協奏曲 “恋情” ~第2楽章“告白”~
――それは、動き出す運命の歯車。
「ぼくは……ISなんだ」
「……あい、えす……?」
激しい雨音が遠くなる。
暗い部屋のなか、雷に照らされた、唯音の口は引き結ばれていて、
表情は硬く、でも毅然としていた。
唯音は語りだす。
「IS……インターセクシャルとは、
性器、卵巣・精巣といった性腺、染色体等が、
男性型・女性型のどちらかに統一されていないか、
または判別しにくい等の状態だ。
ただ、「IS」などの呼称は、
ぼく達、当事者にとっては、むしろ不快な響きを持つことも多い。
ゆえに、現在は、こうした「先天的疾患」の総称として、
「性分化疾患」と言うのが一般的だ。
性分化疾患には先天性副腎皮質過形成症、
クラインフェルター症候群、ターナー症候群等さまざまなタイプがあり、
その症状も個人によってまったく異なる。
時には、結婚してから不妊で悩み、
検査して初めて気づくようなケースもみられる。
性自認……つまり、自分を男女どちらと認識しているかも、様々だ。
男性寄りだったり、女性寄りだったり、中間だったり、
あるいは男性寄りと女性寄りが時期によってゆらぐこともある」
「それって……よく聞く、あの……」
「性同一性障害とはまったく異なる。
性同一障害の場合、身体的な性別がはっきりし、
身体と自認する性が逆になるわけだが、性分化疾患とは別のものだ。
ぼく達の場合、
体や遺伝子レベルで、男女のどちらにも当てはまらないんだ。
特に、ぼくの場合、一般的な型には当てはまらない。
身体的にはほぼ女だが、性自認は男だ」
「“ほぼ”……?」
わたしは、ぽかんとしながら問い返す。
「……ああ。完全な女性とも、男性とも似つかない。
非常に中途半端な状態だ」
そこまできっぱりと言い切ると、やや言いよどむ。
「……だが、説明してわかるようなものでもない。……君に見て欲しい」
言って、ネクタイに手をかける唯音。
しゅるりと音を立てて、黒いネクタイが落ちる。
「ゆっ……唯音?!」
白いブラウスがはだけられてゆくのをみて、とうとう目を塞いだ。
同じように床に落ちる音がして、わたしは……。
「ちょ……ダメだよー唯音っ! ストリップ禁止っ!!」
(もう無理だー!!)
目をつぶったまま止めに入るわたしの足に、ずるっという感触が。
「うわ……っ」
「……!?」
ようするに、わたしはこけた。
バランスを取ろうにも、身体は完全に前傾姿勢。
そのまま唯音の身体に倒れこむ。
――衝撃。
そっと目を開け、身体を起こそうとすると、
胸のあたりに、ふにっ、としたささやかな感触があった。
「ゆ、ゆゆ、ゆいね……っ」
思わずまじまじとみてしまった。
雪みたいにまっさらで、ほんのりと色ずく肌に、
控えめな膨らみがふたつあった。
(?!!)
見上げると、唯音の目は、潤みまくっていた。
羞恥にたえるように頬は真っ赤で、ぷるぷると震えている。
「……ふっ……、」
あ、やばい、泣きそう!!
「まってまって待って! 事故だから!
そして脱いだのは唯音だよね?! 別に無理に脱がなくていいから!!」
(っていうか、そんなに恥ずかしいのに、なんで脱ぐかな?!)
――大混乱だ!
「……誠実さに欠けると思ったんだ。
本当は、もっと早く打ち明けるべきだった。
せめて、実情を正確に……」
「伝えなくていいから! 早く服を着て!!」
目に毒すぎる。
男の子じゃなくても、色々と無理だよね、これは……。
「……わかった」
それだけ言うと、背を向けて、服を着用しはじめる唯音。
気まずそうに、咳をすると、ぽつぽつと話しはじめる。
「……今みてもらったように、身体つきは、非常に女子に近い。
ただし性器はどちらともつかない。
……それもみてもらおうと思ったが……」
言いながら、声をふるわせる唯音の顔は、
赤い、とかいうレベルを通り越して、完全に茹で上がっている。
「いやいや、無理でしょ?!
ていうか、そんなに無理しなくとも、言葉で説明でいいから!」
「だが……」
「本当にいいから!!」
「……子どもを作るのは、少なくとも、今の医学では厳しい。
だが……ここまで説明したうえで、こう言いたい。ぼくは……」
そこまで言うと、唯音は、はっとしたように口を閉ざした。
「雨が上がったようだ。送ろう。……徒歩でもいいか?」
「う、うん……」
唯音は、一体何を言いかけたんだろう。
ふたりで歩く道は、いつの間にかほんのり暗くなっていた。
そのまま、沈黙が続く。
ぽつり、ぽつり。
再び雨が降ってきて、
傘をさそうとしたわたしの腕を、唯音が掴んだ。
「き、きみがすきだ……夏芽。ぼくと付き合ってくれ……」
握られた手から、唯音の温度が伝わってくる。
……熱い。
雨音がアスファルトを叩く。
冷たい雫が、拳に当たって、ひんやりとその熱を冷ます。
「そっ……その……そう! ぼくと付き合うとお得だぞ!
たとえば……たとえばだな……ぼくは歌が上手い。究極的にな!
演奏もなかなかだ。
君が、ぼくのものとなったなら、毎日君のために歌おう!
おはようのトリュから、おやすみのバラードまでお任せだ!」
唯音……?
雨が少し弱まる。
潤んだ新緑色の瞳が、信じられないほど綺麗で、
わたしは、息をのんだ。
「だ、だめか……?」
ふにゃりと泣きそうな顔で、俯き、
袖をこすりあわせる唯音。
頬は赤く色づいて、不安そうに声を震わすその姿に――。
(ああ、もう…っ!)
「唯音ーっ!」
わたしは思いっきり抱きついて、
こわばる唯音のあたたかい体を、おもいっきり堪能すると、
その手を取った。
「――うん! 付き合おう!!」
「……は?」
ぽかーん、と口を開けた唯音。
「なんでそんなびっくりするの? 唯音が告白したんじゃん!」
「……そうだが……でも本当にいいのか?
ぼくは、この通り、少々複雑な体質だ。
子どもは生ませてやれないかもしれないし、結婚も危うい。
見た目なこの通り女子じみているしな……」
「どうしてそこまで重く考えるかなあ? そのうえ面倒くさいよ!」
「……は、はっきり言うな……」
“これでもだな。一世一代の告白だったのだぞ……? ”
言葉にしなくても、そう言いたいのが伝わってくる。
「……あー、もう、面倒くさいなあ……」
二度も? と半ば涙目になる唯音をもう一度、
今度はしっかりと抱きしめた。
「……わたしも唯音がすき。
男だろうと女だろうと、どっちでもなくても、そのままの唯音がすき。
――これは絶対!!」
にかっ。わたしは、元気にはにかむと、唯音の手を取った。
「明るい家族計画しよう!
唯音とだったら、ケッコンできなくても幸せになれる気がする!」
いやもう、この時点でかなり、幸せなんだけどね!
そういって照れ笑いをするわたしに、唯音は赤い顔でつぶやく。
「君、その意味ぜったいわかってないだろう……」
心なしかぷるぷる震えている。
(……なんか変なこと言ったかな?)
ともあれ、わたしたちは、今日から恋人同士になった。
葛藤とか、躊躇とか、
そんなの全部吹き飛ばして、
セオリーとか、常識さえも蹴っ飛ばして、
思う存分、青春を謳歌した。
そう、憂鬱な雨も、重たい雲も、いつかは晴れる。
単純思考かな? でも、それは、必然なんだよ。
少なくとも、わたしはそう思う。
夏はやって来ようとしていて、わたし達はこれからの未来にわくわくした。
初めてのデートとか、初めてのキスとか。
不安より、嬉しさのほうが大きかった。
これからわたしたちに訪れる、運命とか、宿命とか、
そんなことはなにひとつ知らなくて。
でも、その、もうひとつの舞台……“朝顔の世界”で起こった出来事は、
後に、わたしの中に、ひとつの可能性を見いだす。
『夏芽楽団交響曲』
この不思議なタイトルは、何を意味するのか?
そして、非日常の世界で繰り広げられる、
無数の約束達は、いったいなにを代償に、輝くのか。
愛とか、絆とか、音楽とか、宿命とか。
そんなものを巻き込んで、“女神様”は天秤を揺らす。
“もし、……もし。
たったひとつ約束をするだけで願いが叶うとしたら、
あなたはいったいなにを思い浮かべる?
お金? 名声? 美貌? それとも、あのひとの愛?
でもその約束を破ったら、あなたは死んでしまうとしたら?
それでも、あなたは希いますか?
これは、愛と芸術の世界、<朝顔の世界> に生き、
命がけで願う人々の……――”
その結末に、なにをもたらすのか、今のわたしたちは知らないけれど。
愚かで、未熟で、無知で、でも、ただひたすらに、生きてゆくよ。
それが、わたし……<夏芽>の生まれた理由。
――何度だって願うよ。
たとえ、わたしが死んじゃっても……ううん、意地でも死なないけど。
それでも、わたしは“約束”する。
それが、わたしに使える唯一の魔法だから――。
『夏芽楽団交響曲 序曲――終』