11 安易だけれども
か、体中が痛い。
体が悲鳴をあげるって本当なんだっていま実感しています。
けたたましいフライパンを勢いよく叩く目覚ましがわりの騒音が痛い体に更に堪えてくる。しかもフミさんを起こさないといけない使命も重なって……。
「うぅ、うげぇぇ。痛い、痛いぃぃぃ」
声をあげながら、ゆっくりベッドを抜け出そうとしたが、間接の至るところが軋んで思うように動けない。
昨日の掃除作業が普段勉強しかやってこなかった晃の体に手痛い置き土産を残したのだった。筋肉痛という名のものを。
「フミさぁぁぁん、起きてくださいぃぃぃ」
口だけはいつも通り動くのでフミの寝ている場所に向かって声をかけるも、廊下から聞こえるうるさい音でかき消えてしまった。
困った。どうしよう。ベッドから降りれる気がしない。今日の作業なんて到底無理だ。あ……でも、昨日の言葉……。ポポリさん、と呼んだら……? いやいや、もう呼ばないって決めたし、あれは清掃で困ったときにしか有効じゃないだろうし。
「ん――。でもものは試しかな?」
あまりの痛さに思考もうまく機能していないのだろう、晃はポソリと「ポポリさーん」と小さく呟いてみた。
「ほいほーい」
「え? えぇぇぇ?」
フミではない声が近くからして晃は驚いた。驚きすぎて体中が悲鳴をあげた。
「なんじぁ、昨日の掃除くらいで体が根をあげたのかね?」
涙目を悟られないように、激痛が走る体に鞭を打って急いで布団を頭からかぶった。
「あ、あの、昨日、あなたの名前を大きい声で呼べば姿を現すって言いましたよね?」
少しだけ布団の隙間をあけてそこからポポリに問いかけた。
「んー。まぁ、そうしたほうが呼んだかいがあるかなぁと思ってなぁ」
「……」
晃は言葉を失った。
「まさか二度までわしの名前を呼んでくれるとは嬉しいかぎりじゃ。で、なにでお困りか?」
ポポリに尋ねられて、晃は思わず言葉にしそうになって慌てて自分の口を塞いだ。だ、だめだ。昨日のようにお金を請求されちゃ、フミさんとの約束が遠のいてしまう。それに清掃以外で願いを叶えてくれるわけじゃないと思うし。
「特にありませんので、大丈夫です」
「そうかの? でも体中が痛そうだが?」
布団の上からポポリはとんとんと晃の体を少し強めの力で叩いた。
「うはぁぁっぁ。いだっ、いたいぃ」
情けない声が部屋に響いた。ポポリはふぉふぉふぉ、と声をあげて笑った。
「我慢はよくないと思うんじゃがなぁ。今日の作業ができないと他の者に負担がいってしまうのだがねぇ……」
ぐらりと晃の心は揺れた。元々責任感が強いので、他者に迷惑をかけてしまうよ、と囁かれると這ってでも行かねば、と思わされる。
「遠慮はいらないのじゃよー。わしにかかればちょちょいのちょーいで動きやすい体になるからの」
「お金……、取るんですよね?」
今度は布団から顔を出し、ポポリを見やりながら尋ねた。
「もちろん。それがなくちゃぁ、やってられないからのぉ」
「お、おいくらですか?」
「肉体疲労を取り除くので十ブローじゃ。どうじゃね?」
「どうって……」
どうしよう。お願いしてしまいたいけれど、本当にいいのだろうか。でも、この痛みと戦って着替えたり、食堂に向かうことや、郵便舎まで歩くのすらキツいのは事実。ミドリさんたちに迷惑はかけられないし、なによりもアミさんを落胆させたくない。そうだ! アミさんに失望されるのは避けたいっ! アミの笑顔が浮かんで晃は口を開いた。
「体中の筋肉痛をとってください!」
「ほいきたっ!」
待ってました! と言わんばかりに声を張り上げると、ポポリは晃にかけてあった布団をはがし、腕や脚、腰などを揉み始めた。
「うあ、いでっ、ちょ、ちょっと!」
痛さで声をあげるもポポリは気にしていないようで、鼻歌を口ずさみながら更に揉み込んだ。するとどうだろう。なんと痛みが治まってきたのだ。
「あ、あの、ありがとうございます」
起き上がろうとしたがすぐにポポリに止められた。
「え? どういうことですか?」
「まぁまぁ、わしに体を預けて」
指先をバラバラと動かしながら言うと、ポポリはまた晃の体を揉みだした。
「え? うわっ、なんですかっ」
どっと体から汗が噴き出るのがわかった。一旦落ち着いたはずの痛みがまたせりあがってきたのだ。
「ふっふふー。軟弱な体をついでだから鍛えてあげようと思ってな」
髭を揺らしながら笑った。そして強弱をつけて揉んでいくと、体の内側からじわじわと熱くなり始めた。痛みがひけば、熱さも一旦ひいたが、すぐにまた痛みが戻ってきて熱くなる、という作用が何度も繰り返され、変に心地よくなって晃はうたた寝をはじめた。
「ふむ。こんなものかねぇ」
ポポリはじっとりと汗ばむ額を拭いながら、最後にとん、と晃の背中を叩いた。
「ふぇ? 終わりですか?」
気持ちよくて、口の端から涎を垂らしながら晃はポポリに確認した。
「うむ。終わりじゃ。これでしばらくシャキシャキ馬車馬のように働けると思うぞ」
「……馬車馬?」
なぜそんなことを言うのだろう? 晃は首を傾げた。
「ちぃと時間がかかってしまったかのぉ。これはわしからのプレゼントじゃ。同室の子と一緒に食べたらよろし」
「え? あ、ちょっと」
「まぁせしめて二十ブローは頂戴しとこうかのぉ」
ふぉふぉふぉふぉーと高笑いをあげて、部屋の廊下に続く扉の方へ吸い込まれるように消えた。そしてポポリと入れ替わるように、部屋の真ん中に二脚の椅子、テーブルも現れ、テーブルの上に豪華な朝食が揃えられていた。
「え? えぇぇ?」
飛び起きて晃はその光景に驚いた。そして、自分の体が思ったより軽くなっているのにも驚いた。さっきまでの筋肉痛が嘘のようだ!
「二十ブローは痛いけれど……」
フミとの約束からどんどん離れていってしまっていて項垂れてしまう晃だったが、時計を見て慌てた。朝の仕事まであと三十分しかなかったのだ。慌てて階段を昇り、フミを叩き起こした。
「フミさんっ、急いでくださいっっ!」
体を揺さぶりながら起こすと、フミはゆっくり瞼を押し上げた。
「ふぁぁぁぁぁ、おはよー」
もそもそとベッドから起き出した。
「おはようございます」
一瞬間を置いてフミは鼻をひくひくさせた。
「なんだぁ? 部屋中が美味しい匂いじゃないかい?」
「え、あぁ、まぁ」
なんといって答えたらいいのだろう。ポポリさんというおじいさんのご厚意で食事を用意してもらいました? 時間がないから僕が運んできました? いやどっちもあまりいい回答じゃない気がする。頭の中でぐるぐる考えながらいる晃とは対照的に、フミはさっさと作業着に着替え、下に降りていた。
「おぉぉ、すごい!! 部屋で食事できるなんて最高じゃないかっ!」
感動もそこそこにフミは食事にありついた。
「ほい、アキラも早く食べないと遅れるぞ」
パンを口に入れながら晃を誘った。もごもごさせているのでくぐもっていたが、フミが部屋に用意されている食事についてさほど疑問を抱いてないようで晃はホッと胸を撫で下ろし、急いで下へ降りた。
「え? えぇぇ?」
サラダの葉っぱにフォークを突き刺していたフミは降りてきたアキラの容姿に驚いてガチャンと、フォークが床に落ちた。
「アキラ? どうしたんだい? その……その体つき……」
「え?」
晃はフミに言われていることがわからなかった。
「たった一日でそんなにムキムキになるもんか?」
「え?」
耳を疑った。ムキムキってなんだ? 首を傾げる晃を見てフミは急いで洗面所の扉を開け、晃の背中を無理矢理押した。
「え? えぇぇ?」
今度は目を疑った。
「なんだい、アキラもいま気付いたのかい?」
「は、はい」
寝間着の半袖Tシャツ、膝小僧までのダボッとしたパンツから覗く腕、ふくらはぎ、そして布越しでもわかるくらい太ももや腹回り、背中あたりも逞しい筋肉がついていたのだ。特にTシャツがピチピチして肌に密着していた。
「すっごいなぁ。おいらも力仕事だけど、一日でそんなに筋肉つかなかったぞ」
一晩でがっしりとした体型になった晃を羨望の眼差しで見つめながらフミは言った。
一日、というよりも数十分で変化しました、とは言えないけれど、ちょっとこれはやりすぎじゃないですか? ポポリさん。晃は自分についた固い筋肉を確かめながら思った。
「いやぁ、これ、サメさんに見せたら、今日からお前もサメ一門だ、とか言われて筋肉増強チームに勧誘されちゃうかもよ」
「筋肉増強チーム? サメさん?」
「サメさんはほら、この前一緒に食事とったとき同じテーブルに座っていた……。毛むくじゃらの男」
「あ……」
あの人か。晃は思い出し、ゾッとした。あの人の筋肉は自分より十倍以上ありそうだよ。こ、怖い。あの人みたいに筋肉つけたくないよっ。晃はブルブルっと体を震わせた。
「まぁ、うまく断るのを考えておいたほうがいいよ。って、ヤバイっ、おいらたちの働く時間になっちまう!! 早く飯食べようっ!」
フミに促されて着替えるのを後回しにされ、テーブルに座らせられた。美味しいはずだが時間がなく、とりあえず胃に流し込めるだけ流し込んで、身だしなみもそこそこに二人は作業開始の鐘と共に部屋を飛び出した。
◆ポポリからの請求・・・20ブロー
フミへ用意したい金額・・・100ブロー
◆二日目(昼前まで)
晃の所持金・・・マイナス5ブロー
フミへ用意する金額・・・100ブロー(増減変わりなし)
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【備考】
1日で得られる給金=15ブロー
【契約内容】
■マンデルブロ大陸、特別区内ウルサの町の郵便舎で仕分け作業に従ずる
・作業時間…朝七時~昼十二時
・一日の給金…十ブロー
■マンデルブロ大陸特別区内宿舎にて下働きに従ずる
・作業時間…昼一時~夕方五時
・一日の給金…五ブロー




