第12話 異世界温泉、社員旅行で行くところじゃない
その日、会社の朝礼で、社長がやけに晴れやかな顔をして言った。
「日頃のねぎらいとして、社員旅行を企画しました!」
――嫌な予感しかしない。
ざわつくフロア。拍手がまばらに起きる中、俺はそっと拳を握った。
(ねぎらうなら、休みをくれ)
社員旅行。
課長に気を使い、同僚に気を使い、飲めない酒を勧められ、微妙な空気の中で集合写真を撮らされるイベント。
令和の時代にまだ存在していたのか。昭和か。
(マジで無理。俺は温泉より家で寝ていたい)
だが、現実はいつだって優しくない。部署ごとに参加、欠席は「協調性がない」とみなされる、という圧の説明が添えられた瞬間、俺の「ノー」は死んだ。
さらに追い打ち。
「相川、幹事やってくれ」
(最悪)
口から出たのは「はい……」だけだった。喉の奥に苦いものがたまる。いつもの味。ブラック企業味。
その夜。魂を引きずって帰宅し、靴を脱ぐのも面倒で玄関に座り込んだ俺は、深呼吸してからテレビを点けた。静かすぎる部屋で課長の声が再生されるくらいなら、異世界通販のほうがまだマシだ。
♪テレレレッ♪
「はいはい。待ってたくらいだよ」
派手なテロップ。軽快すぎるBGM。画面の中央に、ピンク髪の猫耳娘──ミルフィが元気いっぱいに登場する。
『さあさあ始まりました〜!今夜ももちろん、異世界通販のお時間ですにゃん!』
「その元気、分けてくれよ。こっちはHPゼロ」
『本日は、人族さんに大人気!癒しの温泉パックツアーをご紹介ですにゃ〜!』
「待て、俺、社員旅行の幹事なんだけど」
『それに合わせましたにゃ!幹事様!全てまるっとお任せくださいにゃ!』
「合わせてくるの怖い。監視社会すぎるだろ」
ミルフィが胸を張る。
『人間界のリサーチは各地で進んでおりますにゃ!人族の好みもバッチリ把握!豪華カニ食べ放題&ビュッフェ付き!』
「カニ食べ放題って、課長が一番テンション上がるやつ……やめろ……」
そこへ、画面の端からもじもじしながらラビが現れた。長い耳がふわっと揺れる。アシスタント衣装が微妙にサイズ合ってない。
『アシスタントのラビなのです。きょうも一生懸命がんばるのです……!』
「ラビ!その衣装、誰の趣味だ!?ミルフィ!?ミルフィだな!?」
『ちがうのです、たぶん……なのです』
「たぶんが多いな!」
俺はリモコンを握りしめた。
通常業務に加え、観光バス、宿の手配できるか?
出欠の確認に、部屋割り……面倒すぎる。
ミルフィは耳をぴょこぴょこ動かしながら、とどめの一言を放った。
『面倒な手配は全てお任せ。幹事様のご負担はありませんのにゃ!』
(それは魅力的かもしれない……)
『幹事様、当日、会社ビル下にバスが参りますにゃ。では良い旅を〜!』
「まだ頼んでないだろ!!」
画面はにこやかにフェードアウトした。俺はテレビに向かって言い返す相手を失い、代わりに天井へ向かってぼやいた。
「……まずい、嫌な予感しかしない……」
当日の朝。会社ビルの下。
そこには、観光バスが停まっていた。だが普通の観光バスじゃない。側面にでかでかと書かれている。
【異世界観光バス】
さらにフロントガラスに貼られた紙。
【異世界、癒しの温泉ツアー御一行様】
「堂々と異世界って……」
俺が固まっていると、旗を持ってパタパタしている添乗員が見えた。見覚えしかない猫耳。見覚えしかない長い耳。
『みなさーん、こちらですにゃーん!』
「なんでお前たちがいるんだよ!!」
『添乗員ですにゃ』
『ラビも、おともするのです。迷子はだめなのです』
「はあ……。で、どこ行くんだ?箱根?熱海?」
『ポカポカーナ温泉郷ですにゃ!』
「ポカ……何?」
『異世界……じゃなくて、穴場の温泉地ですにゃ!』
「噓だろ……帰りたい」
同僚たちは「最近のツアーって凝ってるね〜」みたいな顔をしている。いや、凝りすぎて現実を飛び越えてる。誰も気づかないのか。気づきたくないのか。たぶん後者だ。人は疲れていると現実を見ない。
バスが出発し、トンネルに入った瞬間、車体がふわっと浮いた感覚がした。視界が白く揺れて──抜けた先は、山奥だった。見事なド田舎。人間界の「秘境」って言われてもギリ信じるが、空気が違う。色が、少しだけ濃い。
『穴場なんですにゃ!』
ミルフィが必死にフォローする。必死な時点で怪しい。
「じゃあ今、俺たち何県にいるんだよ?」
『……ポカ県ですにゃ!』
「存在しない県を作るな!」
夜。宴会場。
テーブルに並んだのは、カニに似ている何かだった。足の数がどう見ても多い。数えるのは辞めた。しかも殻がうっすら桃色に発光している。
「……これ、カニ?」
『カニっぽいですにゃ』
「っぽいって何だ!」
恐る恐る口に入れると、味はエビに近い。
「惜しい!」
部署の面々は「甘味があって美味しいカニだねぇ!」と大好評だ。人は無料だと採点が甘いのか。
さらにビュッフェ。見たことない肉、見たことない野菜、見たことないきのこ。きのこだけは見たことある気がする。気がするだけだ。
「珍しい野菜ね、これは何?」
同僚が聞いた瞬間、ミルフィが口を開く。
『特産ですにゃ!キャベッチー……』
俺は反射でミルフィの口を塞いだ。
「キャベツです!!新しい品種で葉が柔らかいんだそうです!!」
『むぐぐ……』
同僚が俺を見た。
「相川さん、なんでそんな詳しいの?」
「幹事なんで!!」
汗が背中を流れる。とにかく全員を酔わせて記憶を曖昧にするしかない。俺は酒を注いで回った。ミルフィもラビもやたら張り切って注いで回る。
『飲むのです!楽しいのです!』
『記憶はふわっとさせるのがコツですにゃ』
「コツとか言うな!!」
課長が珍しく機嫌よく言う。
「今日は気が利くな」
「幹事なんで!!」
万能の言い訳。幹事、便利。命を削る代わりに。
だいぶ酔いが回った頃、一行は温泉へと向かう。
目玉の露天風呂は、森の中にあった。夜の山奥、湯気、そして遠くで聞こえる魔獣みたいな鳴き声。
「なあ、今、何か吠えなかったか?」
『結界がありますにゃ。安全ですにゃ!』
「結界って言葉が不安を煽ってんだよ」
俺は男湯へ向かい、湯に浸かった瞬間──肌がつるっとした。
「うわ、すご。美肌効果はガチ」
ところが、湯の縁の鏡に映った自分を見て、固まった。
「……誰?」
そこにいたのは、高校生みたいな自分だった。頬が丸い。目の下のクマが消えてる。肩の力も抜けて見える。つまり、若返ってる。
「回復しすぎ!!」
俺は湯から飛び出してミルフィに詰め寄った。
「どうすんだよ!俺、二十歳は戻ってるぞ!」
『人族さんには効きすぎましたにゃん』
「軽い!その口調、軽い!」
同僚たちは酔って「お肌つるつるだな〜♪」と浮かれている。誰も鏡を見ない。見ても“照明のせい”で済ませる。疲れた社会人は現実認識が雑。
俺は即断した。
「ボイラー故障です!皆さん、出てください!茹でタコになります!」
「え〜?」という声が上がるが、幹事の圧で押し切る。幹事、強い。社会の裏技。
脱衣所でミルフィが言う。
『仕方ありませんにゃ。成長促進効果のあるスライムゼリーをお風呂上がりにサービスしますにゃ。薫さんには借りがありますからにゃ』
「そうだぞ、餃子奢ったの、忘れてないからな」
夜。全員にゼリー配布。
スライムゼリーは見た目が青いぷるぷるで、どう見ても食欲を殺しに来ている。だが同僚は酔ってるので「映え〜!」とか言いながら食べる。課長も食べる。俺も食べる。生きるって大変。
俺はこっそり課長のゼリーを、ほんの少し多めにした。
(日頃の恨み、五歳分くらい、帳尻合わせてもいいよな?)
神様が見ていたら、たぶん笑ってる。もしくは引いてる。
翌朝。全員は元の姿に戻っていた。異変に気づく者はいない。酔いと疲労が勝っている。世界は平和だ。
俺は鏡で自分を確認し、ほっとした。戻ってる。二十歳返ってきた。よかった。
ただし。
課長だけ、少しだけ小じわが増えていた。気のせいではない。確実に増えている。五歳分くらい。
「……うん、いい感じに効いてる」
俺は小さく頷いた。だがその瞬間、自分の目の下のクマも復活していることに気づいた。
「俺も今回の精神疲労で老けてるから、ドローってことで」
敗北宣言なのに、ちょっとだけ勝った気分になれるのが不思議だった。
帰りのバス。トンネルを抜けると、いつもの会社ビルが見えた。誰も「異世界だった」とは言わない。俺も言わない。真実を知らない方が幸せなことはよくある。
解散後、俺はふらふらと帰宅した。布団が恋しい。だがテレビが勝手に点く気配がして、嫌な予感で肩が上がる。
♪ テレレレッ♪
『ご利用ありがとうございましたにゃ〜!』
「ありがとうじゃない!異世界に行くとは聞いてない!」
画面の端でラビがぺこっと頭を下げた。
『薫さん、きょうも頑張ったのです。えらいのです』
俺は一瞬だけ、胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。まったく、こういうところがずるい。
「……ラビ、ミルフィに毒されるんじゃないぞ……」
『はいなのです。でも優しく指導してくださるので、大丈夫なのです』
「全然、大丈夫じゃないんだよなぁ……」
『薫さん、次回はもっと安全な商品にしますにゃ!』
「今まで危険だった自覚あるのかよ!」
ミルフィは笑顔で手を振った。
『ではまた次回〜!にゃん!』
画面が消える。部屋に静けさが戻る。
俺はため息をつき、冷蔵庫を開けた。何もない。いつもの光景。だけど今日は、なぜか少しだけ笑える。
「……カニっぽい何か、結構おいしかったな」
俺は布団に倒れ込んだ。
(この異世界通販、やっぱり人間向けじゃない)
でも、想像した社員旅行よりは……ほんの少しだけ、マシだった気がした。
──ほんの少しだけ、だ。




