第28弾
題名「生死・常識の崩壊を望む」
死ぬよりも重い罰は生き続けることだと思う。
「刑を言いわたす。」
裁判場に声がひびき渡った。
「第一重罰刑、百年地獄。」
罪人は雪のごとく、顔を白くして、刑罰を聞いた。
「生きるにおいて、拷問の辛さを身に覚えさせるがいい。」
冷酷な声が淡々と裁判長から発された。
死んだ後を恐れるよりも、生き残る人がどうなるか考えるほうが、自分は辛くないと思う。
“高1男子 20階建て マンション 屋上より 飛び降り自殺 原因は いじめと家庭内暴力か”
新聞の一面を埋める記事の見出しは、逃げる道を死にしか見つけることのできなかった子の結末だった。
「どうして、地域で気付いてあげられなかったのでしょうか。」 テレビのニュースで、コメンテーターが、聞きなれた言葉をつむぐ。
時に死は生よりも素晴らしいことになる。
「中東地域で、また、自爆テロがありました。これによる、死者は10名、負傷者は23名です。」
アナウンサーが、ニュースを読み上げる。そこに感情はない。
“よくやった。お前は神の戦士だ。”
自爆テロを行なった者の仲間達は、死者を誉め称える。
生きていなければならない。と人々は口にする。彼らの言う“生き”るは、なんの憂いも苦しみもなくと言う意味を含めていないか。もし、それらが自分の身にふりかかると、“生き”るは逆転し、死だけをみることになる。
となれば、なぜ死を恐れねばならないのか。なぜ生き続けねばならないのか。
人は自分の世界の中だけで、知識を得、物事を見、考える。その世界を否定されることに、耐えてはいけない。
そう、他人を理解しろと言う者こそ、否定されると簡単に崩れていくだろう。




