1.王子様と私
教室にいる私は、背景だった。
窓際の後ろから二番目。休み時間には文庫本を開き、話しかけられれば笑うけれど、自分から輪の中心へ入ることはない。成績は中の上。運動は中の下。クラス写真を半年後に見返したら、「この子、いたっけ」と言われても不思議ではない。
――そんな私が、毎晩、何万人もの人から名前を呼ばれる時間がある。
『でじた民のみんな~! 今日も一緒に、るんるんしてる~?』
モニターの中で、水色のツインテールが揺れる。電脳世界からやってきた魔法使い――人気Vtuber、でじた るん。それが、私だ。もっとも、学校でそれを知る者はいない。
「小野寺さん」
昼休み、名前を呼ばれて顔を上げた。立っていたのは高瀬奏多だった。整った顔立ち、柔らかな物腰、誰にでも分け隔てなく接する優しさ。女子は陰で彼を王子様と呼び、男子でさえそれを否定しない。教室の中心にいる、私とは正反対の人だった。
「これ、落としたよ」
彼の手には、小さな銀色のUSBメモリがあった。全身から血の気が引いた。中には次回配信の台本と、公開前の立ち絵差分が入っている。
「ど、どこで?」
「階段。大事なもの?」
「命より大事です」
「そんなに?」
彼が笑った。私はUSBをひったくりそうになる手をどうにか抑え、両手で受け取った。
「中は見てないから安心して」
「ありがとうございます」
「でも、名前を書いたほうがいいかも」
「それだけは無理です」
正体につながる物へ本名を書くなど、自分から身バレしにいくようなものだ。
不思議そうにする彼から逃げるように、私は教室を出た。その日の昼食は、普段使われていない屋上前の踊り場で取るつもりだった。ところが、重い扉を押し開けると、フェンス際に高瀬くんがいた。
「小野寺さんも、ここで食べるの?」
「……今日はやめておきます」
「どうして?」
「先客がいるので」
「屋上は広いよ」
彼は少し考え、床に一本の見えない線を引くように指を滑らせた。
「半分ずつ使おう。俺はこっち、小野寺さんはそっち」
「屋上を分けるんですか?」
「駄目?」
風が彼の前髪を揺らした。教室で浮かべる非の打ち所のない笑顔より、少しだけ幼く見えた。
「……では、半分お借りします」
それが、私たちの始まりだった。




