侯爵家
『お母さん、どうして私にはお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいないの?』
母は少し困った顔で笑って私を抱きしめた。
『お父さんの方のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんはステラが生まれる前に亡くなっていたの。お母さんのお祖母ちゃんもお母さんが生まれてすぐに亡くなってる。でも、お母さんの方のお祖父ちゃんは遠くにいるから会えないだけでちゃんと元気に生きてるよ』
『いつか、会える?』
『そうね。いつかはね』
ーーーーー
目が覚めると自室のベッドの上だった。
なんだか、久しぶりに母の夢を見た気がする。母が亡くなってすぐの頃は毎日のように母の夢を見ていたけれど、最近は夢自体見なかったから尚更久しく感じるのだろう。
今日はフリードさんがやって来る。すぐに出発できる準備をしておくように言われているけど何を用意したらいいか分からなくて、趣味のお菓子作りをするための道具一式と着替えを何着かだけまとめた。今日は朝から常連さんやおじさんやおばさん、エドガーにミア。みんなが朝からお別れ会を開いてくれた。
おじさんとおばさんのご飯を食べられるのも今日が最後だと思うとやっぱり寂しい。だから、お腹いっぱい食べるためにお皿にいろんな種類の料理を盛り付けていく。
「ステラ、お貴族様になったら政略結婚とかあるんじゃないの?王子様と結婚したりして」
「もう、レイナ姉さんはすぐに恋愛に結びつけようとするんだから」
「いいじゃない。夢くらい見させてよ」
「結婚と言えば、私はステラとエドガーが結婚すると思ってたな」
常連客のレイナ姉さんの友人でいつも食堂に野菜を卸してくれるメアリ姉さんが私とエドガーを見比べた。エドガーと結婚なんて考えたこともなかったから驚いていると、エドガーは慌てて私から視線を逸らした。少し気まずくなってニヤニヤしている2人の方を見た。
「メアリ姉さんまで、からかわないでよ。私とエドは家族みたいなものだもん。結婚なんてしないよ。ね、エド」
「………ああ」
昼が過ぎた頃、フリードさんがやって来た。
フリードさんはみんなに挨拶をして荷物を馬車に積み込んだ。さすがお貴族様の馬車だけあってとても大きくて立派な彫刻までされている。馬車に圧倒されているとミアがエドガーの背中を押して私の目の前まで連れてきた。そういえば、今日はエドガーとまともに会話をしていない気がする。
沈黙が落ちた。エドガーの顔を伺ってみると今にも泣きそうな顔で唇をかんでいた。
私もつられて泣きそうになったけど、なんとか堪えてエドガーを抱きしめた。
「寂しいけど、エドにまた会えることを信じて待ってるから。私、エドのことずっと応援してるからね」
「ありがとう、ステラ。俺、絶対に会いに行くから。絶対に夢叶えるから」
「うん。エドなら出来るよ。それじゃあ、またね」
「……ああ」
「エド、大好きだよ」
そう言ってエドガーから離れると、エドガーは真っ赤になっていた。照れているエドガーを見てミアが私は?と訊いてきた。もちろん、ミアも大好きだよと言って馬車に乗り込んだ。馬車の扉が閉まると窓越しにみんなが手を振ってくれた。馬車が走り始めても見えなくなるまでお互いに手を振り続けた。寂しいけど、大丈夫。自分で決めたんだから。
疲れて馬車の中で眠っていたのか辺りはすっかり夜になっていた。街の外に出たのは初めてだからせっかくなら景色を楽しみたかったけれど、もう外が真っ暗なせいで景色なんて見えない。その代わり満天の星空が広がっている。
「ステラお嬢様、本日はこの街の宿屋へ泊まって明日の朝また王都へ出発します。もうすぐ宿屋へ到着しますが馬車酔いはしていませんか?」
「大丈夫。昔は農作業の手伝いとかでもっと簡易的な馬車によく乗ってたからそれに比べたら全然揺れないし平気」
「安心いたしました。もし何か体調に異変があればすぐにお知らせください」
「ありがとう、フリードさん」
宿屋へ着くと馬車を降りて、今夜宿泊する部屋へ案内してもらった。部屋に夕食が運ばれて来て、それを食べてからベッドに入った。明日は朝早いって言ってたし早く寝た方がいいよね。
翌朝、起きて着替えるとフリードさんが部屋へやって来た。もう準備ができ次第出発するらしい。急いで服を片付けて馬車に乗り込んだ。朝食がないと何だか落ち着かないなと思っていると、宿屋でもらったと言うサンドイッチをくれた。しかも、デザートに果物までついていた。私が甘いものが好きだと言ったから頼んでおいてくれたそうだ。
(フリードさん、優しい!)
また眠ってしまっていたらしい。気が付いた頃には日が暮れていて、立派なお屋敷の前を通った。ここが私の祖父のお屋敷かと思ったけれど、通り過ぎていった。違ったのかと思っているとまた立派なお屋敷を通る。街ではお屋敷が並んでいることなんてないから驚いて困惑していると、フリードさんが説明してくれた。
「ここは王都で王宮で働いている貴族たちは皆ここに屋敷を構えているのです」
「貴族って何人くらいいるの?」
「そうですね。王都で暮らす貴族は子供を含め1000名ほどでしょうか。領地を持つ貴族を数えると有に5000人は超えるでしょう」
「お貴族様も学校があるの?」
「はい。14歳から17歳までの3年間貴族学園に通うことが義務付けられています。ステラお嬢様はそれまでに作法などを身に付けなければなりません」
大変そうだけど、正直楽しみだ。
私は街にある6歳から11歳までの子供たちが通う学校には通えなかった。行きたいと言えば母は何としてでも通わせてくれただろうけれど、無理をさせたくはなかったし通わなくても図書館で勉強することはできたからそれで良かった。だけど、学校帰りに友達と話しながら帰っている学生を見ていたから少し羨ましかった。でも、私も学校に通えるんだ。
王都をしばらく走っていると大きな門の前で馬車が止まった。門の前には守衛さんがいて門を開けてくれた。お屋敷が遠くに見えるけれど、門を通ったということは敷地に入ったのだろうか。
「フリードさん、ここは?」
「エリセント侯爵邸の庭です。門から屋敷の玄関までが少々遠いのでもう少し馬車で移動します」
「これが庭!?街にある噴水広場よりも大きいけれど」
「エリセント家は侯爵家の中で一番資産を有していますから」
そんなことを言われても私からすればお貴族様ってだけでお金持ちだという印象があるから一番と言われてもどれくらい凄いのか分からない。
ようやく屋敷の玄関の前に辿り着くと、フリードさんが先に馬車を降りて私に手を差し出してくれた。転ばないように配慮してくれているらしい。フリードさんの手を取って馬車から降りると、玄関の扉をフリードさんか叩いた。
すると、両開きの扉がゆっくりと開いて執事やメイドがズラリと並んで出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、ステラお嬢様!」
皆の圧に圧倒されていると、フリードさんより少し年上くらいのおじいさんとエドガーのとこのおばさんたちと同じ年くらいの男女と成人していそうな男が大きい階段を下りてきて私の目の前にやって来た。
おじいさんは私の顔をじっくり見て、そして少し涙ぐんだまま微笑んだ。
「長旅ご苦労だった。そして、初めまして。私は君の祖父のノルマンド・エリセントだ。会えて嬉しい」
「私も、会いたかった。それにしても、お祖父ちゃんは、少しだけお母さんに似てるね。笑った顔がお母さんみたい」
「セリーナは私と似ていると言われたら怒るだろうな」
お祖父ちゃんはさっきよりも泣きそうな顔で笑った。
立ち話は私の体調に障るからというお祖父ちゃんの計らいで、夕食を食べながらお祖父ちゃんたちと話すことになった。
夕食の会場の広さにも驚いたけれど、並べられている料理の豪華さにも驚いた。
「ステラ、カトラリーはフォークとスプーンだけに変えようか?」
ずっと市民として育ってきた私への気遣いだろう。だけど、カトラリーの使い方は知っているから断っておいた。
「昔、おままごとって言いながらお母さんが教えてくれたの。お母さん、何も食べてないのに本当に食べてるように見えるくらいおままごとが上手だったんだよ」
「そうか」
夕食を食べながら、改めて自己紹介をし合った。
おばさんたちと同じ年くらいの男女は母の兄である私の伯父とその奥さんでもう一人の男はその2人の息子で私の従兄弟らしい。
どうやら私は伯父夫婦の養子に入ることになるらしい。その手続きはなるべく早くしないといけないらしく明日には契約書を王宮に取りに行って私が書名をしたらそれを明日中に王宮に提出しなければならないらしい。
それなら私が直接王宮へ赴けばいいのにと思ったけれど、礼儀作法もなっていない私が万が一にも王族の方に会って不敬なことをしてしまっていはいけないからわざわざ伯父さんが屋敷と王宮を往復してくれるらしい。
夕食を終えると、メイドのサリーさんが私の部屋へ案内してくれた。
「こちらが、ステラお嬢様のお部屋です」
「すごい!ベッド大きい!化粧台も豪華!バルコニーある!」
「本日は長旅でお疲れでしょうから湯浴みは明日の朝にして、就寝の支度をいたしましょう」
湯浴みの意味が分からなくてサリーさんに訊くと、お風呂のことだと教えてくれた。同じ言語なのに使う単語も違うなんて、覚えられるだろうか。
寝間着も素材から高価さが伝わってくるくらい上等なものを着せられてベッドに横になった。ふかふかで寝心地が良かったからか、疲れていたからかすぐに眠気が襲ってきて目が覚めたら朝になっていた。
私が起きがあるとサリーさんが隣の部屋から現れてバスローブに着替えさせられた。
「こちらが浴室になっております」
「部屋に浴室があるんだ。さすが貴族」
「お湯の用意ができましたので、先にお湯に浸かっていてください。わたくしは洗髪料を持って参ります」
言われるがままお湯に浸かっていると、サリーさんが戻ってきて失礼しますと声を掛けて私の髪を洗い始めた。
「え!あ、自分で洗えるから大丈夫なんだけど」
「いいえ。これはわたくしの仕事ですので、慣れていただくしかありません」
「………はい」
「髪を洗い終わったらお体を洗わせていただきます。抵抗があるようでしたら本日は背中だけにいたしますがどうしましょうか」
「背中だけがいい」
「承知いたしました」
お風呂から出て髪を拭いてもらって暖かい風が出る筒状のもので乾かしてもらった。
「何これ。街の銭湯にはなかった」
「こちらは髪を乾かす魔法具です。魔法具は貴族でないと手に入れられませんので、市街地の銭湯には置いていないのでしょう」
「そんな便利なものがあったんだ」
魔法具という存在に感動している間にサリーさんはさっさと私の髪を結って上等な生地のドレスを持ってきた。
正直、お貴族様のドレスはどれも動きにくそうなボリュームのあるスカートの物ばかりだと思っていたけれどそうではなかったらしい。普段着用のドレスは、もちろん市民の服とは違うけれどまだ全然動きやすいと思う。そして、もう1つ違うところがある。スカートの丈だ。市民のスカート丈は基本的に膝くらいか膝の少し下くらいだ。だけど、このドレスはくるぶしまでスカートがある。
「ねえ、サリーさん。こんなドレスじゃ走るのは大変じゃない?」
「お嬢様は走る必要がありませんので、問題はないかと」
「そっか。貴族の子供は走らないんだ」
「はい。それと、わたくしのことはサリーとお呼びください。お嬢様がわたくしを敬称で呼んではいけません」
「そうなんだ。分かった」
着替えると、昨日夕食を食べた広間へ行って軽い朝食を食べた。パンとスープという献立は街と変わらない。だけど、パンもスープも材料から違うと分かるくらい味が違った。街で食べていたパンも美味しかったけれど、ほんのり甘くて香ばしいパンなんて食べたことがない。スープだって、全く新しい味だ。きっと、香辛料が全然違うのだろう。
朝食を堪能して、一緒に食事をしていたお祖父ちゃんと伯母さんと従兄弟の全員が揃ってすぐ隣の小広間へ行った。
小広間には早朝から王宮へ書類を取りに行っていた伯父が戻ってきていてテーブルに書類を並べている。
「養子縁組の書類だ。ステラの書名が必要なのだが字は書けるか?」
「お母さんに習ってたから書けるよ」
「それなら問題ないな。では、まず貴族の承認書に書名しなさい」
お祖父ちゃんの言葉を受けてサリーがペンとインクと承認書を私の前に運んできた。名前を書いてお祖父ちゃんに手渡すと、字に間違いがないか確認して紙を折りたたんだ。
「ステラ、この神の上に手を重ねなさい」
「え、うん」
言われた通りに重ねると、お祖父ちゃんは何やら呪文を唱えた。すると、みるみるうちに紙は手のひらくらいの大きさまで小さくなって金属のように硬くなった。さっきまで真っ白だった紙は真っ黒になって、金色で私の名前が刻まれていた。
紙が形も色も材質も変えてしまったことに驚いていると、従兄弟が優しく教えてくれた。
「これは魔法だよ。貴族は皆、魔法が使えるんだ。もちろん、貴族の血を引くステラもね」
「でも私、これまで魔法なんて使えたことないよ」
「魔力があってもちゃんと使い方を身につけないと使えないからね。今のはお祖父様がステラの魔力で魔法を使ったんだよ」
正直、何を言っているかあまり理解できなかった。それに、魔法なんて物語の中だけだと思っていたから私に仕えるなんて言われてもあまり信じられない。というか、お母さん!こういうことこそ教えてくれるべきだったんじゃないの!?心の内で叫んでいるのがお祖父ちゃんにも聞こえていたのかそうだなと笑っていた。
「それじゃあ、レインハルト。これを王宮まで持って行って手続きをしてきてくれ」
「はい。行ってまいります、父上」
伯父さんが帰ってくるまで時間があるので、一度部屋に戻ってゆったり過ごした。
しばらくして伯父さんが戻ってくるとまた小広間へ集まった。今度は養子縁組の書類を書くらしい。伯父さん、伯母さん、従兄弟が書名して最後に私も名前を書こうとペンを受け取った。だけど、インクは渡されない。
「魔力に反応して書けるペンだからインクは要らないんだよ」
「すごいペンもあるんだね」
感心しながら名前を書くとまた伯父さんが王宮へと出かけていった。
伯父さんが帰って来て無事に手続きを終えたことを教えてくれた。
翌日からは言葉遣いや社交の勉強が始まった。正式に貴族となり、その養子となったからには言葉遣いを改めなければいけないらしい。一人称ですら、『私』から『わたくし』へと変えなければならないし、お祖父ちゃんはお祖父様、伯父さんはお父様、伯母さんはお母様、従兄弟であるジークフリートはお兄様と呼ぶことになった。今は違和感しか無いけれど、いつか慣れるのだろうか。




