第22話 評価の裏にある思惑
翌朝。
工房の中は、いつもより静かだった。
扉は仮修理。
窓には封印札。
外にはギルドの巡回。
俺は低い棚のエッグ箱の中。
昨日より、少しだけ日常が戻ってきた気がする。
ただし、完全に安心はできない。
ロイムはまだ捕まっていない。
ヴァルム商会本部も、関与を否定している。
俺のひび割れ率は42%。
つまり、何も終わっていない。
俺は自分だけに見える表示を確認した。
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生命力:3/3
魔力:3/3
ひび割れ率:42%
状態:安定傾向を維持
外部魔力残滓:ほぼ沈静
================
よし。
少なくとも、俺自身は安定している。
今のところは。
机の上には、昨日作った割れ物保護材の試験品が並んでいた。
採取瓶十本分。
ガルドの古瓶一本。
どれも底や側面に薄く塗って、昨夜から乾かしてある。
ミミルは一つずつ指で触り、乾き具合を確かめていた。
「……うん。乾いてる」
右。
よかった。
塗りが厚すぎるものは、端が少し白くなっている。
薄く塗れたものは、半透明で目立たない。
品質に差がある。
ミミルもそれに気づいて、記録に書く。
『乾燥後確認』
『薄塗りは安定』
『厚塗りは端が白く残る』
『塗布量の統一が必要』
『十本中、仕上がり良好六本』
『要再調整四本』
六本。
十本作って、ちゃんと使えそうなのは六本。
歩留まり六割。
前世の工場なら改善会議が始まりそうだ。
いや、俺は工場勤務ではなかったが、そういう面倒な空気は知っている。
ミミルは少し肩を落とした。
「全部同じにするの、難しいなあ」
右。
難しい。
でも、最初なら悪くないと思う。
俺は小さく震えた。
「悪くない?」
右。
たぶん。
ミミルは少しだけ笑った。
「ありがとう。じゃあ、良かったものだけ持っていこう」
右。
それがいい。
無理に全部出す必要はない。
駄目なものまで見せて評価を下げるより、良いものと失敗記録を一緒に出す方がいい。
ミミルは良好な六本と、ガルドの古瓶、それから失敗した四本も別袋に分けた。
「失敗した分も、原因を見るために持っていくね」
右。
それは良い。
失敗を隠さない。
大事。
ギルドへ向かう道中、俺は相変わらず保護対象の木札つき籠の中だった。
街の人間の視線は、昨日より少し増えている気がする。
「ほら、あれだ」
「触ったら駄目な卵」
「ギルドが守ってるやつ」
やめろ。
触ったら駄目な卵って何だ。
間違ってはいない。
でも嫌だ。
ミミルは籠を抱え直し、足早にギルドへ入った。
道具管理室では、ボルグさんがすでに待っていた。
机の上には昨日の記録。
空の採取瓶。
水の入った小皿。
それから、厚い布袋。
完全に試験する気満々である。
「持ってきたか」
「はい。良さそうなのが六本分、調整が必要なのが四本分です」
ミミルは最初にそう言った。
ボルグさんの眉が少し上がる。
「駄目な分も持ってきたのか」
「はい。原因も見てもらいたくて」
「いい判断だ」
お。
褒められた。
ミミルの顔が少し明るくなる。
俺も籠の中で右へ揺れた。
ボルグさんはまず、良好な六本分を確認した。
指で押す。
爪で軽くこする。
瓶立てに入れる。
布袋に入れて振る。
それから、厚い木板の上に軽く落とす。
こん。
こん。
こん。
割れない。
ただし、一本は端が少し剥がれた。
「六本中、五本は試験に使える。一つは端処理が甘い」
ミミルはすぐに記録する。
『六本中五本合格』
『端処理不足一本』
『乾燥後に端をならす必要あり』
次に、調整が必要な四本。
こちらは厚塗りで、端が白く残っている。
ボルグさんはそれを見るなり言った。
「これは売り物にはならん。見た目も悪いし、剥がれやすい」
「はい」
「ただ、衝撃自体は逃がしている。悪いのは配合だけじゃなく、塗り方だな」
塗り方。
ミミルが顔を上げる。
「塗り方ですか」
「お前、瓶の底から側面へ、一気に塗っただろ」
「はい」
「底と側面で厚さを変えろ。底は少し厚くていい。側面は薄く伸ばせ。端は指じゃなく、平たい木片でならす」
ボルグさんは実際に木片を使って、剥がれかけの端をならして見せた。
なるほど。
道具担当、すごい。
錬金術の配合ではなく、道具としての使い勝手を見ている。
ミミルの目が真剣になる。
「やってみます」
「あと、瓶の首には塗るな。そこを厚くすると栓が合わなくなる」
「はい」
実用の知識が多い。
これはかなりありがたい。
俺は右へ揺れた。
ボルグさんは俺をちらっと見た。
「卵も納得か」
納得です。
ボルグさんは鼻で笑い、ガルドの古瓶を手に取った。
かなり傷だらけの採取瓶。
それに塗った保護材は、思ったよりよくなじんでいた。
「古い瓶の方が食いつきがいいな」
ミミルが驚く。
「そうなんですか?」
「細かい傷に入り込んでる。新品より密着してるかもしれん」
なるほど。
新品に塗るより、使い込んだ瓶の補修に向いている可能性がある。
これは予想外だ。
ボルグさんはガルドの古瓶を布袋に入れて、他の瓶と一緒に振った。
がちゃがちゃ。
嫌な音。
だが、古瓶は割れなかった。
ボルグさんは瓶を取り出し、少し感心したように言った。
「ガルドの瓶は実地試験に回す。あいつが普段通り使って、割れなきゃ使い道はある」
そこへ、ちょうど本人が顔を出した。
「俺の瓶、まだ生きてるか?」
また来た。
本当に都合よく来る。
いや、自分の瓶が気になっただけか。
ボルグさんは古瓶を投げるように渡した。
「底に塗ってある。水には弱い。川に突っ込むな。過信するな。割れても文句言うな」
「注文多いな」
「試験品だ」
ガルドは瓶を眺めた。
「見た目は地味だな」
右。
それでいい。
地味でいい。
ガルドは俺の反応を見て笑った。
「卵は地味推しか」
そうです。
地味推しです。
命がかかっているので。
ミミルが少し緊張しながら言った。
「まだ売り物じゃありません。試験だけです」
「わかってる。使ってみるだけだ」
ガルドは瓶を袋に戻した。
「採取依頼で一回使ってくる。割れたら割れたで報告する」
それはありがたい。
言い方は雑だが、現場試験としてはかなり有用だ。
受付嬢もやって来て、今日の結果を確認した。
ボルグさんが簡単に説明する。
「採取瓶用としては見込みあり。水に弱い。品質のばらつきあり。古瓶の補修に向く可能性あり」
受付嬢は書類に書き込む。
「ギルド内部評価としては、試験継続ですね」
「ああ。販売はまだ早い」
「価格評価は?」
価格。
また金。
ミミルが少し緊張する。
ボルグさんは材料表を見た。
「材料は安い。手間がかかる。乾燥時間もある。採取瓶一本分で銅貨二枚から三枚ってところか」
ミミルの顔が微妙になる。
高いのか安いのか、俺にはわからない。
だが、修理費を返すには、かなり数を作らないといけない雰囲気はある。
受付嬢が言った。
「ギルド内部試験の分は、材料費と手間賃を合わせて少額ですが支払えます」
ミミルはぱっと顔を上げた。
「本当ですか?」
「はい。ただ、正式な商品扱いではなく試験協力費です」
試験協力費。
いい響きだ。
少額でも収入になる。
俺は右へ揺れた。
ミミルも嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます」
だが、そこでボルグさんが腕を組んだ。
「ただし、評価が上がれば欲しがる奴も出る」
空気が少し重くなる。
受付嬢も頷いた。
「採取瓶だけならまだ地味です。ですが、薬瓶の運搬に使える可能性があるとなると、薬師ギルドや商会が興味を持つかもしれません」
来た。
評価の裏側。
便利だと評価される。
それは嬉しい。
だが、同時に誰かが欲しがる。
数を求める。
安く買いたがる。
独占したがる。
そういう話になっていく。
ミミルは少し顔をこわばらせた。
「薬瓶の方は、まだ公開しないんですよね?」
「はい。昨日の記録は内部扱いです」
受付嬢はそう言ったが、少し言葉を選んでいた。
「ただ、人の口は完全には止められません。道具管理室での試験を見た職員もいます。『ミミルさんが割れにくい瓶を作ったらしい』くらいの話は広がる可能性があります」
割れにくい瓶。
それくらいならまだいい。
でも、噂は育つ。
割れにくい瓶が、割れない瓶になる。
割れない瓶が、魔力薬を安定させる瓶になる。
魔力薬を安定させる瓶が、奇跡の薬瓶になる。
そしてなぜか、卵の力だと言われる。
最悪の未来が見える。
俺は左へ揺れた。
ミミルも同じ気持ちだったのか、すぐに言った。
「エッグの名前は出したくありません」
「もちろんです」
受付嬢ははっきり頷いた。
「表向きは、ミミル工房の割れ物保護材。用途は採取瓶の軽度衝撃緩和。そこまでに留めます」
右。
それでお願いします。
ボルグさんも頷いた。
「薬瓶の話は、俺のところで止める。だが、完全に隠すなら試験も進まん。どこまで出すかは決めておけ」
どこまで出すか。
難しい。
全部隠せば安全。
だが、何も進まない。
少し出せば評価される。
だが、目立つ。
俺たちは今、その境目に立っている。
ミミルは記録帳を握りしめた。
「私は、エッグを危険にしたくありません」
右。
それは大事。
「でも、工房も続けたいです」
右。
それも大事。
「だから、少しずつ。ギルドの中だけで試します」
右。
その方針でいい。
受付嬢は微笑んだ。
「では、その方針で記録します。試験範囲はギルド内部。用途は採取瓶。数量制限あり。エッグさんの名前は出さない」
ボルグさんが低く言う。
「それでいい。最初から大きく売ろうとする奴は、だいたい失敗する」
重い。
実感がこもっている。
ミミルは頷いた。
「はい」
その時、道具管理室の外から、冒険者たちの声が聞こえた。
「おい、ミミルの瓶、割れにくいらしいぞ」
「まじか。採取で使えるなら欲しいな」
「卵が作ったのか?」
「いや、ミミルが作ったんだろ」
もう広がっている。
早い。
早すぎる。
そして、もう卵の名前が混ざっている。
俺は籠の中で震えた。
ミミルの顔も強張る。
ガルドが扉の方を見て、舌打ちした。
「ほらな。便利そうな匂いがしたら、すぐこれだ」
受付嬢はすぐに外へ出た。
穏やかだが、通る声で言う。
「現在はギルド内部の試験品です。販売予定はありません。エッグさんは関係ありません。無断で近づかないように」
きっぱり。
ありがたい。
冒険者たちは少し気まずそうに散っていった。
だが、噂は完全には消えないだろう。
俺は小さく震えた。
ガルドは俺を見て言った。
「目立つのが嫌なら、名前を出させるな。あと、効果を盛らせるな」
正論。
腹立つくらい正論。
俺は右へ揺れた。
ガルドはにやっと笑った。
「今日も素直だな、卵」
うるさい。
素直なのではない。
正しいことに同意しているだけだ。
ミミルは受付嬢に頭を下げた。
「ありがとうございます。ちゃんと説明してもらえて助かりました」
「いえ。ここからは情報の扱いも大事になります」
受付嬢は少し真剣な顔で続ける。
「評価されるということは、守るものが増えるということです。製法、数量、名前、関係者。全部、慎重に決めましょう」
評価されるということは、守るものが増える。
俺はその言葉を殻の内側で繰り返した。
役に立つことは、嬉しい。
でも、評価されると、狙われる。
それは俺自身だけではない。
ミミルの工房。
製法。
材料。
取引先。
全部が狙われる可能性がある。
前世でいうなら、弱小会社が急にバズって、大企業に目をつけられる感じだ。
嫌すぎる。
午後、ミミルは工房へ戻って、今日の記録を整理した。
試験協力費として、小さな袋に入った硬貨を受け取っている。
大金ではない。
だが、確かな収入だ。
ミミルは袋を机に置き、じっと見つめた。
「初めて、エッグの殻片じゃないものでお金になった」
右。
そう。
それは大きい。
俺の体を削らずに、ミミルの技術で得た収入。
小さい。
でも、大事な一歩だ。
ミミルは少し笑った。
「嬉しいね」
右。
嬉しい。
俺も嬉しい。
ただ、怖さもある。
ミミルも同じようで、すぐに表情を引き締めた。
「でも、広げすぎない」
右。
「エッグの名前は出さない」
右。
「薬瓶の話は、まだ出さない」
右。
「採取瓶用だけ、ギルド内部で試験」
右。
よし。
方針確認、大事。
ミミルは記録帳に大きく書いた。
『方針』
『小さく試す』
『大きく売らない』
『エッグを目立たせない』
『ギルド経由』
『製法は非公開』
『薬瓶効果は未公開』
現代の事業計画みたいになってきた。
だが、今回は必要だ。
ミミルは商売に強いわけではない。
俺も強くない。
だからこそ、書いて確認する。
それくらいでちょうどいい。
夕方、受付嬢から伝言が届いた。
薬師ギルドから、低刺激回復薬の件で正式な問い合わせが来ているらしい。
さらに、採取瓶用の保護材についても、試験結果が出たら話を聞きたいという。
ミミルの顔が固まった。
「もう……?」
早い。
早すぎる。
噂が回ったのか。
それとも、もともと低刺激回復薬の件で注目していたのか。
どちらにせよ、薬師ギルドが動いた。
ロイムとは違う。
商会でもない。
だが、相手が大きいことに変わりはない。
俺は小さく震えた。
ミミルは俺を見る。
「エッグ、どうしよう」
俺はすぐには揺れなかった。
断るべきか。
聞くだけ聞くべきか。
ギルド経由なら安全か。
でも、薬師ギルドが相手なら、薬瓶の反応に食いつく可能性がある。
これは慎重にしなければならない。
俺は少し考えてから、右へ小さく揺れた。
ただし、条件付き。
それを伝えるのは難しい。
ミミルは俺の動きを見て、少しずつ確認した。
「話を聞くだけなら?」
右。
「でも、エッグのことは出さない?」
右。
「薬瓶の反応も、まだ言わない?」
右。
「ギルドの人に同席してもらう?」
右。
完璧。
今回はかなり伝わった。
ミミルはほっと息を吐いた。
「わかった。受付嬢さんに、そう返事する」
右。
それでいい。
夜。
工房の外では、巡回の足音が聞こえていた。
扉は仮修理のまま。
窓には封印札。
低い棚にはエッグ箱。
机の上には、割れ物保護材の記録と、小さな硬貨袋。
今日得たものは小さい。
でも、その小さな評価の裏に、いくつもの思惑が見え始めている。
ギルドは安全に管理したい。
ボルグさんは実用性を見ている。
冒険者は安く便利な道具が欲しい。
薬師ギルドは薬の運搬や品質に興味を持つ。
そして、どこかでロイムがまだ俺を諦めていないかもしれない。
便利なものは、勝手に面倒になる。
本当にその通りだ。
俺はエッグ箱の中で、静かにステータスを確認した。
================
生命力:3/3
魔力:3/3
ひび割れ率:42%
状態:安定傾向を維持
《素材感知 Lv1》の熟練度が微量上昇しました。
《魔力安定・未獲得》への適性を維持しています。
================
俺自身は、安定している。
だが、周囲は少しずつ動き始めている。
評価されるのは嬉しい。
でも、評価の裏には思惑がある。
その全部を見抜く力は、今の俺にもミミルにもない。
だからこそ、急がない。
ギルドを通す。
小さく進む。
俺はミミルの方へ小さく震えた。
彼女は記録帳を閉じて、布団に入るところだった。
「エッグ、明日は薬師ギルドの話、受付嬢さんに相談しようね」
右。
そうしよう。
新しい依頼の気配。
新しい不安。
それでも、逃げてばかりでは進めない。
割れないように。
削られないように。
でも、少しずつ前へ。
俺は静かに震えを止めた。




