい合う2人。

「アングリ―フレイム!」

 しかし、雨森さんの唱えた魔法は発動されない。

「あれ、もしかしてMP(マジックパワー)切れ? これは好都合ね」

「くっ……」

 そんな彼女に、上岡さんの弾がついに当たってしまった。

「うっ……!」

「安心して下さいねぇ、せんぱぁい。ご存知だと思いますけどぉ、その弾は敵の体力を奪う為の特別な物なんでぇ、強い痛みや直接死にかかわる様な問題はぁ、無い筈ですからぁ」

「…………」

 雨森さんは撃たれた左腕を押さえながらも、逃げ続けた。今度はもう、みぞれちゃんに背を向けている。だが、その速度は目に見えて落ちていた。

「つーかまえた」

 みぞれちゃんはついに雨森さんに追いついた。服の襟首を掴み、背中に蹴りを入れる。

 更にみぞれちゃんが、雨森さんの服のポケットに手を突っ込もうとした瞬間、雨森さんは自分からwhsを出した。

「あ、ちょっと!」

 雨森さんは全力で、それを下界に投げ落とした。

 それはプールのど真ん中に向かって急降下し続け、やがてバシャンと音を立てて水の中に潜り込んだ。プールサイドにまで水飛沫が飛ぶ。

「あなた……往生際悪いのね」

 みぞれちゃんのそんな声が聞こえた直後、「おおおおおおお!!」という叫び声を上げながら、五反田さんがプールに突っ込んでいった。

「あっ、ちょっと待ってよ!」

 百合も負けじとプールに飛び込んだ。服のまま入っていくっていうのは、レディとしてどうなのだろう。

「ふぅん、泳ぎの対決かぁ。いい余興だねぇ」

 上岡さんはのんびりと、プールサイドを歩いて2人を追った。

 2つの波が、凄まじい速度で水を切る。ひいき目に見なくても、百合は五反田さんに負けない位速かった。だが、やはりスタートダッシュが遅かった。あの分じゃ先にwhsを手にするのは――

「えっ!?」

 と、次の瞬間、2人と逆の方向から大きな波が巻き起こった。その波はたちまち、2人を飲み込んでしまった。

「ゆ、百合!!」

 僕は思わず叫んでしまった。自然にこんな大きな波が巻き起こる訳がない。という事は。

「へぇー、今の波は誰が起こしたのぉ?」

「あたしよ」

 地面に足を着けたのとほぼ同時に、みぞれちゃんがそう言った。

「でも雨森先生、あなたもそういう事、出来るんでしょ? どうせなら2人で、面白くしてみない?」

「ええ」

 雨森さんはこくりと頷いた。

 そして、更に大きな波が、プールの中に巻き起こった。

「ぷはっ!」

 突然、すぐ近くのプールの隅から、百合が飛び出してきた。

「百合!」

「こ、神貴、死ぬかと思った……」

「すぐ上がれ! あの人達、本当に殺す気だぞ!」

「だよね、ほんと、酷い……」

 息も絶え絶えになりながら、百合は何とかプールサイドに上がってきた。

「とおったどおおお!!」

 大きな声が聞こえた。慌ててそちらを見やると、プールの真ん中から一本の逞しい腕が伸びていた。

 その手には、whsが握られていた。

「ば、馬鹿な!? 五反田さん!? あんな荒波の中で、whsを探し出したっていうのか!?」

「た、ターちゃん、凄いね……」

 実際、凄いなんてものじゃなかった。超人だ。

「五反田ぁ、あんたも中々やるねぇ」

 そう言いながら、上岡さんは五反田さんの方にゆっくりと歩いていった。

「でもぉ、水上戦ならぁ、私もぉ、得意だよぉ」

「おいおい、あぶねーぞ上岡さん、下も見ねーで歩いてたらプールにおっこっちま――え?」

 上岡さんはなおも歩き続けていた。そこはもう、プールサイドではなかった。

「おいおいおい上岡さん! テメーなんで水の上歩いてんだよ!」

「だってぇ、歩けるもぉん」

「きっしょくわりぃなぁおい!」

「ほらぁ、皆もこの中に入っておいでよぉ。今日はプールの授業だよぉ」

 上岡さんは狂気じみた笑みを見せた。だが、刺客達はそれに乗っかる様にして、水の中に飛び込んでいく。


 刺客達の戦いは、始まったばかりだった。




 水底を眺める。

 水色の床には、何メートルかおきに白線が引いてある。それらをのんびりと眺めながら、僕はゆっくりと水をかく。

 平泳ぎなんてあまり得意ではないけれど、泳ぐ楽しさは下手でも味わえるものだ。

 数回水をかいて、たまに息継ぎの為に顔を上げる。その瞬間、刺客達の水上戦の様子が鮮やかに映る。

 そう、刺客達はまさに今、戦っている。

 しかし、それが僕に何の関係がある? 僕はただの通りすがりの神だ。刺客は誰もが僕の知る人ばかりだけれど、それは単なる偶然であって。

 だから僕は、気まぐれに戦いを観戦したり、こうやって泳いだりしているのさ。うん、シナリオは完璧。

 と、現実逃避をしていると、頭に柔らかい、しかし少し重い衝撃が走った。

『ぶぶるっ!?』

 水の中で変な声を出して、僕は体を起こす。

 足元の水中に、誰かがいた。さっきのは多分、この人がぶつかってきたのだろう。あ、多分みぞれちゃんだな、これ。

 ……しかし、みぞれちゃんはいつまでも起き上がりはしなかった。

 これはもしや――。

 僕は水の中に潜った。彼女は脚を抱えている。僕は、彼女の膝の裏と、うなじに腕を当て、軽く抱え込む様にして立ち上がった。

「ぷはっ!」

 幸いにもそこは水の浅い所だったので、ぐっと持ち上げると、みぞれちゃんを水面に触れない様に出来た。

「あ、ありがと……え? 神貴君?」

「大丈夫? 脚、攣ったんでしょ?」

「あ、え、うん。でも、ねぇ、これお姫様――」

「ちょっと待って。今も攣ってる?」

「あ、うん」

 なら早く処置しないといけない。

「分かった。一旦降ろすね」

 僕はプールサイドまで歩いていき、言葉通り、そこにみぞれちゃんを座らせた。

「よいしょっと」

 そして僕自身も陸へ上がり、みぞれちゃんの脇にしゃがんだ。

「脚、伸ばせる?」

「ええ」

 みぞれちゃんが脚を伸ばす。

「どっちの脚が攣ってる?」

「えっと、右の方……」

 僕は、みぞれちゃんの右足のつま先に触れた。そして膝の方へ優しく押す。その状態を数秒キープして、元に戻す。

「どう? 大丈夫?」

「ちょっとましになってきたかも……ありがとう。これって、脚が攣った時の対処法よね?」

「うん、そんな感じ。神でも脚は攣るからね。人間でもこのやり方が通用するかどうかは、ちょっと分からないけど」

「へぇー……」

 少しの間、僕達の間に沈黙が流れる。刺客達の喧騒が遠くから聞こえてくる。まるで他人事みたいに、僕はそれを聞いていた。

 みぞれちゃんは不思議そうにつま先を眺めていたが、突然顔を顰めて、僕を睨んだ。

「……また、敵なのに助けたわよね」

「あー、本当だ。ごめん」

「別に謝る必要なんてないけど。でも、あなたってどうして、そんなにあたしの事助けてくれるの?」

 彼女の青みがかった瞳は、真っすぐに僕を見つめていた。それは僕にとって難しい問いだった。

「どうしてなんて訊かれても、理由にはなりそうにないな。……なんかさ。君の事放っておけないから」

「え」

「それじゃ、駄目かな?」

「……何それ」

 喜んでいるのか、困っているのか、分からない様な表情をして、彼女は肩を竦めた。


『キーンコーンカーンコーン』


 チャイムが、鳴った。

 すると、刺客達の戦いは突如、中断された。

「流石にこれ以上戦いを続けるのはまずいです。ここでお開きとしましょう」

 雨森さんの冷静な声が響いた。

「上岡先生、気絶させてしまった先生方の対処に当たりましょう」

「はぁい」

 気絶? この人達、この戦いの為に、他の人にそんな事を――。

「花床さんは速やかに教室に戻りなさい。いいですね」

「……はい」

 どこか不満気な表情をしながらも、百合は頷いた。この様子だと、whsを手にしたのは百合ではないな。

「落合さんはどうされたんですか?」

「あ、脚を攣ってしまったんです」

「そうですか。それなら、もう今日は帰っていただいて構いません。だいぶ疲れているでしょうし。帰宅には、五反田さんと生君がサポートに当たってあげて下さい」

 雨森さんはそう告げた後、一礼してプールを去った。それに上岡さんと百合が続く。

「なあみぞれちゃん、神貴君とやらはそこにいるのか?」

「ええ。あたしのすぐ隣に」

「なら、神貴君だけで充分足りてんじゃねーのか? サポートなんてよ」

「え?」

 五反田さんはきょどきょどと目を泳がせた。実に彼らしくない仕草だ。

「俺ァ、whsも持ってるしよぉ、この後ちょいと忙しいんだ。だから、この辺でおさらばって事で、許してくれよな。あばよ!」

 そう言って、五反田さんもプールから逃げる様に去ってしまった。みぞれちゃんは、口をぽかんと開けてプールの出入り口を見ていた。

「とんだ自由人ね……」

「まあまあ。五反田さんだって大人なんだ、きっと色々事情があるんだよ」

と言いつつも、どこかこの状況をラッキーだと感じている僕がいた。ひょっとして彼は、僕達の為にこの場を去ったんじゃ……いや、流石にそこまで考えていないか。

「……どうしたの、ニヤニヤしちゃって」

「ん? いや、なんでもないよ? よし、じゃあ、さっさと帰ろうか」

 僕はみぞれちゃんに背を向けてひざまずき、手のひらを後ろに向けて腕を伸ばした。

「どうぞ」

「え? まさか、おんぶする気じゃ」

「それ以外にどうやって帰るの?」

 みぞれちゃんは困惑した様に口を押えた。

「だって、歩けない事もないし、それにあなたは周りの人には見えないんだから」

 そう。もし、僕がみぞれちゃんをおんぶしている光景を普通の人間が見れば、それはみぞれちゃんが変な恰好で浮いているという超常現象に見えてしまう。そうなれば大問題だ。

「人通りの少ない道を通れば大丈夫だよ。それに、無理して脚を痛める事の方が問題じゃない?」

「もう……」

 みぞれちゃんはふてくされていたが、そこにいつもの様な勢いは無かった。いつもより少しだけ、しおらしい。

 彼女は僕の背中に近付いて、僕の肩に軽く触れた。

「えっと、乗っかっちゃって、いいのよね?」

「うん、どうぞ」

「ん……」

 みぞれちゃんの腕が、僕の首の周りに巻かれる。そして、ほんの少しの重みが、背中に掛かった。

 僕は彼女の膝の裏を手で支え、ゆっくりと立ち上がった。

「よいしょっ」

「わっ」

 彼女は短い叫び声を上げた。

「大丈夫?」

「あ、うん、大丈夫。何かちょっと怖くて」

「あれ、もしかして人におんぶされるの初めて?」

「うん、初めて……」

「えー、何かもったいないな。こんなに軽いのに」

「軽い? そ、そうかしら?」

 声だけで、彼女が照れているのが分かる。

「じゃ、いくよ」

「うん。……わ、わ、わ、凄い……」

 おんぶで興奮するなんて、何だか初々しい感じだ。僕らは慎重な足取りで、プールサイドを出た。




 みぞれちゃんが背中に乗っているというのは、とても気持ちが良い事だった。

 別にやましい事を言っているんじゃない。そこに人の温かみが感じられる。そこが良いと言っているんだ。

 だが、2人ともプールに入った後で、服がずぶ濡れなのはちょっといただけなかった。刺客というのは、戦いの為なら服が濡れる事位全く気にしないのだから困る。

 だが、おんぶというのは他にも利点があった。耳元に掛かる吐息だ。

 雨森さんも言っていた通り、みぞれちゃんは本当に疲労困憊している様だった。だからかは分からないけれど、吐く息の量が通常より多い気がした。時々、溜め息が混じる事もある。

 女の子の吐息を浴びせられるなんて、こんなに人を嬉しい気分にさせる事はないだろう。ああ、本当に天国だ……。

「……ねえ」

「あ、え、はい、うん?」

「ふふっ、どうしてそんなに慌ててるのかしら?」

「え、いや、別に? どうしたのさ?」

 流石に『あなたをおんぶしている事が気持ち良い』なんて変態みたいな事は言えない。

「あの、あなたってね、あたしの事を怖いとか思わない?」

「え?」

 僕はその言葉の意味をよく考えてみた。みぞれちゃんが、怖い?

「うーん、そりゃ、敵としては怖いかな。でも、それは百合を除く刺客全員に言える事だよ」

「そう。でも、でもね? 実はあたし、今回の刺客達の中では、かなり特別な存在なんじゃないかって、思うの」

「え?」

 特別な、存在。一体どういう点で? 石ころを踏みつけて歩きながら、僕はまた、考える。

「やだ、あたし、自惚れてるみたいね」

「そんな事ないんじゃないかな。みぞれちゃんが特別だって思うんなら特別だと思う。でも、どうして?」

「人を殺したから」

「え……」

 予想外の一言だった。僕の脳裏に、あのツインテールの、傲慢な少女が浮かんでくる。


『小夜香を殺して』


 あの、百合の言葉も。

「驚いたでしょ?」

「……そうだね」

「だからあたしって、特に大きな力がある訳じゃないんだけど、ちょっと、怖いって思われがちなのかなって」

 彼女は極めて明るい声でそう言った。その声の奥に、どんな感情を秘めているのかは分からない。

 でも、大きい力が無いのに、人を殺せたのか――?

「あのさ。君の昔の話をしてくれないかな。人を殺した時の事も、全部含めて」

「へぇ、そんな事訊くなんて、随分物好きなのね」

「そうでもないと思うけど」

 彼女はしばらく間を空けた。ゆっくりと息を吸って、吐く分の。そして、ようやく口を開く。

「あたしは4歳の時に、今の超能力者学会に入ったの。もう2、3年も前」

「4歳か。早いね」

「まあね。でもそのせいで、年齢的にも能力的にも未熟だったあたしは、周りの人間から馬鹿にされちゃってね。本当に辛かったなあ、あの時は」

 僕の胸の辺りにある彼女の指が、もじもじと動く。

「でも、今思うと我慢出来ない程ではなかったのよ。だけど、やっぱりその頃のあたしって未熟だったのね。自尊心が疼いて、イライラしちゃって」

 彼女はまた、意図的に一息置く。砂を踏むじゃりじゃりという音が、やけに大きく聞こえる。

「それで、ついに爆発しちゃったの。……馬鹿にしてきた大人の1人を、能力で殺してしまった」

「……そんな能力を、持っているの?」

「ええ。俗に言う殺人能力ってやつね。あたしの場合は、ある人を殺したいと強く願えば、その人を殺す事が出来るの」

「君はそれを、知っていた?」

「勿論。超能力者は、自分の能力を生まれた時から自覚しているの。だからそれを使う事は、本当に罪な事なの。超能力に法律があればね」

 彼女の悲し気な表情が浮かんできた。きっと今、そんな顔をしているのだろう。

「そいつを殺した直後のあたしは、満足していた様に思うわ。これでもう、他の奴らに馬鹿にされる事もないだろう、ってね。でも、そんな幸せな日々を送って良い訳が無かった」

 彼女の声のトーンは、だんだん重々しくなっていった。僕は息を呑んで、じっくりと彼女の話を聞いていた。

「殺人能力が周りにバレてしまった後のあたしは、極端に皆に恐れられたわ。滑稽な位にね。何日経っても、ずっと変わらなかった。あたしは学会に顔を出す度、避けられていたの」

 避けられていた。その言葉に、どこか百合と同じものを感じる。ただ、百合が小夜香という少女を殺した事は、誰も知らないのだが。

「そうやって孤立したあたしは、日に日に罪悪感を募らせていった。なんであの時、あの人を殺そうと思ったんだろう、ってね。ごめんなさいって、思ったの。何度も何度も」

 だんだん、彼女の声は震えてきていた。ひょっとしたら彼女は、泣きそうになっているのかも知れない。

「でも、それだけで許される話じゃない。そして、あたしは厄介者として認められ、学会から追い払われた。……刺客という形でね」

「……そっか」

 あまりにも暗い過去だった。何を口にすれば良いのか、分からない。ただ、その話を受けとめるしかなかった。

 ただ、彼女と百合の過去には、重なる部分がいくつかあった。

「百合も、人を殺したんだ」

「え!?」

 みぞれちゃんはいきなり大きな声を出した。

「僕の力を使って間接的に、だけどね。考え方によっちゃ、僕が殺した事になるのかも知れない」

「そうだったの……なんか、馬鹿に出来ないわね。あなた達も」

 みぞれちゃんは平坦な声でそう言った。馬鹿に出来ない、なんて言ったら、殺人は何か特別な事の様に感じられてしまう。

「……話を最初に戻すけどさ。僕はその話を聞いても、君の事、怖いなんて思わない」

「……どうして?」

「そうだな、例えば僕がみぞれちゃんと同じ超能力者学会に所属している人間だとしたら、君が人を殺したと分かった時は確実に怖がるだろうね。でも」

 自分の中で、話す事はまとまっていなかった。いったん間を置いて、言葉を吟味して、話し始める。

「今は、殺人を反省している君がいる。だから、僕は昔の事もひっくるめて、君の事を怖いと思わないでいられるんだ」

「…………」

「ごめん、何か変な事言っちゃったかな」

「ううん。ありがとう。何でか分からないけど、ちょっと嬉しい、な」

 そう言った彼女の声は、本当に嬉しそうに少し弾んでいた。何だか照れる。話題を逸らしてしまいたい。

「あ、そういえば。上岡さんって今日、雨森さんがモラルに反したとか言って怒ってたよね。意外だったなぁ、上岡さんがそんな事気にするなんて」

「言われてみればそうね。ああ見えて本当は真面目なんじゃないの?」

「そうかもね。でも、刺客のモラルなんてよく分からないよ、僕は」

「モラルねぇ。案外そんな難しい話じゃない様に思うけど」

 みぞれちゃんが、頭の位置を少しだけずらす。彼女の髪の毛先が、僕の首筋を刺激した。

「この戦いを純粋に楽しめる様にする事、とかなのかもね」

「楽しむって、僕らは敵だよ?」

「じゃああなたは、この戦いを楽しんでないの?」

「いや……楽しんでるけど」

「ほぉら。皆がそれで楽しめるなら、もっともっと楽しめる様に工夫するべきよ。それって素敵だと思わない?」

 心から楽しそうに、彼女は喋った。そんな考え方を今までしてこなかったと、僕は思う。

「だね」

 僕がそう返事をすると、再び2人の間には沈黙が流れた。彼女の存在感は、静かな時の方がより一層強かった。

「……あ。そういえば、君の家って大体こっちらへんかなって思ってここまで来ちゃったんだけど、ここからどう行くの?」

「えっと、こっからだと真っすぐ行くだけで着くわね。あ、そっか、前にコンビニの近くに家があるって話してたっけ」

「うん、そうそう」

 そのコンビニは、百合がおつかいの時によく利用する店なので、行き道に迷う事は無かった。

「そっか、覚えててくれたんだ……って、え?」

「どうしたの?」

「だ、だってこのルートだと、あ、アシカガさんの家の前、通っちゃうじゃ、ない!?」

 アシカガさん。はて、誰だっただろう。そういえばこの道の先に、表札にそんな名前が書いた家があった様な無かった様な。

「それがどうかしたの?」

「どうかしたって、あの、兎に角、悪いけど遠回りしてくれない? あたしが案内するから」

「へぇ……なんか怪しいな」

「え、ちょっと、何でよ」

 みぞれちゃんはかなり参っている様子だった。しかし僕からしてみれば、人の家の前を通るのが駄目な理由というのが、少し気に掛かる。

「よし……みぞれちゃん、しっかり捕まってないと落っこちちゃうよ」

「え? あ、ちょっと!」

 僕はアシカガさんの家に向かって一目散に走った。みぞれちゃんを乗せているのでスピードは遅いが、それでもすぐに着くだろう。

 どうせ理由を尋ねたって素直には教えてくれないのだ。それなら実践あるのみ、である。

「もう――! ちょっと悪いけど、さよなら!」

「えっ!?」

 その瞬間、背中の重みが消えた。慌てて背中に手を回す。自分の背中に手が当たった。

 ……みぞれちゃんが、消えた。

 混乱し始めた頭を落ち着かせると、1つの可能性が浮かび上がってきた。瞬間移動だ。

 そう。彼女が今まで瞬間移動を使った例は無かったけれど、超能力者なんだからそんな技が使えてもおかしくない。

 つまり、僕に本気で憤って、さっさと瞬間移動で家に帰っちゃったって事なのか。あーあ、こりゃ確実に嫌われたな。

 ん? 待てよ。瞬間移動が使えるなら、何も僕を頼って帰る必要はないじゃないか。何故あの場でテレポートしなかったんだ?

 ……僕と一緒に帰りたかったから、なんて考えはあまりにも自惚れすぎか。例えそうだったとしても、今は嫌われてるし。

 溜め息を吐き出して、僕はあても無くとぼとぼと歩き出した。今日は百合のそばにいるのもやめておこうか。僕も疲れてしまった。

 しばらく黙々と歩いていると、目の前に立派な和装の家が現れた。表札には『足利』と書かれている。

「ここが、アシカガさんの家か」

 呟いて、木組みの格子戸から庭を覗いてみる。中には小型犬がいた。あれはなんていう種類の犬なんだろう、などと考えていると、犬が僕の姿を見つけて、門の方に駆け寄ってきた。

 犬は格子戸の隙間から脚を出し、しきりにキャンキャンと吠えたてている。可愛らしい鳴き声だ。

 ……あ。もしかして、みぞれちゃんがこの家の前を通りたがらない理由って。

 僕は独りでクスリと笑った。そして、格子戸の隙間に手を入れ、犬の頭を撫でてやった。

 犬はなおも、キャンキャンと吠えていた。

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