第34話 鬼の里
鬼の女性は逞しい腕を組むと、鼻息を荒くする。
「ったく、短時間とはいえ街中に作るとか。次会ったらただじゃおかねぇ」
怒りを吐き出してから、彼女はクラウディアへ向き直ると、太陽のような笑顔を見せた。
座敷のふかふかした座布団の上にクラウディアをそっと下ろし、女は「アタシは紋女、で、こっちが愚息の石蕗」と自己紹介してから、再度不手際を詫びた。
「ごめんなぁ。息子の悪友がちょっとオイタやらかしちまったらしい。ちゃんと家に帰してやるから安心しな。……でも、ここからリァマに戻るにゃ徒歩で20日はかかる」
「え」
「ゲートは術者が戻らないと開かない。それまでここで待っててもらえないかな」
逢魔が辻のような自然発生の現象とは違い、ゲートは術者が任意で作れる空間通路らしい。
ゲートを作るのは誰でも出来るわけではないため、術者の帰還を待つ他ないとのこと。
クラウディアは少し考え――頷いた。
紋女は満面の笑みになった。
「こいつ、モジャモジャでオタクで引きこもりだけど、根はいいやつだから仲良くしてやってな」
石蕗が顔を真っ赤にする。
クラウディアは言った。
「はい。申し遅れました。私、クラ――」
そこで言葉が止まった。
真名。
イブリムの警告が頭をよぎる。
真名を明かすのは危険な場合がある。
クラウディアは言い直した。
「私は、クラと申します」
「おクラちゃんか」
紋女は感心したように頷いた。
「はぁぁ、なんか品がいいね。どっかいいとこのお嬢さんだろ?今頃おうちの人が心配してるに違いないよ。とりあえず早馬で知らせを出すから、連絡先教えてくれるかい?」
クラウディアは少し考えてから、答えた。
「……管理人事務所へお願いします」
まだイアポニアに入植したばかり、という理由をつけて、連絡先にはイブリムを指定する。
紋女は頷いた。
「ほんとごめん。迎えが来るかゲートが開くまで、むさ苦しい家だけどゆっくりしていってくんな」
そう言うと、紋女は女中頭を呼び、クラウディアの世話を命じた。
女中頭の老女の名は桔梗といい、背丈は紋女の半分ほどしかなかった。小さく、顔に皺が深く刻まれてはいるが、背筋はシャンとして元気そうだ。
「かしこまりました」
桔梗はクラウディアを見るや、カッと目を見開いた。
「この娘は……まさか、坊ちゃんの嫁御では……?」
「いや、この子は訳あって一時預ってるお客様で……」
「なんと!」
桔梗の目がぎらりと光った。
「この婆、安堵いたしましてございまする!人間を嫁御にとは、さすが坊ちゃま!ついに!ついにでございますなぁ!!」
「だから、いや、ちょっと待って」
「お任せくださいませ!」
ぐい、とクラウディアの腕を掴む。
「この家に相応しい嫁御として、きっちり教育いたしますゆえ!」
「ちょ、待っ、桔梗ぉ?!」
「おや、まぁ、なんと細いこと!」
ずい、と顔を寄せ、クラウディアの腰回りをまじまじと見つめる。
「こんな細腰で元気な赤ん坊が産めるものかね!こっちゃおいでなさい!まずはたんと美味しいもの食べさせねば!」
嵐のように現れた小柄な老女・桔梗。彼女の脳内では、すでに『石蕗の結婚式』から『初夜』『懐妊』『安産』までの工程表が完成しているようだった。
「ちょ、待っ……桔梗ってば!」
紋女の制止も虚しく、クラウディアは『将来の安産』のために美味しいものを食べさせるという名目で、奥座敷へと拉致された。
着物なのにスキップのような弾んだ足取りで駆けて行く桔梗を止められる者はいない。
「え、待てって、ききょ……ぉぅ……」
紋女の悲鳴は虚しく響いた。
「……もぅ……石蕗ぃ……」
気の強そうな眉を八の字に曲げて、紋女が困り切った声で息子に顔を向けると、お手上げとばかりに石蕗が首を振る。
長年この家に仕え、石蕗を実の孫のように可愛がっていた桔梗にとって、気が弱く引きこもりの石蕗は心配の種であった。そんな石蕗が急に妙齢の女性を連れて来たイコール嫁取りヒャッハーという図式が、桔梗の中で出来上がってしまったらしい。
「今は興奮して耳に入らないだろうから、落ち着いてから訂正しよう」
「分かった……。あ、でも、誤解を事実にしちゃってもいいかもね」
紋女がおどけて「あの子の布団、お前の部屋に敷いちゃう?」と聞くと、石蕗は赤くなったり青くなったりしながら、
「もう!だから嫌いなんだよ、鬼族の女は!」
と怒りながら、足音を立てて母屋から出ていく。
うちの息子の方は満更でもねぇ感じだなぁとニヤニヤしながら、紋女は目の前の湯飲みを呷った。
◇
奥座敷は厨を二間挟んだ場所にある。
差し出されたのは、竈で炊き上げられ、お櫃で絶妙に水分を調整された白米。そして、煮魚と香の物、湯気を立てる具沢山の味噌汁。
一度夕食を済ませたはずなのに、その匂いでクラウディアの食欲が刺激された。
「鬼の食事は人間と全く変わりませぬゆえ、安心してたぁんとおあがり下さいませ」
「ありがとうございます。いただきます」
クラウディアはイアポニア式に手を合わせ、食事開始の挨拶をした。
イアポニアに来てすぐに箸の練習を始めたため、今は上手に使いこなすことができる。
《β化からα化へ転移したデンプンの再結晶化。冷やした飯の食感は炊き立てとはまた違う旨さだな!》
竈で炊いた米を熱いうちにお櫃に入れて冷ますと、炊き立てよりも粒が立って確かな歯ごたえを感じるようになるという。
お米自体がおいしいのもあって、冷えてもモチモチ感の強いご飯。塩気の強いおかずも手伝って、てんこ盛りのどんぶり飯があっという間になくなった。
「まぁ、まぁ!なんと気持ちの良い食べっぷりでしょう!」
桔梗は満足そうに頷く。
「かわいそうに、お腹が空いておられたのですねぇ。今日はゆっくりお休みくださいませ」
品よく美味しそうにたくさん食べるクラウディアを気に入ったのだろう。
嫁の教育だなんだと息巻いていたのはどこへやら、優しい目でクラウディアの食べっぷりを観察していた桔梗は、母屋の北側にある離れの部屋へ案内した。
ふかふかの布団。
スルスルの肌触りの良い絹の寝巻き。
布団に入ると、あっという間に眠気がクラウディアの意識をさらった。
《ところでヨメゴとかヤヤコってなんだろうな?》
そんな一抹の疑問を抱いたまま――




