第四六話 二日目夜
結局今日も伊織たちはやってこなかった。今日の夕食はどうしようかと連絡したものの折り返しの電話がなく、ひとまず家に帰ってみることにした。
玄関で靴を脱いでいると、リビングからテレビの音や話し声がボソボソと漏れていた。一人暮らしを始めてから家に誰かがいる経験がなく新鮮な感覚だ。そして扉を開けてみると死屍累々となった四人が項垂れていた。
「ごめーん。今日も行けなかったぁ。明日……うん、できたら明日いくよ」
「別に気にしてないんだけど、今日はどこ行ってきたの?」
「月賀野寺だよ。なんでも登るとご利益がある山に登ってきた」
あぁ、だから肇さんも疲れ切っているのか。あの山は男でも登るのは辛いだろうに。わたしなんて階段を見るだけでうんざりしてしまった。
「ならその様子だと今日も夕食はここですかね」
「ごめん、なさぁい。もうへとへとで動けません」
それなら仕方あるまい。けど蒼月に出前なんてあっただろうか。もしわかっていたら帰りがけに弁当でも買ってきたんだけどな。一応出前がないか調べてみるも何もなかった。みんなに体力があればお隣に住んでいる山本さんが働いている喫茶店の絶品ハンバーグを食べに行こうとも思ったが、この様子だとご破産するしかない。
残る手段は昨日と同じく駅前のスーパー。だけど昨日と同じようなメニューになってしまう。せっかくみんなが来てくれてるのに同じなのは味気ないな。
「あれ、あいつは?」
「アイツ?」 伊織が不思議そうな顔をする。
「ほら、あの青髪のちんちく……」
「だぁれがちんちくりんだ。トイレに入ってただけだよ」
おっと、失言。本人に丸聞こえだったみたいだ。どうも天界由来のやつらって気配を感じにくいんだよ。
「へー、自分でトイレにいけるのね」
と、癖でつい口が滑った。今回に限ってはみんなに丸聞こえだったようで揃ってキョトンとしている。それを見てこれ以上失言はやめようと両手で口を塞いだ。なんか今日のわたし、調子がおかしい。
でも気分はサイコー! 目の前のちんちくが茹蛸みたいに顔真っ赤にしてる。
そんな一触即発の危機に助け船を出してくれたのはやっぱり葵お姉様だった。
「わたしと凛で駅前のスーパーまで買い物に行ってくる。リクエストがなければ適当に買ってくるよ」
◇
「昨日はごめんね。中途半端になって」
みんなの好みがわからないから適当にピザやらお寿司やらありったけを詰め込んだものの、なんだか昨日と同じようなメニューになってしまった。お姉様と重いビニール袋を分かち合い、両手にぶら下げながら帰り道を歩く。
至って何も起きない幕間の刹那に彼女は口を開けた。
この人は何も悪くない。悪いのは全部アイツなのであって、むしろあなたは被害者なのだ。謝るなんてとんでもない。
しかし葵お姉様は今回アレを呼んでしまった責任を感じているようで、自責のように滔々と自分のことを話し始めた。昨日も同じような話を聞いたが、ショックのあまりにところどころ記憶が抜け落ちていたのでありがたかった。
「葵お姉様は天使の力を利用しようと思いませんでした?」
「と、いうと?」
「学生なんですからテストのカンニングとか。アレを懐柔しているんですから容易いでしょうに」
「興味なかった。テストの点数を上げたってメリットがあるわけでもないし、面白いと思う心もないから」
アレキシサイミアーー失感情症とも呼ばれる精神疾患。鳥越葵を縛る鎖にして世界の理から逸脱したバグ。
感情を感じないだけなら世界は受け入れただろう。だが世界は鳥越葵という不完全な存在を原初の人間にして、創造神と同等に扱ってしまった。
言い換えると天界もまた、創造神と同様に扱わなくてはならない。ただでさえ世界の摂理を捻じ曲げかねない危険な存在。それが二人とも、地上で同じ場所にいるというのだから天界は頭を抱えたことだろう。
曰く、天界の助けもあってここまでなんとか問題なくやれているそうだ。彼女の口ぶりでは何度か危ないことがあったように聞こえるが考えないことにする。あの賑やかな連中ともうまくやれているようで、ひょっとするとこの人は天性の天使たらしなのかもしれない。
とはいえ彼女が要警戒対象なのは変わりない。きっとこの瞬間も天界で誰かが見守っているだろう。
あぁ、天界を不在にしていてよかった。わたしがいたらストレスでどうなっていたことか。けど今のわたしはただの人間。「ご苦労様」と労いの言葉をかける権利もない。嬉しいのやら寂しいのやら、わたしにもわからなくなってきた。
「……伊織から凛のこと聞いた。あくまでもこれは勘なのだけど転校した理由ってーー」
「えぇ、あの学校でアキハと遭遇したからです。向こうは気づきやしますんでしたが。せっかくアレから離れて地上生活を満喫しようとしたのに再会したんじゃ意味がありません。あ、でもお姉様が責任を感じる必要はありません。離れる決意をしたおかげでこの街に来れたんですから。結果オーライってやつです」
これは地上に残すべきではない昔の話。
とある楽園から人間を追放した誰かさんはお守り役を設けた。その試作品、第一号がわたし。以降はナンゼンといる群の統制を任され、監視に地上との橋渡し、それから主人の暇つぶしの相手を務めた。その散々たる日々は口にしたくもない。
日々やつれていくわたしを見かねて、仲間は助けてくれた。そしてとある提案を持ちかけてきた。「反旗を翻さないか」と。
天使の意思こそ天界の意思。天界の意思こそ主人の意向。それから背くなんて天界を追放されてもおかしくない所業。そんな悪魔との取引を、わたしは呑んだ。すべては自分の意思、わたしのわがままのために。
◇
「おっそーい。お腹すいちゃったよぉ」
「はいはい。みんなで食べましょうね」
帰宅早々出迎えてくれたのは我が主人。こんなに自然体で接するちんちくりん、初めて見た。
だけど真に驚くはお姉様の方だ。はたからみれば本当の友達のように接している。どうして正体を知っていても平然としていられるのか……なんて、疑いようもなく、これは紛れもない奇跡。
だったらわたしも祝福しなければならないね。どこの記録にも残らない二人の笑顔に。




