第1話 転生したら、ひび割れ卵でした
目が覚めた瞬間、俺は思った。
あ、これ死んだな、と。
最後に覚えているのは、深夜の帰り道だった。
コンビニで買ったぬるい缶コーヒー。
片手にはスマホ。
画面には、明日の朝までに確認しておいてください、という上司からのメッセージ。
確認しておいてください、ではない。
それは実質、今すぐやれ、という意味だった。
俺はため息をついた。
明日も同じ一日が来る。
起きて、働いて、怒られて、謝って、帰って、寝て、また起きる。
そんな人生に劇的な終わり方があったのかどうかは、正直覚えていない。
トラックに轢かれたのかもしれない。
階段から落ちたのかもしれない。
ただ単に、限界が来て倒れたのかもしれない。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
俺は今、人間ではない。
視界が低い。
いや、低いどころではない。
地面しか見えない。
青々とした草。
小さな石。
湿った土。
やけに近いアリ。
世界のすべてが、地面から十センチほどの高さで完結している。
手を動かそうとした。
動かない。
足を動かそうとした。
動かない。
首を回そうとした。
首がない。
声を出そうとした。
声帯も、たぶんない。
待て。
落ち着け、俺。
こういう時は状況確認だ。
異世界転生ものなら、だいたい最初にステータスが見える。
そう、ステータス。
念じれば出るやつだ。
ステータス。
ステータスオープン。
メニュー。
鑑定。
ヘルプ。
神様、聞こえますか。
最後のは半分やけくそだった。
すると、視界の端に半透明の板が浮かび上がった。
================
個体名:なし
種族:ひび割れ卵
種族ランク:F-
レベル:1/5
ひび割れ率:7%
生命力:3/3
魔力:0/0
攻撃力:0
防御力:1
敏捷:0
知力:8
運:1
固有スキル:
《孵化未遂 Lv1》
通常スキル:
《殻籠り Lv1》
《微振動 Lv1》
称号:
《転生者》
《孵化不全》
《廃棄された卵》
================
……出た。
出たけど、内容が終わっている。
ひび割れ卵。
俺はもう一度ステータスを見た。
種族、ひび割れ卵。
見間違いではなかった。
ゴブリンですらない。
スライムですらない。
スケルトンですらない。
卵。
しかも、ひび割れている。
終わってる。
異世界転生のスタート地点として、これ以上終わっているものがあるだろうか。
いや、あるかもしれない。
雑草とか、石ころとか、空気とか。
もっと下はあるのかもしれない。
でも卵だぞ。
動けないのだ。
冒険が始まる前に詰んでいる。
俺は現実逃避気味に、近くを歩いていたアリへ意識を向けた。
鑑定。
何も出ない。
次に、目の前の草へ意識を向ける。
鑑定。
やはり何も出ない。
どうやら、今見えているのは自分の状態だけらしい。
称号《転生者》の効果か何かだろうか。
便利ではあるが、万能ではない。
敵の強さもわからない。
草の名前もわからない。
食えるかどうかもわからない。
不便だ。
でも、何もわからないよりはマシだった。
俺が絶望と現実逃避の間を行き来していると、近くの草むらが揺れた。
ガサガサ、と軽い音がする。
何かが来る。
俺は反射的に身構えようとした。
しかし、身構えるための体がない。
できることといえば、地面に転がったまま、世界を見上げることだけだった。
草むらから現れたのは、一匹のウサギだった。
白い毛並み。
赤い目。
丸い尻尾。
可愛い。
前世なら写真を撮っていたかもしれない。
だが、その額には小さな角が生えていた。
ウサギに角。
どう見ても普通の動物ではない。
俺は反射的にそいつへ意識を向けた。
鑑定。
表示は出ない。
もう一度。
鑑定。
やはり何も出ない。
どうやら俺に、他人の情報を見る便利スキルはないらしい。
角つきウサギは、鼻をひくひくさせながら、こちらへ近づいてきた。
その赤い目が、じっと俺を見ている。
いや、正確には俺を食べ物として見ている。
待て。
もしかして、卵って食われる側なのでは?
考えてみれば当然だ。
卵は食われる。
鳥にも食われる。
蛇にも食われる。
人間にも食われる。
そして異世界では、角の生えたウサギにも食われるのかもしれない。
やめろ。
来るな。
俺は食べ物じゃない。
いや、見た目は食べ物かもしれないが、中身は元人間だ。
頼む。
話せばわかる。
俺には口がないけど。
角つきウサギが俺の前で止まった。
赤い目が、じっとこちらを見ている。
そして、角の先で俺の殻をつついた。
コン、と乾いた音が鳴った。
痛みはなかった。
しかし、恐怖はあった。
もう一度、コン。
さらにもう一度、コン。
やばい。
完全に品定めされている。
俺は必死にスキルを確認した。
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《殻籠り Lv1》
殻に閉じこもることで防御力をわずかに上昇させる。
魔力を消費しない。
※すでに閉じこもっています。
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ふざけるな。
スキルに煽られることある?
次だ。
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《微振動 Lv1》
殻内部の生命反応により、体をわずかに振動させる。
魔力を消費しない。
攻撃力はない。
================
魔力を消費しない。
そこは助かった。
なにしろ俺の魔力は0/0だ。
魔力が必要なスキルだったら、取得した瞬間から使えない置物スキルになるところだった。
いや、今の俺自身がほぼ置物なのだが。
しかし、今の俺にできることはそれしかない。
俺は全神経を集中させた。
動け。
揺れろ。
頼む。
俺の卵ボディ。
生まれて初めての、いや、生まれ直して初めての努力だった。
ぴくり。
視界が、ほんの少しだけ揺れた。
角つきウサギが驚いたように耳を立てる。
いける。
もう一回。
ぴくり。
ぴくり。
ぴくり。
俺は地面の上で、情けないほど小刻みに震えた。
すると角つきウサギは、一歩後ずさった。
そうだ。
怖がれ。
俺はただの卵じゃない。
震える卵だ。
角つきウサギは数秒こちらを見つめた後、興味を失ったように草むらへ戻っていった。
助かった。
俺は心の中で大きく息を吐いた。
呼吸しているのかどうかはわからない。
だが、とにかく助かった。
その瞬間、視界に文字が浮かんだ。
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条件を達成しました。
《微振動 Lv1》が《微振動 Lv2》に上昇しました。
================
……レベルアップした。
震えただけで。
いや、待て。
これはもしかして、思ったより悪くないのではないか。
動けない。
攻撃できない。
喋れない。
魔力もない。
しかし、スキルは育つ。
ならば、生き残れる可能性はある。
俺はもう一度ステータスを見た。
================
種族:ひび割れ卵
種族ランク:F-
レベル:1/5
ひび割れ率:7%
生命力:3/3
魔力:0/0
攻撃力:0
防御力:1
敏捷:0
知力:8
運:1
固有スキル:
《孵化未遂 Lv1》
通常スキル:
《殻籠り Lv1》
《微振動 Lv2》
称号:
《転生者》
《孵化不全》
《廃棄された卵》
================
相変わらず弱い。
弱すぎる。
でも、ゼロではない。
俺はこの世界で生き残る。
卵でも。
ひび割れていても。
廃棄された失敗作でも。
いつか孵化して、ちゃんとした何かになる。
そう心に誓った、その時だった。
空が暗くなった。
雲ではない。
影だ。
巨大な何かが、俺の上空を通り過ぎた。
翼の音。
風圧。
草が一斉になびき、俺の小さな体がころりと転がった。
視界が回転する。
地面。
空。
草。
空。
地面。
そして、俺は見た。
空を覆うほどの黒い竜を。
名前はわからない。
危険度もわからない。
何の竜なのかもわからない。
だが、本能で理解した。
あれは、今の俺が触れていい存在ではない。
羽ばたきだけで草原が揺れ、遠くの木々がざわめく。
黒い鱗は陽の光を吸い込むように鈍く光り、巨大な尾が空を裂くように流れていく。
終わった。
そう思った瞬間、黒竜の体から黒い血が一滴、落ちた。
ぽたり。
それは偶然にも、俺の殻に触れた。
熱い。
痛い。
殻のひびから、何かが流れ込んでくる。
血。
魔力。
怒り。
飢え。
破壊衝動。
俺の中で、何かが目を覚ました。
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高濃度魔力を含む血液が接触しました。
ひび割れ部より流入を確認。
竜種因子を確認。
魔力器官の形成を開始します。
魔力:0/0 → 3/3
固有スキル《因子吸収 Lv1》を獲得しました。
警告。
個体内部に異常進化の兆候があります。
ひび割れ率が上昇します。
ひび割れ率:7% → 31%
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殻の内側で、何かが脈打つ。
どくん。
どくん。
まるで心臓のように。
いや、違う。
これは俺の心臓ではない。
俺の中で、何かが生まれようとしている。
ひび割れた殻の隙間から、黒い光が漏れた。
さっきまで俺を食べようとしていた角つきウサギが、草むらの奥で震えているのが見えた。
俺は動けない。
攻撃もできない。
まだ、ただの卵だ。
けれど。
この時、俺は初めて理解した。
ひび割れていることは、欠陥じゃない。
俺は、割れることで変わる。
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進化条件の一部を満たしました。
進化候補が解放されます。
一、腐りかけ卵
二、魔力卵
三、竜血卵
四、■■■■■■
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選択肢の最後だけ、黒く塗りつぶされていた。
どう見てもヤバいやつだ。
俺は恐る恐る、その黒塗りの候補に意識を向ける。
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現在の情報解析能力では詳細表示不可。
警告。
現在の個体では選択非推奨。
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非推奨。
廃棄された卵の俺にすら非推奨と出るなら、相当だ。
だが、俺の中の何かが囁いていた。
選べ。
割れろ。
孵れ。
世界を、喰え。
俺は思った。
ああ。
どうやら俺の異世界生活は、想像以上に面倒くさいことになりそうだ。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「卵、がんばれ」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。感想もひとこと置いていってくれたら、殻にヒビが入るくらい励みになります。
廃棄推奨の最弱卵が世界を孵すまで、どうか見届けてやってください。




