↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死寸前だった営業マン、幽霊を味方に成り上がる  作者: ゲンタ
第1章 ミナト精密パーツ 営業マン

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/39

第38話 面白い会社になりそうじゃないですか

人事部・会議室。


加賀谷が田中の方を見た。

「それと、もうひとつ」


「まだ、なにか……」


「田中さん。投資についても——造詣が深いみたいですね」


「え……」


「田中さんが人事に提出された『退職にあたりの所感』の中に、資産形成の考え方が少し触れられていました。持株制度の使い方、退職金運用の案、資産形成の基本的な組み立て……。どれもズレがない。あれは、独学ですか?」


「ま、まあ……趣味で少しずつ勉強しているだけです」

(『幽霊に、みっちり夜間講義を受けています』なんて言えないし、言わない)


加賀谷は、淡い笑みを浮かべながら続けた。


「企業調査と資産運用——この二つを扱える会社は、日本にほとんど存在しません。しかも、需要は確実にあると思います。企業の健康診断と、個人の資産の処方箋を同時に提示できる存在は、これから有望だと思います」


その声には、冗談ではなく——未来を見ている人間の響きがあった。


「もちろん、当社としては企業調査の方をお願いしたいのですけど。資産運用を絡めた会社を作るのも悪くないと思いますよ。きっと面白い会社になるのでは……」


胸の奥が、ぐっと跳ねた。

考えるより先に、言葉がこぼれていた。


「……やってみたいです」


その瞬間、横で小早川さんの表情がぱっと晴れた。

「なんだか——本当に、すごい会社になりそうですね」


「まだ、なにも決めてませんよ」


そう笑いながらも、胸の底では——たしかに歯車が回り始めていた。

未来の音が、静かに鳴り出した気がした。


会議室を出る前に、加賀谷が名刺を差し出した。

「正式に会社を立ち上げたら——ここに連絡をください」


「……はい。必ず」


名刺を両手で受け取りながら、

その重みを、指先で確かめた。

(これは——ただの紙じゃない。人生の次のステージへの招待状だ)


***


ビルのエントランスを出た瞬間、夕方の風が、ひどく澄んだ冷たさで頬を撫でた。

振り返れば、ガラスの外壁に会社のロゴがぼんやりと映り込んでいる。


(ここでは、真面目なだけの消耗品だったな。でも——今日で、全部終わりだ)

胸の奥で、小さくなにかが解けていく。


隣で、小早川さんが、そっと息を吐いた。

「田中さん、本当に——終わりましたね」


「終わりであり——次のステージの始まりです」


言葉にして、自分で少し驚いた。

(今までの自分なら、絶対言わないセリフ——成長したかな、俺)


心のどこかが、前へと踏み出している気がした。

「ミナト精密パーツの玄関は、今度は調査する側として潜ることになったりして……」

冗談めかして言ったつもりだが、胸の中には現実味も、ほんの少し混じっていた。


小早川さんは、くすっと笑った。

「そうならないことを祈りたいですね」


「もちろんだよ。俺たちは——自分たちの生きる場所を、しっかり作らないと……」


言葉を返す間もなく、彼女はまっすぐ俺を見て言った。

「はい」


その一言は、風より静かで、どんな約束よりも強かった。

ビルの灯りが、ゆっくりと街に滲んでいく。

その光を背に、俺たちは歩き出した。


もう、消耗品じゃない。

ここからは、自分が人生の経営者だ。


***


マンションの部屋に戻ると、古谷さんが、聞いてましたよ——という表情で立っていた。

「田中さん。加賀谷さんと、ずいぶんと——面白い相談をしてましたね」


「聞いていたんですか……でも、面白い人生が待っていそうです」


「確かに、そうですね」


古谷さんは、少しだけ姿勢を正した。

「企業調査と、資産運用ですか」


「はい。古谷さんがいてくれれば、きっとなんとかなります……。『過労死した幽霊』と『やっと人生を取り戻した若者』のコンビ——なかなか、面白い会社になりそうじゃないですか」


古谷さんの顔が厳しくなった。

「田中さん。ひとが組織を作っていきます。優れた組織になる場合もあれば、腐った組織になる場合もあります。ミナト精密パーツですが、今回の事件が風化した頃——また同じことが起きる可能性があります」


古谷さんが続けた。

「なぜだと思いますか」


「入社する人材の問題ですか?」


「違います。ミナト精密パーツはNSGの部品調達を業務にしている会社です。田中さんがいた営業は、仕入れた部品の販路を開拓しなくても、売り先をNSGだけに絞れば、部品を納入したい会社と、価格や納期の調整だけやっていればいいからです」


「つまり、頑張らなくても会社はやっていけるからだと」


「そのとおりです。社員が努力しなくても、会社が存続できてしまう。そうなると、面倒な仕事は部下に押し付けて、勤務時間中にホームページでショッピングとかできますからね」


「実際、そうしていましたしね」


「ミナト精密パーツは、恵まれた会社だと言えます。だからこそ、腐りやすいともいえます。まあ、そういう会社は世の中にごまんとあるでしょう」


古谷さんは続けた。

「だからこそ——『それは、おかしい』と声を上げるひとが必要なんでしょうね」


胸の奥で、ひそかに火が灯った。

「そうですね。これから作る会社で、世の中の役に立つことをしたいです」


古谷さんは、心底うれしそうに笑った。

「田中さん。私も、大いに協力します。仲間として付き合ってくれるのは、あなただけですから」


そして、穏やかに続けた。

「では――明日もまた、真面目に、誠実に、生きていきましょう」


その言葉が、なぜか胸の奥にじんわり染みた。

気づけば、自分も笑っていた。


静かな夜の中で、

まだ形を持たない、これからの輪郭だけが、ゆっくりと、しかし確かに浮かび上がってきていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。